日記ふう雑感 ひとりごと
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2002年12月10日(火) 雪の日

雪が降った。
そして積もった。
通勤電車は1時間40分も遅れた。

ここからは大雪の朝の駅の様子である。

電車は大幅に遅れているのに乗客たちはあまり慌てた様子がない。
この雪にこの遅れ、こりゃ私ひとり焦ってもしょうがない、
といったところか。
ホームどころか改札口まで大勢の人でごった返している。
しかし、(私を含めて)人々はきちんと整列し、
来た電車に無理に乗車することもなく、順番を待ち、
むしろ前の人が乗るのを手伝って押し込んだりして。
中には、ドアに挟まって飛び出してしまったコートの裾を
丁寧に折りたたんで、何とか中に入れてあげている人もいる。

家を出る時はむせ返る満員電車を予想して気が重かったのだが、
意に反して、この日は駅も電車内も落ち着いていた。
返っていつもより気持ちにゆとりがあったくらいだ。

こんなに沢山の人達が毎朝小さな箱に詰め込まれて、仕事場に行き、
くたくたになるまで働いて何とか収入を得、
子どもを育て、親の老後を支え、国にお金を払い、
それでも、こんなもんだろうなぁ、
と思いながら毎日を送っているのだ。

いつもと違った駅の風景を見ながら、
そんなことを思い、なぜか落ち着いた気分になった。
群集心理のひとつといえるのかもしれない。
見も知らぬ一人一人に、大きな人の群れの一部を感じ、
それは自分も同じだという共感が心地よさを生み出す。
あまり私はこういうことを感じるタチではないと思っているが、
興味深い感覚であった。


いや、それにしても雪国に育った私にとっては
これほど降っても、まだまだ今日の雪は“都会の雪”である。
道路は雪道というより、朝から雪解け道だ。
雨の日と同様、車の跳ねを気にしなければいけない。

また泥水をかけられた。今度は雪混じりだ。
某クリーニングチェーン店の名前が大きく書かれたワゴン車である。
あの車を運転していた人にとってクリーニングってなんだろう、まったく!


2002年12月05日(木) 顔の大きさ

電車の中で耳にした会話。
勤め帰り風の若い女性ふたりが車内のポスターを見ながら
私のすぐ横で話し出した。

Aさん 「このポスターのキムタク好きじゃないな」

Bさん 「ひげ似合わない」

  (キムタク?髭? み、見たい。でも振り返るのはかっこ悪い・・)

Aさん 「あっちのサカグチケンジの方がよくない?」
 
  (サカグチ?ああ、あれか。私も嫌いではない。)

Bさん 「私の友達がサカグチの本物見たんだって。チョー顔デカイらしいよ」

Aさん 「えーっ、ハ○ガワとどっちがデカイ?」

  (ハ○ガワさんて顔がデカイんだろうなぁ)

Bさん 「もちろんケンチャン」

Aさん 「私好きなんだけどな。
     ほら、親がプロレスラーだからしょうがないんだよ。」

Bさん 「そうか。でもわたしは顔のデカイのはやだ。」

  (プロレスラーの子どもはみんな顔が大きいのか?)

Aさん 「それにしてもシズカうらやまし〜。ダンナがキムタクだよ!」

  (おいおい、どっちのファンなんだ)

ところで私は、両親はプロレスラーではないが実際顔がデカイと言われる。
(ついでに言えば背が低い。最悪のバランスである。
 さらに、デカイのは顔だけではないだろうともよく言われる。
 ”デカイ”が形容する言葉には”顔”の他に”態度”というのがあるらしい。)

だが、私の兄はあまり顔が大きい方ではない。
Aさん流に言うなら、兄の顔を見れば、
両親がプロレスラーでないのは確かである。
ということは、
私にも自分の顔は大きくないと言い張る余地は少しはありそうだ。
ありがたい。

人間はやはりバランスがいい方が接する方は心地よい。
見た目もそうだが中身もそうだ。
(そうか、態度がデカイということは、人間のバランスが悪いということか。)

見た目といえば、ベッカムの顔がもうひとまわり大きかったら、
ワールドカップ開催時における日本人女性達の行動は
違っていたのだろうか。



(文中敬称略及び乱暴な表現の箇所がありますが、ご容赦ください。)




2002年12月04日(水) ページの作り変え

「素人の哲学」と「自己紹介」のページを少しだけ作り変えた。
文字にした言葉は歴史になるというが、
ホームページの歴史は作り変え可能である。

レヴィストロースは、
彼の世界・ヨーロッパが作り上げた直線的歴史観に反抗した。
フーコやメルロポンティの思想もそうだが、
それは自己同一性の否定につながってゆく。

自己は常にどこかにホンモノがあって、
それを見つけて、ゆらゆらと動かないように固定し、
その状態を保っていくことが安定した生き方で、
尚且つそれが最良であるということが
正しいかかどうかは
誰にもわからないのだ。

ホームページのやたらな作り変えを
レヴィストロースの構造主義で正当化してみた。
・・・・・
無理があった。


2002年11月24日(日) 眼鏡

最近、眼鏡をかける時間が長くなった。
といっても近眼になったからではない・・・・らしい。

ものが見えずらくなった気がして、眼科で診察してもらったことがある。
医者に、
「老眼鏡でしょうね、やっぱり。」
と聞いたら、
「衰えた視力が気になるようなら、眼鏡で何とかなることはなります。」
と言われた。
上手い事を言うものだ。
最後までその医者の口から老眼鏡という言葉は出なかった。
最近では「老眼」という言葉も“よろしくない語”に入るのだろうか。

私は衰えを表す表現にあまり敏感ではない。
耳が少し聞こえづらいとか、物忘れが激しいとか、物をよく落すとか、
肌がやけにツッパルとか、何気ない傷も治りにくいとか、
この年になるとこんなものだろうと思う。
人間こうやって年をとっていくのだなぁと興味深くさえある。
周りのものは少々迷惑だろうが、本人は気楽なものだ。

(欠伸をしただけで首の筋肉がつる等の症状も最近よく出るが、
 これは周りには迷惑をかけない反面、
 本人は気楽ではないので別項目である。)

ただ、本を読む時は昔に比べて格段に眼が疲れると実感する。
ややマイナーな気分の実感だ。
やはり、“衰えた視力が気にならないように”眼鏡を作ったのは正解だった。

ここ10日間ほどで読んだ本をメモとして書き留めておきたい。
上野千鶴子「ザ・フェミニズム」
上野千鶴子「ナショナリズムとジェンダー」
鷲田清一「現象学の視線」
丸山圭三郎「言葉と無意識」
内田隆三「ミシェル・フーコ」
船木亨「メルロポンティ入門」


2002年11月13日(水) お笑いエッセイのファン

何日か前の事だ。

夜中に夫から電話があった。
「仕事が遅くなったんで○○に途中まで車で送ってもらった・・・ちょっと今代わるから・・」

○○氏 「こんばんは!○○です。」

わたし 「あ、はじめまして。」

○○氏 「いや、はじめてじゃないんですけど・・・」

わたし 「あ、そうですか。し、失礼しました。」

○○氏 「私実は、ツ◎ヤケNジの大ファンなんです。
         週刊B春のエッセイ毎週読んでます!」

わたし 「あー、そうなんですか。それは、それは。・・・・」
     ありがとうございますとも言えず、言葉がない。

○○氏 「ツ◎ヤケNジって、本当にピアノ弾くんですか?」

わたし 「えっ?あっ、・・・本当に(?)弾いてましたよ。
        少なくとも音は出してました。」

○○氏 「へえー、本当なんですか。それで、うまいんですか?
         エッセイではあんなこと言ってますけど」

わたし 「うー、うまいんだと思います。そのー、素人としてはー、えー、
     プロ並とはいかないまでも、味があるって言うか・・えー、そのー、
      つまりー」ツチヤ節になってきた。

○○氏 「へぇー、そうなんですかー。」(感慨深げ)

わたし 「はぁ、ええ・・・・」

○○氏 「ところで、奥さん、今寝起きでしたか?」

わたし 「トンでもない!しっかり起きてましたよ。」
      (たしかに電話の受け答えは上手い方ではないが・・・)

ここで、電話の向こうは夫に代わり、話は終了したのだが、
実際このとおりの会話であった。
○○氏の言葉に私の脚色はほとんど入っていない。
さすがにツ◎ヤケNジのファンである。どこか違う気がする。

後で聞いたところ、
以前、まだ我が家がパソコンを使い始めて間もない頃、
それが調子が悪いというので、夫の知人に見に来てもらったことがあるのだが、
その彼が○○氏だという。
たしかパソコンにはかなり詳しく、
プロ並とはいかないまでも、味が、いや相当の技術があると聞いていた。

ああ、あの○○氏だったのか。

パソコンをいじって(下さって)いたシルエットは思い出した。
そうと気が付けばお礼のひと言も申し上げたものを。
失礼なことをしてしまった。
“夜中の生ツ◎ヤファン登場”に少々我を忘れてしまったのが不覚だった。
ついでに言えば、そのパソコンは結局復活せず、ほかのに買い換えた。


パソコンはさておき、
こんなところにまで、ツ◎ヤ菌ははびこっていた。
驚きである。


2002年11月11日(月) 文化の日について

“知り合いの中年女性”(某所での呼び名に準ずる)から
文化の日は明治天皇の誕生日では?とのご指摘があった。
彼女は私と同世代(注:私よりほんの少し若いが・・・)であるにもかかわらず、
明治を中心に大正、昭和初期の出来事について非〜常に詳しい。
同世代であるにもかかわらず、
特に明治時代のことについてはリアリティがある。不思議だが。

ということで、もう一度調べてみた。
11月3日はやはり明治天皇の誕生日であるらしい。
さすがである。
「たしか戦前は『明治節』と言ったのではないのか?」
某知り合いの中年女性はこう付け加えてくださった。
リアルである。

結局、うら覚えとはいえ、娘の
「誰かの誕生日なんじゃない?」は正しかった。
ただ、憲法公布の日というのも間違いではなく、
典型的な“元々は何の日?”型祝日ということのようだ。

更に体育の日に関しても、
東京オリンピック開会式の日で正解だそうだ。
これについては、別の知人の言わんとしたのは、
「晴れの確率の多い日を選んだら10月10日だったのに、
わかり易くかなんか知らないけど、第二月曜にしてしまったんじゃ、
“元々の意味”が意味ないじゃん」
ということだったらしい。

どうにもこうにも、知れば知るほどわかりにくい。
元々の意味はどんどん消えうせつつあるということなのだろうか。


※某知り合いの中年女性様、ご指摘ありがとうございました。


2002年11月03日(日) 国民の休日

サラリーマンノーベル化学賞受賞者の田中さんに文化勲章が授与された。
テレビを見ながら文化の日って元々なんの日だったんだろうという話になった。
こういう会話も考えてみるとおかしなものだが、ナントカの日というと最近では、
元々の意味を書き換えて祝日になっていたりするので、
実は自然な会話であるとも言えるのだ。

娘  「誰かの誕生日なんじゃない?」
母  「いや、それはないと思うよ。なんか、憲法に関係なかったっけ?」
娘  「憲法記念日って5月3日じゃん」
母  「そうか。じゃ、なんの日だ?」
娘  「だから、文化の日」
母  「ふーん、そんで研究者熱心な田中さんが勲章を貰うんだ。」

というわけで、再確認。
11月3日の文化の日とは新憲法が公布された日で、
5月3日の憲法記念日は新憲法が施行された日だ。
ついでにいうと建国記念日とは
神武天皇なる御仁が橿原に宮を建てたと日本書紀に書かれている日を
西暦に換算した日ということらしい。
考えてみるとよくわからないで祝う事になっている日というのが結構多い。
成人の日、子供の日、敬老の日など。一番分かり易いのが天皇誕生日だ。

体育の日というのは、
これまでの統計上晴れになる確立が一番高い日が10月10日にあたるので、
この日に大いに体を動かしましょうということだったらしいが、
それならば、さくら前線を目安に「お花見の日」、
統計上一番暑いとされる日を選んで「熱帯の日」、
台風の上陸する確立の高い日を「台風の日」、
一番寒いとされる日を「寒波の日」とでも名づけて“国民の休日”にしてもらいたい。

あと、子供の入学と卒業に合わせた
「入学式の日」、「卒業式の日」などもあってもいい。
また、衣替えの時期までよく頑張りましたという意味で
5月31日、9月30日を「衣替え前日休日」に、
さらに夏至や冬至、立春や立秋、八十八夜や十五夜も
それぞれ休みにしてもらってもいっこうに迷惑ではない。

文化混在国日本としては
「お盆中日を挟んで一週間」
「クリスマスイブ及びクリスマス」
「釈迦誕生日」
も休日ということで如何だろう。


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