Kozの日記
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2003年03月25日(火) 安心。

先生から今日メールが来た!

2週間ぶりか…。

先生らしいメールで安心した。

復活はなさそうだけど、ホント安心した。


もう夢には出てこないかも…。




明日は京都で講議だ。

本職の先生相手に、準備は万端。

ワクワクする単純な気持ち。


雨だけ止んでくれたらいいのに。


2003年03月22日(土) 春夢

いろいろと理由があって、昨年購入したばかりの

マンションを手放すことになった。

まだ一年も経っていないし、引っ越した荷物の整

理もできていなかった。

実に快適なマンションだったが、仕方が無い…。


そして次なる住処を探して、今日やっと荷物を入

れた。まだ3分の1くらいだけど。


荷物が少ないから、狭い部屋でもまだシンプル

で快適そうだ。


簡単な家具はノックダウンなので、せっせと組み

立てた。


まるでオフィスのような部屋になった。


夏には会社も引っ越す予定で、

新天地で新たな気分で…と言いたいところだが、

毎日見る夢は先生の夢。


あれ以来、先生の夢を見ない日を数えた方が早い

くらい、夢を見る。


目覚めて現実に戻り、ため息をつく。


最近こんな朝をほぼ毎日迎えている。


この引っ越しも、先生と一緒にするはずだったけど

なんだかよくわからない。



また新たに、仕事でELTの曲をキーボードで弾くこと

になった。音が分からない時は電話の向うでいつも教

えてくれた。

もう自分ひとりでやって行くしかない。



いろんな思いが交錯するこの時期。


これから寒さに向かわないだけが、

そんな季節だけが、今は救いとなっている。


2003年03月20日(木) 久々の京都

夕方から久々に京都に行った。

来週行われる教育フォーラムで講師をするために

下見に某施設へと足を運んだ。


名神を走る風は冷たいものの、

陽射しは暖かく眠りを誘う。



今月頭に購入した作業車兼リムジンは1993年初登録
のボルボ940GL SRくん。

10年落ちの車で、中古車の購入は初めてだったので
ためらいがありながらも、その安さに驚き急を要し
た車の調達にはちょうどよかった。価格は59万。

なんでこんなに安いン?と中古車のおにいちゃんに
聞いたら「事故車です」とにっこり。

開き直りかよ〜っていうくらい。

あっさりそう言われて納得してしまった。

フル装備で本革レザーシート、錆も少しはあるものの
乗り心地はよく、今のところ全く異常なし。


しいて言うなら、シートの下に食べこぼしのおかきが
少々…。これは掃除でなんとかなった。


今はすっかり惚れ込んでしまった。



で、五条あたりの施設について下見と打ち合わせをし、
1時間程で終了。


その後久しぶりに近くのラーメン日本一に入った。
たしかこのラーメン屋さんは、京都ラーメンの代表格
だったと思う。

その昔もう14年程前、京都ラーメンにハマっていた時
期があった。

天下一品・第一旭・ラーメン藤・銀閣・日本一。


ただ昔の味はもう忘れていて、今日の味どうかは不明。
しかしおいしかった。


帰り道、車窓から見た、ライトアップされた東寺はまだ
寒々しく、なかなか訪れない春を待っているよう。

もうすぐ4月というのに、ヴィヴァルディのメロディのよ
うにまだ軽やかな気分にはなれないね。


2003年03月18日(火) あれから1週間…

あれからもう1週間が過ぎた。

電話の保留音でノクターンが聞こえたり、
先生の口癖と同じフレーズを誰か言ってたり、
日常的なところでまだ名残りを感じるけど、

決めた。

思いを忘れ去るのではなく、
こうなった現実をもっと楽しめばいいんだ。

楽観的になればいいんだ。

燻っているから、切ないし、悲しいし、
そこから逃れられないんだ。



気持ちを着替えよう。


楽になろう。


今日はそんな感じ。


何となく少し落ち着いてきた。


焦らなくてもいいやん。



軽やかになれば、想い出もきっと輝くはず。




2003年03月16日(日) 名残り

やっぱりまだ、メールや電話があるんじゃないかと

携帯を見てしまう。

テレビを見ても、街を歩いていても、

先生に似た人を見ると、そわそわする。



今日は打合せで、5月に披露宴をするカップルとたくさん

話をした。


彼の方は何だか僕に似ているような気がしたし、

彼女の方は先生に似ているような気がした。


性格的なことで、そっくりなところがたくさんあった。

まあ彼等の方が随分若いけど…。



その彼の偉いのは、週末には必ず何かのイベントを

考えているということ。


キャンプだったり、スキーだったり、普通にデートだったり。


僕にはできなかった。

先生の週末は休日でも、僕の週末は仕事だったから。


後悔しても仕方ないし、

もう戻れないし、

前を向くしかないのはわかっているけど…。

どのくらいかかるんだろう。

自分を取り戻すために。



今日のふたりの御両親は50才という。

僕の10才上。

彼等との方が年が離れている。

27才って…。


そんな話を聞くと、何やってんだかって思ってしまう。

自分が望む幸せな時間はくるのかどうか…。



春の宵 君想ふ切ない心は 冬のまま


2003年03月12日(水) 幸せだった日々を想うふ。

生徒として始めて食事に行ったのがちょうど1年前。

いろいろありながらも、少しずつ付き合うようになっていたふたり。

家に泊まりに行ったり、家族団らんの時間を過ごしたり。

まるで旦那さんの様に扱ってくれる先生のお母さん。

料理を作ったり、ケーキを焼いたり、遅くまでお話をしたり。

本当に楽しく幸せな時間だった。

先生の感情の起伏の原因は僕にあるとわかっていたから、

僕が辛くても、先生の方がもっと辛いんだと思って強がっていた。


何度か連絡拒絶のメールをもらった。

家族ぐるみの付き合いの中で、僕の将来を話していなかったから

ある種の不安を感じていたのかもしれない。


そう思って2月8日。結婚を前提に付き合って欲しい…。と言った。

先生は涙を流しながら、うんうんと何度もうなずいた。

先生の家に泊まった夜更けのこと。


言葉だけでなく形にするために、2月14日指輪を贈った。

すごくすごく喜んでいた。

そんな顔を見ているだけでも僕は幸せで、

この幸せがずっとずっと続きますように…と

心の中で祈った。



その数日後、連絡拒絶のメールが再び。

またいつものことと、この時は思えなかった。

2、3日経ってから「話をしたいから…」とメールがきた。

3月2日のこと。


やはりただ事ではなさそうだった。

とりあえず気持ちを抑えて、日常を装った。

りんくうのアウトレットまでドライブに行った。

先生の手に指輪は健在だったので少し安心していた。


でも、日常の先生でない仕種が多く、やはりただごとではない
事を確信して、夕方先生の家の近くまで車を走らせた。


家の近くで車を止めた。

車の中で少し沈黙。

先生は息を何度も何度も飲み込んで、

涙をおさえてやっと言葉になった。

「僕とバイバイしたい…」


真っ白くなった頭を現実にもどし、理由を聞いた。




お母さんに結婚の事を話した。

お母さんは知り合いの人に先生と僕の相性を見てもらった。

僕と結婚すると、先生が不幸になると言われた。

その日からお母さんが「僕のことはあきらめなさい」と

会話の度に言われることになった。



だから先生は僕の気持ちよりお母さんの言うことを選んだ。




先生のお父さんは去年1月に他界された。

お父さんの最後の言葉は

「あの子(先生)の結婚だけは間違わないように…」

ということ。

お母さんはお父さんの言葉を忠実に守ろうとして二人の相性を

診てもらったのだろう。



でも僕はすぐには引かなかった。


先生だけは絶対に手放したくなかった。


先生との話の翌日、もう一度会いたいとメールをした。

会ってくれた。僕の気持ちをもう一度言った。

「僕の人生をかけてでも先生とお母さんを幸せにするから」
「命をかけさせて欲しい」と。


先生ももう一度考え直してくれた。


そして週末3月9日。

先生の家でいつものように食事と団らんの時間を過ごした。

そしてその後、お母さんに「本気で人生をかけます」と意志を
伝えた。

お母さんは「あの子の気持ちひとつやからね」。


先生の顔が輝いていた。幸せそうな表情になっていた。


お母さんの気持ち僕の気持ち先生の気持ちがその瞬間ひとつにな
ったように思えた。

これで頑張れるとも思った。


しかし昨日3月12日。


たまたま用事があって先生に夜電話した。

先生が言った「疲れた…」


どうしたの?


お母さん今度はまた違うところを紹介してもらって、

また相性を見にいったらしく、僕の事をあきらめなさいって

何度も電話が入る。とのこと。


お母さんと僕の狭間にいて疲れたんやろうね。

僕が先生の家に言った時はいつも、
家族団らんと言えども、お母さんは先生を愛しているのが本当に
よくわかるし、先生もお母さんをすごく大切にしているのがよくわかる。


そしていつも思ってた。

この二人の絆に僕の入る余地はないって。

だから将来はふたりともめんどうを見させてもらおうって。



先生が僕を選んだとすると、両手を挙げて祝福はしてもらえない。

お母さんの気持ちの中に不安が同居することになるから。



先生は僕の事嫌いじゃないし、本当に好きでいてくれている。

それが手にとるようにわかる。


嫌いになって別れるのなら諦めがつくけど、

好きで別れないといけないって、こんなにつらいものって

初めて知った。


お父さんの最期の言葉。

お母さんの愛情。

先生の思いやり。


僕の入る隙間はやはりどう考えてもない。


昨日の最後の電話では、僕から諦めることを先生に伝えた。


お母さんの気持ちが楽になれば、きっと先生も将来的には

素直に幸せを感じることができるだろうから。


でもきっともう二度と会えない。

会えば叶うはずのない気持ちが蘇るから。


振られたのならまだ会える。


お互い好きな気持ちはこんな時に始末に悪い。



ノクターンはまだまだ未完成やし、進んでいない。

でも先生に出会えたことで、笑わない僕が笑うようになった。

今までなかった幸せを感じることができた。


そばにいるだけで幸せと思えた。

この子を本当に守りたいと思った。


命をかけるれるものがあるって、こんなに素晴らしいことと知った。

僅か1年。

39年間のどんな思い出よりも素晴らしく、充実していて、
幸せで、満ち足りた気持ちになれた。


この現実が連絡拒否の一貫で終わって欲しいと願わずにいられない。



この先もお母さんが、先生に対するマイナス要因を排除することで
二度と結ばれない先生と僕になるんだろうな。


でもお母さんは間違っていないし、子を思う親心やし。


この1年間で得たものを将来に活かせばいいか…と思っても

これ以上の幸せを手に入れることがこの年でこれからできるかどうか…。




今まで、とらうまを引きずって、排他的な考え方の僕に
こんな出会いがあったこと、一生忘れません。


最後に弾いてくれたベートーベン「悲愴」第1楽章と第2楽章、
エリーゼのために。

今僕がまだ楽譜読めないクセに、頑張って仕事のために弾いている
Can't take my eyes off youを連弾したこと。

シフォンケーキを僕のために焼いてくれて、僕の名前をシフォンケーキ
の店の名前につけようとしてくれてたこと。


電話での幕切れが故に、まだ進行形の記憶としていつまでも
心に残っています。

枯れることのない素敵な思い出としてこれからも、ずっとずっと。



本当に今までありがとう。


きっと辛いのは僕だけじゃない。


これからは別々の道だけど、つらい分だけお互い幸せになろうね。




ありがとう。



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