日記ふう雑感 ひとりごと
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2002年09月24日(火) スポーツの秋

一昨日、地元のTVで高校バスケウィンターカップ地区予選をやっているのを見た。
野球もそうだが、サッカー、駅伝、ラグビー、など、高校生の試合はいい。
完璧でないところがいい。
まさかーと思うような展開になるところが面白い。
そのまさかの時にどんなプレーをするかがまた面白い。
と言うわけで、今スポーツ界で活躍している選手の中には高校の時から知っている
(テレビで試合を見ているという意味で)人たちが何人もいる。
その成長ぶりを楽しめるのもまた面白い。

バスケットの試合を見終わって考えた。
なぜ、こんなにスポーツが面白いと思うのだろうか。
おそらく、見ている分には理屈も屁理屈もないからだ。
スポーツを見ている時の頭の中には理屈はもちろん屁の字も浮かんでこない。
なんと心地よいことか。
(もちろんプレイヤー達にとっては緻密な戦略や論理的な方法は大事である。)
普段から自分を称して屁理屈人間などと言ってはいるが実は私は、
理屈などない世界のほうがずっといいと思っているということなのかもしれない。

サッカーといえば、今のところJリーグの得点王は高原だ。
高原が出るたびに同じことを言うので家族にはウンザリされているのだが、
“随分前から私は高原のファンである!”
ゴール前でのあのガッツと、
最近身についた顔にアンバランスなあの落ち着きは高原ならではのものだ。
ナントか症候群で飛行機に乗れないのは
ファンにとって残念なのかラッキーなのかわからないが、
海外で活躍のエリート組にもまけないオーラが
君の坊主頭からちらちらと見え隠れしているのは確かだ。


2002年09月10日(火) 記念写真

今日のできごとではないのだが、3,4日前に娘の二十歳の記念写真が出来上がってきた。写真を取ることさえもあまり乗り気でなかった本人に、母のソンケーイする大学の某先生のピアノのジャズライブに連れて行ってあげるからと、好きなものを目の前にチラツカセテやっとの思いで日程を組んだ。

もちろん振袖などではない。ちょっとしたスーツ姿だが、さすがに専門家の手にかかるとたいしたものである。写真を受け取りに行って、思わず
「馬子にも衣装ですね」と呟いてしまった。
すると写真屋のおじさんもすかさず相槌を打った。
「本当にねー。最初はどうなるかと思ったよ。」
江戸っ子だーね。正直だ。
何しろ写真屋のドアをまたいだ娘はTシャツ、ジーパン、何やらぎゅーぎゅーに中身を詰め込んだ大きな布袋を3つも持った、いかにも美術系それも裏方といったイデタチである。

持って行ったスーツに着替えさせていただき、靴も履き替えて撮影のスタジオに立った娘は親が言うのもナンだが、まあまあの見栄えであった。

出来上がった写真を見て、無理を言って撮ってよかったと思った。豪華な着物姿ではないが記念である。既成の年齢像にはこだわらない親にとっても、やはり20年の区切りというのはちょっとしたできごとだと自覚した。

私のこの”既成の年齢像への反抗”は若い頃からあり、私自身は自分の改たまった成人式の写真を撮っていない。私が何も必要ないからと言ったら親も一度で納得した。
それが自分の子供の写真は半分無理やりに撮らせている。
まあ、子供の自分と親の自分は違うのだとここでも屁理屈る私である。


2002年09月08日(日) 自分のサイトについて

最近「本」のページを改装した。時間とともにあちこちに粗が見えるようになり、手を加えたり修正したりするのだが、なかなか思った通りのものにならない。これに関しては「素人の哲学」のページに追記した。

あるサイトを管理者しているMさん(主婦である)がその日記に、「主婦のつくるサイトは家族の写真をUPしたり子供の成長記録をつづったりするものだというのは大いなる偏見である。」というようなことを書いているのを読んだ。私もこれには大賛成である。Mさんは子供さんもまだ小さい母親真っ盛りの主婦であるが、サイトの内容は、家族や子供についてというより彼女自身が何をどう考えるかについてのものが多い。

私も必ずしもそう意識したわけではないが、“自分“が中心のサイトになるだろうと予想してこのサイトを立ち上げた。意識しているわけではないが、予想通りの現状である。

だが、主婦である以上、家族が大優先であることは間違いない。(Mさんにもそう書いておられた)。ここが主婦の強いところである。家族にも自分にも同時進行で関わっていける技を心得ているのだ。私の場合は技が有効に機能しているかどうかは甚だ疑問だが、気持ちだけは十分あることを表明しておこう。

さて、私の個人としての目下の興味はやはり「知る」ということであろうか。文章にはまるっきり自信がないので、一番長く付き合ってきたものに焦点をあてる道を選ぶとすれば、出会った本を書き出していくくらいだろう。本を選ぶという行為はその人の興味の現れであると思っている。読んだ本を列挙することで、その人の人となりの一部分が見えてくるのではないだろうか。敢えて感想を書くことを自分に強いることにした。これで今まで読んだものの再確認になり整理できれば頭の中も多少はすっきりするだろうという期待からだ。

 何回か作ったり破棄したりを繰り返えしてとりあえず今の形になったが、これからもいつどう変わるかはわからない。流動的なところがウェブサイトを利用する利点なりと私は勝手に考えている。


2002年09月06日(金) 健康診断

今日は職場での健康診断の日である。
基本的な項目の診断なので、そう緊張することもないのだが、
朝飯は抜きなのだ。
貧血・低血圧のわたしにとって朝飯が抜きというのは
ガス欠の車のような状態だ。
辛いことこの上ない。(車に気持ちがあるとしたらおそらく辛いに違いない)。

ましてこんな日に限って久々の雨である。
家から駅に向う道のりで、3回車に水をかけられた。
それも派手に顔にまでかかった。
以前はこんなに大胆にかけられたことはなかった。
たいてい私の横で車の方がゆっくりになるか、水溜りをよけてくれていたものだ。
なのに今日の車たちの無礼なる走りはどういうことだろう。
雨の中を運転していても、
若い女性か中年のおばさんかが区別できるとでもいうのだろうか。
実に不愉快だ。

おかげで、(かどうか知らないが)乗るべく電車にことごとく乗り遅れた。

電車を降りて傘を差そうとしたら、折りたたみの骨がなかなか開かない。
おかげで、(これは確かにこのせいである)かなり濡れてしまった。
車にかけれらた水しぶきがやっと乾いたところである。

お腹が空いていたので、早々に保健センターにおもむく。
階段を上る時につまづいた。明らかにお腹がすいているせいである。
階段でコケるなど、さすがのわたしでも久しぶりのことだ。

血液採取の場面に来る。採取係りは4人である。
ベテランに見える係りの人に視線を合わせるべく努力する。
私の2人前の人が血が止まらないといって大騒ぎをしていた。
朝から今までの私に降りかかった状況から、
その人の座った番号には絶対行くまいと判断した。
(血が止まらなかった気の毒なその人の)おかげで、
その後は何事もなく無事全過程を終了した。

それにしても、なけなしの血を採られるのは大変辛い。
今日は一日中、ガス欠の中古車の気分だった。
(おそらく中古車がガス欠になったらこんな気持ちだろう)





2002年08月28日(水) 忘れていったCD

久々に家に帰ってから風邪でダウンしていた長女が
あっという間に元気になった。
元気になったと思ったらもう今日は家にいない。
バイトがあるといって下宿に戻っていった。
若い者は皆こうなのか、うちの娘は特別体力があるのか、
いずれにしてもあきれんばかりの行動力である。
ついこの間まで北海道にいたのだ。

家族そろってもともと音楽好きではあるが、
長女はますます幅広い音楽を聞くようになっていたようだ。
なぜそう思うか。
20枚ほど入ったCD入れを忘れていったのだ。
何枚か聞かせてもらった。
ジャズあり、バラードあり、ロックあり、ソウルありで
聞いている親や妹も違和感を感じない。
やはり同じ環境の中で培われた共通の「音」があるのかもしれない。
最近知り合いにトランペットを譲ってもらい練習を始めたと言っていた。
ホルンを吹いていたことがあるので音は出るのだろう。

父親は今ケーナに凝っていて、
妹は相変わらずバンドのボーカルだ。
母親は最近ナマのジャズピアノにはまっているし、
やはり我が家から音楽はなくなりそうにない。


2002年08月18日(日) 模様替え

トップページを少し変えてみた。
タイトルと内容が少し違ってきているような気がしてきたのと、
もともとサーバへの登録は今の「acquaint」でしていたので、
こちらの方が何かと便利であるというのが主な理由である。

また、兄やBianka,Yukaのページはリンクしているのもだとの思い違いをされる方が何人かいらして、わかりづらいというのももうひとつの理由だ。
これらのページはあくまでも私の作成によるものである。
彼らの名誉のためにも、これははっきりするような形でなければならない。

サイトを作り始めた頃はただ作るだけで楽しく、また精一杯でもあったが、
時間を経るにつれてやはり一番大事なのは「わかりやすい」であることだと思うようになった。そしてこれは結構難しい。
へそ曲がりで屁理屈やの私にとって「わかりやすく」は本当に難しい。
といって、個性のないサイトでは面白くない。
「わかりやすく屁理屈を語る」のが当面の私の課題である。




2002年08月12日(月) 文庫本

もう一度文庫本についてだが、今度はカバーではなく、まさに文庫本の話である。
大学の同窓に編集の仕事をしているAさんという方がいるのだが、彼女の企画した本が文庫本になったのだそうだ。
「女子中学生の小さな大発見」というタイトルの本だ。
ある中学校の理科の先生が出した宿題「自由な研究」に答えた生徒達のレポートを集めたもので、これが非常に興味深い。
何が興味深いかといって、まず、

率直に、生徒達のレポートそのものが面白い。
ああ、こんな疑問よく持つけど、言葉に出して言ってみたことさえないなぁ、と思うものが多い。
例えば、睡眠時間が何時間以下だと目に隈ができるかの実験とか、シラスの数は10gで何匹になるかとか。結果そのものも面白いが、着眼点がとても面白い。

本文は生徒達の1〜3行ほどのレポートのみで、先生のコメントや評が全く書かれていないのが面白い。もちろん会ったことはない中学生達だが、一人一人の顔が浮かんできそうな気がした。

出版の世界のことはよくわからないが、文庫本になる前の単行本の方を是非見てみたいと思った。なぜこれを単行本にと思われたのか、今度是非Aさんにお聞きしてみたいところだ。

最近子供たちの理科離れが問題にされ、理科の勉強に興味を持たせるべく工夫が必要と叫ばれているが、案外それを実行に移されている先生は多いような気がする。少なくともわたしの周りではよく耳にする。おそらく先生方自身が理科が好きだからできることなのだろう。教えるほうが面白い。だから教わるほうも面白い。この単純な図式がなかなか教育現場で実行されないのはもったいないことだ。素直に疑問を持つこと、独自性の面白さなどを学ぶには理科の勉強が最適かもしれない。

国語の面でも、子供たちの、本を読まない、漢字が書けない、文章が書けない、のないずくしが問題になっている。国語が大好きな先生の授業を受けた生徒達による「小さな大発見」国語版なぞができたら面白そうだ。それにしても、ないないずくしの教育をしてきたのは大人達である。責任は一切大人にあると思われるが、この「女子中学生の小さな大発見」を読んで、それでも子供たちは力強く伸びていると頼もしく感じた。大人がもっともっとよい土壌よい水を提供してあげれば子供たちはもっともっと面白く成長していけるはずなのだ。


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