日記ふう雑感 ひとりごと
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2006年01月31日(火) ウィリアム・ジェームス『心理学』

ウィリアム・ジェームス『心理学原理』一部読む。彼は心理学者であると同時に、医学博士でもあり、哲学者でもある。曰く、「心理学は特に心理学固有のデータを許容する。そのデータの更に深い意義と真理とを吟味する事は更に進歩した哲学の領域に委ねる」。「データとは考えと感じ、あるいは意識状態を表す名であればよい」(―――これはラッセルで言うところのセンスデータ?)以下は岩波文庫『心理学』今田寛訳よりの抜粋。

○自分自身以外の他の個人の意識の中にある考えを直接見ることはできない。完全な孤立、徹底的多元がその法則である。

○普遍的な意識的事実は「感じや考えが存在する」ことではなく、「私は考える」「あなたは考える」ことである。

○一度過ぎ去った心的状態は以前と全く同じ状態では決して再生起しない。

○本来的に事物間の関係が存在するのと同じように、これらの関係を知る感じが存在している。――青の感じ、冷の感じというのと同じように、そして(and)の感じ、もし(if)の感じ、しかし(but)の感じというべきである。


この『心理学原理』が世に出たのが1892年、哲学書『プラグマティズム』は1907年、『多元的宇宙』は1909年である。
ちなみに、ラッセル「指示について」が1905年、『プリンピア・マテマティカ』1910年、『哲学の諸問題』1912年であった。
付け加えて、フロイトの『夢の解釈』は1900年、『性に関する三論文』1905年。
ユング『元型と象徴』1919年である。

生きた時代を考えると、
ジェームス1842年生−1910年没、ラッセル1872年生―1970年没。
前者と同年代の思想家科学者は、フッサール、フロイト、ニーチェ、パブロフ、エジソンなど。
後者と同年代はハイデガー、ワトソン、ユング、カフカ、アインシュタインなど。
日本人では、
夏目漱石1867年生―1917年没、『我輩は猫である』1905年、1916年『明暗』。

だからどうした、と言われれば、返事に窮するが、
1900年前後はこうして見ると、何と豪華な時期であったことだと思った次第で。


2006年01月30日(月) 『ラッセルのパラドクス』その2

三浦俊彦氏著『ラッセルのパラドクス』についての続きだが、第9章「心と脳は同じものなのか?」も非常に面白い。
“私”、“心”、“物質”、“意識”などをラッセルはどう捉えていたか。この章では汎哲学的問題であるこれらについて、ラッセルの独特の見方を紹介している。
私のラッセルについての勉強(“研究”には程遠い)は記述理論で終わっているが、それでも、唯一、アメリカで研究を続ける兄の論文が、日常の中にわずかながらではあるが思考する時間を与え続けてくれた。ぼつぼつと20年以上。読んでは投げ出し、投げ出しては拾い、拾っては考え、その繰り返しを続けさせたのはまさにこの“心と物質と関係”のわからなさへのこだわり、なのだ。
『ラッセルのパラドクス』の中で具体的にどのように取り上げられているかはここでは語らない。興味のある方はぜひ一読されたい。

同書にも紹介されている中性一元論を唱えた心理学者ウィリアム・ジェイムズの論を改めて読んでみたいとも思っている。
平凡な一生活者である私にとってモノや心をどう解釈したらよいかについて“悩む”場面は多い。つまり解決が必要なわけだが、一般に解決に有効なのは、哲学よりも心理学である。哲学的ものの捕らえ方が療法に応用され、見方によってはいいとこ取りされ、変形され、無遠慮に扱われる。ラッセルの記述理論にとても近いと思われる考え方が、心理学の一理論として取り上げられているのに遭遇したことがある。そこには、記述理論についてはもちろんだが、哲学やラッセルという言葉すらほとんど出て来ていない。しかし、“心の問題の解決”の役に立っていることは事実のようであった。“その場”が“どうなったか”で捉えて、“次の場”に移っていくのが日常である。つまるところ、いいとか悪いとかはあまり意味がない。役に立ったか否かで“次の場”が微妙に違ったりする。。ようだ。

この時期に同書に出会えたのは幸いであった。応用される前のラッセルの理論を捉えなおす時である。





2006年01月26日(木) レッズファン

小野伸二がレッズに戻ってきた。
私は元々スポーツが好きだが、今は特にサッカーにはまっている。
どこのファンかと聞かれた時はいつも“浦和レッズ”と答えている。
控えめな立場説明をする理由は、
「あの」“レッズファン”に比べれば私のファン度など、
赤子のようなものだと十分に認めているからである。
そもそもレッズとの出会いは、15年程前に遡る。
大阪から埼玉に引っ越してまもなく県民の集いなる催しがソニックの大ホールであり、
まだ関東慣れしていなかった子供たちを引っ張り出して参加した。
ミニコンサートと称したステージで所ジョージのあのへんてこな歌を直に聞く羽目となり、
いつの間にか森監督率いる西部ライオンズの応援をさせられてした。
その時、翌年から(だったと思う)始まるJリーグの埼玉代表チームとしてレッズが紹介された。
まだプロとしては初々しい感じの若者達の集団だった。
帰りに引いた抽選で森監督の直筆サイン入りボールが当たった。
参加者全員に、レッズのレギュラー選手全員のサインか書かれた色紙が配られた。
今では、この色紙は宝物となった。
ボールはどこか棚の隅で眠っている・・・と思う。
そういうわけで、
私としてはレッズが立ち上がったその瞬間にそこにいたという思いがあったからか、
知らないうちに隠れ応援団になっていた。

小野伸二久しぶりの記者会見であった。すっかり大人になって帰ってきた。
人が変化する過程が見られるのは興味深い。“興味深い”を楽しんでいる自分も面白い。
その時間経過が長ければ長いほど、
”私”は“その人”や“そのもの”に親しみを覚えるもののようだ。


2006年01月25日(水) The有頂天ホテル

三谷幸喜の映画「The有頂天ホテル」を観に行った。
何年ぶりの映画館だろうか、やっぱり劇場のスクリーンはいいものだ。
大学時代よく友達と学校の近くの映画館にオールナイトを観に行った。
その悪友がロバートレットフォードのファンだったので、彼の出るものはほとんど見た。
ただし今でも印象に残っているのは「道」「ブリキの太鼓」「カッコーの巣の上で」。
レッドフォードのもいい映画が多かったと思うが。
最近のものでは「Cube」。Cube2ではなく、カナダ制作の方である。

「The有頂天ホテル」、これはコメディではなく人情ものだ。
そこはかとないギャグは人情ものだからこそ生きてくる。
出演の俳優達全てが、“必ずそこに居なければならない”と思わせる配置がされていて、
そういう演技をしていて、寸分のすきも見逃せない。
にもかかわらず肩の凝らない、無理のない人間ドラマである。

三谷の映画は内容も控えめのギャグも好きなのだが、何がいいと言って、
私の好きな役者が端から出ていて、そうそうこの役は彼で、あれは彼女で、、、
そういう点でもピタッとフィットするのだ。
役所広司や戸田恵子、アリキリの石井君などおなじみの顔だが、
「また〜ぁ」という印象が全くないのが不思議だ。
オダギリ・ジョーもかなりよかった。
控えめというか、目立つというか、二枚目というか、三枚目というか、
今売れ筋の中身の詰まったイケメン俳優をあの役であそこに持ってきたか!!!
・ ・・・気になる方は一度ご覧あれ。
映画館に足を運んで損はないと思う。

久しぶりにゆったりと笑えてゆったりと泣けた。


2006年01月23日(月) 『ラッセルのパラドクス』

ニュース、「ホリエモン逮捕」ばっかり。
ちと複雑、色々な意味で。私としてはまだ思案中。


三浦先生の『ラッセルのパラドクス』再読す。
記述理論がらみのラッセルの存在論、理想言語と日常言語、私的言語とコミュニケーションなど。
特に第7章が好きである。
私の哲学という迷い道は、まさに“私の内にある言葉(のようなもの)への好意”から始まり、
ラッセルの「固有名のほとんどは確定記述である」に魅了されて今に至っている。三浦先生の巧みな文章は、ラッセルがあたかも日本人であったかのような印象さえ与えてくれる。
じっくり、ゆっくり、本来の自分に戻って、のろのろと思考するのもたまにはいい。
(たまにじゃないジャン・・って言われそう・・・)


2006年01月22日(日) ヒアリングの試験

知り合いのインドの研究員の方はまだ幼い双子の兄弟の母親だが、
お子さんが病院にかかる時はドクターと筆談で話すのだという。
彼女の夫は日本が話せるが、彼女自身はまだしゃべれない。
最初の診察で、英語が通じないこと、
会話はできないが、筆談ならコミュニケーションが量れるということを発見した、という。
どうも日本人は男性にこのタイプが多いとも言っていた。

確かに、日本の英語教育を普通に身につければ、
文字で書かれた英文はある程度読み取れるようになる・・・はずだ。
が、早口に“How goes it?”と聞かれて、逆に何回も聞き返し、
やっと文章は聞き取れたものの、何て答えよいやらかわからなかった、
という話を聞いたことがある。

私も、ネイティブのアメリカ人に挨拶され、
何と言っているのかよくわからなかったので思わず頭を傾げた途端、
あきれた表情をされたという経験がある。
彼らにとって挨拶はスムーズにやり取りが行われなければ全く意味がないのだ。
(母国語としての)日本語での挨拶は条件反射のように身についているので、
内容をきっちり聞こうなどと身構えることはほとんどないが、
この経験以来、英語で挨拶をされそうになったら、何気ない表情をしつつも、
注意して聞き耳を立てるようにしている。
私の英語力もまだまだである。

先ほどの筆談に戻るが、病気の診断を英語の筆談で可能というのは、
さすがお医者さんという感じだ。
一般の我々なら聞かれたことはわかっても、病気について筆談で答える事はちょっと難しいだろう。

筆談であれ会話であれ、母国語以外で”適当に答える”というのも訓練が要るものだ。
 
今年からセンター試験に英語のヒアリングが加わったというが、よいことだ。
あとは受け答えだ。
話しかけられたらきちんと答える、こういう能力をセンター試験でどう見極めるのだろうか。
まさか、「聞きっぱなしでよし」ではあるまい、どこかの国会議員のように。


2006年01月20日(金) 本田竹広逝く

ジャズピアニストの本田竹広さんが亡くなりました。

突然でした。
まだ名前がそのまま載っているいくつかのライブハウスのスケジュールを見るにつけ、
なんだか本田さんらしいと思います。

お知り合いのミュージシャンの演奏を聞きに来ていた本田さんの姿を
吉祥寺のライブハウスで拝見しました。
数ヶ月前のことでした。
怪我をされた直後で、足取りも弱弱しかったですが、
演奏の終わった方達と握手をされている姿が、とても印象的でした。

病気をしても怪我をしても最後までピアノに向われていました。
何かとても切ないです。
同時にジャズを好きになってよかったと思います。
なんだかよくわかりませんが。

取り留めのない文章になってしまいました。





ご冥福をお祈りします。







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