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2003年01月18日(土) この番組(くに)の行方

最近その偏向ぶりズレッぷりがあまりにも酷すぎて叩かれまくっている放送局がありますな。今日はそのチャンネルの看板ニュース番組のおはなし。

1.17。鎮魂の一日。8年前のあの日、阪神間そして神明間はまさに地獄絵図でした。被災地の外にいる大多数の人間は、為す術なくただひたすらその映像を見つめる事しか出来ませんでした。そんな時、東京から現状を見にやって来た高名なキャスターがヘリの上でこんな事を言いました。「まるで温泉場のようです。」あれから8年が経ちました。

以後、このキャスターはその時の汚名を返上するべく節目の日には必ず現地入りして被災地の現状を全国へ発信するようになりました。その事でキャスターは改めて評価されました。そして、2003年1月17日。

今年も神戸からキャスターが震災のニュースを伝えています。そして震災関連の特集へと続いていきます。テレビから流れてくるその特集を見ていて私はあっけにとられました。震災の特集がいつの間にかさりげなくも巧妙に在日差別問題の特集にすり替わっている。震災直後から神戸長田で外国人向け生活関連情報を発信して活躍したFMわいわいの紹介をしているなーと見ていたら、唐突に顔にモザイクのかかった在日の人々が「関東大震災の時のように〜」と声を荒げている。そして、以降はお決まりのように差別が…、偏見が…、韓国・朝鮮人としてのアイデンティティが…、のオンパレード。で、VTR明けにアナウンサーが「差別する側の心の貧しさ」「神戸は人の心の有り様が問われる日本のいまを映し出している」と一方的に締めくくる(その後、入手した近畿エリアで未放送の第二部を見てみると、台湾の被災地の方が神戸よりも人に温かかった等とさえのたまっておった)。わたしゃ別に冷酷なレイシストではないので送り手側の言わんとせんことは判らんでもないけれど、「非在日」である一般長田区民があそこまで一方的に悪者扱いされるのは如何なもんなんでしょうか...。

震災当時、外国人集団による略奪が横行している、といった流言は確かに存在していました。その種の流言に在日外国人の人々が怯えていたのも事実です。しかし、その様な状況下で人種・民族の壁を越えた助け合いがあったのもまた事実。例えば外国人学校は避難してきた日本人を暖かく迎え入れ、被災地の外からは援助物資や学校の再建資金が届けられたし、在日外国人の全国組織がそのネットワークをフルに生かして被災地救援に大活躍していました。すべてがすべていい話ではないけれど、在日外国人―地域住民間の距離が縮まったところは相当数あったのではないでしょうか。

そういう意味でも、裏付けや検証もなしに唐突に「8年前の差別や偏見は・・・」等とやるのは、当時助け合ったり救援に活躍するといった相互交流によって「在日」という負のイメージを打ち消してきた人々を冒涜しているだけにしか思えません。そもそも、この特集には膨大な数の震災犠牲者を悼む姿勢が殆ど感じられない。加えて、“他文化他民族の共生”といいつつも、この特集に出てくる「在日外国人」というのは在日韓国・朝鮮人のみ。そして日本人被災者の扱いの軽さ。一体どこの国のニュース番組なのか、といつもながら突っ込みたくなります。常にこういうスタンスでやっているから、半島嫌いの人間を増殖させ、在日韓国・朝鮮人を被差別・偏見の側にいつまでも留めていく結果になると個人的には感じるんですが。

黒田清さん、もっと長生きしてこの番組の震災報道をいつまでも骨のあるものにしておいて欲しかった...。


2003年01月17日(金) 震災8年、誓いの一日

今年もまたこの日がやって来た。

はや8年なのか、まだ8年なのか――98年にこのウェブサイトを開いて以来、この日の雑記では毎年この表現を使っているが、8年が経過した今でもやはり“はや8年”であり“まだ8年”でもある。この8年間で阪神間の街並みは物凄い勢いで復旧を果たした。でも、ちょっと表通りを逸れてみれば空き地は目立つし、街の雰囲気もどんよりと暗い。ぱっと見では震災の爪痕というものはなくなりつつあるけれど、その地に暮らす人の数だけ震災の災禍は複雑多様化している。勿論、自らの手で復興を果たした人は多く、中には罹災による“焼け太り”をした人すらいる。けれども一方では自助努力も虚しく未だ復興を果たせない人も少なからずいる。せめて、何らかの公的援助法ぐらい出来ひんもんなのか、とつくづく思う。

これまで毎年1月17日には新聞各紙を買い込み、震災関連のテレビニュースを3局同時に録画していたが今年はそれをすっぱりやめることにした。扱いが少なくなった事もあるが、毎年同じような構成ばかりだから、というのが主な理由(除く地元メディア)。そりゃ8年もすれば「目で見える震災」なんて見つけづらいし、メディア映えする様なネタも少ないだろう。でも、震災そのものは続いている。地味でもいいから「目で見えない震災」を深く追って欲しいものである。

いや、それ以上にそろそろ震災の闇の部分を大々的に報道してもいい時期なんじゃないかな。外国メディアが驚愕した様に被災地で人々が落ち着いて行動していたのも、日本人と在日外国人が助け合っていたのも、みんな事実だけれども、全てが全て感動的な事ではなく、誰しもがお行儀良くやっていた訳ではない。震災から8年、そろそろ美談の影に隠れている話(敢えてここでは詳しくは触れないが)も表に引っ張り出してくるべきなのではないだろうか。例えばダイエーの様に自らも被害を受けながらも店を開いて通常価格以下で物資を販売したところがあるかと思えばカップ麺やおにぎりを数千円で売りつけていた輩もいたということ等々。そして、当時の人災的側面の検証もそろそろ本格的にやるべきなんじゃないだろうか。救助に当たった自衛隊のヘリ使用に制限を加えたり救助犬や空母に代表される外国の救援申し入れをつっぱねた当時の政権の姿勢など、今一度表舞台に引っ張り出すべきだろう。これらの記憶も風化させてはならない。

もし、あの地震が野島断層の方からではなく花折断層の方から発生したなら、自分はどうなっていたんだろう、とふと考えることがある。京都市内は大概がそうだが私の住む伏見醍醐近辺も狭い路地を挟んで家屋は密集しているし、すぐ南には黄檗断層が走っているし、それでなくても旧巨椋池干拓地を筆頭に地盤の緩い場所が多いし、もし運良く命が助かっても家屋倒壊や地域一帯が火の海となる可能性は非常に高い。東海・東南海・南海地震がいつかは発生し、近畿の活断層が活動期に入ったといわれる昨今、阪神・淡路大震災の忌まわしい出来事は決して人ごとではない。喉元過ぎれば、ではいけない。震災の教訓を忘れてはいけない、と改めて肝に銘じる事がこの日被災地の外にいる我々の義務といえるのではないだろうか。勿論、この震災だけでなく各地の災害・紛争でそれこそおびただしい数の犠牲者が出ていること、我が国だけで毎年一万近くの人が交通事故で命を失っていることも忘れてはならないのは当然の事だが。

改めて8年前の1月17日に亡くなられた6,433人の御霊のご冥福をお祈りします。


2003年01月16日(木) 1・17の記憶

あの日のあの瞬間、高校2年生だった私はゴォォーという地鳴りのような音と激しい揺れに飛び起きた。起き上がったものの大きな縦揺れで一歩も動けない。これで死ぬんやな、と思いつつ必死で壁にしがみついていたら揺れが収まった。急いでテレビを付け、この時間で唯一の近畿ローカルだった「おはよう天気です」にチャンネルを合わせる。しかし画面は真っ暗で、「先程大きな地震がありました」という声だけが聞こえてくる。(あの時この番組がいつも通り大阪タワーのスカイスタジオから放送していたらどうなっていたんだろう、と今でも思う)。ついに東海地震が来たんや、この辺でこんなに揺れてるんやったら名古屋とか静岡辺りはどんなひどいことになってんねんやろ、と思っていたら我が街京都が震度5で震源地が淡路島付近という第一報に驚く。それから暫くパチパチとチャンネルを変えて地震情報にかじりつく。地下鉄梅田駅付近の漏水、セットの壊れたMBSのスタジオ、ガラスが全部割れたABC横のショールーム等が何度も繰り返し流されていた。

6時50分頃に家を出発。当時、学校をよく休んでいた自分がどうしてこの日はちゃんと登校していたのか今もって不可解だが、恐らく混乱状態の中で潜在意識が普段通り学校に行くという行動をする事で均衡を保とうとさせたんだろう。バスで三条通を通っている最中に大きな余震が来た。併走していた京津線の路面電車が真っ暗になり急停止した(地震を察知した運転士さんが急ブレーキをかけた、というよりは通電が止まってそのままモーターが停止したように見えた)。やっぱり家におったら良かった、家族は大丈夫やろか、と物凄く心配になる。

学校に付くと、殆どの人間が来ていなかった。京阪・阪急・近鉄・JRとみんな運転を暫く取りやめていたんだから当然といえば当然である。取り敢えず、ちらほら教室に来ていた連中と今朝の体験談の後、「○○のおっさん(年がら年中、もうすぐ関西に大きな地震が来るから、みんな親に地震保険に加入するように勧めろー、と力説していた地学教諭)にはよ解説してもらわなー」とか「何でも阪神高速の橋桁が落ちたらしいで」「へぇー、落ちたらどんな感じなんやろー」といった会話をしているうちに本日は臨時休校という事となった。今日はもう帰っていいのか部活の顧問に尋ねる為に校内を歩いていると、木造校舎ではガラスが割れ、図書館では天井が落ちていた。改めて地震の凄さを実感する。

そんなこんなで帰宅してテレビを見るとそこには脱線した電車や横倒しになった高速道路の映像があった。地獄絵図は何時間も何日も映し出された。時間を追うごとに死者の数がどんどん膨れ上がっていった。西宮から通っていた同級生は家が半壊し、交通が遮断されて暫く通学することさえままならなかった。

幸いにして、被災地に住む私の友人・親戚は誰も命を落とさなかった。だが、あの一連の出来事は絶対に忘れてはならない。


2003年01月15日(水) あの惨状を語り継ぐ

震災8年、今年の1月17日の雑記を締めくくるに当たって今一度自分自身に言い聞かせておきたいのは「震災の風化」という一語に尽きる。別に身内や友人に犠牲者が出た訳でもないし、96年頃に少しだけ仮設住宅に関わった程度でそれ以降は全く被災地・被災者との縁もない訳だけども、やっぱり自分の住む場所から数十キロしか離れていない場所でのあの惨状を、テレビで間接的にとはいえ目に焼き付けた者としては、あの数日間の出来事は忘れる訳にはいかない。くどいけれどもこの地震列島に住んでいる以上、日本人は皆他人事ではない。無論、この阪神・淡路以外にも大地震の被害はいちいち例を挙げるまでもなく過去に何度も記録されているし、大火・津波・雪崩・崩落・・・と自然災害による犠牲者、そして各種の大事故・大事件による犠牲者数も膨大であり、いちいち気にしてたら毎日がなにがしかのメモリアルデーになってしまう。でも、特別扱いする訳ではないけれど、天災の記憶として、そして人災の記憶として、都市型災害の象徴として、為す術なく被害が拡大していった教訓として、この1月17日の記憶だけは後世に語り継ぐべきだと私は強く思っている。

こんな事を偉そうに書いてはいるが、私自身もこの震災を強く意識するのは阪神間の車窓を眺めて空き地を見つめる時程度で、1月に入ってこの日が近づくまではまったく潜在意識の隅に追いやってしまっている。これまでは、1月17日の5時46分が近づくと自然と目が覚めて、テレビの前で西の方を向いて一緒に黙祷をしていたが、ここ2年間はグーグー眠っていた。やっぱり心の中ではもう何となくどうでもいい事になってるんだろうな、この偽善者め、とつくづく思う。

実際に被災されて近しい人を亡くされた方々にすれば、あの忌まわしい出来事を思い起こさせるだけだし、震災をクローズアップして引きずるのは酷なだけかもしれない。でも、それでもやっぱり阪神・淡路大震災というものが残した様々な問題や感情を被災地の外へと大々的に発信していく事は必要であると私は信じる。天災は本当に忘れた頃にやってくる。だけど、今なお苦しんでいる被災者にスポットを当てたドキュメンタリーを真剣にみる人間なんてはっきり言ってそんなにいないだろう。かと言って簡単に「目に見える震災」なんてもう存在しない。そういう意味で、せめてこの1月17日という一日だけは毎年あの震災の記憶をそして課題や教訓を呼び起こす日としてメディアには大きく扱って頂きたいもんである。東遊園地の1・17の炎を移しながら「犠牲者の数だけ用意された竹筒に・・・」「今なお多くの人が生活を復興できずに・・・」とナレーションを入れるだけでも、当時の生々しい記憶を再生し、未だに進行形の震災を伝える大きな効果がある。10年の節目となる再来年は兎も角、来年は今年以上にメディア上では小さな扱いとなるだろうけど、この1・17の記憶はいつまでも大事にしなければいかんな。

震災の記憶を後世に残し、改めて我々の記憶を呼び覚ます、という意味では「しあわせ運べるように」ほど最適なものはないだろう。プロの女性歌手が歌ってる方のはそうでもないけれど、小学生が「ひびきわたれぼくたち〜のうた〜」とこの歌を合唱しているのを聴くと私はパブロフの犬状態で涙がボロボロ出てきてしまう。すっかりお馴染みとなったこの歌は、神戸の市立小学校の音楽教諭である臼井真先生が避難先で涙ながらに鉛筆で走り書きして作られたそうで、その歌詞とメロディからはその当時の感情の重みがひしひしと伝わってくる。神戸のみならず全国の小学校で何十年何百年と歌い継がれて欲しいと思う。下にその歌詞を掲載して(この曲ジャ○ラックとは無関係よね?)、脈絡なく同じような事ばかり書き殴ってきた今年の1・17の雑記を終えたい。

♪しあわせ運べるように     作詞・作曲:臼井 真

 地震にも負けない 強い心をもって
 亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
 傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
 支え合う心と明日への 希望を胸に
 響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
 届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように

 地震にも負けない 強い絆をつくり
 亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
 傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
 やさしい春の光のような 未来を夢み
 響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
 届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
 届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように


2003年01月14日(火) 付加価値、地域ブランドの視点から見る“文化財”

なんか皇后さんの実家の取り壊しでえらい揉めてますな。私は豊郷で解体反対を叫んでいる人達は全面的に支持したいと思うけど、この五反田で騒いでいる人達には一切賛同できない。むしろ、はよ壊してまえよヴォケが、とさえ思ってしまう。この差は一体何なんだろう。

取り敢えず両者の違いを考えてみれば、ひとつは文化財的価値があるか否か、という事になるのかな。片やヴォーリズの設計した伝統ある洋風建築で、実際に大津地裁から工事差し止めの仮処分が出されている。片や古いながらも特筆すべき程の価値まではない住宅(しかもリフォームされている)、持ち主だった正田家も現在の所有者である財務省も保存を望んでいる訳でもない。だから、どうしても建物を保存しなければならないという理由は希薄であり、部外者からすれば肩入れしようという気にはならない。

いや、それよりもねぇ・・・。早い話が五反田で反対運動にしている人達には、共感を覚えるどころか嫌悪感しか抱かない、それだけの話である。反対住民の言ってる事が全く論理的でない。「生きてる木を切らないで、あなたは生きてないの?!」林業を真っ正面から否定してるのかこのオバハン。きっとこの人は鉄筋コンクリの家に住んで割り箸なんか使った事ないんでしょう。「陛下が入院している時になんて事をっ!!」それが工事に来た人らとどう関係あるねん。文句言うなら建物を物納した正田家に言えって。「いま改心すれば間に合う!!」もはや意味不明。法治国家で正当な手続きを経て何が悪行になるというのか。恐らくあの人達が口を開く度に世論は遠ざかっていく事だろう。

この反対運動でいちばん解せないのが、どうして解体工事の段になって反対反対とやっているのか、という事。豊郷みたいに行政が一方的に取り壊そうとしたケースとは訳が違う。現在の相続制度によって正田さんがやむなく物納せざるを得なくなったんだから、本当に建物を残したいんならばカンパを集めて正田さんに渡すなり、住民らで建物を買い取るなり出来た筈やんか。家の図面も現存してるみたいやから別な場所に移築する事も可能やし。

実際に軽井沢町が移築保存を申し出てくれていたらしい。でも、そんときゃ反対住民の皆様は「ここにあっての正田邸、軽井沢なんかに移したら歴史的意味はない」と猛反対したそうな。つまりは最優先されるべきは「建物保存」そのものではなく、「皇后陛下の生家がある街というブランド」という事なんだろう。自分達は特別な地域に住む人間だ!というエゴにしか見えない。正田邸という付加価値の消滅によって地価が下落するという懸念もあるんだろう。結局は本気で建物を保存する気なんてなかったのだろう。なのに今頃になって工事の人をこづいたり「塩爺を出せ」とかやってるのは筋違いも甚だしい。

ところでこの反対住民の皆さん、shodatei.jpというドメインを取得してウェブ上でも反対運動を展開している。中身はまあ書き出しても疲れるだけなので個々人で実際に見て判断して頂きたいが、私がこのウェブサイトでいちばん目についたのは建物保存の主張でも何でもなく「あやかり商品第一号 思い出の昭和・正田邸メモリアル」というお酒だった。限定醸造の品で4本並べるとラベルが正田邸になるらしい。ただの便乗商売やん...。きっと今後も正田邸まんじゅうとか正田邸せんべい、若者向けには正田邸ストラップなんかが続々と発売される事でしょう。この反対運動、あの西村眞吾代議士も絡んでおり「解体業者は日本人かどうかも判らない」という風な発言をしてまた物議を醸している。半島絡みで大活躍して男を上げ、折角あのイメージを払拭したのによく判らない議員さんだなー。西村さん、悪い事言わんからこの反対住民からは離れなはれ。「あやかり商品」に利用されまっせ〜。


2003年01月07日(火) 歴史的構造物を「生きた形で」保存するという意味

豊郷の小学校建て替え問題。

これ、何か書こうと思っても次から次へと新たな展開が続いていくんだよなー。最初は単なる近畿のローカルニュースだったのに、あっという間に全国区の話題になっちまった。

解体工事を請け負った業者が政党の県連幹部の建設会社で・・・とかまあネット上でも色々とこの問題の構図を補足する情報なんかが結構流れていますな。その種の情報とか噂が間違ってたら単なる名誉毀損になるので詳細には触れないけど、つまりは騒動の背後にはアレとかアレなんかが密接に絡んでいるんでしょうな、恐らくは。だから町長さんは裁判所や全国民を敵に回そうが、何が何でも、予定を前倒ししてでも解体工事を実行させなければならない、と。邪推すればお金ががっぽり入る為なのか自らが変死体になるのを防ぐ為なのか、兎に角あのお方は工事を強行しなければならない立場にいるんでしょう。それぐらいうがった見方をしないとこの騒動は解せない。だって、この法治国家にあって自治体の首長がたかが小学校の建設如きで工事差し止めの仮処分を無視して工事を強行する、てな司法への挑戦みたいな事するか、普通。

ま、そんな邪推はさておき、あの校舎はどう考えても残すべきでしょう。ああいう建築物はいま造ろうとしてもなかなか造れない代物だし。現在の技術なら、建て替えなくても岡崎にある京都府立図書館の様に外観はそのままで中は綺麗に更新する事だって可能なんだし(どれぐらいの費用を要するのか判らないけれども)。そもそも再度耐震診断をやってみて(無論、柱の数値等は通常値で)、問題なしならば新校舎建設も現校舎改築も必要なく従来通りの維持費用で保存というか通常使用が可能な訳であるし。

「一文の支出をも惜しみ始末に徹しながら、一方では公共のために千金をなげうっても悔いはない」という近江商人の信条に基づき当時の丸紅の専務だった古川鉄次郎さんが全額を寄付し、近江八幡で没し、メンタム・メンソレにも縁があるヴォーリズさんが設計して昭和12年に建てられた豊郷小学校。実物はテレビでしか見た事ないけれど、モダンな洋風建築、階段手すりのウサギやカメ等、なかなか魅力のある建物に感じる。ま、ノーマライゼーションという意味ではちょっと障害が多いかも知れないし、実際にここに通っている児童からすればただのボロっちい校舎かも知れないけど、小学校では郷土の歴史なんかを学習する訳だし、そういう意味でも由緒ある現校舎は生きた教材として大いに価値がある。

こういうその土地の歴史が詰まった校舎は日本広しといえどもそうはないんじゃないかな。こういう歴史も一度破壊してしまえば後には無機質な新校舎が出来るだけで他は何も残らない。だからこそ残すべき。反対しているのはアカだのプロ市民だのそういう次元の話ではない。恐らく、反対している卒業生の爺さん婆さんに混じってその種の活動家も色々とやっているだろうけど、この反対運動に限ってはそういう人達にも精一杯頑張って欲しいもんだ。


2003年01月04日(土) 便所の落書きVS珊瑚の落書き

昨年の暮れに、お馴染みのインターネット掲示板ユーザーが、入試によく出題される、とやたらとCMで自慢している新聞の投書欄に“赤井邦道”というペンネームで送ったネタ投稿が実際に東京版の紙面に掲載されるという珍事がありました。

全く知らない人の為に「サッカー中継 韓国リーグも」と題されたその投稿を要約すると、世界各地で日本人サッカー選手が活躍している。しかし、韓国Kリーグに移った前園選手は全く注目されていない。韓国はW杯ではイタリアやスペインよりも実力が上だったのに日本人はKリーグよりセリエAに興味を持つ。日本はアジアにもっと目を向けるべき、だからKリーグ中継を・・・、てな内容でありました(検索すれば全文の載った当時の紙面をキャプチャーした画像などが出てくると思います)。

日本代表クラスのトッププレーヤーと全盛期を過ぎた現在の前園選手を海外移籍組として同列に扱っていたり、セリエAとKリーグのレベル差を無視していたり(野球で言えばMLBべったりじゃなくて台湾球界にも注目しろーっ、てなもんかな?)、とずぶのサッカー素人の私ですらツッコミどころ満載(更に主張の中心であるKリーグの中継も、スカパーで放映していたものの、あまり人気が集まらなくって今シーズンは見送られたそうな)のこの投書、結局はもっと韓国に注目しよう!といういかにもこの新聞社好みの内容を送ってみたらあっさり掲載されちゃった、てなとこが最大の笑いどころなんですな。どうみたってネタなのに、この内容はこの新聞社的にはやっぱりオッケーなんだー、って具合で。しかも投稿者の名前は読み方を変えると「赤い報道」だし。いや〜、以前高校野球で大阪の某出場校(アンケートで選手の尊敬する人の欄がみなあの方のお名前だったらしい)に対する縦読みメッセージが、実際に応援メールとしてテレビ中継で読まれていた以来の大きな悪戯でした。

んで、その後。

東京版の紙面には「あれはインターネット掲示板の常連ペンネームのものと同一であり、掲載目的の単なる愉快犯だ、との指摘から読者からあり、本人確認にはこれまで以上に〜」てな内容の文章が載ったそうな。

さて、この投稿、確かに紙面掲載前にその所謂ネット掲示板のネタ投稿を作ってみよう的なスレッドに赤井邦道というハンドル名で書き込まれていたようですが、それが何か?というのがワタクシメの個人的な感想。で、所謂ネット掲示板群の細分化された色んなカテゴリーの雑談の中で話題には上がっているけれども、ハンドル名赤井邦道さん本人が「あれ僕がネタでやりました」と発言してはいない筈(もしやってたら「神降臨!」とかの騒ぎが起こっている事だろう)。なのにネタで送ったからとか、掲載前はちゃんと連絡が取れていたのに今は連絡がとれないといった理由で愉快犯扱いかいっ。もしも、この赤井さんが真剣にKリーグを国内で見たいと思っていて同内容のものをネット上等でも多重投稿していた、或いはその投書を送る前にそれを読まされた友人等の第三者が面白半分でその中身をネットで流し、更に新聞社が連絡したときに赤井さんはたまたま大好きな韓国にでも旅行に出ていて国内に居なかった、てな状況だったら(んな事ある訳ないけど...)どうするんですかっ!!立派な名誉毀損じゃないですか。

別に後からあーだこーだ言わんでも(ひょっとしたら週刊誌にからかわれる前に紙面で先手を打ったのかな?)、掲載するに相応しいと判断して載せたんならそれでいいやん。他の一般投稿者の中にも掲載されやすいように新聞社の論調に沿って書いている、なんて人も少なからずいるやろうし。そういう意味では赤井さんはこの新聞社が欲しがっているネタをよーく熟知していたという訳やし。この一連の流れを知っている人間に「あ、やっぱり悔しかったんや〜」と更に面白がられるだけなのになぁ...。

それよりも、問題なのはこんなネタ投稿でおちょくられる程にステレオタイプな投稿しか載っていないこの新聞の投書欄そのものでしょう。まあ、「世の中は広いなぁ、こういう視点でものを語る人もいるんかぁ〜」と楽しませてくれる分にはいいんですが(別な意味であまりにも楽しい内容が多いので、あっしはいつも一面・ラテ欄の次に目を通す様になっちまったい)、一時期の拉致事件に対する読者投稿群をはじめとして胸くそ悪くなるような内容のものの含有率が恐ろしく高く、そのバランスの欠如したページ構成っぷりには定評がありますわな、この新聞は以前から。その手の市民団体に属する投稿者からの投書もよく載ってるし。そりゃ私でも愉快犯的に、「有事法制」「憲法第9条」「アジアの国々に」「いつか来た道」「我々弱者が」「政府は」「いま何故必要なのか」「〜と感じるのは私だけでしょうか」とかのキーワードを適当に散りばめて一席ぶっこんでやろっかなー、とか思っちゃうぞ。

しかし、この一件までわたしゃこの投書欄って、あの狂気じみた偏向っぷりからいって一般読者からの投稿は一切載らないもんだと半ば思っていたので、あの欄が本物の一般投稿も含まれているんだ、という事を証明してくれた意味でも、今回の楽しい騒動を巻き起こしてくれた赤井邦道さんに感謝したいと思います。

それにしても、前園選手だけは本当に本当に気の毒だなぁ...。


2003年01月01日(水) 謹賀新年

あけましておめでとうございます。

本厄イヤーだった昨年はホントに嫌なことばっかりで(いきなりお神籤で凶引いたところからスタートした...)、心身共にずっとグロッキー状態でしたが、今年はそんな昨年の分も明るく、楽しく、元気よく、はじけまくっていきたいと思っております。毎年鐘を突かせてもらっている黄檗山蔓福寺さんで心身をすきっとリフレッシュ、この一年を頑張っていきたいと決意新たにしたところでございます。ま、今年も最後まで無事に生きる事が出来ますように。私の周りでこれ以上不幸が起きませんように。旧年中みたいに病気寸前まで抑鬱状態に陥りませんように...。

そんなこんなで、親しい皆さんも、顔も名前も知らないあなたも、たまたま通りがかかってこの雑記を眺めてみた貴方も、み〜んなまとめて本年もどうぞ宜しくお願い致しまっさ。


2002年12月28日(土) クマの“出没”と“駆除”に思うこと

兵庫の温泉町で民家の納屋に体長1m程のツキノワグマが眠り込んでいるのが発見され、程なく射殺された、というニュースが報じられていた。騒音で無理矢理起こして山に帰そうとしたものの、民家の方向に逃げ出したのでやむなく射殺したそうな。

ちょっと待て、クマは眠ってたんやろ、気持ちよく眠っていたところをいきなり大音量で叩き起こされ、なおかつ目を開けたら大勢の人間に囲まれていたらそらパニック状態になって民家の方にも走り出しもするだろう。そこをダーンと撃ち殺されたクマはあまりにも可哀想過ぎる。

勿論、クマさんというのは我々が普段イメージしているようなかわいらしい存在ではなく、獰猛な害獣でもある(ただ、今回殺害されたツキノワグマは天然記念物に指定されていたような気がする)という事は忘れてはいけない。クマが入り込んだ納屋の近辺に住む方々はそりゃ恐怖だったに違いない。だけど、他に方法があっただろうに。どうしても、殺すしかなかったにしても、眠っている間にすぅーっと逝かせてやるぐらいの配慮は出来んかったのか。

麻酔銃の許可には時間が……――この手の話で必ず出てくる説明。確かに、麻酔銃の使用申請の許可が下りるには8〜9時間程度の時間を要するらしい。でも、今回のケースならば半日くらいそのまま寝かしておいてやっても大丈夫だろう。そもそも麻酔「銃」を使う必要もない。麻酔で深く眠らせて、簡単な檻に入れてから軽トラの荷台にでも載っけて山へ運び、道から外れたところの適当な場所に穴でも掘って放置しておけばそれで済む話ではないか。何故にまず射殺ありきなのか。

今回の一件は、近隣住民が避難してから警察官が総出で音を鳴らしてクマを山に帰そうとしたところ、クマが逆に民家の方向に動いてしまい、待機していた地元猟友会が待ってましたとばかりに鉛玉を浴びせた、と聞いた。真偽のほどは定かではないが、もし事実ならばとんでもない話である。何年か前にテレビで観た、山から道路に滑り落ち、母親のいる落石防止柵の向こうに戻ろうと必死でその柵をよじ登るもなかなか上手くいかない子熊をどうやってサポートしようか、と付近の住民や役場の人達や思案しているところへ駆け付けてきた猟友会が即座に射殺してしまった、というニュースの映像がオーバーラップしてくる。結局、猟友会のメンバーってのはただ動いている標的・獲物を撃ち殺したいだけなんとちゃうんか、とつくづく思う。

暗い話題の多かった2002年を締めくくるにふさわしい、本当にけったくそ悪い出来事である。


2002年12月27日(金) 年明けには忘れ去られるであろう人質立てこもり事件

わがまち京都には、京都市内では圧倒的なシェア、抜群の知名度を誇るのに一歩市外に出るとあまり知られていないというお店や事柄が多々ある(まあ最近は近隣府県に進出しているのも多いので一概にそうとは言えないけども)。京都中央信用金庫「中信」もそのひとつだろう。信金王国京都でぐんぐん巨大化し、京都みやこ、南京都の二信金を合併して現在では日本最大規模となった信用金庫である。京都市民にはもうお馴染みもお馴染みな金融機関、都銀の支店が全くといっていい程にない我が家近辺には欠かせない金融機関でもある。ここが年始めに配っている京の市街図カレンダーは大概の家・お店・学校に貼ってあるのではないだろうか。京の中心部である四条烏丸の角、他府県の方には祇園祭でちまきを売っている場所でお馴染みのビルで立て籠もり事件が発生した。

まあ詳細はせんどテレビでやってたので省くとして、色々とありましたな今回の事件は。わたしゃ、当事者の方々には悪いと思いつつもこういう事件とか台風なんかには異様にはしゃいでしまう(流石に大規模災害・事故や殺人事件には興奮しないが)タチで、尚かつ以前のNHK事件の際には京都に居なかったので余計にこの事件の展開にかじりついておりました。

第一報を聞いた午前中の段階では、人質の人は無事かなー、あそこの本店って受付嬢や警備員のいる所を経ないと上の階にはあがれないのに犯人はどうやって進入したんかなー、という程度。お昼を過ぎ、おいKBS京都、近所やねんからもっと伝えろよーと思っていたら(その後、テレビは逐一臨時ニュースを伝えるようになりました、KBSさん罵ってごめんなさい)ラジオで「警官隊の出入りが慌ただしく・・・」と記者さんからの電話リポートがあり、うわっ、もうすぐ特殊部隊が突入か?!と意味なく不謹慎にワクワク(ちゅーか、府警にSATみたいなんってあるのかな、大阪の方には存在するらしいけど)するも進展なし。夕方近くになってどのチャンネルこも放送しなくなったので、こりゃ長期戦かいな、と取り敢えず2ちゃんねるをチェックしてみたら「徳さんキター!!」と祭り状態。何の事やらと思いつつログを読み漁ってみると、関東エリア他では容疑者の犯行メッセージが繰り返し放送されているらしい。なにぃっ、また近畿だけ報道管制が敷かれているのかー?!と思いつつ18時のニュースを待つ。おっ、ロマンスグレーの青い服着たおじさんが心境を語っているぞ、ふんふん、中信の出す条件を全部のんで苦労しまくったにも関わらず再建の為の融資がされなかったのかぁ、可哀想やなー。正義とは?良俗とは?と世に問いたくなるのも判る様な気もするなぁ。えっ、おっさんピストル取り出したよ、200発弾丸の入ったケースとか2キロの黒色火薬とかちらつかせてるよ、自害する気か?「…よって私はこの凶器、この弾薬、これを適格にコントロールをする技術と能力をもってこの手でとらえ、この手で処罰するのを目的に…」と慣れた手つきでピストル構えてるよ。で、おっさん、ベトナム戦争の話しだしたよ...。その後、劇団員みたいな元部下の会見があって、私が眠っている間に犯人は警察の説得に応じて人質を解放、事件は無事に解決しました。

今回の一件は勿論犯罪行為。四条通・烏丸通という大動脈が遮断されて京都市内は一日中混乱し無関係の人間が何万人単位で迷惑を被った。その点をさっ引くと、幸いにして死者もでなかったし、中信の全国単位での大幅なイメージダウンを考えれば犯人も少なからず恨みを晴らせただろうし、この事件はそれなりの問題提起とはなったんではないかな、と思う。あの容疑者「徳さん」のビデオメッセージは自己陶酔しまくってて内容もちょっとアレではあるけれど、その伝えんとせん事は世の中に広く伝わった。社会がその事柄を真摯に受け止めなければ、自殺するぐらいなら・・・と同様の行動に出る人が後を絶たない事態になりそうな予感がする。

そしてマスメディア。ただひたすら「犯行の動機は不明」って、いかにも自分よりでちょっとぶっ飛んだ内容とはいえ、徳さんはビデオメッセージの中で延々と語ってるやんっ。それを受けてこの事件の背景にもっと深く切り込んでいくべきでしょう。実際に徳さんがどんな目に遭っていたちゃんと裏付けとってくれよぅ。そもそも翌日の段階ですらテロップで中信に「なかしん」とルビを付けたりする始末やったし。ただ興味本位で「犯人が拳銃持って立て籠もってるー!!」と騒ぐだけなら、私の様にそれを見て馬鹿騒ぎしている連中と何ら変わりがない。で、CX。何度も独占スクープ扱いで犯行メッセージを垂れ流しておいて(数時間後にKBSを含めた他の全てのチャンネルでも放送されていたので単なるフライングか?)、容疑者は身勝手だ一方的だと鬼の首を取ったように叩いていたのには嫌悪感しか抱かなかった。一方的でない動機で起こった事件なんてあるんだろうか。所詮、ビデオメッセージは視聴率の為の物でしかないんだろう。

最後にこれだけはいいたい(既にあちこちで書いたけど)。この事件の最大の被害者は、みやこ・南京都合併時にその規模で中信に追い抜かれた挙げ句、テレビで何度も中信と間違われまくっていた京都信用金庫「京信」である。一回でも間違えたテレビメディアはちゃんと京信さんに謝れ〜い。


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