Kozの日記
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2003年07月27日(日) 蝉時雨

梅雨が明けた。

引っ越しも順調に進んでいる。

夏の雲が見えてきた。


体に感じる風は、夏らしくなく妙に心地いい。


近くの公園の蝉が朝7時頃から一斉に鳴き始める。
これから一ヶ月。
短すぎる命でも、その限り精一杯夏を素敵に演出してくれている。


去年の10月。

先生のお母さんからクワガタをもらった。
インドクルビデンス。
7.2cmの勇ましいクワガタ。

先生と相談してつけた名前が「ナン」。

理由は単純でインドにちなんでつけた。

クワガタを越冬させるのが難しいのは
田舎生まれの僕の中の知識としてあったけど、
気温の変化に敏感というのは、残念ながら知らなかった。

先生とこうなってしまってから、
過去と今を結ぶ唯一の証だったのに、

7月1日。

息絶えてしまった。



去年の10月までは先生の家で飼われていて、
きっと先生のピアノを聞いていたんだろうね。

「主よ、人の望みの喜びよ」や「ラ・カンパネラ」
の音楽CDを聞くと、じっとしていた体を動かし、
あたかも曲を聞いているかのように、遠くを見つめるような
目で音の方を向く。


そんなわけないと思っていても、そう見えてしまう。


「ナン」が硬直して動かなくなった時。
溢れる涙をとめる事は容易ではなかった。


「先生と僕を繋ぐ一本の糸が切れてしまった。」

この意味をいろいろと考えた。

過去にすがるな、自分の生き方を見つけ信じて歩きなさい。

先生の家で感じた、幸せな時間を無駄にせず、自分の手で
幸せをつかみなさい。

先生の気持ちが吹っ切れた。

住む世界が違うことを認識しなさい。

とかいろいろ。


この約一ヶ月間。

「ナン」の話題には触れることはできなかった。
いろんな意味で悲しくて、淋しくて。


無知は罪。

それは温度管理について知らなかった僕が「ナン」の生命を
奪った事、大切なはずの想い出の時間を自らの手で彼方へ追
いやってしまったこと。

双方への罪となる。

「ごめんね」を連発しても、もう遅い。


何気ない蝉時雨は、命の儚さを教えてくれているよう。


7月4日(雨)

雨の中「ナン」を近くの公園に埋めた。
土を掘る時、傘をさす手が、雨に打たれるからだが震えた。

今頃、夏を知らせる蝉時雨が「ナン」の頭上に降り注いで
いるはず。


人生において瞬きのような出来事でも、
大切な何かを教えてくれる大事な出来事であることを改めて
認識した。



その夜ショパンの別れの曲を何度も聞いて、
「ナン」がいた生活を振り返った。

その日の雨に負けないくらい、涙を流した。
大人になってから、勝手に溢れる涙をこれほど流したのは
はじめてのこと。


きっと蝉時雨を聞く度に、大事な何かを思い出すきっかけを
「ナン」は作ってくれたに違いない。





2003年07月17日(木) ひっぱるよな〜

7月14日は先生と行くはずだった、ユーミンのシャングリラ2。

結局先生とは行けずに、先生はお母さんと…。

大阪ドームで先生がお母さんと待ち合わせている時に、
久々にメールをもらった。

「今から行ってきます」って。



何気なく聴くユーミンは好きだけど、僕はファンではない。

でも演出の勉強をしたかったから「スペクタクル」と名のついた
シャングリラをどうしても見たかった。

で、今日一人で大阪城ホールで14:00〜見てきた。


やっぱりすごい。


お客さんはユーミンと同世代?の女性が圧倒的で、
昼間しか時間のとれないお母さん方にはちょうどよかったかも。
しかも平日やのに満席で。


ロケーションは違うけど先生と同じもの見ていると思ったら
何だか春先を思い出したり感傷的になった。

でも一人で見てたし、理性を失うことはなかった。


先生はどう思ったんだろう?


6月末でお店を閉店することにした。

事務所も今月中に移転。


6月の20日過ぎ、先生と閉店間近のショップで再会した。
閉店前に買い物に来てくれていたらしい。

ほんの少しだけ話をした。

なんだか夢の中にいるようで、現実を受け入れられなかった。


先生を忘れた日など一度もない。


でも3月以来、僕は沈黙に徹している。




今朝、今年始めて蝉の声を聞いた。

初蝉の話題が先生との間にのぼったのは

1年程前。


先には何が起こるか分からない。


こんな日が来るなんて、去年の今頃は想像もしていなかった。





来年はどうなっているんだろう。





大阪城ホールの帰り、

先生と先生のお母さんと3人で見に行ったキャッツの四季の劇場。
休憩の時、外でタバコを吸う僕のそばにピタってくっついていた
先生の姿は今はもうない。


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