あたろーの日記
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旧暦1月30日。 今朝、会社に電話を入れて、「体調不良のため出社が1時間遅れます」と伝えた。 偏頭痛があったのは本当なんだけど、ふつうに家を出て会社に着くことが出来たのです。ほんとはほんとは。 ほんとはゴキが出てしまったので。 さて出掛けようと玄関の床にカバンをボテッと置いて、忘れ物したので居間に戻ってまたすぐ玄関に出てきた。その時、カバンの隣に、見馴れない黒いアーモンド状のものが。・・・げっと思って相手を刺激しないようにそっと手を伸ばし、ティッシュを掴んでえいやっと床めがけて突進。むにっと強く抑えて気絶させた(たぶん)。そのまま引っ掴んでごみ袋へ。我ながら落ち着いた見事な攻撃だったと思う。すぐそばにゴキジェットプロ(ウチには台所と居間に各1本ずつ設置してある)があったけれど、殺虫剤を吹きかけると昇天する前に暴れ回るのがかえって怖い。それにしても私も強くなった。以前は今朝みたいな中くらいのが出てももの凄い悲鳴上げてジタバタ殺虫剤をまき散らして、ギトギトになった床で自分が滑ってコケたりしていたので。しかも、掃除機で吸い取ってあとの処置に困ったり、死んでいるのに見るのが怖くてコップやバケツを被せて下から厚紙を入れて捨てたりと、ありとあらゆるマヌケなことを、ゴキ相手にやってきたこの十数年。しかし、私も進歩した、ほんとに進歩したと思う。 というわけで、一応は落ち着いて行動したものの、ごみ袋の口をしっかり締めた時点ですでに家を出るべき時間をとうに過ぎていたので、会社に電話を入れて、ちょっと玄関掃除してからようやく出掛けた。 ・・・実は、数日前にもありまして。近所の居酒屋で呑んでほろ酔いで深夜帰宅し、台所の電気をつけずにすたすた部屋に入って、歯磨きしながら台所に戻ってみたら、なんだか床に転がっていた。ん?と思ってよーく見ようと身体をかがめかけて、やめた。まさか、とは思ったけど、あんまりよく見ない方がいいような気がした。で、ティッシュで掴んで、ぎゅっと押したらぷちっと音がしたので怖くなって急いでごみ袋に入れた。少ししてからやっぱり疑惑を打ち消すためには見ておいた法がいい、あれは絶対あれではない、と、ごみ袋がさごそやって(酔っぱらっていたからちょっと神経図太くなっていた)、ティッシュをそっとひっくり返してみたら、触角のようなものが見えたので、やっぱり深く追求しない方がいい、深く考えてはいけないと、そこまででやめておいた。 どうやら、電気をつけないで台所歩いたときに、足でむぎゅっと潰してしまったようで。酔っぱらっていたのでぜんぜん気づかなかった。。。 世の中で最も苦手で怖いものであるからして、見間違えてビビらないように、台所などにはゴミが落ちていないように気をつけたり、一応掃除はしているのですが。。。。なんで、こんな寒い時季に出るんだろう。。。と、ちょっと胃が痛い。去年の初秋に、鍋の蓋開けたら巨大なのが入っていて、お気に入りの鍋を泣く泣く捨てる羽目になった、それ以来気をつけているのに。もっともっと掃除を徹底しないと。ああそうだ、ホウ酸だんごも新鮮なのを買ってこようっと。
旧暦1月29日。
 姪っ子からのメールで、実家の秋田犬、てっちゃんが昨日死んだことを知った。たしかもう15年近く生きていたから、人間で言うとおじいちゃんだった。このお正月に私が帰省した時すでに元気がなくて、オリの奥に入ったきり、散歩に行くのも億劫がっていた。いるのかいないのか、ついぞ吠え声を聞かなかったような。。。 そうかあ、てっちゃんがとうとう・・・。私が東京で暮らすようになってから実家に加わった家族だったので、私とてっちゃんはさほど仲が良くはなかった。というのも、犬というのは猫と違って、家族の中で種の違いを超えた序列をはっきり持っているらしく、てっちゃんの基準からすると、冬と夏の年2回しか姿を現さず、且つ自分が子供の頃にうんと一緒に遊んでくれたこともなかった私は、家族の中では自分より下位に位置する、むしろ、自分は門番の役割をしているのになんにもせず、ただ食べるかゴロゴロするか遊ぶかしているくせに快適な家の中にいる猫達と同等の、あんまり面白くない存在だったらしい。その証拠に、昔私が実家の居間で美味しいお菓子なんか食べてたりすると、庭からこちらを覗きながらてっちゃんが吠えたりするので、母によく、「てっちゃんにあげる気がないなら見えるところで食べないように」と注意された。居間にいる猫達もよく吠えられていた。 だけど、面白いことに、そういうてっちゃんでも、滅多に帰ってこない私が、自分の家の一員であるということはちゃんと認識していたらしい。これは猫達も同様で(今実家にいる猫達は4匹とも私が東京で暮らすようになって実家に来た)、お客さんが実家に来るとてっちゃんは吠えまくるし、猫達はお客さんの前から姿をササッと隠れてしまい、帰るまで隠れ場所から出てこない。それが私だと、てっちゃんは面白くなさそうに一瞥するか威嚇程度に吠えるにとどめるかで、猫達に至っては食卓に一緒について、私の箸の行方を見つめ仕舞いにはスキをついて箸の先の魚を奪いにかかるし、風呂場も覗きに来るわ、布団にも潜ってくるわで、あれは本当に不思議で、母と、「どうして家族だって分かるのかねえ」と話し合ったこともある。もしかしたら、犬や猫には、私たちの嗅ぎ取ることの出来ない微細な匂い、人間の血のつながりや長く寝食を共にしてきた者同士を嗅ぎ分ける能力があるのかも知れない。 てっちゃんは、血統書付きのれっきとした秋田犬だったのだけど、ちとおばかさんだったんじゃないかと、私は感じる。というか、てっちゃんが悪いんじゃなくて、ウチのもんがちゃんとしつけなかったのがいけないんだ、たぶん。だいたい、お手が苦手だった。近所の小さい子供を見ても吠えまくった。幼稚園児達は怖がるどころか、我が家の裏手に回って、「てっちゃんのばかーっ」とよく声を張り上げていたのだけど、それに対して本気で吠え返していた。 しかし、自分の役割はちゃんと認識していたらしく、まだ玄関先に繋いでいた頃、新興宗教の勧誘に来たおばさんの手を、パクッと噛んで救急車で病院送りにしてしまった。おばさんはでかい秋田犬だけどおとなしくしているので大丈夫だろうと油断してしまい、てっちゃんとしてはおばさんが自分の縄張りの一線を越えて近づいてきたので、とるべき行動に出たのだった。実家の者からすれば、てっちゃんは番犬としての役割をちゃんと果たしたので叱るわけにはいかない、しかし、本来ならあんまり来て欲しくない新興宗教の勧誘の方に(うちは先祖代々の伝統仏教なので)怪我を負わせてしまい、治療費を負担することになってしまったのはなんとも皮肉な結果であるからして、それ以来てっちゃんは庭に作られた専用のコーナーに住むことになった。実はてっちゃんが病院送りにしたのはよその人だけじゃなくて、妹と、弟の奥さんの2人がやっぱりパクッとやられて救急車で運ばれて行った。2人とも食事中のてっちゃんに油断して手を出してしまったらしい。自分を散歩に連れて行ってくれる家族を噛む、そういうところを考えると、やっぱりてっちゃんはちと考え方が足りない犬だったと思う。 ・・・と、ずっと離れて暮らしていた私でもてっちゃんにまつわる話でこれだけ書くことがあるのだから、実家の者達はもっともっと沢山の想い出とともに、今てっちゃんを失った哀しみに浸っていると思う。姪っ子からのメールでてっちゃんの死を知ったけど、実家に電話して実際話すとなると、私もきっと辛くて声が詰まってしまいそうだから、電話しない。人の死も辛いけど、犬や猫の死もまた辛い。彼らは言葉を話せないから。言葉で的確に自分の意思を伝えてくるのではなく、身体や態度や鳴き声や目つきで一生懸命こちらに言いたいことを伝えてきた、或いはしんどいことがあってもうまく伝えられなかったり。てっちゃんが彼の人生の最後に、いったいどういう身体の痛みを感じて、またどういう想いを家族に遺して逝ったのかを考えると、犬や猫の言葉を聴き取る野生の能力を失ってしまった人間の身としては、ほんとうに哀しい。 でも、それでも、我が家の家族として暮らしたてっちゃんは、きっと幸せだったはずだ。てっちゃんは、そう思ってくれてるかな。。。
| 2006年02月25日(土) |
サンシャインシティ大古本祭り |
旧暦1月28日。 午前中美容院に行く。久々に髪をカットしてもらう。 鏡の前に座ると美容師さんが目の前に持ってきてくれる雑誌2〜3冊、よかれと気を遣って持ってきてくれるのだけど、実を言うと、それらの女性誌を読むのがかなり苦痛。ファッションと化粧と恋愛ばっかり。つまらない、はっきり言って超つまらない。それでもいつも我慢して持ってきてくれた雑誌をぱらぱらめくっていたのだけれど、もう、たとえお金を貰ったって1時間近く女性雑誌を読むのは耐えられない。今日はあまりの苦痛に、とうとう、「『ブルータス』とかありませんか?」と言ってしまった。女の人にはとにかくファッションと化粧と恋愛もしくは占いが載っている雑誌さえ与えておけば無難、という発想(美容師さんを責めているわけじゃなくて、出版社や本屋の雑誌コーナーの作りも!)に私は順応できない。それは別に私がファッションやお化粧や恋愛や占いに興味がないということではなくて、むしろ興味ありなんだけど、それらのことにいちいち人に意見されたりマニュアル作られたり人に合わせましょう流行ですみたいに言われるのが嫌なだけなんですけど。 とはいえ、人の感覚はそれぞれだし、私ももっと若い頃はよく読んでいたので、まったく否定するわけにはいかない。でも、女性であれば老いも若きもファッション+化粧+・・・というのは、発想があまりにも貧弱。せめて『暮しの手帖』とか『クウネル』『リンカラン』あたりを美容院に置いてください。もしくは、自分の読みたい本を持って座ろうかなあ。。。と、同じコト考えている女性は多いと思う。だって、世の中にはいろんな女性がいるのだから。
午後はサンシャインシティ大古本祭りに行った。池袋までの歩き道を開拓したので、我が家から徒歩で30分もしないうちに着いてしまうことが判明。ちょうどいいお散歩になる。 古本祭りの場所も規模も毎年恒例で、去年会場が広くてしんどかったので、今年は時間をたっぷりとることにした。それでも、午後1時から回り始めて気がついたら夕方の5時半。足も頭もくたくた。 本日買った本。 『犬が育てた猫』(吉行淳之介・文春文庫)105円 『永代橋崩落』(杉本苑子・中公文庫)210円 『羅生門の鬼』(津島久基・東洋文庫840円 『鈴の音』(岡部伊都子・創元社)315円 『タロットの秘密』(バーバラ・G・ウォーカー・魔女の家BOOKS)2100円 『ヴィジョン』(W.B.イェイツ・北星堂)1890円 『創作の秘密』(丹羽文雄・講談社)735円 『安藤鶴夫作品集�后戞閉�日新聞社)1500円 岡部伊都子の本はめっけもん。装幀がシンプルでとても素敵。しかも安くて魅力。『タロットの秘密』は前から欲しかった本。実はタロットの図柄が好きで、タロットカードは15種類くらい所有しています。タロットカードに描かれているシンボルを読み解くのがとても面白い。タロットというと恋する乙女が恋愛の行方を占うなんてロマンチックなイメージがあるかもしれないのですが、私的には、恋愛っていろんな要素が重なり合ってしまいには突発的な化学反応が生まれるところに醍醐味があると思うので、恋愛の行く末を占いに頼ってしまうのはむしろつまらない、と思う。というか、誰とどうなるかは予め運命づけられていて、縁ある相手とはいつの間にかどうにかなってしまうものなので、当事者としてはその瞬間瞬間をリアルタイムに楽しんで実感していけばいいんじゃないかという気がする。タロットカードの凄さは、もっと他の部分に発揮できる。勿論恋愛も含めて、自分の中の深い深い処にある深層心理にアクセスして、本人が気づかない、あるいは見て見ぬふりをしているのに実はネックとなっている問題を表面に浮き上がらせてしまうところがタロットの怖さだと思う。自分が存在するところの風土宗教文化を問わず、カードに描かれた人間の深層心理にあるさまざまなアーキタイプ(元型)を読み取ることによって、自分の今の立ち位置を認識することが出来る。ただ、カードに描かれたシンボルは人間に普遍的なものであるがために、それぞれの立場によっていかようにも解釈が可能なので、現在の自分に照らし合わせてより正確な読みをしたいならば、図柄・シンボルについて知識を得て、イメージを膨らませていくことが必要となる。そういう意味からも、アイルランドの詩人イェイツが、人の生の位相について記した『ヴィジョン』は、かなり興味があるので、入手できて嬉しい。 あんつるさんこと安藤鶴夫の本をまた買った。休日のひだまりの中で、のんびりと読みたいです。。。
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