日記ふう雑感 ひとりごと
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様々な病気が”増えた”のは医学が進んだせいだとつくづく思っています。 耳の調子が悪いのを健康診断で指摘されて以来、 診断書にOKを入れるには全ての検査をし終わらなければいけないと言われ、 先日やっと最後(・・になるであろう、・・なってもらいたい)検査をし終わりました。
造影剤入りMRI撮影とかで、興味深いやら、心細いやらで、、、 検査そのものは無事終わって今に至っております。
先月、大学病院での診察日に、 「この検査、人によっては拒否反応を起こして死ぬこともあります、、、 で、同意書にサインを・・・、」 とその日担当の若い先生が下を向いたまま低い声でそう言って、 おずおずと書類とボールペンを差し出したので、何が何やらわからないまま、 死んではたまらないと、即サインをしたのでした???!!!
後で別の先生に聞いたら、 (大学病院なので何人もの先生が対応してくれます。いいのか悪いのか。) 「そんなこたー万にひとつで、はは、簡単なもんですわー。まー、色々なことがわかって来たので、昔は放っておいたことも、そのままにしておけなくなっとります。で、たまたま病気の見つかった人は”ごめんなさい”ってことで・・。」 ですと。 人によって同じ内容でも、与える印象の何と違うこと! 患者の身としては後者推奨。
「年だから放っておく」と「若いからすぐ対応せにゃ」の ちょうど中間年齢層ということらしい、、、。複雑なお年頃なのでした。
検査は、なるほど、カプセルの中で寝てしまうほど”簡単”なもんでした。 一時間ほどかかりましたが。
「結果説明を聞きに来週また来てください」「はぁ」(「うーむ」は言えない)。 ほんと、細切れに病院にいかねばならず、やっかいなことです、医療の進歩とは。
私のハンドルネームAcquaintとはラッセルをご存知の方はぴんと来ると思いますが、彼の重要タームのひとつ”Acquaintance”を意識している。 「何らかのものを実際に見たり、会ったりする」、「直接知ること」、私の最大のこだわりである。 直接見ること、聞くこと、話すこと、触ること、人の表情に触れること、会話をすること、、、、。 メールのやり取りのおかげで以前より仲間が増えた、理解が深まった、、という昨今だが、私はメール文字の向こうにある「直知」重視派である。
じゃあ、なぜインターネットなのだ、web日記なのだと言われそうだが、「体験せずには何も語れず」である。つまりこれも「直知」なのだ 私の世界観は「相手の目を見てナンボのモン」だ。 その場で音として流れ消え去っていく会話ほど面白いものはない。音楽と一緒である。人の表情も然り。 変化し留まらない”重み”あるいは”軽さ”が好きである。
カントはやはり偉大であった。時間と空間は人をして人たらしめる。
とは言えプラトン的観念の世界はまた別問題である。 この辺に、ラッセルから離れられない自分像を見る。
いやはや、今日は娘の作った料理でビールを飲んだ。 9月の始まりであるが、週末である。 社会的労働サイクルにドップリ浸かっている自分もまた現実。
突然ですが、 B.ラッセルが嫌ったものは、 ・不寛容、 ・個人の自由の抑圧、 ・非合理なセンチメンタリズム、 ・集団的狂信
「科学は、経験的・試行的・非独断的なものであり、確乎不動の教義はすべて非科学的である。」
彼は4度結婚した。 最後は(確か)80歳の時だった。 彼の人生を辿ると元気になる。 私などまだまだ少女(?汗。。!おひょっ、すまんです)の如き年齢だ。
「明確な解答は概して、それが正しいと言うことを知り得ないようなものである。」
昨日と今日の高校野球決勝戦の話は今更なので、詳しく書かないが、 「一生懸命な姿に感動する」という言い古された表現が、 言い古されつつ、まさに今まだ通用していることを実感。
勝ちたいという勝負欲、負けたくないというプライド、 この単純な感情を堂々と見せ付けてくれた。 人の思いの根っこのところに正直であることに感動する。 うれしくもある。エネルギーが湧く。
欲ってそんなに悪いもんじゃないと思うがなぁ。
昨日はなーんにもせずに一日ぼーとしていた。 実は好きなスポーツが目白押しで、 ―J リーグ、浦和対鹿島。バスケット世界大会。バレーボール、水泳、高校野球。― 全部見た。
今日もだらだらしよっと思って・・・実際していたら、 娘から夕方帰るとの電話あり。 とたんに元気になった。 夕飯作らねば。野菜不足だと言ってたっけ・・ええっと、漬物に煮物、汁物と、、、、などなど、、。 ホントげんきんである。
最近ある人から「そろそろ子離れせにゃ」と言われて、 子離れって、わたしゃ彼女たちを生み落とした瞬間から、そのつもりで生きてきた! と思ったが、、、思ったが、 その時はなぜか反論できなかった。 人が育つこと、変化していくこと、教育や学校に興味があるということの遠い先にはそれがあるのかもしれない。 私の弱点(ばかりだが)の中でも大きなひとつは”子ども”である、おそらく。
今年の高校野球は”粘った試合が多くて、久々に面白い。” 世界バスケも”すごい人たちが来日、こりゃ、面白い!” バレーボール女子”昨年までのひ弱さがなくなって、応援のし甲斐があるじゃん、面白いよ!” Jリーグ”オシム効果がJリーグにまで浸透しているようで面白い、小野の昨日のゴールには執念を見た!”
12年ほど前、交通事故の怪我が治癒した翌年の母の日に 下の娘が小遣いをはたいて買ってくれた幸福の木。 幹や葉っぱに元気がなくなっていたのを、上の娘が挿し木をした。 芽が出た。 トップページにUPした。
気負いなく成長を再開したその自然性に感動。 だから木は好きなのだ。 私は花より木そのものが好きである。 彼らの付ける新芽の緑は人口では出せない色だ。
成長しろよぉ。 一度芽が出たら過度な手助けはいらない。
何年かぶりの長野のお盆味わってきました。 いつもは人ごみを避けた時期に帰っていたので、 人の多さにちと戸惑い、 それでも昔ながらのこの時期の様子に、 懐かしくも安堵感を覚えた自分に納得したのでした。
発見: 空気がきれい。道がきれい(ごみがない)。つまり町がきれい。 昔の友達(らしき人)が日常的にその辺を歩いている。当たり前かー。
自分の育った町はきれいだった。 知り合いが一番多い町だった。 気がつかずに生活していた。
年だ。
体の中にもらってきたきれいな空気、既に使い果たしてしまったけれど、ごちゃごちゃと埃っぽく慌しい日常もまた好ましく。
あちこちに居場所があるって贅沢な話です。 感謝。
***** あ、今回はパソコンを持参して、両親にロスの写真を披露してきました。 全て娘の処理によるもので、 改めてその几帳面さに、親もその親たちも舌を巻いたのでした。 「誰に似たんだ?!」 「私(俺)じゃないな、少なくとも・・・」 と、お互い誰に言うでもなく、不器用にも娘、孫自慢をし合ったのでした。
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