Kozの日記
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2003年11月14日(金) 時間の観念

今日は1日自宅で、山積した仕事に没頭した。

原稿書き…。

人生において一番素敵なシーンで
その人の人生や生き様とか
イメージを高めるための原稿。

だからこの日記とは全く異なる文体。

集中力と想像力の世界で、書き上げた時には
ドドォーッと疲れてしまう。

この日記読んでる人は
一体何の仕事してんの?
と?状態でしょうね。

ひとつの仕事の主幹があって、
それに枝葉を派生させて、ものを作り上げる…。

やっぱりわかんないよね。

まあ秘密ということで。

先日のセミナーを受けてくれた子供たちのアンケートが
まとめられ、ファックスで送られてきた。

難しい話かな…と思ったけど、
子供たちは偉いね。

話の主旨を理解してくれているし、
おまけに自分の見解を自分なりに書いている。

何だか子供たちの感想を見てると、
子供たちの凄さに感動してしまった。

「夢」について語った以上、
子供たちの「夢」を壊さないように頑張らないとね。

仮に「夢」を壊すようなことが僕にあったら、
それは犯罪に等しいかもしれない。


いつも思うことがあって…。

僕自身の考えや持論を誰かに語った時、
聞いてくれている人の時間を拘束していることになる。

限られた人生の中の貴重な時間。

二度と取り戻すことはできない時間。

そして、その時間の中で何らかの影響を与えることができたなら、
その人の新たな知識や、新たな常識の欠片として、
刻まれることになる。

その事の重大さを理解しておかないと
その人の時間が無駄になる。

時間は目に見えないから、過去として位置づけられてしまうけど、
仮に「お金」のような価値観と可視できるものなら、
時間に対する重要性や、もっと大切なものとして、
観念も変わるんだろう…。

という何だかややこしいこと。

利己的に進む世の中でも、忘れたくないこと。

自分の与える影響は、良し悪しを問わず責任重大。

1日という時間は誰にでも平等で、
それは元来変わることがなくて、

でもその時間の使い方で、人生までも決まってしまう。

それをコントロールすのも自分なんだよね。

時間が足りないのも自分のせいか…。


夢や希望も、少しずつ切り落とせば、
もっとスマートな時間を送れるのかな。

穏やかな人生。

多忙な人生。

考え方ひとつなんだよな。
執着心の増量・減量。

いずれにしてもこの答えが出る頃には、
また、同じところで違う問題を抱えているんやろうな。



2003年11月10日(月) 週末〜今日

「みんなに夢はありますか〜」
と切り出した昨日のセミナー。
みんな午後一からずっと職業体験をして、
その最終プログラムが僕のセミナーだった。

子供たちはお疲れモードで、気怠そうな感じ。
持ち時間40分で、僕の仕事を語るには短すぎるけど、
行政がらみとあってタイムキープは必至だった。

仕事についての説明と、作品集をビデオで紹介して、
その後はクイズを…。

結構難しい問題を出したにもかかわらず、
正解率80%。

このクイズコーナーで、やっと何とか怠惰な空気が払拭された。

そして何とか終了。

本当に分かってくれたのかどうか…。
不安を残しながらも、京都の某大学助教授が職業体験を振り返って
まとめをお話されたのを、子供にまじり聞いていた。

センテンスの長さや、子供に答えさせるテクニックは、さすがと思
えるほどリズミカルで、歯切れがよく僕自身が勉強になった。

やはり大人に教えることと、子供は違う。
精一杯のことをした…と思っていても、
自分なりの精一杯は、簡単に覆されてしまう。

何だか勉強不足を反省しつつ、帰路に着いた。

そして会場を出た瞬間、僕のセミナーを受講していた子供たちと
保護者の方達から、

「ありがとうございました」

と身に余るような沢山の感謝のお言葉をいただいた。

本来は主催者からいただくものを、受講されていた皆さんから頂いて
嬉しくもあり、照れくさくもなってしまった。

でも、みんな雨の中元気な顔で帰って行きました。

いろいろあったけど、子供たちの頭の片隅に少しでも何かが残ってい
てくれたら、嬉しく思う。

そして我がスクールの卒業制作展の今日は最終日。
京都から南港まで駆け付けた。

そしたら、何と………。

先生が作品を出しているではないか!?
弟子たちはそんなこと一言も言ってなかったのに。
そして先生の姿も。

1時間ほど、その場にいて先生の作品や他の生徒の作品の所見を言って、
プライベートではないけど先生ともずっと話をすることができた。

相変わらずの先生は健在で安心した。



話は変わって今日。
岡村○子のコンサートに行ってきた。

昔からメッセージソングとしての曲をよく聞いていたけど
彼女のコンサート、いわゆる生を見たのは今回が初めて。

会場はもう超満員。
でも少し残念だったのが、彼女のキャラからメッセージが伝わってこなかった
こと。それは無機質な空気のように思えた。

アルバムの曲からは伝わるのに、生だと伝わらないのはどうしてなんやろう?

懐かしい曲も何曲かあったけど、臨場感や一体感には乏しかった。

彼女が悪いかどうかではなく、何が原因なんだろう。

これは僕自信が変わってしまったんだろうか?
何となく淋しく感じたコンサート。

来月には大貫○子と来年1月にはフ○子ヘミングのコンサートに行く予定に
しているけど、どんなふうに感じるんだろう?

考え過ぎかな?


少し秋らしさを取り戻した、今日の冷たい雨。

フェスから歩いて家に帰った。
激しくなく、風もなかったので歩くのには丁度いい、雨。

さぁ、今週も慌ただしい日々が続くから、
気合いを入れて頑張ろう。


2003年11月09日(日) Birthday Party にて

昨日のこと。

とてつもなく忙しい、と分かっていながらも
先日電話もらってた彼女のバースディパーティへ足を運んだ。

彼女とは3〜4年前、ラスベガスで行われたコンベンションで知り合った。
final galaのパーティである人に紹介され、自己紹介の時…

彼女:はじめまして。○○です。
 僕:はじめまして ○○(会社名)の○○です。
彼女:大阪のどこにいてんの?
 僕:えっ?(外人さん関西弁やん)
彼女:私はもともとイギリスから来てんけどな〜。
 僕:(大阪では)何やってはるんすか?
彼女:○○やってんねん。

この会話だけやとわかりにくいけど、めちゃくちゃテンションが高い
自己紹介だったりした。

カテゴリーは違うけど、大きな意味では同業者の彼女。
少し前までは彼女に仕事を依頼してたけど、忙しすぎるスケジュール
から疎遠になっていた。

で先月末、京都で仕事している時に電話があった。
「こんな商品持っていない?」って。
これも1年ぶりの電話。ほんとに久しぶりに、あのハイテンションに
再会した。

最近の彼女はあまりに有名になり過ぎて、気軽さがなくなった。
テレビにもよく出ていた彼女なので、知っている人は知っているはず。
桂 ○雀を目指し、今年に入って桂 ○枝の弟子になったそう。

僕の仕事のカテゴリーとは違うところで、素晴らしい人生を歩んでいる。

彼女の33歳のバースディパーティは南堀江の大きくはないお店で
60〜70人くらい集まってたんじゃないかな。

彼女の人柄なんやろうな。

僕は仕事帰りに一人でふらっと立ち寄った程度なので、
知っている人も彼女以外にはいなく、
同じように一人でこられていた、ヘアメイクのオーナーと同席することに。
彼は11年間の彼女との付き合いで、ずっと彼女の髪を触っているらしい。

もちろん周りは外人さんがほとんどで、目の前の彼の堪能な英語が炸裂。

僕は僕で途中からはニュージランドから来て、関西を拠点に子供からお医
者さんまでの英会話を教えているという、女性と世間話。

久々の英語は会話にリズムがなくなってしまう、と自己嫌悪ぎみ。

1時間ほどでギネスを2杯飲んで、非日常的な時間を楽しんだ。
最後は彼女とのHugで店を後にした。


仕事の中に体や生活を埋めている近年、正直なところその場での居場所の
なさに、妙な虚無感を覚えて帰宅。

食事がとれなかったせいもあって、
すこぶる勢いで酔いがまわりベッドに倒れ込んだようだ。


明日は京都で、小中学生対象のセミナー。
仕事を通して語る「夢」をどこまで理解してもらえるか…。




2003年11月07日(金) 成長って?

暖かな11月。
御堂筋の銀杏はまだ青く、晩秋の気配を感じない暖かさ。

久しぶりに、心斎橋へと買い物に出かけた。
ミキサーとスピーカースタンド。

急ぎの音響関連、楽器関連の買い物は心斎橋筋の某楽器屋さんへと買いに走る。
値段が高いのは承知だけど、急を要することがあり、背に腹は変えられない。

いつもそこにいて、毎回偶然に相手をしてくれる店員のTさんという女の子。
最初は、まだ入社間もない様子で、質問にも答えることがままならなかった
けどあれから2年、一番最近買い物してから1年経って、立派になっていた。
なんと部下がいるらしく、教える立場になっていた。

僕の質問にも的確に答え、見違えるくらい。

そういえば大人になった気がした。

彼女は僕を見て、いきなり「おひさしぶりですぅ」と。
時間を空けているから余計に彼女の成長ぶりがわかる。

成長。せいちょう。セイチョウ。

僕の年になると成長という言葉が不似合いになってくる。
見た目で成長という表現は似つかわしくない。
やはり内面的なものになってくるよね。

自分ではどんなふうに成長しているかわからない。

10年前と比べればたぶん違うと思うけど。
この数年は謎。謎。なぞ。

最近年をとることに何となく不安を抱いている。
老いてゆく自分を見たくないというのかな。

恐いのではなくて、やりたいことが多すぎるから、
今のこの状態で、早くやらないと…という焦り。

10年前にカリフォルニアのモントレーに行った。
ゆっくりと空気の流れる漁師町。

カリフォルニアは幾度となく行っているけど、
穏やかなモントレーがなぜか忘れられない。

余生を過ごすには…
サンフランシスコ→違う
ロス→違う
サクラメント→違う
サンディエゴ→違う
サンタモニカ→違う
ちなみにオクスナード→違う
ラスベガス→違う
サンタクララ→違う
サンタバーバラ→違う
ちょっと遠くのシカゴ→違う
もっと遠くのニューヨーク→違う
いっそのことハワイ→違う
国境越えてメキシコ→違う
アジアに戻って韓国→違う
ボルネオ島→違う
台湾→違う

滞在したところ全部(短期も含む)考えても
やはりモントレーに落ち着く。

60歳にはモントレーに住みたい!
グレイハウンドのバスディーポの近くの海沿いの公園の側。

あと20年。
どーなってんだろう。

これって成長してないのかな。

気候が変わる。
世の中が変わる。
人が変わる。
そして自分が変わる。

何か訳わからん。

きっとKozさんには葛藤があるんやろね。




なんの脈絡もオチない、裏を返せば平和な日記でした。




2003年11月05日(水) ノスタルジー

昨日の夜更け、NHK を見てると懐かしい曲が流れていた。
1970年代の曲。

あなた

神田川

魅せられて

時の過ぎ行くままに

心の旅

君の瞳は10000ボルト

ガンダーラ

ひと夏の経験

旅の宿

昔の名前で出ています

などなど…。


全ての曲がリアルタイムで、青春?を過ごす
自分の背景に大きく影響した曲。

ワンコーラスは空で歌えてしまう自分にも驚いてしまった。

僕がまだ中学〜高校の時代。

特にガンダーラのゴダイゴは、今でも僕の中では現役で、
当時の音源を再生しては、トミー・シュナイダーのドラムに
合わせて、ドラムを叩く。

1か月に1回は、ライヴアルバムの「マジック カプセル」を
ネタにドラムをガンガン叩く。

モンキーマジック、銀河鉄道999、ガンダーラのほか、Our decadeの
アルバムの曲。

中でも「TRY TO WAKE UP TO A MORNING」
という曲が今なお好きで、この曲の時はスティックをおいて
歌うことに専念する。

僕の会社の事務所は、引っ越ししてから地下になった。
窓がなく、時間の経過を知るのは、時計に依存するしかない。

しかし、その分BOSEの802から、まるでライブハウス並の大音量
を出しても、地上の排気口から微かに音がもれるだけで、車が走ると
その音も掻き消されてしまうから、近所迷惑にはならない。と思う。

時にはドラムの音。
時にはムスタングの音(もちろんフェンダーUSA 1978)。
時にはピアノやキーボードの音。

そして、外に聞こえたら逮捕されそうな歌。

もちろん日中は皆が仕事をしているので、夜な夜なスタジオと化する。

とにかく、自分の時間を喪失している日常で、ストレスを解消する
悲しいけど唯一の方法。

ドラムもギターもキーボードも、仕事で使うequipmentにすぎないけど、
(注:音楽関連の仕事とはほど遠〜い、仕事です)
その楽器たちのおかげで、発想やイメージ作りと、仕事に活かされている。

これまでの人生の中で、身に付けた何かを埋没せなくてよかったと、
こう懐かしい曲を聴くと改めて感じる。

封印していた思い出が偶然聞く曲に溢れ出し、
当時の記憶を鮮明に彷佛させる音楽って、ホンマに素晴らしい。

懐古は後ろ向きではなく、前向きなるためのバイブル。

当時を懐かしむ素直な気持ちは、当時の出来事に、出会った人たちに、
その時には判らなかった「感謝」を思い出させてくれる。

自分を見失わないために過去が存在すると思えば、
今という時間の価値は、もっと高くなるはず。

あ〜何だか病んでるんかな…。
話がカタイよな。

さっ、さっさと今日の仕事を終えて、夜中出勤でもしましょか。


2003年11月03日(月) 日常の対比

11月3日。

雨。

この連休は、仕事でずっと京都と大阪を行ったり来たりで、
移動だけで少々疲れ気味。

今日は早々に現場を引き上げ、
電車で戻ってきた。

車窓から見る風景はまだ緑が豊かで、
緑に包まれたコスモス畑の暖色が、雨で霞んで優しい色をしていた。
独りでホッとした時間。
車両にはあまり人もいなく、ホッとするには丁度いい空間だった。

山崎辺りを北に見て、登り坂の続く道。
踏切で、一人傘をさして通過待ちする女の子。
穏やかな忘れかけていた時間を取り戻した気分になった…。

のも束の間。

雨で人が集中する梅田の地下に、現実を取り戻した。

地下鉄に乗り考えてみた。

慌ただしい現実が、ホッとする時間を作ってくれているんだ。
穏やかな時間に慣れ過ぎると、きっと慌ただしさが恋しくなるに違いない。

生活の中で、いろいろなことが対比され、価値観へと変貌するんだ。

好きな人に会っていると、会うことに慣れて違うことを見てしまう。
会えないと、会いたくて仕方がなくなる。

先生と歩いた道や、交わした言葉、会えないなんて思っても見なかった
時から考えると、記憶に残る鮮やかな場面が輝きを増してしまう。

時間によって、先生との思い出の欠片は、一秒ごとに記憶から消されて
しまうんだ。


で、仕事もそうだよな。
忙しさが継続すると、逃避を考える。
仕事がなくなればホッとする時間より、仕事が欲しくて仕方がなくなる。

これを勝手と言うのか、自然で当たり前のことと認識すべきか、
結構微妙なところだ。

こんなことを考えるのも、日常の反動なのかな。

今、こんな時間にこうやってキーボードを叩くのは、
山積する仕事に手をつける前の現実逃避かも。


今度雨の日に、山崎辺りで降りて散策でもしてみよう。


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