日記ふう雑感 ひとりごと
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少し前になるが、仕事場でのことである。 4月から他機関へ移動される方が、 「持っていた本の一部を処分したいので、読みたい人があれば譲ります。」 ということで、近場の人たちに声をかけていらっしゃった。 “本”と聞いて私も見せていただいたところ、 中に知っている著者の本が何冊かあった。 以前書いた「知り合いの中年女性」の知人がその著者である。
ちょっと前まではその著者の名前を出しても返ってくる返事は大体決まっていた。 「聞いたことないなぁ」「すいません、知りません」「ふ〜うん」 それが最近では、 「どっかで聞いたことありますよ」「あっ、知ってるかも」「へぇ〜」 になってきている。
こうやって本は世の中に広まり、著者は有名になっていくのか。 それにしても地道な自己PR時代が長かった。 「中身は読む必要はない。とにかく買うように。」 「たかが数百円をなぜそう惜しむのだ。」 「昼食のカツ丼を一回抜くだけで、買えるではないか。理想的なダイエット法だ。」 等々の言葉を何度も目にしたような気がする。 ひょっとしたら耳にしたのかもしれないが、気のせいかもしれない。 文庫本を持ち帰った人が、 「面白かったです。電車の中で笑いっぱなしでした。」と言っていた。 なぜか嬉しかった。
文庫本の著者繋がりでもうひとつ。 夫はジャズが好きで、 家にあるレコードやCD・録音テープなどかなりの割合がジャズがらみだ。 休日は私もこれらをいっしょに聞くのだが、 先日聞いていたFMラジオの録音テープの演奏者が、 あの「知り合いの中年女性の知人の本の著者」の知り合いのプロピアニストだった。 なぜ知り合いということを知っていたかというと、 その著者の著書にそのピアニストのことが出ていた(と思ったが)からである。 小さなソロライブをされているという情報を得て、先月実際に聞きに行った。 そのとき購入したCD(トリオ演奏)がなかなかいい。 何度も聞くうちにジャズにあまり詳しくない私もファンになった。 偶然の出会いが世界を広げてくれた思いである。
で、夫の知り合いでやはり音楽好きのAさんが、 「好きな演奏を集めて編集した」というCDをくださった。 やはり夫と共に回何か聞いていたのだが、 その中のサクソフォーン演奏が、どうもあの「知り合いの中年女性の知人の著者の知り合いのピアニスト」のCDで聞いた音によく似ている。 聞けば聞くほどこれは同じ人の演奏に間違いないということになった。 夫がAさんに尋ねたところやはりそうであった。
こうなってくると偶然というよりは、人の繋がりに不思議を感じる。 いや、考えてみると不思議というよりは当然で自然なことなのかもしれない。 感性が近しいから親しいと感じる。 親しいから“知り合い”と言える。 自然に“知り合い”が増えていくことが嬉しい。
ここ数ヶ月で色々なことを学んだ。 考えるとはどういうことか。 感情とは何か。 記憶とは何か。 自己とはなにか。 社会性とは何か。 成長するとは何か。 言葉とは何か、信頼とは何か。
なぜ人は一日3食食べるのか。 なぜ朝起きるのか。 なぜ人と関わることが大事なのか。
一日3食食べるのはおそらく、 4食食べるのはめんどくさい、2食だとおなかがすく、からだろう。 朝起きるのは、夜眠くなって寝るからだ。 人との関わりが大事なのは、そうすると楽しいから、ということだろう。
満足に食し、ぐっすり寝て、毎日人と楽しく関わっていれば、 重力に従順な余分な脂肪を抱えた気弱で感情的で記憶力の衰えた中年女でも、 何とか生きながらえることができるに違いない。 死なないということは、結構大変な事だが、単純な事でもある。
精神科医和田秀樹氏の著『大人のための勉強法』によると、 “一般に「推論は自己を守りたがる」傾向がある”そうだが、 こうして書き出してみると、 私の推論はかなり客観的に認知されている。 小学生に聞いても同じ答えが返ってくるであろう説得力のある推論だ。
多くのことを学んだこの数ヶ月は無駄ではなかった。
下の娘の大学の入学式を覗いてきた。 まさに覗くといった感じだった。
親は子供達とは別の建物に用意された大型スクリーンで式の様子を見るのである。 ゆったりと座れて、色々な角度から見ることができる点はいいが、 入学式に同席しているという実感はほとんどない。 スクリーン上に娘の頭髪だけでも映らないかと探したが、わからなかった。
ただ、式の前の準備段階から公開されていたので、 こちらは楽しめた。 入学式準備の興とでもいったところか。 「個性的であれ!自己主張せよ!」 をまさに地で行っているような若者達の姿を垣間見ることができて 雨と強風の中無理をして出向いていった甲斐があった。 入学式とこの興の時間配分を逆にしたらどうだろう。 それなら大型スクリーンでも、自分の子どもの顔が見れなくても親は納得だ。 (いや、納得する親と心配する親が両極端に分かれるかもしれない)
男であれ、女であれ、 競争して自己を磨き強烈な個性を作り上げていくというのには大賛成である。 雨でびしょびしょになったが、 散りそうな桜がしっかりと目に残った一日だった。
今日はヴィデオで「となりのトトロ」を見た。 (小学生の日記のようだ) 宮崎駿のアニメの中で一番すきなのがこれだ。 中でもマックロクロスケ達は宮崎アニメのアイドルである。
メイちゃんの名言集は、 「お便所!!」 「おじゃまたくし!」 「とうもころし!」
ちなみにうちの娘達の名言集は 「ぬぅぬぅ(牛乳)」 「かかぼ(たまご)」 「石・・(砂場にて)」 である。
トトロのお腹をたいやきにして・・ ・・じゃなくてトトロのお腹に思いっきり体当たりしてみた〜いぞぅ!
日記エディタを開くID番号さえも忘れるくらいご無沙汰してまいました。 HPそのものの閉鎖も考えましたが、 もうしばらく流れに任せてみます。
いゃー色々ありました。 この間お世話になった方々は本当に感謝してます。 言葉には尽くせないほどです。 今後もお世話になります、ご迷惑でせうけど・・・ 人間迷惑をかけたり、かけられたりで生きてるんですなぁ、結局。
人と言うものについてあれこれ考えました。 まだまだ私には煮え切らない考えやら、事柄やらがありますが、 ま、何とかなるでしょ。
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下の娘が何とか無事希望の大学に受かった。 上の娘は私のよき相談相手に成長していた。
いい家族ってなんだろうなんてよく言うが、 あまり答えを求めない方がいいらしい。 人の生は常に流れている。 今日と明日は少しずつ違うのだという事をこの年になってやっと実感した。
寒いと言えば、 子供の頃、寒い朝の挨拶は決まってこうであった。 「今朝はしみるねー」 考えてみると、結婚後10年ほど住んでいた大阪はもちろん、 関東圏でもこの言葉にはほとんどお目にかからない。 長野独特の方言なのかどうかは定かではないが、 しみ豆腐(凍り豆腐のこと)をはじめ、 水道が凍りついたら”しみてて水が出ない”、 窓ガラスに氷が張り付いているのを見て”窓がしみてる!” 外に出してあった野沢菜漬けのたるに氷が張っていれば ”野沢菜しみちゃった”。
方言と言えば、長野ではりんごを長く置いておいて瑞々しくなくなった状態を ”ボケてる”という。 毎年冬場にはダンボールいっぱいのりんごを送ってもらうのだが、 さいたまでは1ヶ月くらいするともう瑞々しくなくなってしまう。 (ので、冷蔵庫で保存する) そういうりんごをうっかり食卓に乗せると、 家族は口をそろえて言う。 「ボケてるよ、かあさん」 「こりゃだめだ、ボケてる」 「うわぁー、ボケボケ」 なんで私の顔を見るかなー。 そりゃ、長野から送ってきたんだしぃ、 私が親切にも皮をむいてあげてるのだしぃ。 だが、りんごを食べてなくても同じ会話を何回か聞いた覚えがあるのは、 気のせいか、ボケのせいか?
もうひとつ長野独特の方言がある。 「ずくがない」というのだが、 これはなんだかだるくてやる気が起こらない、 身体を動かす手間を省きたい気分の時に使う。 (これについてはどこかで書いた気がするが・・) お使いを頼んだかあさんが、なかなか動こうとしない子どもに向ってこう言うのだ。 「まったく、この子ったら!ずくがないんだから」
「ずくがない」がすぐわかったら、長野県人である。 ・・と、思っていたら、この言葉は柳田国男の著書にちゃんと載っていた。 長野以外でも関東の一部で使われているらしい。 案外ポピュラーな言葉なのだ。
ところで明日も凍みるらしい。 ボケたりんごはシナモンで煮ると美味しいが、 そんな手の込んだ事をするずくもないこの頃である。
掲示板の場所をまた元に戻しました。 わがままなサイトですみません。 懲りずに感想など書き込んで言ってください。
************************** 今日も寒かった。 東京でもちょっとだけ雪が降った。 こよみ通りの気候だ。
最近若いお姉さん達の間で長いマフラーが流行っているらしい。 確かに、長いマフラーをぐるぐる巻きにして、 短めのコート(なぜか白が多い)をきっちりと着て・・・ ここまではいいのだが、 それに合わせて(合わされているのか?)ミニスカートにサンダル履きというのはいかがなものか。 人間頭寒足熱というではないの。
夏場の地下鉄の通路ではミュールのカスタネット歩きに 思わず眉間のしわ数が増す思いだが、 冬のサンダルはさすがのおばさんも、小言すら出ない。 胸のうちでつぶやく
「寒かろ〜に・・・(軽そうだが)」
ルーズソックスを明らかに二枚重ね(いや、ひょっとしたら三枚?)にして履いている女子高生にも遭遇する。 分厚ーい木綿のかたまりをふくよかーな足に巻きつけた状態だ。 しかも輪ゴムで止めてある。 必死に役目を果たそうとしている輪ゴムには悪いが、どう見ても足には見えない。 頭寒足熱という言葉が浮かんだ途端に吹っ飛んでいった。
「重かろ〜に・・・・(温かそうだが)」
どっちがいい? そういう問題ではない、ハイ。
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