浪漫のカケラもありゃしねえっ!
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2002年03月01日(金) 「地獄の黙示録」が脳裏をグルグル/天の邪鬼に歴史を眺める

『闇の奥』を作った人のサイトにカキコしだしたせいか、あいかわらず脳裏を『地獄の黙示録』がグルグル回っている。とりつかれたみたいだ〜。
あー、もう今日でロードショー終わっちゃうんだ。今度はビデオで出るまで我慢するしかないな。
昔から気になって気になってしょうがなかった米軍風のアルファベットの読み方(アルファ、ブラボー、チャーリー、デルタ、フォックストロット....というアレだ)、リンクたどっていったら知ってる人がありそうかなあ。

『海人と天皇』梅原猛、『逆説の日本史』井沢元彦、こういう視点をひっくり返して歴史を語る本は楽しい。
わたしゃ天の邪鬼だから、視点をずらして常識をひっくり返す話は好きでたまらない。
先日たまたま話をしたおじちゃんが彼らのファンで、話が弾んだ。話が飛ぶうちに邪馬台国やら進化論やら宇宙論の話まで飛び出す。こういう話題の出来るヤツは初めてだ、と驚かれた。こっちこそ初めてだよ。類は友を呼ぶのか?(^^;)
そいえば、戦記漫画マニアにも、こんなに話題が会うヤツは初めてだ、と言われたっけな。こっちは、SFや戦記物の映画や漫画見てるだけなんだけど。
そのかわり、モー娘の話されても、わしゃ全然わからんもんね。(笑)


2002年02月26日(火) 『エンダーのゲーム』

昨日の続きですが、『エンダー』の解説にも出てきましたよ。『指輪物語』という単語が。作者のカードがそれを上演したって話だったんですが。(^^;)
「鏡」のイメージ、「道徳律」、「欺瞞」、「死者の代弁者」、みんな『地獄の黙示録』について考えてるうちに気になっていたことで。....ここまで出てくると、もう笑うしかない。
無作為に選んだつもりが、潜在意識は覚えていたのかもしれない。主人公のエンダーは、敵を理解することでそれを滅ぼす優秀な兵士であり、その死者の代弁者でもあるんですから。
ひさしぶりに読むと、なかなかヘヴィな1冊でした。


2002年02月25日(月) 無意識の力/『常世の森の魔女』と『白銀の聖域』のあとがき

『ふらいんぐ・だっちまん』、UPしたそばからまた加筆修正したくなってしまった。修正UP2回。これが私の悪い癖である。
ほとんどのギャグは、チャット中の会話がヒント。後は、自分でもどうしてあんなセリフが出てくるのかわからない。「(ミハエルは)他人を跳ね飛ばす癖がある」というセリフを誰かに言わせようと思いつくと、そこにかつて跳ね飛ばされたハインツが登場していて、自分でも驚いてしまう。無意識のうちにそれを考えていたのかもしれない。「物語の方が何を語るか教えてくれる」と思うのは、こんなときだ。

昨日たまたま本の山から再読しようとして、ひさしぶりに取り出した本が3冊あった。『常世の森の魔女』(スーザン・シュウォーツ)、『白銀の聖域』(マイケル・ムアコック)、『エンダーのゲーム』(オーソン・スコット・カード)である。ところが、最初にあげた2冊を読んで、偶然の一致に驚かされたのである。
『常世の森の魔女』は、アーサー王伝説と聖杯・聖鉾伝説を描いたワーグナーのオペラ『パルジファル』に題材をとったファンタジーだ。『地獄の黙示録』についてのサイトで、映画と聖杯伝説の関連を述べた記述があったので、あらためて読んでみようと取り出したのだ。
この本の「著者あとがき」を見てひっくり返った。「さまよえるオランダ人」という単語が出てきたのである。こんなところまで覚えてるはずがない。なんだこの偶然は?
そして今日、『白銀の聖域』を読了し解説を読んだところで、ムアコックがこの作品の手法の手本にジョセフ・コンラッドの作品を挙げていたことを知った。コンラッドの『闇の奥』は、『地獄の黙示録』の題材となった作品である。
たしかに、ムアコック作品の数々には聖杯・聖鉾探求だけでなく『地獄の黙示録』のような作品と共通するようなバックグラウンドはあるだろう、と今になって思う。だけど、昨日『白銀の聖域』を手にとったときには、そんなことは少しも考えてもいなかったのだ。なんだ、なんだよ、この偶然はいったいなんなんだっ!
ユング派の言うシンクロニシティ(共時性)って、こんなことなんだろうか。
無意識というのは、表層意識が失っている膨大な記憶を蓄え、あらゆる形でメッセージを送り続けているのかもしれない。


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