独白2
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2007年02月17日(土) 色々あったんだけど

こっちの日記に書きたかったことが色々あったんだけど、ミクシの方にずらずら時間かけて書いてしまったせいで時間がない
なんだかんだいってここには自分の為のメモというよりは、過去を振り返る自分の為にきちんとまとめてから残しておきたいと思うのです
ミクシの方はやっぱり他人の目を若干気にしてるよなって文章だ
うざいなあ
といってもホント身内の6人位しかいないわけだが
ミクシのシステムっていいのか悪いのかよくわからないな
見つけて欲しい人もいれば、見つけて欲しくない人もいる
難しい

中森明菜聞きながら寝よう
明日もまた頭痛くならないように
抜歯の鎮痛剤と花粉症の薬に頭痛の鎮痛剤とか、最近食後胃が痛くなるとかいって胃薬で、さらにカフェイン剤とか飲まなきゃいけないとかになったら薬が効かなくなりそう
でも耳に軟膏は塗っとかなきゃ…
こんなに薬大好きなのに、病弱じゃないんだなあ

薬薬って抵抗なく飲めるのも、不幸ぶりっこ体質だからんだろうな
いずれ排除してやりたいけど排除の方法が思い浮かばない位根強く食い込んでいて苛々する


2007年02月10日(土) 瞬間、自己を明確にしてみる

人の死の瞬間に惹かれることがあるというわけではないのですが、戦争映画は昔から好んでみていました
戦争時の虐殺の話とか、ホロコーストについてなどは小学生?中学生位の頃から何故か目が行き、学校の教科書等で何度もその場所だけ読んでいました
おかしな話ですが、そんな私は別にグロ画像とかを好んで見る訳でもなく、むしろ動物の死骸は嫌いな方だと思います
猫、犬の死骸は自分が元可愛がっていたとしても触りたくは無いと思うし、それはきっと人間でも同じだと思う
魚は食べる為に何とか切ったり調理したりできるし、肉は食べれるけれども、魚の目
生の魚の目を見ながら腹は出来れば裂きたくないのです
生理的に受け付けないという言葉は(理由が曖昧すぎるので)好きではないが、簡単に言えばそういう理由で好きではない

私は血が苦手という事はありません
きっと目の前で人が飛び降り自殺をしても、電車に引かれたとしても、交通事故で潰れたとしても、私の予想では顔を顰めるだけで、貧血を起こす、倒れる、といったか弱い女性のような事は絶対にならないと思う
それでも私が死骸に触れたくないと思うのが自分でも不思議だと思う
映画はサイコホラーの映画も見ていたし、異常殺人者の心理等にも興味はありました

ようは私の興味の対象というのは、「死」と言うよりは、死を起こす理由、その瞬間の心理、他者を排斥する理由、その心理など
他を消滅させる際の人の心の動きに興味を示すのだと思った
他人を殺す際、何を考えているか気になるから、猟奇殺人物を見るし、他を殲滅してでも自己の意識を存続する、そのための戦争ものも見るのだと思う

それと共に
私は本来どちらかといえば自己顕示欲が強い方で、プライドが高い
だから私は100か0か
どちらかしか選べないし、選びたくない
そんな私が戦争もの、大虐殺ものの資料や話を好むのは
人は誰しも簡単に、何事も無かったかのように消滅することが出来る、死は特別ではない、人の尊厳とは全くのまやかしであると
そう改めて理解し、そして安心するためでもあるのかもしれない

プライドの高い人間は、きちんと自己を見つめて上を目指すか、全てを諦めて他者をバカにするか
どちらかになると思っているのですが、私の場合はどう考えても後者で、自分が他者の上に立つ事が出来ない、他者の上に立つ為の「努力」が出来ないと知った瞬間から「世界はどうしようも無く無意味である」という証明に勤しんで、「だから頑張っているヤツはバカなんだ」と思う事で安心する部類の人間であると、思っているのです

そういった人間である私は「神」と、「死」というよりは「消滅」について異様に関心を示すわけです
それは私という人間が、プライド、エリート意識、そういったものにとてつもなくこだわっていて、そのこだわり故に何も動けなくなる状態から救ってくれるかも知れないものであるからだと思うわけです
ただ、その救ってくれるかも知れないという「神」については、私は信仰心を持つか、世界の仕組みを余すことなく知ることから始まると、私の選択の結果出てきてしまった

世界の仕組みを知ることとは、世界の全てを知ることで、もちろん誰もそんなことが出来るはずも無く、現存する宗教の神を信じるには私は知識も足りなければ、信じるという心が足りない
だから自分を騙す為に、自己の中で世界を構築し、神の不在、もしくは存在証明をしようと躍起になっている訳です
そしてそれは振り返ってみれば、(種類は真逆な方向に違いますけれども)出来ないといった努力をする事であり、私はそれができない故にまた身動きが取れないという、ばかげたループ状態に陥っているのです
それを打破するのが「死」ないしは「消滅」という選択肢であるが、それもまたふざけたプライド、そして優柔不断さにおいて選択しきれていない
選択肢として出してはいるが、それが認められない所以については、いまだ自分の中でも有力な候補が上がっていない


そういった状態だからこそ、人の尊厳、そういったものが関係なく踏みにじられる瞬間、その瞬間を描いたもの、実際あった出来事を好んでみるのかもしれないと、思った
そしてそれは淡々と行われていなくてはならない
ドラマティックになったようなものではなく、宗教的観測をし、それを幸福と描くようなものでも、そう解釈するものでもなく、ただ事実を
そのままに描かれているものを好むので、戦争ものの映画でも、ハリウッド的な感動映画は好まないのです

死骸についてはたぶん、恐ろしいのだと思う
魂が、「あるかもしれない」というその曖昧なものが
私に絡み付いて離れない、そういった印象を受けてしまうので、恐ろしいのだと思う
それは私が「死」を選択できていないという理由に等しくまだまだ曖昧なもので、候補が上がっていない中で、唯一わかる、自分の感情である
そこから、「何故」を追求していかなくてはならない

世界の仕組みを考えるという事は、一本の糸をどんどん裂いていくような、そんな感じがしますね
一本の糸を裂いて、裂いて、裂いて
偏らないように裂いていく
けれどもどうしても偏りが出てしまう
それは人生そのものにそっくりであると、思った


2007年02月06日(火) ごちゃごちゃと

ここの日記に書くときは無駄に装飾をして、つじつまを合わせて、矛盾の無いように
いつも気負ってしまうけど

簡単にいうと、どうしたらいいのかわからない!

ただそれだけ

ただそれだけなんだけど、ただそれだけでは身動きが取れないから考えようとは思う
思う端から言葉が零れ落ちてしまうので
結局はどうする事も出来ない

思考を止めると頭が腐る
腐って耳からでてきそうだ
けど思考を止めないと頭が破裂しそう!


そういう時の理想としては
破裂するまで考えて
破裂していっそ気が狂えばいいと思う

破裂するまで考えられないのなら
いっそのこと腐って死ね

そう思うのだが、言葉の上では何とでも表現できる
私がそういう事を選択したいと思ってはいても、実行できていない時点で選択はしていない
選択をしていないけれども中途半端に思考することを、だらだらと生きる事を選択している

私は絶対気が狂ったりしない


2007年02月05日(月) 言葉

言葉ではどうにも出来ない表現を
どうにかしようと頭で考えて
言葉ではどうにでも出来る表現を
どうにか実現しようと考えて
言葉で表されたものの不確かさを痛感し
言葉で表されたものの威力に打ち拉がられる

宗教関係のものを読んでいるとそう思う
自分の中のことすら自分で決められず、自分の事すら考え及ばない
その事実を痛感しつつ、宗教というものについて考える
神という存在について常に考える
神はいるのかいないのか

現存する全ての宗教を私が知る事は出来ない
現存する全ての事柄を私が知る事は出来ない
なんでこんなにも頭が悪いように生まれてきたのだろうかと
選択する為の大前提である知るということすら出来ずに、どう選択をしろというのだろう

現在私は何かを知るにしてもショートカットで知ろうとしている為に、余計に真実が見えない
真実が見えないのにもかかわらず、選択をしようとして出来ないという
まずは何事にも知るという行為をしてから選択をすべきだとは思っていても、現在存在しているだけでも選択を常にしている
私は今一瞬も選択をしないでいる瞬間がない
呼吸をするよりも自然に常に選択をしている

宗教を信仰している人間は、その選択をしたその瞬間の感情を理解しているのか?
その言葉が全てを支配するその世界を、理解した上での選択だったのだろうか
今現在私が得ている些細な、本当にごく一部の知識から判断するに、ユダヤ、キリスト、イスラムの宗教は言葉の世界ではないのかと思う
あくまで、現段階の私の拙い知識の印象で述べた場合であるわけですが

言葉に踊らされている
そういう印象が拭いきれない
ただ、今後私が宗教を根気よく、自分の頭の悪さにも吐き気を催さずに根気よく知るということが出来たならば
印象が変わるかもしれない
そして私も宗教を信仰できるかもしれない


神の存在を言葉で表そうとして失敗し、世界の仕組みを表そうとして失敗する
でも言葉に頼らずにはいられない
言葉に頼らずにはいられないにも関わらず、些細な感情でさえ人に伝える事が出来ない私が
どうして神を、世界を表せるのだろうか

常々そう考えるのですが、私はそうしようとする事を選択してしまった
今さら変えようという選択の意思が限りなく薄い
薄いが為に私は現在困窮している
困窮することすら選択の一つなのかもしれない
可能性を考えるときりが無い

言葉はそれを、簡潔にし、完結に導くと、信じている(信じる事を選択している)

すでに私は何かを信仰しているのだと、言葉の上ではわかった



言葉ではどうにでも出来る表現を
どうにか実現しようと考えて


2007年01月29日(月) まとまりの無い散文 恋を

している瞬間というのはとてつもなく苦しい
それは選択、選択、続く選択を常に強いられている
流されてしまうような人生の、惰性
見えない選択を常にしているにもかかわらず、恋の選択とは常に自己の満足をいかにえるかをとてつもなく意識し、そしてどうすれば自己満足を充足させられるかが実に曖昧で、ある
自己の事であるにもかかわらず

可能性が多数あるのが、またその選択を強いるような感覚をよりいっそう意識させられる
私が求めるものは、何か
選民意識からくる優越感に浸りたいのだろうか
誰かが私を、常に意識している事に対しての優越感を求めているのか
それとも私は誰かを愛しむという行動を、種を存続させる為に本能が求めるものが最優先なのか
自己の意識と他の意識が交じり合う、孤独という感覚から目をそらしたいのか
どれも本当なのだろうけれども、どれを一番に最優先にすればいいかがわからない瞬間
それを考えると、頭がキンとする
その頭がキンとする瞬間が欲しいのか

自分の事なのにわからないというのはなかなか不思議な瞬間である
私が求めるものは、相手のその存在で心穏やかになる事ではないだろうと思われる事は確かである
なので私の求めるものは相手の意識だけで、体はいらない事が多い
多いというか、体を求めた事がない
意識のみ
私の恋は(現段階では恋かどうかの判断は付かないので、仮として恋と記述)意識にのみ有効だと思われるので、容易に同性にも向くんだろうな、と思った
ただし私は同性だろうが異性だろうが常に体は求めないので、同性に向こうが異性に向こうがさして変わりはないのだと思う

常に私は求める立場にいなくてはならない
これも必須のようでもあり、私が求めた後どうでも良くなってしまった後、相手がどうするか恋の延長なのかもしれない
恋をして、多数出る選択肢の中で、この執着が終わった後、これを見る
という選択肢もすぐに出てくるわけです

成就と共に終わりを求め、平穏と共に不穏を求め、幸せと共に不幸を求める
なるほど恋とは人そのものであると
理解するとともに、特別性は失われる
失われた特別性を求めてまた恋をする事を求める
嫌なループである


世界は廻る歯車で
大きな歯車はずっと廻っている
という妄執から離れられない

全てのものは鮫等のように廻っていなければ消滅してしまうんだと思う
私は廻りが悪い
だからダメなのだと思うが、このマイナスしこうにより廻るものもある訳で
それを思うと私はそういう役割をした歯車なのだと、思う
世界と一つになりたい
誰かと一つになりたい
何が違うのだろう

全ての意識あるものは、常に恋をしている


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