日記ふう雑感 ひとりごと
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| 2009年10月20日(火) |
帰っていったヨッパライ |
元ザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦さんが亡くなりました。 自殺だそうです。
「帰って来たヨッパライ」がヒットしたのが1965年だそうだから、 兄が買ってきたレコードを一緒に何回も聴いていたのはもう40年以上も前になるわけだ。 グループが解散したのは1968年。 ついこの間のことのようだ。
あのレコードは子ども心に衝撃的だった。 こういうこともできるのかぁ、という思い。 何か変わったこと、今までに見たことや聴いた事のないものの面白さを成長のど真ん中で体験した。
その後、通り一遍を嫌い続けて今に至る。。。
| 2009年10月19日(月) |
いいとこ取りの気分転換 |
土曜日は昼間マー君の豪腕ぶりを見てほくそえみ、 夕方遼君の猛追ゴルフ3日目を見てわくわくし、 夜真央ちゃんの緊張の演技を見てうーんとうなり、
日曜日昼間再び遼君のゴルフ最終日を見て固まったり、 手を叩いたり、感心したりさせられて、本当にすごい18歳だと思い、 藍ちゃんのプレーオフを見てあっぱれアメリカでも頑張れと思い、 夜は織田君のスケートを見てやっぱり君はオールバックじゃない方がいい、 チャップリンはぴったりだなどと自己中に分析し、 真央ちゃんのフリー演技を見てもう19歳かぁと思ったり、 その品と強さと美しさは度合いを増していくところに価値がある・この次がんばれなどと勝手な評価をし、
で、スポーツ三昧の休日だった。 見るほうの三昧だが。
私にとっては家のテレビでスポーツを見るに優ル気分転換法はない。 われながら本当に単純だと思う。 何と簡単でお金のかからないことだ。
実際を見れればもっといいが、その場合は試合以外のことが気になるし、 気持ちが高ぶるし、気分転換とはチト違う。
家でスポーツの試合(特にプロの)を見るのは、 自分勝手風、いいとこ取りの、省エネストレス解消法である。
金曜日、長女と待ち合わせて池袋で夕食を食べた。 というより、ご馳走になった。 彼女推奨の沖縄料理の店。 http://www.create-restaurants.co.jp/shop/00138 夫君と何度か来ていると言う。
ミミガーとか海ぶどうとか青パパイヤ、じーまみ豆腐とか 私にとっては珍しいものばかりで、 美味しいし面白いしでビールも違和感なくナンボでも入るし、 積もるハナシもいっぱいあって、 気がついたら、ラストオーダーだった。
夫君も後半合流し、 久しぶりに「わいわいと食事したー」の気分だった。 「わいわいと皆で食事をする」は私と娘たちの永遠のテーマで、 できる限り、本物のこれを追求していきたいというのが私たちの合意である。 何のこたーない、 美味しいものを皆で楽しく食べよーつうことだ。 何のこたーないのだが、意外とこれ大事なことで、 これができない時はそれぞれへの注意を要するという信号ともなる。
で、娘夫婦、結婚する前とぜんぜん変わらず、 夫婦というより依然友達同士の雰囲気のままだ。 夫君のおおらかで素直な性格がそうさせるのだろうなぁ。 、 夫君の仕事はかなーりハードのはずだから、 新しい生活に慣れるだけでも2人ともそれぞれに大変だろうに、 無理なくのびのびとしていて、 安心、安心。 そして、ありがたい、ありがたい。 これからも"このままで"宜しく頼みますぞ、、、、。
何よりもご馳走様でした。
テーマ遂行に余念がない金曜日の夜でありました。
| 2009年10月15日(木) |
道具と大脳皮質のハナシ |
言葉や道具を使うなどの人の知的行為には大脳皮質が関わっている・・らしい。 生物の進化の過程で、脳は各部位がそれぞれ膨張し、 特に人間は大脳皮質が膨張して高度な知能を持つようになった・・・と言われているらしい。
最近、脳科学の分野では、 「ニホンザルに道具(熊手)を使って餌を取る訓練を施し、関連する大脳皮質の信号強度が増す事を観測した。」そうである。 「道具の使用が人に至る脳の進化を促したとする説を実際に目で見て納得する日が来る・・ことへの、第一歩か?!!」だそうである。
信号強度が増すという表現が素人にはわかりづらいが、 それはその脳の部位が膨張する事を示すのだと言う。 そしてこれは人の進化の中で大きくなった脳の部分に対応するのだと言う。 つまり人の進化を実験的に再現できたことになるのだそうだ。
*********ぼんやりと考えてみる。 進化を?実験的に?再現? ちと不気味な気がする。 我々は進化を再現できるほど進化の外側に立っているのだろうか。 現代人は既にたくさんの道具を使って生活している。 そして道具を駆使しているという実感があまり無い。 サルが熊手を使ってりんごを手繰り寄せようとするくらい画期的な道具の使い方って、 現代人にとってはどんな事だろうと考えても、容易に答えが出てこない。 ひょっとしたら、脳の信号強度を解析するためにMRIを使うとか、こいうことが答えなのかなぁ。**************
******************で、実際に身の回りを見てみる。 やっぱり何かのための物という物ばかりである。 ノートや時計、電気とかティッシュペーパーとか、掃除機とかガスレンジとか。 水道や机や、めがねも携帯電話も、このパソコンもそうである。 本もそうかな。
もっぱらそれ自身のためにそこにあるものは道具ではないだろう。 リビングに飾ってあるモジリアーニのレプリカとか、 娘が横浜の中華街で買ってきた、鉄でできた豚の置物とか。。。 (あの豚はいつも私にお尻を向けている。) 本はこっちにはいるのか?
どっちにしても、 こういうものも人の心を癒すための道具ということになるのだろうか。 言葉や文字はある種の道具だろう。 口述から書き言葉への変化は進化なのだろうか。
**************最初に戻って、 そうか、この大脳皮質のハナシは「人に至る脳の進化」がテーマだから、 いいのだ進化の外に立ってても。
私が気になっていたのは「人の進化」だった。 人はどこかに「至る」道の上にいるのだろうか。
(所内にての一コマ。)
外部から人が尋ねて来た。
訪問の人「○□先生のお部屋はこちらですか?」
私 「いえ、そういう方はいらっしゃいませんが。」
訪問の人「えっ、おかしいなぁ。7895号室と聞いて来たのですが。」
私 「ここは895です。それに、この建物の部屋番は皆3桁で、 4桁の番号は無いはずです。」・・・・(ゾー!)
訪問の人「そうですか、、○□先生なんですが・・」(入り口の番号札を確認しながら) 「そうですよねぇ。。。3桁ですよねぇ。。。・・失礼致しました。」
訪問の人達が帰ろうとしているので、一応部屋番号簿を調べてみる。 ○□先生は確かにこの建物のこの階にいらっしゃる。 部屋番号は789である。
私 「うちは895なので、789ですともっと奥の方だと思います。 ・・・789、789号室・・ですよね・」
訪問の人「789、、ですかぁ。78、、89、、。」 はっと気がついてお連れに向かって曰く。 「789号室かぁ!”ご”じゃなくて”ごう”だよ”ごう”。!」
で、私に向かって曰く、 「いやぁ、電話で聞いたんで、、、はははぁぁ、5と号 (文字にしたらこういう事を言いたかったのだと思う)を勘違いしました。 ははは。。。いやぁ、ありがとうございました。ははは。」
照れ隠しか、ほっとしたのか、盛んに笑いながら去っていった。
はぁ、7895室ねぇ。789号室・・。なるほろ・・。 耳から入る言葉でも遊べそうだ。
だからどうという事ではないのだが、 こんなような息抜きもあった一日でした、とさ。
| 2009年10月11日(日) |
プレジデンツカップ2009 |
オバサン(私という固有名詞と同格)を唸らす埼玉県出身のイケメン、青年の部。 藤原竜也と石川遼。
一日中ゴルフ・プレジデンツカップ2009のテレビ生中継を見て過ごす。
石川遼の魅力は「最後までゲームを諦めないところ」にあるが、 特に感動するのは、 負けゲームをしているのに冷静で、 冷静なのにモチベーションを下げずに動けるところ。 その時々の自分の持つ力の容量を見極め得ていて、 それを最大限に使おうとしているところ。 そして最大限に使えてしまうところ。
素直に冷静に目いっぱい自分を信頼している姿。 人の本来とか原点を見るような気がする。
ま、イケメンだからという取っ掛かりも、世間も私も間違ってはいないと思う。 プロだからそういう言われ方もよしなのだ。。。
いやー、さして動いてもいないのに、今日一日たくさん歩いて、存分に戦った気分になった。
大雨の中いつもの時間に家を出た。 外に出て傘を差した途端に骨が一本折れた、傘の。 その途端に腹が据わった。 コンビニで400円で買った傘だったことが災した、いや、幸いだった。 どーせ台風だ、濡れるし、髪は逆立つし、化粧は落ちるし・・ふふん。
強風と雨にもがきながら駅に着き、最寄り駅8時の電車に乗る。 車内のアナウンスによると、北関東から都内に向かう電車は高崎線上野行き以外一切ストップしているらしい。 しかも山手線も動いていない。 ・・・、ツウことは、いくら頭を働かせても、これに乗って上野に行くしかない。そして地下鉄に乗るしかない・・。
車内で握り飯の米粒のようになりながら、いつもの倍の時間かかって上野に着いた。 何のこたぁない、上野の空は台風がウソのように青く晴れ渡っていた。
人の流れに任せて歩いたら、自然に地下鉄の改札口に出た。、 ―そりゃそうだ、JRは通勤客全てをとりあえず上野に押し出してんだから― ―押し出された人間は皆同じ事を考える―。
で、上野発の地下鉄は止めた。これ以上の米粒状態はいやだ、さすがに。 上野御徒町駅から別の地下鉄に乗って、飯田橋に出て、乗り換えて、職場所在地もより駅に行こう・・・・ などと考えながら、「あんみつのみはし」の前を通り過ぎる。 通り過ぎながら、考えた。
私の勤め先は東京に近いとは言え、同じ県内である。 なのになぜ私は今ここを歩いているのだ? しかもこんなに晴れてるのに、 何で私は台風のせいでこんなに時間をロスしているのだ? 腹立たしいわけでもなく、焦るでもなく、 とにかく職場にいかにゃぁ・・・だけのために、ただ習慣のように歩いている。 この社会性というか、"歯車の一部的"根性はどうやって身に付いたのだろうか。
などなど思いながら電車に揺られ(いつもより揺れているのは強風のせいである)、 職場の最寄駅に着いた。 家を出てから既に3時間半以上経過している。 この間の電車代はもちろんただである。 振り替え乗車OK駅を通って来たわけだから、 これだけ大回りしても、正規の定期該当ルートということになるのだろう。
で、家を出てから職場のドアを開けるまで4時間かかった。 ・ ・ ・ ・ 帰りもまだ強風によるダイヤの乱れとかで、2時間かかって家にたどり着いた。 しかも握り飯の米粒どころの混雑ではない。 半分潰れたおはぎのもち米になったような車内だった。
往復6時間を費やして移動し、5時間ほど仕事をして来た。
家に戻ったらサッカーの試合が始まっていた。 ビールを飲みながら余裕の勝ち試合を見て、お風呂に入って、、、、 一日が終わった。
記録的な大型台風が日本を縦断とかのニュースで始まった一日だったが、 なんだかえらく落ち着いて平坦な日だった。
・・・疲れすぎているのかもしれない。怒る気にもならない。
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