| 2012年04月26日(木) |
山本一力著「いかだ満月」読了 |
話は木場の川並(いかだ乗り)の「満月腕試し」の日から始まる。後々も出てくる健次の活躍がまず描かれる。次の場面はいきなり鼠小僧次郎吉の処刑話になる。次郎吉の妻のおきちと息子の大次郎は処刑を見に行く。祥吉は次郎吉の仲間で二人で仮の姿として熊野杉 新宮屋を営んでいて、きちのと次郎吉の面倒を見ていた。一体話がどこに行くのかわからないままに、テーマもわからないわけだが、とにかく祥吉と大次郎、健次は、大きな商いが入り、船に乗って熊野に行くことになる。熊野杉の買い付けに行くのだが この道中にもいろいろな出来事が起こる。全編これ、人情物である。 水戸藩の武士3名も家命により熊野杉の買い付けに同じ船に乗り合わせる。大次郎は、旅の途中ですっかり信頼を寄せた健次に自分が次郎吉の子供であることを打ち明ける。実は旅の始まる前から次郎吉との関係を疑っていた健次は事あるごとに探っていたのだが、そのころまでにはすっかり大次郎を可愛がるようになっていた。3人の武士もいい。多分テーマは祥吉の商いぶりにあるのかもしれない。話は戻るが、江戸でも大店の一つである船主のところでの取引も利益が相反する場面で、知恵を使ってみんなが得する方向に商談をまとめている。また、熊野での水戸藩との買い付け比べでも、両方にとってよい結論を導き出している。 それも道中での祥吉の行いで水戸藩の信頼を勝ち得ていたからこその結果だった。とにかく、下手な文章をだらだら続けてしまったが、汐留で地下鉄を降りるときは、涙を出てきて止まらない状態だった。やはり江戸の人情物はいい!
| 2012年04月24日(火) |
川上弘美著「風花」読了 |
会社の人から借りた一冊。 主婦であるのゆりは、夫が不倫をしているにもかかわらず、夫から離婚してほしいと言われながらも、なぜかはっきり物を言うことなく、だらだらと生活を続けている。こんな優柔不断な友人はいらないと思うのだが、不思議に周りから飲みに誘われたり沖縄への旅行に誘われたりする。
| 2012年04月19日(木) |
村上春樹著「小澤征爾さんと音楽の話をする」読み始め |
以前読みかけたものの、やはり語られている曲を聴きながらにしようと、やめていた。ブラームス ピアノコンチェルト第1番、ベートーヴェンピアノコンチェルト第3番 会社の休みを取ったので朝6時から2曲、対談を読みながら聴いてみる。残念ながらナクソス・ミュージックのデータベースにはブラームスの方の盤はなかった。ベートーヴェンの方はまさにカラヤンとグールドのものがあった。1957年の演奏だ。
| 2012年04月18日(水) |
「古道具 中野商店」読了 |
月曜から読み始め、最終章を残していたので、早速京王線で読む。その後クリニックの待合室ででノートに感想を書き綴る。なんと8ページ、書いている途中で名前を呼ばれて診察室へ。実は私は血圧を測るのが大の苦手で、多分これは病的と言っても良いかもしれない。先生も呆れ果ててついに自宅で血圧を測らなくても良いと匙を投げた。結果は基準内だった。物を書いていると多少精神が安定するのではないかと思う。ずっとひたすら本を読んでいたのだが、意外に本を読むということと、心配するというのは同時にできるらしい。それより、物を書くという作業は集中するらしく、不安も減じるようだ。ということで、ひたすら30分ほど、診療開始時刻にも気づかず 手帳にあれこれ他愛のない感想を書きつづけたのだ。以下、感想を書くというより、書くことに没頭すべく、思いついたことを脈絡なく文字にしただけであるが、記念に書き写しておく「この作家の癖なのか、と、言ってもまだ4冊目であるが、生活感があるようで、ないような人々。「私」も含める。最後の章で「私」の母がよっやく登場していて(単に電話の中でだが)「私」は簿記2級に受かったことを母親に報告している。学校の授業料を親に出してもらったらしい。「中野商店」を一時休業にすると中野さんが宣言した時から3年が経っていて「私」は以前よりややマシな部屋に住んでいる。派遣として食品会社でエクセルで資料を作ったりしている。中野さんが「なかの」を新規開店するにあたり、かつてのなじみの登場人物が集まってくる。 中野さんの姉であるマサヨさんの存在もおもしろかった。50代で独身、丸山という恋人がいた。 マサヨから久しぶりに「私」で電話があったのはこの丸山の通夜の行われる日だった。一緒に通夜に参列してほしいという。通夜は丸山の元妻がしきっていた。オープニングの日、中野さんはあいかわらずだった。元不倫相手の同業者サキコさんもやってくる。タケオも来る。そういえば、この小説の現実感がない理由の一つは、登場人物が中野さん以外名前がカタカタで表現されているところだろう。後々「私」やタケオの苗字は出てくるが、あいかわらずタケオはどういう漢字を書くのかわからない。タケオとは3年前に一時つきあいながらも、うやむやに別れていたが、「私」が食品会社と契約が切れて、次に行ったIT産業らしき会社で偶然再会する、タケオはウェブデザイナーになっていた。つきあっていたころからタケオは「私」の着衣のマヤ風デッサンを描いていたが、この伏線だったか。知らない人間同士が古道具屋によって結び付けられ、淡々とは言えない関係を作りながら、休業によってバラバラになり、また開店を機に再開し新たな人間関係を築く。オープニングの夜、店を閉めてから中野さん、マサヨさん、タケオ、「私」で椅子をかき集めてワインを飲む。なぜか洒落た店になった「なかの」ではワインらしい。つまみはない。女流作家なのだから、「私」とタケオが居酒屋で飲むシーンももう少し華やぎがあってもよいのではないかと思ったりするが、こんなところがこの作家の持ち味なのかもしれない。ポージイという昔ながらのケーキ屋が出てきて、マサヨの家を訪ねるときはここのケーキを土産にするのだが、このケーキもブルーベリーパイ、アップルパイ、チーズケーキと古臭い。これはもちろん狙いで、後々店主が代替わりしたらやたらにケーキの名前が長くなって覚えられないとマサヨがぼやいている。 私より作者は年齢が下であるのに、地味なことだ。大人なのだろうか。作者は大人で、登場人物はどこか子供っぽい。確かどこかにみんな大人ではないという記述があったようにも思う。 大人になりきれていない人たちの集まりだから惹かれるのだろうか。
みんなでワインを飲みながら、中野さんは居眠りを始め、マサヨさんも机にうつぶせになっている。タケオが 昔のことを振り返って「ごめん」という。人を信じられないと言っていた彼が、ちょっと大人になったのか 私をちょっと抱き寄せる。 マサヨが薄目を開けて見ている。 なんか楽しかった。マサヨさんは50代なのに。私もこんな風に自分をさらけ出して生きる方法もあるのだろうに、とふと思った。残念ながら私にはさらけだすものがないのだが。 最後が「私」とタケオの関係に希望を含ませているところが、読後感を暖かなものにしている。
| 2012年04月15日(日) |
村上春樹著「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」 |
ようやく暖かくなってきたので、母と美容院に行く。母がパーマをかけている間、カットだけの私は待合室で、書棚に有った本を物色した。この本は、何度か手に取ったことはあるが、写真集のような趣のため、少々物足りなく感じて読むには至らなかった記憶がある。アイル島とアイルランド島、2つの島のウィスキーをテーマにしての旅行記だ。アイルランドのホテルのたっぷりした朝食の皿の前でご満悦らしい著者の大写しの写真まで載っている。シングルモルトというのは大麦だけを蒸留したウィスキーらしい。他の物も混ざったものはグレイン。穀物という意味か?
美容院は図書館からすぐ近くのため、予約していた本を取りに行く。先日読んだ本の前作である。ヨハン・テリオン「黄昏に眠る秋」楽しみだ。
実は、下記の読書録を既にアップしたのだが、どうあっても今日は村上春樹を書きたかったので、とりあえず。
谷崎潤一郎著「美食倶楽部」読み始め 大正時代の短編集。「病辱の幻想」を読む。神経を病んで、さらに歯痛のために臥している肥満の男が痛みのあまり見る数々の幻想。まずは音楽、続いて絵画の世界にさまようがやがて地震への恐怖に怯える。地震や津波について20頁も書いている。地震への恐怖は最近の物だと思っていたが、昔から人間は怯えて生きてきたのだ。それはともかく、秋の庭の描写はさすがに谷崎潤一郎で、美しいのだが、紅蜀葵を真っ赤な心臓のようだという表現はすごい。
| 2012年04月14日(土) |
パヴェーゼ著「流刑」味見する |
図書館で借りた岩波文庫。ひたすら題名に惹かれてのこと。若いころ、私は地球は私の流刑地なのだと思おうとした。そう思えば、全てが何という事はないような気がするのではないかと思った。本当の流刑地とはどのようなものか、ふと読んでみる気になったのだ。解説によると著者は反ファシズム活動の理由で逮捕されて南イタリアの僻村に7か月ほど流刑されたときの体験を綴った自伝的小説らしい。背後は山、眼前はイオニア海 私のイメージだと島だったのだが。「海辺に立つと、そこが彼の獄舎の4番目の壁のように思えた。」警察署長の言葉が面白い。「よろしいですよ。たとえあなたが泳ぎを知っていても」寛大である。私が描いていた流刑地とはかなり趣が違うようで、居酒屋で食事をとったりしている。パヴェーゼは私より50年前に生まれて、私が生まれる前に自殺している。
| 2012年04月13日(金) |
吉本隆明著「文学と非文学の倫理」読みかけ |
吉本隆明が先日逝去したが、以前何かを読み始めて挫折した記憶があるばかり。たまたま図書館の「本日返却された本」の棚で見かけたので、記念に?読んでみようと借りたまま、そのままにしていたが、返却期限が先週末で、しかも予約がはいっているらしい。なにがなんでも、ちょっとでも味見をしようと今日、会社に持ってでかけた。開いてみれば、江藤淳との対談集である。しかし、日本語であれば、とりあえずどんな本でも少しは理解できそうなものだが、1ページ目から歯が立たない。「文学と思想」対談は1965年だ。時代的背景もさっぱりわからないのだから無理はないとあきらめる。次の「文学と思想の原点」は江藤が当時上梓したばかりらしい「漱石伝」の話から始まる。私もこれは読んだかもしれない。漱石の嫂の登世の話になったため、私もようやく興味をそそられた。一時期、漱石の秘密の恋愛相手について何冊か読んだ記憶がある。大塚という友人の妻であったとか、嫂であったとか、いろいろ説がある。「あるだけの菊投げ入れよ棺の中」という句を作ったのは大塚の妻の死に際してだったか。神田の井上眼科でであった女性が誰であったかも謎である。そういった秘められた想いがどう作品に投影されていたのか。このあたり、非常に興味深い。で、対談は病の登世を漱石が抱いて2階に上がった話や、その登世がなくなって一周忌も待たずに兄は後妻をもらうが、漱石はその入籍の10日前に分家する。兵役逃れというっ説もあるようだが、江藤はそれを登世を思う心情の激しさを重要視すべきだと気語る。そして登世の以心伝心でそれなりの愛情の表現をしていたに違いないという。その確信があってこそ「夢十夜」「それから」が生まれたのだ。こういう話は私も非常に好むものである。 英国から戻ってきた漱石の唯一の精神的退路が嫂だった、救済だったおいうことが江藤にとってひどく意味のあることであったようだ。「文学と非文学の倫理」1988年の対談。非常に興味深いことに、その当時、デビューして数年たつ村上龍と村上春樹について語っている。1979年に村上春樹が「風に歌を聴け」で、村上龍は1976年に「限りなく透明に近いブルー」でデビューしたと注釈がついている。そうそう、私が卒業する1年前に、所属していた文芸部で村上龍が芥川賞をとった直後に読書会をしたのだった。こんな小説が芥川賞をとるとは!と驚いたものだが、私と一緒にしては申し訳ないが、江藤も当時かなり厳しい批評をして「サブ・カルチャー」だと言ったそうだ。(サブカルチュアについても注釈がついていて、サンデー毎日に「村上龍 ・芥川賞受賞のナンセンス−サブカルチュアの繁栄には文学的感銘はない」という談話を発表した。「サブカルチュアというのは、地域・年齢・あるいはここの移民集団、特定の社会的グループなどの性格を顕著にあらわしている部分的な文化現象で、ある社会のトータルカルチュア(全体文化)に対してそう呼ばれている。つまりあの作品は年齢的には若者、地域的には在日米軍基地周辺、人種的には黄黒白混合の、一つのサブカルチュアの反映だと私は考えている。ところで文学作品は、ある文化の単なる反映ではなくて、少なくともその表現になっていなければならない。サブカルチュアを素材にした小説があってもいっこうに構わないが、そこに描かれている部分的なカルチュアは作者の意識の中で全体の文化とのかかわりあいの上に位置づけられていなければならない。そうでなければ、その作品は表現にならない。つまりサブカルチュアをそざいにした文学作品が表現になるためには、作者の意識は一点で、そのサブカルチュアを超えていなければならない。その中に埋没していたのでは、ただの反映にしかならないのだ」ついつい全部書き写してしまったが、最近の芥川賞の作品を是非江藤淳に読んでもらいたかったと思った。あと面白かった一節が今引用しようとしたら見つからない。確か歴史家は歴史が作られるというが、実は、時代がどんどん消滅しているに過ぎないのではないかと言っていて、ひどく同感した。
| 2012年04月12日(木) |
ヨハン・テオリン著「冬の灯台が語るとき」読了 |
今、話題になっている「二流小説家」でも買おうかとジュンク堂で探した際にその隣にあった本。書名に惹かれてとりあえず図書館に予約を入れておいたら1か月ほどで連絡が来た。まだ次に予約が入っているようだ。著者は1963年スウェーデン生まれのジャーナリスト。デビュー作は「黄昏に眠る秋」これも早速図書館に予約を入れた。 本書は「ガラスの鍵」賞を受賞していて、いま世界で最も期待される北欧ミステリ作家と書いてある。流行の北欧である。どうも北の小説は合わないかもしれないとふと思う。何しろ暗い。人々の心も強張っているような気がする。と、なんて偏屈な決め方だろうかと反省する。「エーランド島に移住し、双子の灯台を望む屋敷に住み始めたヨアキムとその家族。しかし間もなく、一家に不幸が訪れる。悲嘆に沈む彼に屋敷に起きる異変が追い打ちをかける。無人の部屋で聞こえるささやき。子供が呼びかける影。何者かの気配がする納屋。そして死者が現世に戻ってくると言われるクリスマス。猛吹雪で孤立した屋敷に招かざる客たちが訪れる。」女性の警官が出てくる。警察学校の教官と不倫の関係を続けている。 彼女もあまりおもしろい存在ではない。
| 2012年04月07日(土) |
カトリーヌ・アルレー著「二千万ドルと鰯一匹」読み始め |
「わらの女」の著書。ふと図書館の書棚で見つけたので借りてきた。ヒロインのヘルタは、40歳になろうとしている後家らしい。看護婦の免許を持っている。墓地からの帰り道から話は始まる。家に帰ると間もなく訪ねてきた一人の女性。同じ葬儀からの帰りだという。お茶を飲みながら話は意外な方向へ。女性はヘルタの職業を知っていた。老人の介護に依頼されながら、一方旅立ちの日を人為的に早めることにより報酬を約束されるのだ。こうしてヘルタは既に9人の老人をあの世に送り込み、既に莫大な財産をスイスの銀行に預けていた。40歳になったらこの仕事をやめて残りの半生は贅沢に生きる予定だった。そんな矢先に依頼された10件目の仕事は、最近財産家の夫を自動車事故で失った若い未亡人からの依頼だった。未亡人には義理の27歳になる息子がいた。亡くなった夫の遺書により、その財産のほとんどを占める不動産は未亡人と息子の共同財産とされ、しかもその分与は10年後となっていた。一刻も早く全財産を手に入れたいとあせる未亡人はヘルタに義理の息子を自分が知らない内に殺害するように依頼する。 一方初めて息子に会ったヘルタは、早くも寝返りすることを考えるようになる。ところで、この妙な題名は、ヘルタを訪ねてきた未亡人との会話で早くも言及されている。未亡人がヘルタに尋ねる。「ご主人はあなたに何も残さなかったの?」「いいえ、残してくれましたわ、奥様、とても素晴らしい贈り物をね。をれを、あなた方は経験と呼んでいらっしゃるわ。でも私はそれを二千万と鰯一匹といっています」「わからないわ」「二千万円は夢の中で男たちが残してくれた遺産。鰯一匹は実際に男たちがくれたもの」なにはともあれまだ三分の一を読んだところだが期待できそうだ。それにしても、一昨年「わらの女」を久しぶりに再読した際、絶対にヒロインが助かると思い込んでいたのに、処刑されたには驚いた。忘れていた私もたいしたものだが、非常にクールな著者であるから、ヘルタも10番目の仕事で失敗するのかもしれない。 図書館から、予約図書の順番が来たというメールが届いたので早速行ってみたら「冬の灯台が語るとき」だった。年初に吉祥寺のジュンク書店で見て、買おうかと迷ったが、やめて図書館に予約していたのだった。嬉しい。
| 2012年04月06日(金) |
高橋由太著「ちょんまげ、ばさら」読了 |
ぽんぽこ江戸夢語り 第二巻だ。今回もやたらに時代劇の有名人が目白押しだ。ぽんぽこは、江戸を守る四神の一人だったらしいが、面倒になって朱雀である「おつるちゃん」なる折り紙のツルにその役を押し付けていたらしい。今回新たに加わった白額虎も同じらしい。二人で居酒屋で出す江戸一番の卵焼きに惹かれて小次郎をあっさりと裏切る場面が楽しかった。剣客、剣豪、大将、武将が入り乱れる中、この二人が目当てで読み続けている。
| 2012年04月02日(月) |
高橋由太著「ちょんまげ、ちょうだい」読了 |
後輩から借りたシリーズモノ「ぽんぽこ もののけ江戸語り」の第一巻。呑気な題名であるが、実は長く家康に影武者として仕えた相馬二郎三郎元信が戦場で相手の首をかき切り、首を持ち帰る代わりに髷を持ち帰ったことからついた異名らしい。彼は天下をとった家康にはもう影武者は不要であろうと、夏の陣から千姫を取り戻すことを最後の仕事とし、表舞台からかっこよく?消え去った。それから何年かが過ぎ、孫の小次郎はその日の食事にさえ事欠く貧乏暮らしをしていた。そうそう、忘れていたが、ちょんまげちょうだいは、ずっと一緒だったタヌキと一緒に姿を消していたが、15歳くらいの美少女に化けたたぬきはあいかわらず、小次郎と一緒にいた。卵焼きが何よりも好きで、自由自在に化けられる上、妖術も使うらしい。このぽんぽこがなんといっても可愛い。いつもお腹を空かせているが、卵焼きが大きく見えるように 自分が小さく化けるなど、とにかく可愛いのだ。それはともかく、天下の有名人がぞろぞろ出てくる楽しい小説である。
| 2012年04月01日(日) |
杉山美奈子著「好かれるメール嫌われるメール」読了 |
先日図書館で借りた文庫。30分ほど時間があったのでさらさらと読む。いつも打っているメールで良し!と自信がついた。と、書くと偉そうだが二十歳代を対象としている本のようだ。
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