| 2009年10月22日(木) |
Maeve Binchy"ECHOES" 読み始め |
図書館にあったメイヴ・ビンチーの邦訳は全て読んでしまったため、仕方なく原書を読み始める。やはりむずかしい。50ページをやっと読む。学生時代、授業で原書は50ページ読めば、一冊全部読み通せると教授が言っていた。作家は、最初のころは、表現も力をいれるため、必然的に複雑な文章となり、読むのが難しいらしい。 加えて、状況や初めて出会う登場人物になじむまでに時間がかかるようだ。努力した割にまだ面白いかどうかわからない。そういえば、先日アマゾンで購入した文庫本があった筈。どうしよう。乗り換えるべきか。
| 2009年10月21日(水) |
ダーモット・ボルジャー編「レディたちのフィンバーズ・ホテル」読了 |
筆頭にメイヴ・ビンチーの名前。7名のアイルランドの女流作家がフィンバーズ・ホテルを舞台にした小説を書いている。もちろん主役は女性である。題名は101号室から106号室、そしてペントハウス。どの作家がどの短編を書いているかは伏せられている。このところ、ずっとメイヴ・ビンチーを読んでいたので、当てられるだろうっと思ったが、やはりあとがきを書いているアイルランド研究者と同じ意見だったのでほっとする。後ろにあった本の紹介を読んでいたら、「フィンバーズ・ホテル」という男性のアイルランド作家の短編から成る同じ編者による本も出ているらしい。とにかくこの「レディたちの...」の裏表紙では、いろいろな年齢の7名の女性が水着姿で上機嫌でスパに浸かっている写真が載っている。真ん中の女性は既に見慣れたメイヴ・ビンチーである。ということは、この短編の7人の女流作家なのだろう。日本では考えられない趣向である。なにか楽しい。で、肝心の小説であるが、7名のヒロインたちはそれぞれに、とりあえずHAPPYであるが、過去にいろいろな心の傷を負っている。このホテルでの滞在が一種の起爆剤となって、また新たな生活に挑んでいくというような筋書きが多い。学生時代に生み里子に出したわが子と二十年ぶりにホテルで再会することになった女性の話、夫の浮気現場を取り押さえるべくホテルにやってきた女性。実は夫は女装癖があった。長い間の秘密が暴露され、それが結果的に夫婦に愛をもたらす。かつての大女優だった老女が、再び昔の恋人にめぐり合う話。実際は、動物園から逃げてきたトラまで登場し、ホテルのペントハウスは密林と化す。 一つ共通点があるとすれば、ヒロインたちはみんな勇気を出して一歩踏み出している。なかなか元気になれる小説たちであった。
| 2009年10月16日(金) |
モーヴ・ビンキー著「イヴニング・クラス」下巻読了 |
とにかく上・下巻合わせて一体何人登場するのだろうか。一人、または一組の人間について章毎に詳しく語られるのだが、最後の2章は、イヴニング・クラスのパーティーとイタリア旅行、つまり大団円であり、すべての人間が登場するため、誰だったかを思い出すのが一苦労だった。
| 2009年10月12日(月) |
モーヴ・ビンキー著「ライラックバス」夜中に読了 |
3連休最後の夜に、図書館から借りた単行本を一冊読みきってしまった。ダブリンから田舎に帰るバスには週末同じ顔ぶれが乗り込んだ。
| 2009年10月09日(金) |
メイヴ・ビンチー著「タラ通りの大きな家」下巻読了 |
幸せな家族に囲まれ、素敵な家には絶えず友人・母・姉が出入りし、キッチンはいつも人であふれている。リアの理想的な世界が、いきなり夫のダニーからの告白により崩壊する。娘に近い年齢の女性にまもなく子供が生まれるという。失意のリアの許に一本の電話がかかってくる。マリリンというコネティカット州に住む女性で一夏、ダブリンで過ごしたいので家を交換してくれる人間を探しているという。10年前に不動産屋に勤めているダニーと知り合い、そこからの伝だった。リアは自分の一存だけでその話を承諾する。家だけではなく、周りの友人たちすらも交換することになり、とまどう二人。リアは、マリリンが友人たちとあまり接触していなかったことに気づき、あまり人を寄せ付けないマリリンは、リアというか、ダブリン特有の幸せも悲しみも共有するという心情に慣れることができず、違和感を感じる。それでも、周りは彼女をほうっておかない。絶えず、食事に誘ったり、自ら家に訪ねてくる。ほんの少しずつリリアンは、決して口にすることができなかった事故死した息子のことを回りに話し出す。こうして、事故以来、ぎくしゃくして別居していた夫との仲もうまくいくようになり、一方リアも少しずつ自立した考え方を身に着けていく。結局ダニーとは分かれることになるが、料理の腕を生かして、自立する自信を持つようになる。リアの母、姉、そして有能なビジネスウーマンである
リアとマリリンは当初の予定では、空ですれ違うはずだったが、リアの友人、ガーティの酒飲みの夫が事故死したため、その葬儀に参列すべく、リアは旅程を早めて帰国し、二人はついに会うことになる、あたかも旧友であるかのように。「二人は、タラ通り16番地の美しい居間に座り、月の光が窓から差し込んでくる中、それぞれの人生には何らかの神話が必要であるということを考えていた。」二人はお互いの人生で決して知ってはならない秘密を知りながら、口を閉ざしているのである。この一節が特に心に残った。私にも私なりの神話が確かにあるのだ。それは嬉しいことであった。 ビンチーの作品はまだまだあるようである。今、早速図書館のサイトで、翻訳ものと原書を予約した。楽しみだ。 扶桑ロマンスから出ているため、その手の安易な小説家と思えば、アイルランドでは非常に愛されている小説家のようである。
| 2009年10月03日(土) |
松本清張著「球形の荒野」読みたい本としてリストアップ |
毎月愛読している月間「茶の間」の中おの京都文学散歩というコラムにて紹介されていた。あらすじを読む限り、読んではいないようだが、以前ドラマ化されて録画をした記憶がある。そのまま見なかったのではないか。奈良が舞台らしく、「唐招提寺を訪れた芦村節子は、芳名帳にある「田中孝一」という名の筆跡に心を奪われる」とある。戦争でなくなった父親が好んで使っていた筆跡と同様だという。筆跡から物語が展開するあたり、興味深い。ぜひいずれ読んでみたいと思う。
| 2009年10月02日(金) |
「幸せを運ぶ料理店」下巻読了 |
メイヴ・ビンチーの現代ものである「イヴニング・タラス」、「タラ通りの大きな家」に続いて刊行されたらしい。どれも現代アイルランドの首都ダブリンに住む人々の話。ダブリンといえば、ジェームズ・ジョイスのダブリン市民で知るくらいではあるが(スカーレット続編もここが舞台であった。そうそう、パーネルという政治家を扱った新書を授業で紹介され読んだ記憶もある)、今回アイルランドらしさとして、ケータリングを営むヒロイン キャシーに姉が結婚式の料理としてコンビーフとキャベツの炒め物をオーダーされ、却下するエピソードがあった。アイルランドというとこの料理らしい。「ダブリン市民」に「轢死」という短編があったが、孤独な男性が、レストランで注文したいつものメニューもまさにこれだった。この「轢死」に、私が時々思い出す「すべての絆は悲しみへの絆である」という言葉が出てくる。脱線してしまったが、このケイタリング業を営むキャシーとトムを中心に物語りは展開する。どちらかというと全くの他人は出てこず、家族のつながりがかなりの部分を占めている。また、ケイタリングという言葉も出てこない。すべて出張料理という言葉に訳されているようだ。人間の幸せは、家族同志のつながりが重要であるとともに家族の職業についての理解も大切であると言っているようだ。なぜなら冒頭部分では完全に幸せに見えた2つのカップルがお互いの仕事に対する理解の行き違いにより最後には壊れてしまっているのだ。もちろん、最後は仕事のパートナーとしてずっとうまくやってきたキャサリンとトムが人生のパートナーにもなるというハッピーエンドで収まるところに収まったという感じだが、やはり仕事を通して理解しあってきた絆の強さを感じさせるエンディングだ。キャシーは労働階級の出身、夫であるニールは上流社会のミッチェル家の一人息子。その母のハンナ・ミッチェルとの確執もこの物語で多く語られている。最後はお互いに近づきつつあったにもかかわらず、ニールとの仲が終わったため、この嫁・姑も結局は別れることになるのである。ただ、ミッチェル家の双子サイモンとモードがキャシーの両親 マティとリジーの里子となっており、実の両親−放浪好きの父と精神の病である母の元で 教育もされずに育ってきた二人がどんどん性格が改善され、他の人々と暖かな関係を築いていく過程は感動的であり、両家の一時的な絆がもたらした副産物としての幸福とも言えるだろう。マティが双子に犬を買い与えた時、二人の性格が大きく変わるのをキャシーは目撃したという一節が印象的だった。他に著者は「クエンティンズ」という長編を書いたらしい。 この物語にも出てきた高級料理店の名前で、登場人物も共通しているらしいので是非読んでみたい。ビンチーの作品は、「冬の寒い日に暖炉のそばで温かいココアを飲むようなもの」と言われているらしい。これから冬にかけて読むには相応しいかもしれない。
|