日記ふう雑感 ひとりごと
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最近、目の調子が非常に悪い。 眼鏡をかけている時間が日増しに長くなってきた。 以前は鼻の上の違和感のが ものがぼやけて見える不愉快に勝っていたのだが、 この頃は、目が疲れて疲れて仕方がない。 違和感の方がすごすごと姿を消した。
眼鏡のおばさんが板に付いた感がある。 久しぶりにお会いした方が何の反応も示されなかったのだが、 眼鏡に違和感がないのか、 私の顔に眼鏡があることに違和感がないのか、 ああ、そんな年なのだろう式に違和感がないのか。 −−−−どう考えても三番目の理由だ。
何十年もそうでなかった者が日常的に眼鏡をかけると、 頭の回転にも何かが引っ掛かったような気になってくる。 そうだ。近頃ミスや思い違いが多いのは眼鏡のせいだったのだ。
あちこちで迷惑を被っておられる私の関係者の方々、 そういうことですので、ご了承下さい。 もうしばらくの辛抱です。
今日の日記は非常に意味があった。
******************************** いやー、阪神が惜敗である。(インターネットによると) 神宮球場の怪か。 まあ、浦和レッズのファンである私としては これでペナントレースが面白くなって来たと密かに思っているのだが・・
夕食後、夫と二人でテレビのナイター中継を見ていた。 巨人広島戦も終盤である。 河原の哀れ無表情ドアップ画面も上の空で、 夫はインターネットの阪神情報板に一喜一憂している。 これは何も我が家の力関係を物語っているわけではない。 ただ単に阪神戦が放送されないだけの話である。
夫の携帯電話が鳴った。 大阪の同僚の人からだという。 夫が電話に出た。 夫の携帯電話であるから当然である。 それは甲子園球場からの実況生中継であった・・らしい。 今回はお笑いエッセイのファンではなく縦じまファンである。
下はその最後の会話だ。 といのも、それまでに試合の途中で2回ほど電話が入ったらしいのだ。 私は運悪くその2回には居合わせなかった。残念である。
同僚氏「勝ちましたーー!グワァーン、ガガガガー、オワァーン、オワァーン、ワァー、ワァー」
夫 「おおっ!」 ―後半のカタカナ部分はバックの効果音である―
同僚氏「勝ちましたよーっつ!」 (わかってるて。テレビもインターネットも見てるし。)
「・・・お、おい、聞こえヘン、聞こえヘンて・・ワァー、ウェオーッツ!!」
夫 「うん、そうか!」
同僚氏「すいませーん。・・明日もまた来まーすっ。・来ますよ〜・グワァーン、・・ろっこう♪〜〜タイガー」
(それにしてもすごい音だ。)
同僚氏「―ス♪♪・・・ありがとう・♪・ざいまーす!」
(ありがとうって・・)
夫 「・おーい・、もしもーしっ・」
同僚氏「・・・そ、、、、♪♪ガース♪〜、ウォウォーォウォー♪・そい・ワー・そいじゃーまたぁ♪」
――――――プチッツ。。。。。。(切れた・・・)
夫の阪神熱は会社でも有名らしいが、だからと言ってなぜ今日だけ実況なのだ。 ありがた〜い中継を受けた本人によると今日は大事な試合だったらしい。 上記会話の( )内は私のひとりごとである。 携帯電話にも関わらず、なぜこれほど臨場感を持って再現できたかといえば理由はこうだ。
ひとつ、同僚氏の声そのものが大きい。 ひとつ、同僚氏の後ろで叫んでいる同僚氏の同僚達の声が大きい。 ひとつ、甲子園球場全体に六甲おろしが流れている。 ひとつ、その六甲おろしの声そのものが大きい。 ひとつ、夫の携帯電話は年配仕様で、設定文字及び音声が異常に大きい。
地元の盛り上がりようはハンパではないらしい。 関東の地方都市にいては“あの大阪”は遠い。
それにしても夫の同僚は面白い人が多い。 夫が面白い人を選ぶのか、面白い人が夫を選ぶのかわからないが、 私も恩恵にあずかれてあり難い事だ。
今年も衣替えの時期を迎えた。 衣替えと聞くと、無事にひと季節を乗り越えた気分になる。
我が家には今年から女子高校生もいなくなり、忘れかけていたところだが、 やはり厚い上着を一枚脱ぎたくなるようなさわやかな空気を感じると、 「衣替え」とは心地よい言葉を残してくれたものだと我先達の繊細さを改めて思う。
珍しく日記らしい日記になったと思ったら、 今日は6月2日であった。 衣替えとは制服などを季節のものに変える日なのだから、 実質的には休みの日には当てはまらないだろう、 などと自分勝手な思い込みが、1日分の勘違いを生んでいたらしい。
と、珍しく日にちにも気を配ってUPしようと思っていたら、 0時をまわってしまった。 タイトルは6月2日の日記となっているが、 実際書いているのは6月3日である。
結局中身のない日記になってしまった。 とにかく今年も何事もなく衣替えの日を迎えたとだけ、記しておこう。
母校でちょっとした催しがあると言うので、 台風の中、家事のたまっている中、サッカーの国際親善試合韓国戦がある中、 阪神巨人戦のある中、出かけた。
興味深い学長のお話をお聞きし、某学部長の漫談を楽しんで、 その後の懇親会では何年かぶりで先輩方にもお会いすることができた。 学部長のエッセイに登場されるH教授も先輩のお一人だが、 (エッセイを読んで実はすぐピント来たのだ。H教授とはあの方だろう。 つ、・・つまり、凛とした美人である。) ン○年前と全くお変わりなく、エッセイの雰囲気そのものであった。
国立大学が法人化されるという話題については、 女子大としての母校のあり方に関して2,3思うところもあり、 今後への期待もあるが、 そんなことを久しぶりにお会いした先輩とお話しさせて頂いた。 私のような中途半端な年代の者は、 大学や組織を文字通り背負っておられる世代の諸先輩とはまた違った角度から 大学の改革を感じざるを得ない。 そういう話のできる雰囲気があるのは嬉しい事だ。
恩師とも話をする事ができた。 相変わらず周りの方々に気を使われてはいたが、 ご本人が訴えるほど病弱そうではなく、 最初から最後まで実にお元気そうであった。何よりである。
大雨で靴はびしょびしょになる、家事はたまたっままで、 サッカーの試合結果も釈然とせず、 阪神巨人戦はどんでん返しがあったらしいという報告を聞いただけに終わったが、 大変楽しい半日であった。
家族が病気になり、そのために私自身も仕事を休んでいたのだが、 今週から元の勤務にもどることになった。 何の違和感もなく以前通りに接してくださる職場の皆さんには感謝である。
病気を人間の一部として受け入れられるか、異物として排除するかは大事な境目だ。 健康にこした事はないが、人間、身体が完璧な状態などありえないといっていいだろう。 ちょっとつめを切りすぎても不愉快だし、石に躓いてできた打ち傷も面白くない。 しかしだからといって日常を放棄する事はしないし、ましてや人間を止める事はしない。 大きな病気や怪我も実は同じことなのだ。 大きな病気だからといって、いや大きな病気であればあるだけ日常を放棄できない。 人間を止めることもできない。 だからこういうことを経験すると強くなる。 強くなるとは、健康でない状態に動じないことだ。 日常の平凡さや人間をしている事の当たり前さをつくづくと思う。 病気や怪我を抱えながら、この思いを自覚して日々を送る事に必要なのは 強さ以外の何ものでもない。 健康でない人間に必要なのは、同情ではなく、見守られながら突き放されることだ。
間接的に直接に色々な人から色々なことを学ばせていただいた。 いつまで経っても学ぶ事ばかりだで、恥ずかしい限りだが、同時にありがたいことでもある。 学ばせてくれる人達がまわりにいるというのはとてもありがたいことだ。 屁理屈をこねずに素直に言えば、今という時間はずっと流れていく。 日常はこれからもずっと連なっていく。 まだまだ私の学びは続きそうだ。
東北地方を中心に地震があった。 マグニチュード7という事なので、そう簡単なものではなさそうだ。 丁度駅から自宅まで歩いている最中だった。 外でこれほど大きな地震にあったのははじめてである。 いつもの道を曲がったとたん、 角の家がガラガラと音を立てた。不思議と地震をいう単語は出てこない。 なんと私はこう思ったのだ。 (変な家だ。音を立てている。) これは本当のことだ。 それが地震だと気がついたのは揺れている中を数メートル歩いてからだ。
後で他にも同じような事を言っていた人がいたというのを知った。 彼女は自転車に乗っていた。 通りかかった店のシャッターがガタガタ鳴っている。 ヘンなシャッターだと思ったのだという。
人間、日常とかけ離れた事柄についての発想はお粗末なものだ。 “いつもと違うもの”はどうも受け入れたくないらしい。
SARSもそうである。
年をとると脳細胞が一日に何万個と壊れていくのだそうだ。 わかる気がするが実感はない。 いや実感はない。細胞が壊れていくということもよくわからない。 わかる気がするというのは判断力・記憶力・思考力等の低下という意味でである。
今日は家族がそれぞれの用事で帰宅が遅くなるという。 いま、夕飯もそこそこにパソコンをいじっているのだが、 目の前にどら焼きがある。 (脈絡のない文章、ご容赦いただきたい。思いつくままを書いています。) このどら焼きをどうするか思いあぐねている。 こういうのを判断力の低下という。
記憶力のについては言わずもがなだ。 人の名前が浮かんでこないなど自慢できる事柄は雪だるま式に増えている。
ところで、 どら焼きは、和菓子である。 私は和菓子が好きである。 お菓子は好きなものを食べるべきである。 よってわたしはどら焼きを食べるべきである。 嗜好、いや思考力はまあまあだ。
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