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鈴木君たちのシュールな一日
信井柚木
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2007年05月03日(木)
メーデーのカリスマ

 GWの中日、五月一日は一般学生にとっていささか恨めしい日ではないだろうか。
 この日が休みなら連休なのに・・・と思いながら、休みボケしかけた体を引きずり学校へ向かう学生も多かろう。
 もちろん、GWが稼ぎ時のサービス業はいわんや、暦通りにしか休みのない社会人にとっても五月一日は通常出勤なので、恨めしい気持ちは学生だけではないのだが。

 閑話休題。

 その日も、いつも通り一般生徒よりかなり早めの登校を果たした佐藤は、見慣れない姿を発見して思わず瞬いた。
「・・・なんで鈴木がいるんだ?」
「そんなに驚かなくても」
 いかにも不本意そうに聞こえるが、遅刻はしないまでも、最終ライン一歩手前頃の登校が日常化している人間の台詞ではない。
「お前がいつもと違うことしてると、思わず何か、あったのかと疑っちまうだ・・・ろ?」
 苦笑交じりの軽い響きが、どんどんスピードダウンして完全に止まる。
 食い入るような懇願するかのような視線を受けた鈴木は、数拍後、表情を変えずに眉を下げるという器用な芸を披露しただけで、
「さてと」
 呟き、背を向けた。
「微妙な反応残して行くんじゃねぇ・・・、おいっ!」





『われわれはー、待遇のー、改善をー、要求するーっ』
『ようきゅうするーっ』

 高校の構内に、似つかわしくないシュプレヒコール。
 鈴木の後を追っていた佐藤は、きょろと周辺を眺めるが学校周辺に別段変わった様子は見られなかった。
 いや、佐藤の行動は、現実逃避の一種だったかもしれない。
 その合唱は、進むにつれて徐々に大きくなっていくのだから。

「なぁ・・・先生たちのストライキか?」
「・・・」
「教師の労働組合ってあったっけ」
「組合はそれなりにあるだろうが、佐藤。
 すれ違った(先生の)人数からすれば、それはないとわかっているはずだろう」
「言うなよ」
「認めるべきは認めたほうが楽になれるぞ」
 口に出かけた拒絶の言葉が、突然立ち止まった背中にぶつかって喉奥で消えた。
 背中越しに謝罪だけして、鈴木は体育館を眺める理事長の横に立つ。

「遅れました」
「いやいや、早くに呼び立ててすまんな」
「鈴木クンおはよー佐藤クンもおはよー!」
「山本もいたのか」
「やだなーーーーそんな意外そうな顔しなくてもさーー」
「悪かった」
 いつものことだが、朝一からテンションの高い友人に鈴木は素直に頷いた。
「面白そうなネタを、逃すはずがなかったな」
「そうだよ決まってるじゃんかーーアハハハハハハハ、何疲れてんの佐藤クンー?あーわかった朝ごはん食べてないんだねーーダメだよご飯はちゃんと食べないと!」
「・・・・違ぇ」

 ようやくの思いで一言だけ返し、相変わらずのシュプレヒコールに佐藤は発生元を眺めた。
 その先には、戸惑った面持ちの生徒が二十人前後、遠巻きに取り囲んでいる体育館が。
 ユニフォームを着込んでいるところからすると、早朝部活中だったのだろう。
 ふと視線を巡らすと、ガラス扉の内側から山と詰まれたボール籠がみっしりと並べられていた。
「・・・立てこもり?」
 よもや、母校の体育館が、平日の早朝から入り口封鎖されているとは思わなかった。
 この間も、『要求するー』のコールは止まない。
 ただ、それ以外のパターンがないのも不思議なことである。
 先方に要求項目はないのか。

 佐藤は、瞳を輝かせながら顎をなでる理事長を見上げた。
「一体、何なんすか、アレ」
「あーー・・・今日がメーデーだということを、どこかから仕入れたヤカラがいて」
「はぁ、・・・?」
「ノリノリで立てこもってしまってな」
 佐藤家にあまり縁はないが、そういえば『労働者の祭典』というものもあったかと思い出す。
 五月一日、メーデー、シュプレヒコール。
 この単語の並びに違和感はないが、これに続けて「高校の体育館」「立てこもり」「田中安田市」と続くと無視できないものに変貌するのはなぜなのだろう。
 そして、立てこもりとはノリノリでなされるものなのか。
 さらに、よく耳を澄ますとキシキシ機械じみた声に聞こえるのは、拡声器か何かを使用しているせいなのだろうか?

「理事長、先方の要求項目は」
「それがどーうにも要領を得んでなぁ。さっきからずーっとアレでまいっとるんだよ」
「ほう」
「たまたま居った山本くんをとっつかまえて」
「えーーたまたまなんてリジチョーひどーーい」
入り口に放り込んだんだが、違う反応も全くなしでな。どうしたもんかの」
「なるほど」
「お前さんなら、何か相手も変わったことをしでかすかもしれんなあ?」
「可能性は高いかと」
「やはりのぉ」

 淡々と、さりげなく進められた会話の一部に、不穏なやりとりがいくつもあったことには誰も反応しない。
 いつものことだ、と思考の進展を強引に止め傍観者を決め込んだ佐藤の横で、鈴木がひとつ頷いた。
「つまり、理事長は俺にネゴシエーター(交渉役)をせよと。・・・ネゴシエーター」
「淡々とうっとりするんじゃねぇ」
 傍観しても突っ込みは忘れない佐藤。
 何に反応したか、再び頷いた鈴木は理事長から拡声器を受け取った。

『あーあー。・・・立てこもり中の諸君に告ぐ。
 これ以上は授業に差し障る危険がある。速やかにー集団を解散させー、本来の業務にー復帰せよ』
 淡々と響く鈴木の声質は、事務的な沈着冷静さを感じさせるあたり、こういった場合にはいっそ一番の適材といえるのかもしれない。
 どれだけ本人が楽しんでいようとも。

『・・・われわれはー、要求をー、断固としてー、要求するー』
『ようきゅうをー、ようきゅうするー』

「台詞が変わったな」
 首をかしげて相手の反応を待っていた鈴木が、続けて拡声器を構える。
『諸君のー、要求とはー、なんだー』
 ここで初めて、コールがいったん中断する。
 なにやらヒソヒソ相談する気配がして、しばし後ようやく再開した。

『われわれはー、待遇のー、改善をー、要求するー』
『ようきゅうするー』

「初めからやり直しとは律儀だな」
「感心してんじゃねぇ」

『全ての教室にー、空調を設置しろー』
『せっちしろー』
『既設の空調もー、省エネなどとー、けちくさいことをいうなー』
『ケチだー』

「フル稼働だと電気代が大変でな」
「リジチョーのケチー」

『隣の学校はー、空調完備だというぞー』
『うらやましいー』

 要求なのか苦情なのか、よくわからなくなってきたところで、突然理事長が拡声器をもぎ取った。
 眉が跳ね上がっていた。
『我が校をー、あんな金さえあれば入れるバカ校とー、一緒にするなー!』
「一緒にーするなあーー」
 声とともに本気の形相で拳を上げる。
 理事長なりにプライドがあるらしい。無論、隣で拳を上げた山本は面白いからノリで付き合っているだけだ。
 ちなみに、比較対照に挙げられた学校については、校内全域・全教室に冷暖房が完備されてはいるものの「夏は雪国寒波、冬はジャングル熱波」が廊下にまで発生するという、ある意味極端な伝説が近隣で流布されている。
 理事長の主張は俄然ヒートアップした。
『諸君らの要求はー、地球温暖化防止にー逆行するものでありー、環境とー私の懐にー、厳しい要求であるー!
 いくら金があっても足りんわー!!!
「リジチョー顔こわーい」
「最後で理事長の本音が出たな」
「何か、あっちの様子が少し変わったぜ」
「ネゴシエーターとしては、いささか不本意だが致し方ない」
 首を振った鈴木は、ふんっと鼻息の荒い理事長から再び拡声器を奪い返した。
 理事長の大きな声に現実感を取り戻したらしいバスケ部の面子が、朝練の続きは諦めたらしく体育館そばから校舎へ戻っていく。ぞろぞろと集団が移動するのを横目に、鈴木は拡声器を構えなおす。

『我が校の現状はー、先に述べたとおりであるー。
 不可能な要求は呑めないためー、可能な分野から提示することをー、要求するー』
「要求するうーーーっ」
「山本、お前のそれいらねぇ」
 ヒソヒソ再び相談する気配の後、コールが再開した・・・が微妙に様子が変わった。

『われわレはー、待遇のー、要求ヲー、改善するー』
『カエター』
『かねがかからないものをー、おねがいしてミルー』
『おねがいするよー』

「いきなり下手に出たな」
「このままだと、うまく解決しそうじゃねぇ?」
「それはどうだろう」

『ワレワレのー、使用者はー、50kgまでの女の子に限定しろー』
『重いのヤダー』

 思いがない「要求」に佐藤の顎がかくっと落ちた。
「・・・へ? 使用者?」
「声に実感がこもり始めたな」
「ていうか50kg以下の女の子限定って夢見すぎいーー」
「問題はそこじゃねぇ」
 たまたま横を過ぎていった高橋女史が「50kgまでの・・・」と衝撃気味に呟いたのは聞かなかったことにする。

『特にー、ごつい男の使用はー、厳禁としろー』
『くさいのもヤダー』
『一時間の使用ごとにー、乾拭き清掃をー、義務化しろー』
『カンシャの心でー』
『落書きと彫り込みの実行犯はー、傷害罪としてー、警察に訴えロー』
『アイアイガサなんか、ホルナー』

 繰り返しの掛け声が繰り返しでなくなったあたりから、どんどんシュプレヒコールなんだかよくわからなくなってきているが、要求内容が一般人類のそれとかけ離れてきたのは明白。
「理事長・・・立てこもってる集団って、・・・・まさか」
「なんだ、佐藤くん知らなかったのかね」

『机の中の荷物はー、全て持ち帰ることをー、義務化しろー』
『重イヨー』

「机椅子の立てこもりかよ!」
「佐藤・・・何を今更」
 ふと校舎を振り返ると、二年生の教室の窓に見えるのは、所在なげに突っ立ったままのもしくは窓枠に凭れてこちらを眺めている生徒たち。
 他学年の窓には、そういった姿が見られない。
 まだ早い時間であるため人数は少ないが、自分たちの学年であるあたりは予想通りというか頭が痛いというか。
 そして、この間も机椅子部隊の要求は続いていた。

『椅子に座ったままー、屁をこいたやつはー、厳っ罰!に処することを要求スルー!』
『よーきゅうするー!』

「・・・今迄で一番、固く一致団結した声だな」
「あーーーシンクロしたねー同情するねーーーー」
「しかしだ鈴木くん、そろそろ時間も押し迫ってきた。面白いんだがこのままでは、私が教頭にいびられかねん。
 そろそろ、交渉役の手腕を発揮してくれんかね」
「わーーいカリスマの出動だねー!」

 カリスマって何の。

 当の「カリスマ」は動じることなく時計に目を落として仕方がないと呟き、拡声器を佐藤に預けると、まっすぐに体育館を目指した。
 ボール籠の上を身軽に歩いて越え、鈴木の姿が内部に消える。
 と、つかの間どよめきが体育館を包み、長い静寂がそれに続いた。

「結構長いな・・・大丈夫かなあいつ」
「だーいじょうぶだーいじょーぶ、佐藤クンって本当に心配性だよねぇーー」
「・・・お前ほどのんきに生きられたら楽だろうな」
「のんきじゃないよー楽天的なだけだよーーーあははははは」
「あ、そ・・・」
 重く息を吐いた佐藤の耳に、ガタガタと無数の音が届いた。
 と同時に、

 うオーンオンオン・・・・

「な、なんだ?泣き声・・・?」
「アレーーーどしたんだろうねーーーーー」
「どうやら、片付いたようだな。いやよかったよかった」
「どんな感動演説をぶったんだろうねーーー」
「感動って・・・おい」

 机椅子の泣き声合唱には誰も突っ込まないらしい。
 佐藤以外、動揺のかけらすらも見せないのは必然だろうか。
 大号泣を背に戻ってきた鈴木は、理事長に向かって重々しくひとつ頷いた。
「ミッション終了」
「おお、ご苦労さんご苦労さん」
「要求については後日協議として、この後、三々五々各自持ち場に戻るとの確約を」
「うむうむ」
「学食一週間分の約束はお忘れなく」
「安いなオイ」
 事前に契約を済ませていたとは侮れない。
「そうだよーーーーせめてボクなら一ヶ月かなーーー」
「お前、ソレぼったくり・・・」


 ひとまず一件落着ということで、立てこもりを解かせるため入り口のバリケードを片付けつつ(キャスター付きの籠は押すだけだったので、バリケードの構築はできたらしい)、佐藤はどうしても捨てきれない疑問をひとつ、当事者に投げてみた。
「で、あいつら何で泣いてたんだ?」
「俺はカリスマらしいからな」
「答えになってねぇよ」
「何者が相手でも、話せばわかる」
「・・・お前には敵わねぇよ」
「そうか」
「ほめてねぇから嬉しそうにすんな」

 その後、教室へ戻っていく机椅子部隊の行列が、一時限開始のチャイムが鳴り終わるまで続いたことも、戻る途中の階段でこけた複数の机が中身を撒いて、各自持ち主の阿鼻叫喚が響いたことも、女子生徒の間でダイエットが異常なほど流行したことも――そして鈴木に「無機物のカリスマ」という新たな称号が与えられたことも、全て後の学年にまで語り継がれることになるのはまた別の話である。