99745..チェリー
ニュース(在宅医療)
2008年03月28日(金)
お世話になってる、在宅医(クリニック)さんが、ニュースの特集で、取り上げられました(*^_^*)

『在宅医療』というテーマで。

今、病院での救急受け入れ拒否や、救急車のたらい回しが、よく報道されていますが、

1.入院が短期になった。(医療保険制度が、入院が長期化すれば、保険点数←病院への報酬が低下するシステムになったこと。)

2.高齢者の夫婦や単身生活が増えた。

このことから、体に変化があれば、救急車をすぐに呼んでしまうという状況が、増えている一因もあるらしい。

なので、24時間いつでも呼べる在宅医療があることで、救急車を呼ぶ以外の、選択肢が増える。

また、在宅医療の関わりで、早期治療していくことにより、病状が重度化することが減る。

と、いうようなことを、テレビでまとめられてました。



それは、私から見たら、『理想』とも感じるし、『現実』でもあるんだなと、思った。

現実的には、1人の開業医で、何十人もの在宅患者を、24時間対応するのは、困難だ。

私も、「在宅では検査はできないから…。」と、緊急時には、病院受診という形になります。

もちろん、命や今すぐ治療処置を必要とする、待てない緊急事態時では、在宅医に連絡取るよりも、救急車!が優先になるだろうし…。



だけど、たぶん、救急車呼ばなくても、側に医療スタッフがおれば、相談できることでも、頼りになる医療者が在宅にはいなかったら、救急車を呼ぶ!という行動になってしまう、高齢者の方が多いんだなぁ、と。

ニュースを観て、そんなことを感じた。



これは私の考え方ですが、在宅医療(在宅医や訪問看護)への、緊急連絡とは、病棟でのナースコールとは、全く違う。ということです。

いつでも24時間、在宅医や訪問看護師と連絡が取れるとしても、病棟のように、すぐに患者の側には駆け付けられない。

そのことを十分理解して、在宅医療を選ぶのと、無理やり退院させられて、行き場なく在宅で暮らすのとは、患者にとっては、我が家で地域で生きたいか?本当は病院に居たかったか?という、人生への価値観が違ってくる。



話は少し変わりますが…

私は、ぶっちゃけ、年代が若いし、車椅子に乗れるし、親が元気だから、という面で、「(在宅医療スタッフが関わらなくても)本人や家族が、何とか対処するだろう。」と、在宅スタッフが感じてるのが、伝わってくる時がある。

それはそうなんだろうけど…、必要になった時に、サポートが欲しいから、それでいいのだが(在宅スタッフには人員に限りがあるし、他に、在宅医療がもっと必要とされる患者さんもおられるわけだから)…

だが、「(患者自身でできるべきことを、しない選択をすることを)高齢者だから…仕方ないよね。」と、病気を自覚して、時には、自分で責任を持ち、地域で暮らすことを、病気だから…と放棄しても、そして、その分を、在宅スタッフに頼り切りな状態だとしても、それを暗黙で、甘えさせてる在宅スタッフは、どうなんだろうか?
(極端な書き方をしてしまい、ちょっと誤解を生むかもですが…。)

と、正直、ふと感じる時がある…。

例えば、高齢者ならば、頻回に緊急連絡をしても、例え、在宅スタッフが忙しい中でも、いつでも駆け付けるし、スタッフ側は、そのことを、苦痛には感じていないように見える。

だけど、私ならば、時には、厳しい言葉を返されることがあった。

「(入院とは違い、側に医療スタッフがいない環境を選んだ)在宅患者なのだから、自分の病気は、把握できないとだし、自分で管理できないとね。」
「在宅医療スタッフに、頼らなくていいくらい、自分の病気については、自分で対処できるようになること。」

と、言われる。

私には、「若いから、先の未来があるから。」「自分自身で病気と共に生きていくことを学び、時には自分にとっての医療者になりなさい。」
と、言い、←その考え方には、うなずかされたし、間違ってはないと思うが。

「高齢者の患者さんは、若い人のように、新しいことを覚えられないし、私達(在宅スタッフ)が支えないといけないのよ。」

となるのは、どうか?と、感じる。

これじゃあ、若いからってだけで、差別してることにならないか?

そりゃあ、人間、年を取ると、いろんな若い時のようには、難しくなるだろうけど…。

だけど、その年なりに、できることをできるように、自分なりに努力することを、(できるできないの結果は問わない。気持ちの持ち方というか…。自分の病気を自覚するとか、自己管理ができるようになるとか。)目指して暮らしてくんじゃないかな?

だけど、「もう先は短いから、糖尿病でも、まんじゅう食う!」には、医療者としても、許したくなるのかなぁ…。
若いから、未来があるから、これから病気と付き合う時間が長いから、「おまんじゅうは食べちゃダメ!」「それくらい、自分で管理できるようになりなさい。」と、厳しく言われちゃうのは、仕方ないのかなぁ…?

そう私が言いたいのは、「もう年寄りだから…。」とセリフを吐いて、人生の先輩が、情けなくも感じるのだ。
そういうのに、「もう先がないから。」と、最後の人生の時を、濃度の濃い一秒の生き方を、患者自身に生きさせないのは、医療者自身なんじゃないか?と感じるのだ。

そういうのに、どうしてだか、ズルイ!と感じてしまうのだ。

(何だか、極端な話になってしまい、うまく書けなくて、ご気分を悪くしてしまったなら、申し訳ありません…m(_ _)m)



あと、若い世代で、難病や障害を持ってる人も、在宅医療を必要としているし、親には親の人生がある。
病状に変化があるからと、すぐに通院できる足(車や介護者)を探すのは困難だし…。

若いからってだけで、乗り越えられない問題もあるし、先の人生が長い分、また別の悩みや不安も生まれる。



まぁ、一番は、甘え下手という私の性格の問題が多いかもですが…。



大阪は、桜は、まだ1割2割咲いてるかな?くらいだけど、東京は、テレビでは、綺麗な満開でした♪

来週〜来週末くらいに、こちらも、お花見できるかな?と、ワクワクで〜す♪(^ω^)
孤独
2008年03月27日(木)
いつもどこかに、孤独を感じてる。

家族の中にいても。
友達の中にいても。



生きるのは、1人。
人生のあらゆる場面において、1人で乗り越えないといけない。

人は、支え合うことはできるけど、だからこそ、自分という核を大切に育てる必要がある。



だからこそ、人間1人では生きられないとも、言えるんだと思う。


寄り掛かるのと、支え合うのとは、違う。



私は、今、一番大切なものから、距離を置くことを選んだ。

それは、私を大切にしてくれる。
いくらでも、甘えさせてくれる。



だからこそ、私は、1人で自立して、生きる道を選んだ。



それは、孤独を感じるものだけど、人生は、しょせんは孤独な道なのだ。

死ぬ時も、最後は1人っぼっちなのだから…。



孤独を楽しむのも、人生には、粋なものではないか?



明るく、はしゃぐだけが、人生じゃない。
お誕生日☆
2008年03月24日(月)
バースデイメールありがとうございます♪

無事、お誕生日を迎えることができましたo(^-^)o



今日は、ショッピングモールに行き、ロザンのコントを見ました!
生コントは、笑った笑った〜♪
日曜日ということもあり、すごいたくさんの人々で、混雑してましたが…。

それから、夕方に、チーズケーキを食べました♪(楽チンライフさんで注文した。)
ケーキは、今年に入って、全く食べてなかったから、プチ感動〜♪おいしかったぁ〜\(≧▽≦)丿♪♪♪



思えば、このサイトを開設してから、6年を迎えるのですが、この年月で、変わった部分と、変わらない部分について。

やはり、外見では、お肌の状態が変わった!
20代後半〜って、女性のお肌は、どんどん変化するんですよ…。
そのことを、実感…(汗)
くすみが…(T_T)

内面においては、何も変わらない気もするけど、きっと、どんどん変わっていってるんだろな…。
いい意味でも、悪い意味でも。
面白い程に、いろんな出来事が起きるのが、人生。
それに、どう向き合うか?で、過去はいろんな形になってゆく。



さて、話しは変わりますが…ずっと沈黙していた、本を出すことについて。

私は、本を出したいこと自体が、目的ではなく、本という形になりたいがために、書くことでも、買われるために書くことも、自分には合わない…と感じてる。

だから、読まれるように書くつもりも、売れるように書くつもりも、全くなくて…、

もしも、自分らしさというものがあるならば、それを本に込めたい。
自分が妥協なく、書き上げたものを、力尽きるくらい、精力込めて、文字に注いだものを、本という形にしたい!

と思っているのだが…、現実には、出せる場がないと、本にはならないわけで、
売れないと、出版社は、赤字になるわけで。

出版界や、メディアから、求められるものって、人々と違った人生とか、それが、不幸なものだったり(自分がそう思ってるわけじゃなくて、他人が読んだらそう感じるような…)、だけど、著者は頑張って生きてます!みたいな…。
それが、病気だったり、虐待だったり、死だったり…

そういうイベント的に扱われる軽々しい対象物には、なりたくないんだけど、どこかで妥協しないといけない現実とも、向き合わないとなぁ…と。



例えば、ドラマの中では、いじわるな人と善人な人と、健気な主人公に、きっぱりと分けられて、

現実では、そんなクッキリと分けられなかったり、それぞれの立場や、経験で、考えや思いが違ったりで、そういうので、社会は形成されてるはずだ。



「盲導犬はかわいそうだけど、目の見えない人のためになるならば…と思って、募金をした。」
とか聞くと、私は、ムムム…と思ってしまうんだな…。

かわいそうならば、募金しなければいいだけのこと。
目の見えない人のため…?
ならば、犬はかわいそうだけど、犠牲になるのは仕方ない?

結局、どうしたいの?

こういうパッと見は、善人そうな言葉でも、盲導犬に対して、勝手に、かわいそう…と見下したり、視覚障害者の方を、差別したりしてるんだと思うのだが…。
あと、同じ盲導犬使用者と表しても、人としては、性格も違うし、いろんな人がいるということも、あまり知られない。
もちろん、盲導犬だって、いろんな性格の子がいる。
盲導犬に合わない子と合う子がいる。

だから、正確には、かわいそうも、幸せも、全体像では、白黒はっきり分けられない。
そういうのが、社会なんだと思う。

何だか、意味不明な文章になってきちゃったな…。(汗)



綺麗なものと、汚いものが、入れ混じったのが、この世。
その現実を、しっかりと見つめながら、これからを、生きてゆきたい。

逃げたくもなるけど、楽な方には行きたくない。
共感されないかもしれないけど、可愛がられないかもしれないけど…多くの人に共感される人を目指すよりも、たった1人でも、感じて下さる方がいれば、私は幸せだ。



何か、わからんちんな話になっちゃいました…。

『誤解されてしまうリスクを、背負わない文章は、尊敬できない。』

銀色夏生さんの言葉を、噛み締めながら、私の文を紡いでゆきたい。



この日記は、3月23日に書きました。
ひらめいたこと。
2008年03月18日(火)
起きた時に、ふと、ひらめいた。

こういう時が、たま〜にある…。

悩みが、パーッと解決する瞬間。



なりたいものに、なれる人と、なれない人がいる。

夢は、願えば叶う!とか、言葉にすれば、実現する!とか、努力次第だ!とか…

聞くけれど、



世の中は、なりたいものに、なれた人と、なれなかった人が、いる。



その違いは、何なのだろうか?



努力が足りなかったから?
願いのパワーが足りなかったから?
夢の実現を、信じてなかったから?


私は、どうも違う気がするのだ。



きっと、自分には、生きてゆくべき道があって、その道から、外れるような、無理なことをしたら…



なりたいものに、なれても、挫折したり、

なりたいものに、なれなかったり、するんじゃないか?と…。



どんなに努力しても、自分の人生というものに、無理が生じてきて、

自分自身も、大切な人も、幸せになれなくなるんじゃないか…?と。



では、今、私がいる場所や、これから歩もうとしている道は、私らしい生き方なのかな?って。

ふと思った。



もしかしたら…身の丈にあってない、道を無理して歩んでいたならば、これからの人生が、不幸になってしまうのかもしれない…。



とか思って、不安になってたら…、

銀色夏生さんのつれづれノートに、似たようなことを思って書いていらっしゃって…

でも、銀色夏生さんは、私とは違った結論を解いておられていた。



だけど、そういう経験(なりたいものに、なれなかった)も、私の人生には必要だったということ、か。



受験の失敗も、失恋も、
挫折と呼ばれる出来事も、



人生は、全て必然で、いらなかったものなど、1つもなくて、

そう考えると、病気になったことも、意味があるんだなぁと、思えてくる…。



私は、病気がきっかけで、なりたいものに、なれなかった。



ずっと今まで、その挫折を、病気を憎んだり、病気のせいにしてる自分は、恥じるべき過去だと思ってたけど…



だけどだけど、

きっと人生は、私らしい方向に、進んでいくんだと思う。
深夜に、ふと思う。
2008年03月13日(木)
深夜に、あんなことや、こんなことを考えていて、それを文章にしてみたかったんだけど。
(文字に書いたら、モヤモヤ…した気持ちが形になり、スッキリするかな〜と思い。)

だけど、「深夜に日記は書くもんじゃない!」という言葉を思い出して、やめました。

公開日記でなくとも、翌朝起きた時に、深夜の自分が書いたであろうものを見た時に、ゲンナリすることって、経験あるから…。



どんなことを考えていたか?とチラリと書くと…

『人間は、どこまで、他人のアドバイスを聞くことができるのか。』
と、いうことについて。

先日書いた、銀色夏生さんの、「これからは、自分を突っ走ります。(批判を読むと、凹むから、これからはファンレーは読みません)」という部分を話していたら、「じゃあ、自分を見返すことはできないじゃない?」みたいなことを言われたので…。

自分の間違ったことを、指摘してくれた。それを無視するということは、人間として、どうだ?ってことなのかなぁ〜。

共感しました。と賛同意見ばかりを、読んでいたら、自分えへん!みたいになり、人間的に成長しないよ。ってことなのかな?

だけど、私だって、批判メールは、読みたくないよ。
ドーンって落ちて、もうサイトやめよう…と、思ったことが、何度もあるよ。

例えば、人への批判的な忠告って、自分と意見が違うことが、何か妙にしゃくに障るとか、他人を自分色に変えたいとかが、多く含まれてるような気がする。

ほんとに、その人のことを思って、アドバイスすることって、本当に、少ない人であり、大切にしたいなって感じる。

そういうメールも、届いたりで、私の考え方を変えてくれた人とも、ココで出会えたんだ。

だから、批判と、アドバイスの違いってものを、きちんとわかるようにならないとな!と、感じたのでした。



だけど…大人になると、なかなか性格というものは変えられない。

オセロさんが、とある番組で、「顔は変えられるけど、性格は変えられない。」と言ってた。
私も、そう思うな〜。

好きな人に、「考え方を変えて。」というのは、無茶なことだと思う…。
だけど、変えられると思ってるから、お互いのこうして!をぶつけあってしまうのだろうな…。

だからって、自分を変えることも、難しいわけで。
なんだ…おあいこじゃん。



さて、本音日記は、本日で終了です!

こういう哲学的な?話は、好きなんだけど…連日書くと、自分でも、重くなってきちゃったので…。

次回は、楽しい話を書くぞ〜♪



では、またね〜♪♪♪
6年という月日
2008年03月12日(水)
そういえば…この日記を始めて、今年の6月で、6年を迎える。

自分で、ビックリ!

三日坊主になるかな〜と思ったけど、それが、6年間も続いたというのと…。

初めは、かんたんHPで、始めたのだけれど、本格的に、サイトを持ってみたくなって…。
タグを調べながら、&勉強しながら、フリー素材をお借りして、自分のサイトという場所を持てた。

ネットで、同病の方や、また病気とは関係なく、年代も関係なく、いろんな方々と、出会えた。

ネットがなければ、絶対に繋がりを持てなかっただろう、出会い。

この時代に、生まれてよかったよ!
ほんとに、そう思う。

ネットやメールが、当たり前に身近にある時代になってきて、それでも、私は、一対一で会話することって、大切だなぁと感じる。

手紙も、好きだし♪

メールで大切なことを、言われたら、何だか悲しい…。
(好きです。とか?笑)
顔を見て…伝えたいなぁ〜って思う、せめて声を聞きたい。



文字だけの世界って、どうしても、フィクションになるんだと思う。
嘘は書いてなくても。
それは、読み手により、受け取り方が違ったりするのが、興味深い所だ。

何ていうか、世の中の真実って、どこにあるんだろう?
事実は各々が伝えられても、真実は、どこにもないような気がする。

私は、事実を書いても、真実は曲がってく…というか…。
文章って、書き手から離れると、もう私のものではなくなるんだと思う。(著作権のことではないです。)

一人歩きをした私の文章が、全く私の意図するものと、違った形で帰ってきたら、ほんとに…ビックリ!!!するけれど、面白くも感じてしまったり…。



話は飛ぶけど、母が、テレビで聞いた話を、まるで…自分が見て聞いてきたかのような話し方をするので、「テレビで聞いただけでしょ?」と言ったら、「だって、テレビで言ってたもん。」と言うから、「嘘かもしんないじゃん。テレビは、聞き流す程度にしといた方がいいよ。」と言うと、「じゃあ、何を信じたらいいの?」と言われた。

新聞やテレビは、ただ1つの見方や考えを表してるだけ。
真実は、誰にもわからないし、正しさは、自分で考えるもの。

与えられたことを、鵜呑みする程、怖いものはないってこと。

そんな風に、私は思ってる。



6年か…。

いろんなことあったな…。

今は書けないことも、迷うことなく、書いてたりして、あんなこともこんなことも、あったんだなって。

頑張ったんだね、と思った。
自分のことだけど…。



何だか、今日は、いろいろごちゃごちゃ書き過ぎたかも…m(_ _)m


ちょっと体調悪くて、凹み気味…(;ω;)
いろいろあるね。。。
2008年03月11日(火)
午後から、原稿をチェックしてました。
校正も兼ねて、書き直す部分は、削ったり、足したり。
そしたら、久しぶりに読み直したからか・・・?

「なんなんだ!この気取った文章は!」

と、全てを消したくなりました。。。
まぁ・・・、寸での所で、思い止まって、消さずに・・・。

ありのままに、文字を書くなんて、大人になると難しくて、記憶を美化してしまったり、綺麗事を連ねてしまったり。
でもでも、私はそういった本を書きたいんじゃないの!

そもそも、当時の一瞬一瞬の気持ちを、ありのまま書くなんて不可能でもあり、全ての記憶は美化されるものだ。
と言われもするが、だからこそ、ブログに残したいと思うのです、リアルタイムで。
(これは、本にするとかとは違うけれど、同じく形に残るという意味で。私は、本読むのが好きだけど、ファンのブログ作家さんの、文章読むのも楽しみにしてます。また、本出していらっしゃる方でも、リアルタイム更新のブログは、また違った魅力があるから♪)



---昨日、ブログにアップした文。---




今、読んでる本。

銀色夏生さんの、つれづれノート12。

『引っ越しと、いぬ』



149ページ〜150ページの、文章を書くことについての姿勢について、これだよ。これ。

私が言いたかったのは…。

と、共感してしまいました。



本音を書いたブログとか、本が好き。

批判とか、どんどん言われるんだけど、めげずに、書き続けて欲しい。



私は、真の声が聞きたい。





(以下、銀色夏生/著『引っ越しと、いぬ』より引用)

誤解を恐れるリスクを背負ってないものを、かっこいいとは思えない。

(引用終わり)



この一行に、ハッ!とさせられた。



---以上、ブログから---



そういう気持ちです、いま。
なんて言うか、人に気遣って、誤解を恐れてる文章って、その人らしさの本当にいい部分が、一番聞きたい所が、残念ながら、削られてしまってるというか・・・。

好かれたいとか、嫌われたくないとか、そういうのが一切見えない・・・媚びない文章。
そういう作家さんには、どこまでも付いていきます!って、感じる所がある。



銀色夏生さんは、『これからは、ファンレターを読みません。
ほんの少しの批判レターを読んでしまうと、めげるから。
どこまでも、自分を追及していきます。』

ってなことを書いてたけど、そういうのも、銀色さんの魅力的な部分だと感じた。



他人に気遣いすぎて、あなたの魅力的な輝きを削り取らないで。。。
ファンなら、誰しも思うのかなぁ。


ブログで、好きな作家さんにも、批判のコメントとか読んだら、そう思ってしまう・・・。




そういうわけで、今日は、本音を書きます!
(だからって、前回の日記も、本音でないわけではないのですが・・・。)





こんなに食事制限をおりこうに守ってる私に、訪問看護師さんは、えらいね。とか誉めません。

いや、誉めてくれなくても、いいんだけどさ・・・。
そういう、お子様的なものは、求めてないんだけどさ・・・。



「なぜ、この前までは、何でも食べれてたのに、食事制限しないといけないの?」
「そんなにきちんと食事制限守らないといけないものなの?」
「一食くらい、守らなくてもいいんじゃない?」



この彼女達の甘い誘惑に、負けそうになります。



ほらほら、ちょっとくらいなら、大丈夫だって。
食べちゃいな。入院してるわけでもないんだから、バレないって。


に、私の心で、変換されます。



「じゃあ、もう一生焼肉も食べられないの?わぁ〜最悪〜。」


この止めの一言で(訪問ナースが言ったんだよ・・・。)、うん!今夜、焼肉食べてやる!

と、なりました。




今夜は、焼肉に決定!!!

























・・・となるわけないじゃん。
お腹痛くなるのは、私だからね。



「見えない所で、病気は悪化していた。」


という怖さを、今回学んだんだよ。
だから、他人から、傷付けられても、腹が立っても、私の決意は何ら変わらない。



ちょっと前までの自分ならば、「看護師という職業なのに、こんなこと言っていいの?」
「もっと患者の病気について、勉強するべきだよ。」

とか、上からえらそうに思い、3日間くらいは、ひどく落ち込んでいたなぁ・・・。

それか、直接、本人に言っちゃったこともあった。
もちろん、本人は、自分を省みることもなく、私のことを、「患者から看護師に文句を言う、わがままな悪い子ちゃん患者だ!」「(もしかしたら・・・)今時流行りの、クレーマーだ!(なんて、思われていたかも。。。)」と捉えられたのだが・・・。


他人を教育しようという思いは、ない。
自分を変えるのも大変なのに、他人を変えようだなんて、そんな傲慢な思いは、ちっぽけもない。
ただ、「私は傷ついた、あなたの言葉で。」と、ありのままを伝えたかっただけなんだが。

もはや、患者と医療者ではなくて、こういうのは、人と人で話したかった。



きっと、自分のことしか見えてない、他人に関心のない、思いやりのない医療者は、どこかで、頭打ちするだろう。
そう思うしかない。



あと、食事療法を守らない患者に、「きちんと守りなさい」と上から言ったり、きちんと守ろうとしてる患者に、「私は何でも食べても、こんなに元気です。」(同病の方とか)と、これまた上から言ったりするのは、違うと思う・・・。
(相手を前にしてなかったら、言うのはよいと思います。だって、誰もが、社会に受けいられるべき、1つの生き方であるのだから。だけど、直接、人を前にして、説教するのはダメ!だと思うのだが・・・。)

自分は自分しか生きられない。
だから、他人の生域に、軽々しく入れるものじゃない。


これだよ、これなんだ・・・!

食事療法を守らない患者に、何度注意しても、破られてしまうことに悩んでる看護師さんとか、入院中見てきたけれど・・・「きっと退院したら、好きなの食べるんだろな、この患者さんは。」「看護師さんは、きっと患者さんのためと思ってるんだろうけど・・・いったい誰のために、あんなに一所懸命、努力してるんだろう?」と、思った。


・・・そういうことなんだと思う。




何だか、長くなってしまいましたが・・・。




みんなのこと好きになったり、みんなのこと嫌わないようにするのは、現実的ではないから・・・


信頼するスタッフを、これからは、大切にしようと思っています。




こういう文章を嫌いと言う人もいるし、好きと言ってくれる人もいるんだろなぁ。
(とかって、一人ぼっちになったら、どうしよう・・・。)


私はアクセス数とか、大事にしてなくて、ココを通しての出会いってものを大切にしてるから、だから、気取った文章は書かないことにしました。


人間、良いところも、悪いところもある。
それを含めての、自分自身だから。


綺麗事で、蓋しないで、みつめていきたいな。





原稿は、大幅に書き直すことにしました。
いったい、いつ出来上がるのだろうか・・・(汗)





追伸。

後から、ふと思った。

「食事療法を守りなさい!」とか、「早く寝なさい!」と、看護師さんからうるさく言われるよりは、「真面目にせんで、大丈夫さぁ〜。」と、のんびり対応される方が、いいのかなぁ〜〜〜って。

だって、自分の家に来られてまで、うるさく小言繰り返されるのは、たまらないかもしれない!

いろんな受け取り方や、考え方があるものなんだね。
3月ですね。
2008年03月06日(木)
またまたご無沙汰しております!
3月になりましたね。

我が家は、父と私の誕生月でもあり、憂鬱な年でもあります…(苦笑)

父は、昨日、無事、還暦を迎えました。

お父さん、おめでとう〜(^o^)/

だけど、60才からは高齢者の仲間入りと、微妙な心境のお父さん…。

そして、今月に定年を迎えます。

今は休職中で、家にいることに変わりがないのですが…。
ですが、40年?家族のために、汗水流して、働いてきたわけですよね。

お父さん、お疲れ様です!→言わないけど…(汗)



そして、私はこの年にもなると、さすがに、誕生日が憂鬱…になってきました(爆)
なので、3月に入ってからは、誕生日までのカウントダウンが憂鬱なんです…(爆)(爆)
→病院での画面に、○才○ヶ月と出るじゃないですか?


まぁ、よいや…。





最近の私は、気持ち的には、非常に穏やかに暮らしています。

体調が良いわけでも、障害が回復したわけでもないですが、どうしたのだろうか…?

一言で言うと、「まっ、なんとかなるべ。」と思えるようになったのかな…。



以前は、何もかも、闘っていたと思う。

ほんとに、障害が進行してから、生活が大変だったから。

誰が介護する?
治療は?
通院は?
急に悪くなれば?

入院できる病院もなかったし、かといって、在宅医療の基盤もしっかりとしたものは、何もなかった。

今もそれと変わりはないし、たぶんこの何年かで、新聞記事で書かれるように、医療については、もっと厳しくなっているようにも思える。

だけど、どうしようもないものは、どうしようもないのだし、しょせんは人間1人でできることは、限られているのだ…。

と感じるようになった。

だから、闘う相手は、現場のスタッフではなくて、味方になってもらわないといけないんだ!とね。

愚痴や文句を、現場のスタッフに話すのは、簡単なことかもしれないけれど、それでは、相手が不愉快な思いをして、距離が開いてしまうだろう…。
(例え、相手を前に、口にしなくとも、気持ちは何となく、相手に伝わると思う。)

スタッフは、きっと、自分にできることを、それぞれが、一所懸命働いてくれてるはず。

なのに、最今、弱者切り捨てと言われてるのは、なぜなんだろうか?



そう疑問に感じるようになってから、周りの方に、感謝をするようになったし、きちんと思いを、うまく伝えられるようになったと思う。


もちろん、今までの、現場スタッフに不満を感じていた私も、正しい部分はあると思うし、現場にも、納得できないことや部分はある。

だけど、現場だけ責めては、私も結局は、潰されてしまうのだ。
私は、絶対に、スタッフの味方じゃないといけないし、敵になってはダメだ。

そう感じるようになったんです。



それは、きちんと叱ってくれた人がいるから…というのもあるけれど、たぶん年齢を重ねたからだと感じる。

年を取るのも、悪くない!(^ω^)



だけど、患者の辿る道には、病気を認めたくない→何とか他に道はないか?もがく→なぜ自分が…と否定的な態度を取る→やがて全てをあきらめる→現状を受け入れて、なおかつ前向きに生きる

という経過があるような気がするのだが…(あくまでも、私の考えです。)

そうだとしたら、今の私は、最終段階にあるのかもしれない。


視覚障害をお持ちの方から、「失明した時に、これでもう目が見えなくなることに、悩まなくて済む。」と、ホッとされた。
という話を聞いたことがあるのだが、何となく、その不思議な気持ちが、わかるような気がする。



今日は、何だか、自分勝手に、失礼なことも書いてしまった気もしますが…、あくまでも、私についての思いです。



こちら関西では、週末から、少しずつ、気温が上がってくるとか。

桜の開花宣言もされたし、もうそこまで春は来てるんですね♪



今年は、楽しい春にしたいなぁ〜〜〜♪♪♪
消化器科受診
2008年03月04日(火)
今日は、大学病院の、消化器科の定期診察日でした。



腹痛があったことを話して、その時の様子を、詳しく聞かれました。

ブスコパンで効かない場合は、どうしたらよいか?という質問をしました。

ブスコパンで効かない場合は、注射になるが、病院でしか使えない(在宅では使えないだろう…と)。
また痛みは、体の危険信号であるので、原因をわからないまま、むやみに痛みを止めることは、危険だそうです。

もしかしたら、腸が破れて、緊急手術が必要かもしれない。
クローン病とは関係なく、虫垂炎かもしれない…他の疾患かもしれない…。

なので、痛みが強い場合、長引く場合は、病院を受診して下さいと言われました。


その場合は、家から大学病院までは、高速道路を使って、1時間はかかるので、間に合わないだろう…と。

なので、近くの病院で、いったん痛みを止めて、処置をしてもらってから、大学病院に電話して下さい。
ベットが空いていたら、すぐに受け入れます。

と、言われました。

でも、近くの病院には、消化器科のある市民病院が1つしかなく、かかりつけ患者しか受け入れてないから…。

たぶん…消化器科医がいない、外科や整形外科の当番医のいる救急病院に搬送されるのだろうな…。(昨年に救急車で行き、痛みを止めてもらえずに、ひどい記憶が…凹)

とりあえず、在宅医で注射してもらってから、救急車に乗ろうかな…。と思ったり。

何が自分にとって、一番よい方法になるのか?
よく考えておこうと思います。
(痛みがひどい時は、考える余裕はないから…。)



とりあえず、内服薬はこのままで、食事療法は頑張って、続けて下さい。と言われました。

脂肪を摂らなくても、カロリーが摂れていれば、体重は減らないそうです。

カロリー計算も、きちんとしなくちゃなぁ〜。


鉄分も取れるように考えねば。。。
茹でたホウレン草の、葉先とか。


やはり、消化が良いものは、どうしても、満腹感がなく、すぐに、お腹が空いてしまうそうです。
でも、空腹感を感じることは、よい兆候だしね!


時々…コッテリしたものが食べたくなりますが…。
ポテトチップス、コンソメパンチとか☆



この日は、10分待ちで、すぐに診察でした。
私の後も患者さんは、まだ来られてなくて、診察が終わってからも、私のカルテをジックリ読んでいた先生でした。(恥ずかしい…汗)

地元の病院は、患者の顔さえ見てる間もない、殺伐とした、多忙さの雰囲気ですが…。
やはり、余裕があると(人員とか)違うのかな。

遠い病院に通っても、ジックリ診てもらえるならば、通院の距離は苦痛にならない!って感じます。

だからって、みんながみんな、遠い病院に行けないわけで、いざとなれば、近くの病院の重要性が感じられるし、医療崩壊とか言われてるけど…。
地元の病院にも、医師が戻ってきて欲しいです。



診察が終わってから、会計の順番待ちと、薬局で薬をもらうまで、外のコンビニに行きました。

院内にもローソンはあるのですが…ちょっと探検してみた(笑)

何を買うわけでもなく、散歩しました♪



さすがに、2日連続で、通院となると、疲れました…。

車椅子に座っている、腰や背中が、ギシギシ…痛みます…。
神経内科受診
2008年03月03日(月)
今日は、地元の病院での、神経内科の定期診察日でした。

なんと…半年ぶりになってしまいました…。

ほんとは、1月の予定だったのですが、お腹の調子が悪くて、取り直したら、4月しか空いてないと言われて…(えーーービックリ!)、たまたまキャンセル空きがあった、この日に入れてもらいました。

(でも、大学病院の神経内科には、1月に受診してます。)



今日は、受け付けをして、血圧を計ってもらい、1時間ちょっと待ちました。

MS的には、変わりないかな?って感じで、クローン病のことを、話しました。

クローン病は、別の病院に通ってるし、先生は、気を悪くされないかな?(と言っても、この病院には消化器科はない…。)と不安にもなりましたが…。

「あーそれでいいよ。きちんと診てもらって。」
「何やかんやと、大変やねぇ〜。」

と、言われました。


「やっぱ、お腹が具合悪いと、力出ないよね。」
「MSの調子も、悪くなるはず。」


とも言われました。

やはり、栄養状態って、体を整える基本やと、思うし!



「待たせてごめんなさいね。」と先生は言ってくれました。

いや…先生のせいで、待たせてるわけでもないやろし。
この地域は、医師が減ってきてるから、1人の医師がたくさんの外来患者を受け持たなければなりません。

昨年までは、3人医師がいた眼科も、ついに1人しかいなくなってしまいました…。
1人で外来も手術もしてるんです…。


神経内科の先生も、お1人でこの2年間、辞めずに頑張って下さってるので、「先生も、大変ですよね。体壊さないで下さいね。」と言うと、「この地域での、神経内科医が僕だけだから、大変だけど、これが仕事ですから。」と、ニッコリ笑って下さいました。

これが仕事ですから。

こう言えるって、すごいと思う…。
人間的に、尊敬させられました!



私も、いろいろ大変だけど、頑張ります。
先生の患者だから、頑張るよ。





帰りに、廊下で名前を呼ばれて、振り返ると、顔見知りの事務員の方でした。

「やっほ〜。」っと、挨拶して、バイバイしました。



午後からは、訪問看護とシャワーだったので、急いで、帰りました。

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