日記ふう雑感 ひとりごと
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きちんと書きたいと思いつつ、何やかやとしていたら、また0時を過ぎてしまいました。 このところ”今日”のことを”明日”書いてる感じです。19日のことは”今日”が終わったら書くのが普通ですよね。
えっと、18日は用事があって渋谷に行ってきました。文化村通りはいくらか通り易いけど、ちょっと路地に入るとオバサンは歩きづらい。同じ年の人は皆同じような事を言います。若い人にはいい街なんだろうか・・・・
さあ、今日も仕事だ・・・寝なきゃ。
昨日書いたソーシャルネットサイト(これを“M”としよう)では、 私はB.Russellのコミュニティに入らせていただいている。 Russellという哲学者は、愛すべき底なし沼のような人である。 私の能力の限界によってその沼は限りなく深い。
インターネット上に自分のサイトを作るのは、何らかの表現をしたいからで、 私の場合は不特定多数へというよりは、リアルな世界での知り合い達を意識している。 何らかの発言を一度に多くの人に発信することができるというのは、 開かれた場を積極的に見た捉え方だ。
それに対する感想なり意見なり、 書き手と読み手のやり取りがOpenなネット上(これを“O”としたい)では不特定多数に開放されている。 所謂掲示板であるが、ここでは、やり取りを見ている者の所在が不明である。 バランスのよい関係が成立していないという意味で、心地が悪い。 これは開かれた場としての(私なりの)消極的な捉え方だ。
考えてみるとサイト“M”での足跡が残るという違和感は このバランスの悪さを均すものなのかもしれない。 「見ている事を知らせる」というのは見ているものと見られているものとの関係のバランスの良さを作り出す。 これは閉鎖性の積極的捉え方に繋がる。
私自身が発する内容は”O”での方が圧倒的に多い。 私と他の人との公のやり取りは”M”でしか生じていない。 開放性と閉鎖性を積極的に捉えるとこういうことになる。
以上身勝手なノー天気オバサンの屁理屈でした・・・。
一週間前あるソーシャルサイトに登録しました。 私としては閉鎖性に風穴を開けるべく、 あちらとこちらで同じ内容の日記をUPしてます。
************************************* ライブドアが大変なことになっているらしい。 ホリエモン、色々な事をやり過ぎちゃったんじゃない? もう少し一つ一つに慎重でよかったかもね。 三木谷氏が全く表に出てこなくなったのと対照的だ。
ここに登録するに当たって、 引っ掛かっていたのが、“閉鎖性”と“出会いという言葉”である。 フィットしないのになぜ登録したか。 ひねくれて言えば、自分の感覚がどう変わっていくか観察してみたかったというのがその理由。 素直に言えば、それもぜーんぶひっくるめて好奇心から、である。
一週間経った今、 ひねくれて言えば、閉鎖性についてはいまだに塀に囲まれたような感覚がある。 出会いについては、「出会いは多ければ多いほどいい」への価値は依然低いままだ。 「沢山の人に知られている、沢山の人を知っている」という“安堵感”には親しみは感じないので、マイミクシィなる友達の数にも全く無頓着だが、よく知っている人が加わってくれるとうれしいものだ。やはり、私の興味は、“固体としての人をより多く”ではなく、“個人のコンテンツをより多く”知るにある。 素直に言えば、こういうサイトに一週間も身を置くと、“慣れ”が生じてくる。 最初は他のサイトで足跡を見られていると思うと、とてもいやな感じがしたが、今では平気になりつつある。わずかに安心感さえある。これは人に囲まれているからではなく、塀に囲まれているからである。もちろんここでの人も塀もリアルなものではない。この感覚は所謂“開かれた”インターネットの世界とも明らかに違ったものである。 ***********************************
とは言え私が一番好きなのは、表情を見ながらコミュニケートできるリアルな世界です。
| 2006年01月15日(日) |
ミニ打ち上げとミニ新年会 |
13日(金)は友達と上野の韓国料理店で今年一年度のご苦労さん会をし(ちと早いですが)、 14日(土)は”例”の故郷の同級生とミニ新年会をしました。 こっちは銀座の中華料理。
年の始まりと同時に一年の締めに向う、 西暦と年度と二種類の区切りを持つ日本の社会の特色ですねぇ・・。
どちらにしても、 「次は○○さんの□□祝いの会ということで・・・」 「次は△△報告の会ね」 で終われる仲間の存在はホントに有難いです。 (名目はいくらでもあるのだ♪)
書きたいことは沢山ありますが、どうもウダウダ・・で時間が過ぎてしまいます。 ただし「ウダウダ」は思考過程なので私としては無駄ではありません。
昨日の体験: 「元気になる」・・は、継続という言葉を抜きにしては語れない。 「継続する」には平穏な気持ちが必要である。 「平穏な気持ち」には信頼が欠かせない。
力の抜け具合から言えば、所ジョージは私の好みだが、 もっと好きなのが、マギー審司である。 これを言うと大抵の人は 「あぁ〜んあ?」 と言いたげとも取れるアクションをする。 いいじゃんか・・・、 空気の抜けかけたくまのプーサンみたいで。。。
力の抜けたといえば、 最近「偶像」についてよく考える・・・。 何度も言うように私は宗教心は持ち合わせていないが、 何かを心の支えにするという行為はとても原始的なもので、 宗教だの、信仰だのというコトバができるずっと前から人間が持っていた ごく日常的なものだろう、と思ったりしている。
三谷幸喜の「新撰組」、「古畑任三郎3部作」を見た。 面白かった。 三谷の作品は前からそこはかとなく好きだったが、 やっぱり面白い。 コメントも面白い。
映画「有頂天ホテル」、舞台「高田馬場」。 映画や舞台を見てみたいと思ったのは何年ぶりだろう。
三谷のユーモアと人間臭さと批判精神、あの力の抜け具合は私に超フィットである。
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