日記ふう雑感 ひとりごと
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| 2002年06月03日(月) |
日記どころではない! |
今朝の通勤時はいつもより人が多く、活気付いていたように思ったのだが気のせいだろうか。明日のW杯の応援を楽しみに今日はしっかり仕事をする、といったところか。などと言うと「W杯、W杯ってそんなことに全く興味を持たない人間だっているのだ。あたりまえのように大騒ぎするな」とお叱りの言葉が返ってきそうだ。確かに突き詰めれば個人の好き嫌いの問題である。
しかし、こと公のコメントとなると少し違ってくる。テレビでいつもは口角泡を飛ばして議論なさっている国際関係論の専門家や元外交官とおっしゃる日本外交コメンテータが、「プロ野球ならいいですが、サッカーとなるとからきしわかりません」などとにこやかにテレ笑いしているのは、いただけない。W杯は経済面でも政治面でも話題に事欠かない。外交の専門家なら率先して話題にすべきである。「外交とは表向き、実は自分の国のことにしか興味はないんだよ」と公言しているようなものだ。こんなことだから、海外での日本の評価は下がる、いつまでたっても閉鎖的日本の印象は拭えないということになるのだ。ああいったおじさんの笑顔は公共の電波で流すべきではない。
W杯という大枠についてはこれくらいにして、サッカーについて語りたいのだが、正直のところ自国開催という歴史的な出来事に言葉もでない状態だ。 ただ、アルゼンチンは評判どおりに強い。守備といい攻撃といい持ち前の実力をきちんとはっき出来ているように思われる。ドイツもフランスももう一試合見てみないと評価は出来そうにない。サウジアラビアは思わず中国、韓国がんばれといいたくなるような後味を残してくれた。イングランド、アイルランド、スウェーデン、スペインは順当な試合運びといったころか。いづれにしても前評判の高かった選手がきちんと得点を挙げているところがさすがである。日本の得点源は誰になるのだろうか。バティストゥータのような強力な点取り屋が一人ほしい。個人的には高原に期待していたのだが、なにやら飛行機の中でおとなしくし過ぎたらしい。残念である。アフリカ勢は相変わらず台風の目になりそうだ。フランス大会に比べて技術面で更に洗練されてきたような気がする。 ほとんど言葉にならない。 話は少し違うのだが、私が通勤で利用してる地下鉄は埼玉スタジアムから例の六本木まで直通で行くことのできる線である。流れに添ってそのまま行けば家にたどり着かないが、分別のある大人としてはもちろん明日も途中で流れを降りてきちんと帰宅するつもりだ。ちなみにこの線は埼玉を出て六本木から目黒、さらには武蔵小杉まで直通で行くことができるらしいが、乗り換えれば横浜、桜木町まで足を伸ばすことも可能だ。つまり逆方向横浜経由で家に帰ることもできるということだ。 やはり気持ちが入りすぎると言葉など出ないものだ。ほとんど何も書けない状態である。心情を語ることは難しいものだ。 ところで私は今対戦表を作っている。勝敗はもちろん得点、チェックすべき選手、試合開催地、試合時間、放送テレビ局、解説者の名前等も書き入れなければならない。なぜ書き入れなければならないかは私にもよくわからない。これから始まるイタリア戦に備えて鉛筆を削る作業に入る。日記どころではなくなってきった。
数年前、新聞の新書紹介コーナーの小さな記事に、かつて自分が学んだ大学の先生の名前を発見した。話題の書の著者とある。そして、その名前の指し示す人物は確かに自分の在籍していたあの専攻、あの同じフロアーにいらしたあの先生であるという認識に至った。それがわたしが「笑う哲学者」シリーズを読むようになったきっかけである。 先生の本についての紹介は柴門ふみ氏や、中井貴恵氏が公にされているし、先生のファンサイトでは花色木綿氏が深い思いを感想文として綴っておられる。わたしはもちろんこれらの方々に伍して何かを述べるつもりは毛頭ない。 ただ一読者として言えることは、わたしは先生の本を読む度に、「笑う哲学書」からひとつ元気をいただき、「土屋先生の書いた本」からもう一つの元気をいただくということだ。 わたしは、机上の空論が好きである。屁理屈が好きである。自分の判断はほとんど正しいと思っている。(たとえ間違いを発見しても簡単には口にしない。)気が強い、自己中心、わがまま、煮ても焼いても食えない部類の人間である。強いて長所(だと自分では思っている)を挙げれば、真面目、打たれ強い、くらいだろうか。こんな人間に関係各位の風当たりが優しいはずがない。さすがのわがまま人間も落ち込むことがある。「笑う哲学書」はそんな時最適な本である。しかもそれを書いているのがかつての恩師とあっては元気倍贈だ。そう、わたしのこの屁理屈は恩師によって諾とされるはずなのだ。ただしこれは決して口には出さないー―つもりであった。食えない上に棒にも引っ掛からないと言われるのはさすがに辛いものだ。 土屋先生の本については近々別のページを新たに作るつもりである。
日記にまで中々手が回らない、と言うことを日記にしたためておこう。
これで終わるのもなんなので、 今日読んだ本:中島義道の「うるさい日本の私、それから」 なかなかユニークな哲学教授らしい。 選んだ理由:読んで見なければ批判もできない。 「はじめに」を読んで、ついて来れない読者はここでやめるように と書いてあったので、やめようと思ったが、自分のモットーは実行せねばならない。 モットー1:批判、評価は必ず読んでから或いは経験してからすべし。 モットー2:一度決めたら最後まで読むべし。
読んだ感想:中島先生という人は音敏感症という病気持ちらしい。 何でも思ったことを実行する人らしい。 口先だけの人は嫌いらしい。 日本を憂いているらしい。 ウィーンが好きらしい。 人間嫌いを研究課題にしているらしい。
どうも感想にはならなかった。
家を出るときはシトシトと降っていた雨が駅に着く少し前に止んだので、傘をたたもうとした。 ん、明らかに私の傘の色ではない模様が!鳥のフ○だ!それもかなりの量の。 雨が降っていてよかった。傘をさしていてよかった。 時間もないことなので、振り落とせるだけ振り落として、何とかたたみこんだ。 電車が混んでいるとはいえ、弁当の入ったバックにしまう事はさすがにできない。 微妙な位置をキープしたまま電車に乗った。 一つ目の電車はそれでよかった。 二つ目の電車がドア故障だとかで数分遅れて到着した。案の定満員だ。 傘の真相を知っているのは私だけである。 となりの髪の毛をつんつんときれいに?セットした高校生のお兄さんの制服と、 颯爽と乗り込んできたキャリアウーマン風のお姉さんの真っ白いスーツに 何度か傘が当たったような気がした。 このことによって何か結果が生じたとしよう。 しかしその結果も過程も私のせいではない。 最後に乗った地下鉄では、作業着を着たおじさんが(朝飯を食べる時間がなかったのか) 私の目の前でパンの袋をおもむろに開いた。 一口に割って食べたのはうぐいすあんパンだった。
なにやら全てに因果関係を感じた月曜日の朝だった。
荷物が重くて肩が痛いというので、 娘のリュックサックの新しいのを買いに行った。 娘はすでに下見をしてあって、A.I.Pというお店に連れて行かれた。 他にもあちこち見て回ったが結局そのお店のが気に入って購入したのだが、 A.I.P?って。 American Institute of Physicsのことか? さすがにアメリカの物理学会は、リュックサックも作るのか。 これでは優秀な日本人科学者の頭脳流出も納得せねばならない。 と思っていたら、 An American in Paris だという。 パリのアメリカ人? なんのこっちゃ。大体何で’An’なの? ま、気に入ったのがあったからよしとしておこう。
美容院に行った。 昨日のサッカーの試合のおかげで、いやテレビ中継のサッカーの試合をつい全部見てしまった自分の意志の弱さのせいで眠くて仕方がなかったのだが、美容院では妙に饒舌になった。カットをしてくれる美容師さんとサッカーの話で盛り上がった。彼女もスポーツ好きらしい。ある程度はお客に合わせて話をしてくれているのだろうが、アマチュアのスポーツ特に高校野球や高校サッカーが好きだというので意見が合った。さらに箱根駅伝に話が進むとカットする手を止めて、 「いいですよねー、ドラマがあって。 でも長く走る系のスポーツって見てる人の気が知れないなんて言われません?」 「そうそう、走るほうも走るほうだけど、見てるほうも見てるほうだとかね。」 「そうなんです。わたしなんか理解できないって言われます。」 「あれって結果がわかればいいってもんじゃないのよね。過程が大事、過程が。」 私は球技も好きだが陸上競技も大好きだ。ウィンタースポーツも水泳もいい。 そんな話をしているうちに、彼女は 「思い切って短くしてもいいんじゃないですか?」 と言う。 鬱陶しい季節に気分をすっきりしたかったので、 「あ、切っちゃってください。短く。」 と、即座に答えた。 出来上がりは、短いボブになった。かなり気に入った。 気分がいいと客観的に考えるゆとりができるものだ。 どうも美容師さんは話の中でその人のカットのデザインをイメージするらしい。 実際、疲れて居眠りなどしていると、難のないおとなしげな髪形になることが多い。 いくら短くしてくれと言ってもなんだか控えめになる。 いろいろなことをしゃべりすぎると、中途半端なカットで終わるような気がする。 短くさっぱりしたいときは、活動的な話をできるだけ集中的にすることだ。 美容師さんも人間、プロとはいえその方がわかりやすいに決まっている。 思いがけずコミュニケーションの勉強をした日だった。
| 2002年05月14日(火) |
外交も変化も足元から |
いよいよサッカーW杯が近づいてきた。 既にコスタリカのチームが来日している。 試合そのものもさることながら、 サッカー場や選手村のあるそれぞれの地域がどんな様子になるのかも楽しみだ。 W杯が自分の国で行われること自体貴重な経験なのだ。
今、日本の外交はお粗末な状態、 話題にするのも恥ずかしいほどの失態の連続だが、 願わくばW杯で挽回してほしいものだ。 外国語はしゃべれても状況判断のできないエリート達より、 体当たりで受け入れ準備をしている選手村のおじちゃんおばちゃん達のほうが 上手な外交をしてくれそうな気がする。
久しぶりに大学の図書館に行ってみた。 IDカードの期限が切れていたので更新したのだが、 このカードで自動貸し出しができるのだそうだ。 どうりで、この間まで2箇所にあった貸し出しカウンターが入り口の一箇所にしかないわけだ。 本を読む人間がここまで減少したのかと一瞬妙な孤独感に襲われたが、 理由を知って大いに納得。 本を機械の上に置くだけで登録完了だ。 全て自分ひとりで手続きができる。 最近はあまり行かないが、市や県の図書館もこんなに便利になっているのだろうか。 元来、読みたい本は自分のものにしないと落ち着かない性分の私だが、 これならもっと図書館を利用してもいいかなという気になった。 こういう変化は大歓迎だ。 有事法案だの個人情報保護だの遠いところからばかりでなく、 我々の近場から、住みやすい社会に変えていってほしいものである。
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