さすがに、この日記を付け始めて7年のうちで、 一番「日記になんて書いていらんない」状況でした。
覚え書きとして。
父ちゃんが午後半休をして帰ってきた。
本当は、そのまま少しのんびりして、通夜の会場に出かけたいところ・・・ なのだが・・・。
のんが、音楽クラブの練習がある。 今週末の22日、小学校での夏祭りが開催、そこで音楽クラブは 演奏するのである。
今日練習に参加しないと、次はリハーサルの21日になる。 楽器も持って帰ってきてしまっているので、迷惑がかかる。
というわけで、のん、14時から15時の1時間だけ音楽クラブに参加、 そのまま私が迎えにいき、駅でお父ちゃん&むつと合流するという 運びになった。
仕方が無いことなのだが、のんは通夜に行く格好のまま、 音楽クラブに参加する。 「えー!のんちゃん、可愛い!」「どうしたの?」 などと友達に聞かれている。
そりゃそうだなぁ、いつもTシャツにショートパンツののんが、 いきなり白のブラウスに黒のプリーツスカートだもの。
通夜の席のハナシ。
前述したことにも重なるが、 年齢が若い人の通夜、葬儀ほど大変なものはない。 受付をしてくださっている会社の方からすでに号泣。 こんなの見たこと無い。
おまけに、とりあえず現役バリバリで仕事をしていた姉らしく、 現在所属する会社、部署から、以前の部署、取引先まで 総勢271人もの弔問の方が来てくださった。
これは参った。
一般の方の焼香の時間が大幅すぎるほど延長した。
さすがにむつ、途中で眠ってしまう。
偉かったのはのん。 最後まで、きちんと一人一人に頭を下げて、 崩れず、まっすぐ座っていた。
通夜振る舞いの席で、 のんは親戚の方からも褒めて頂いて、本人少しいい気分。
むつは、やっぱり恥ずかしかったらしいが、 それでも、私の叔父の一人にすっかり懐いて楽しくおしゃべりしている。
2人が居て良かった。 初めて2人が会う親戚も居て、可愛い、可愛いと可愛がってもらえる。 (3年前の祖母の通夜には私だけ出席した)
ありがたいこと。
そして・・・。
今、3年前の通夜の様子を思い出していて、 3年前には私と姉で一緒に実家から帰ったなぁ、と思い出す。 まだまだ忙しい盛りで働いていて、なかなか直接会う機会もなくて、 「久しぶりだねー」なんてことを言いながら、電車で帰ったんだ。
親戚の面々が、その時と重なる。 ここに姉が居ないということが、不思議。 ビシッとした、喪服を着て、 (推定で私の喪服より一桁高額である) 真珠のアクセサリーを上品につけて、黒いハイヒールでカツカツと 忙しそうに入ってきた姉が、今日は居ない。
すごく不思議。
昨日の、姉に関する手続きの続き。 またもや電話ばかり。 書類を作成したり。
なんか・・・・ 年をとって、退職して、のんびりして、それから亡くなるのって、 周りの人の為にもなるんだなぁ。なんてひどいことを思ったり。
明日は通夜。明後日は葬儀だ。
明日、明後日は身動きが取れないので、 今日のうちにとむつを医者に連れて行く。 顎の怪我の時から通っている医院で、アトピーも見てくれている。
お盆の休みに前後したからか、とても混んでいて、 結局昼ご飯の時間が1時間ほど遅くなってしまったが、 のんは文句も言わずに待っていてくれた。
ありがとう。
明日の時間のことや、用意するものなど、 いろんな支度をしていたらあっという間に夜になった。
このところ、一日が過ぎるのがとても早い。
月曜日。 一昨日、昨日は手続き出来なかった窓口が開いている。
というわけで、朝の9時から電話。 ずーーっと電話。 手続きの電話。
仕事していた頃みたいだ。
あちこちに何回もかけて、状況を説明すればするほど、 なんか可笑しい気分になってきた。
そんなもんなんだろう。
子ども達は状況をわかってくれて、 午前中は自分たちで残った宿題をしたり、チャレンジのテキストを すすめていたりする。
あんまり良い子にしているので、 昼ご飯はクレープを作って食べることにした。 11時半に電話はいったん休憩、 近くのスーパーに3人で向かう。
クリームと、バナナと、缶詰のフルーツ、 それからハムとレタスなんかを買って、 私が焼いたクレープに、子ども達が好きな物を好きなように挟んで食べる。
のんも、むつも、いくつも食べて「おなかいっぱーい!!」
午後は、むつの友達Kちゃんと遊びに出て、17時に帰ってきた。
なにかあったら、これを使うんだよ、と、 テレホンカードと私の携帯電話の番号をのんに渡したが、 公衆電話を見つける方が難しいかな?
今日はちょっとだけ休憩。 昼ご飯を外に誘ってもらった。
というよりも、どちらかといえば連れ出してもらった感じかも。
このところ、私が土日は日中からほとんど、 平日は連日夕方〜夜にかけて姉の病院に行っていたので、 ジージ、バーバ(父ちゃん方の父母)が食事に誘ってくれても行かれなかった。
もう、病院に行くことも無いから・・・と、昼ご飯を約束してもらった。
車で少し行ったところのショッピングモールで昼ご飯を食べて、 そのまま大きな公立の公園で、皆でのんびり。
でも、その間も母から葬儀の手配、相談の電話が入って、 「のんびり」とはほど遠い私。
仕方ないねぇ。
日中はかなり暑い。 どう考えても、公園に行った時間帯は一日のうちで一番暑い時間帯だった。
でも、子ども達は元気。 ジージと競走したり、 アスレチック型遊具で力一杯遊んで、よく笑う。
子どもの存在に救われているな、と、少し思う。
終戦記念日というのを忘れるくらい、忙しかった。
姉の件で引き続き、事務手続き。 午前中、昨日から引き続き各所に連絡をとりあう。
いやぁ、全部書いておかないと絶対忘れる。
合間に、姉の死を知った姉の友人から連絡が入ったり、 私の方の予定をずらす為に連絡をしたり。
いやはや。
よく、終わった後に悲しくなってくると言うが、 その通りなんだろうなぁ。
おまけに、姉はずっと一人暮らしで、 治療・入院した病院も大きいところだった為に 今までほとんど全ての手続きを自分だけで済ませていた。
引き継ぎも何も無く、いきなり仕事を渡されたような状態。
午後は母と一緒に姉の家に。 まだいろんな書類があると思われるので、それをとりに行くのと、 棺に入れるものを探しに。
いろんな物がたくさん出てきて、 あまりにもいろんなことを考えて、疲れた。
自宅の最寄り駅に帰ったら、 父ちゃんとのん、むつが迎えに出てくれていた。 お好み焼きを食べて帰宅する。 有難い。
姉は、婦人科系のガンだった。 2007年の3月、7時間にも及ぶ大手術をして、 抗がん剤を8月に終え、10月から職場にも復帰したのだが 12月に再発した。
そこからは、入退院の繰り返し。 抗がん剤も何種類もうけた。 薬によっては、1週間入院して3週間自宅にいるというのを 6回繰り返すものもあれば、 外来で、1日点滴をして、翌日中和剤を入れてを 繰り返すものもあった。
抗がん剤を入れる直前が一番体調が良いからと、 その時にあわせて のんやむつと遊びに行ってくれたり、 私と食事しに行ったり、映画に行ったりした。
何が悔やまれるかと聞かれたら、 もっと時間があれば良かったと思う。
特に昨年度後半から今年度にかけては、 私がPTAでかなり時間をとられて、 姉から誘われても行かれない日にちが随分とあった。
今考えれば、どうしてあの時に行っておかなかったか。
子ども達も置いていけば良かった。
日記に戻る。 13日は、夕方以降に姉に親しかった方々に連絡をする。
そこから、電話が次々に入り、 対応に追われているうちに深夜になる。
14日は寝不足のはずなのに、早朝から目が覚めてしまった。
本当に数時間しか寝ていないので、 妙なテンション。
子ども達は普段通り過ごしていて、 とりあえず来週予定していた宿題ができなくなるといけないから、 図書館に連れて行き、 子ども達が図書館に居る間に私は手続きをひとつすませる。
夕方まで、各所に話を聞きに行ったり、 母と連絡を取ったり、 姉の会社の方と連絡を取ったり。
会社の方が、式などの手伝いを一手に引き受けてくれたので心強い。
子ども達は元気。
夕飯を作っていたら、むつに 「今日は何時から病院に行くの?」と聞かれ、 「もう行かないんだよ」と答えて少しほろりとした。
そうなのだ。 この6月後半以降、ほぼ毎日のように、夕方〜夜まで私は病院に居た。 夕食を作り終えたら出かけて、 帰ってきたら子ども達は寝ていた。
休みの日は昼間から行くことが多かった。
それがないんだなあ。
すごく久しぶりに、4人で囲む夕食。
記憶というのは、だんだん薄くなっていってしまうものだから 忘れないように書き留めておきたいと思う。 この日記の趣旨、「育児」とはちょっと外れるけど、 まぁ、こんなに長くやっているんだからちょっとくらい良いだろう。
12日、日記に書いた通り 午後に母から「(姉の)呼吸が途切れがちになっている」と電話があり、 駆けつけると、一応の処置が終わった後だった。 今までも呼吸器はつけていたのだが、 それよりももっと重装備(と言っていいのかどうなのか?)のものに変わっていて ゆっくり息をしている状態だった。
少し遅れて、父も来る。(私が出る前に電話した)
先生が入ってきて、別室に移り、3人で話を聞く。
13日の明け方、4:43に病院から電話があった。 とにかく急いで行く。 都営地下鉄の本数が少ないのが、胃がきりきりするほど悔しかった。 JRに乗って途中まで来たのに、乗り換えで10分以上待つことに。
到着すると、 姉の息はもうなかったが、直前だった様子で まだ暖かくて、柔らかかった。
5:51、死亡確認。
そこからは病院に言われるがまま動く。
もう、2年超もの病院とのおつきあい、入退院を繰り返し、 最期は5月半ばからの入院だったので、 ずっと見てくださっていた看護師さんの目が 涙で潤んでいたのが印象的だった。 看護師さんも泣くんだなぁ。
いろんな手続き、準備、やりとりに追われる。 とにかく手帳に書き留めておく。 あまりにもいろいろありすぎて、わからなくなりそうだ。
のんとむつは、父ちゃんに連れられて 午前中のうちに病院の霊安室にきた。
本当は、通夜まで呼ばなくても良いかと思ったのだが、 母が「あんまり寂しいから」と言うので、父ちゃんに連れてきてもらう。
霊安室だから、本人は少し奥に眠っていて、 「会う?」 と聞いたが、「ううん」と言われた。
「じゃあ、式の時に会ってあげてね」 というと、 「うん」と頷いた。
当たり前だが、なんだかよくわかっていない2人。
ただ、先日…キャンプから帰った翌日に、姉のところに行っていて、 その時は起き上がっていろいろ話は出来たのだが、 すでに呼吸器などをつけている状態だったので、 納得はできたのかもしれない。
むつは、この霊安室での様子を後から「おそうしき」と言う。 「違うのよ、また今度別にするのよ」と言うが、どこまでわかったか。
今までも本当はもっともっと書きたかったことがあったのだが、 姉自身が非常にPCに強くて、 万々が一にも本人が検索してこの日記を見るといけないと思って 書けなかった。
すでにいろんな手続きやら連絡やらで忙殺されて 今週のはじめからの記憶が飛んでしまっていることにショックを受けたので、 少しずつでも書いていけたらと思う。
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