日々の泡

2009年06月29日(月) 「ぶたぶたと秘密のアップルパイ」「訪問者ぶたぶた」読了

昨夜から今朝にかけて2冊読む。短編集だし、読みやすい。しかし癒し系かと思えば、思わず読むのがつらくなる話もある。考えてみたら、両方とも精神的な病の話であることが多い。どこかつらい過去を持つ人々、何かに挫折した人、夢を失った人、人に言えない秘密を持つ人々が、山崎ぶたぶたに会って人生の方向を変えていくのだから、幸せな人ばかりが登場する筈がない。まずは「秘密のアップルパイ」の方から。「キリ番とアップルパイ」「お守りの代わりに」「賢者フェルナンド」「雪の夜」「消えてゆく秘密」 山崎ぶたぶたが働いている喫茶第三号店は、第一号店でキリ番を当てると、招待される。こんな魅力的なシチュエイション。羨ましい。 イラストレーターの森泉は、そこでどうやら兄の婚約者に恋しているらしい高校生と出会う。そこで食べた特別のアップルパイは素晴らしい味だった。ところが、この高校生が招いた兄の婚約者は、幼いころから人には見えないものを見てしまう病があった。(能力的なものかと思ったら、心の病だったらしい)ついにその病と向き合う勇気がでた婚約者は、婚約を破棄して療養に努めようとする。「訪問者ぶたぶた」は、「神様が来た」「伝説のホスト」、「気まずい時間」「ふたりの夜」「冬の庭園」 優しいだけではない、ハッピーエンドだけではない、心に残る短編集だ。



2009年06月28日(日) 矢崎存美著「ぶたぶたの食卓」読み始め

図書館にて借りた一冊。連作ファンタジーとある。確か、昨日MIXIで誰かが面白いと書いていたような気がして、書棚から3冊ほどこのシリーズを借りる。非常に読みやすい。一話目の「十三年目の再会」を読み終えたところ。小池由香は、就職したばかりらしい。住居は、昔 祖父母がよくデートした公園がある町に決めた。その町である日由香は中華店に入る。そこで食べたチャーハンは昔祖母が作ってくれた味そのものだった。客から作り方を習ったということだったが、紹介されたその客は、なんとブタのぬいぐるみだった、というかしゃべって動くぬいぐるみだった。忘れていた祖母の愛に気づく由香。次は男性の話。10年勤めた会社を、なんとなく辞めてしまった琢己は、だらだらした生活に終止符を打つべく、男のための料理教室に通うことにする。そこでは、ぶたぶたというぬいぐるみの教師が。「嘘の効用」表題がそのままラストにつながる。ふと、ぶたぶたに話した一言の嘘が、ついには親元に帰って農業をすることになった。ぶたぶたと一緒に農業をするのだ。明るい結末となった。「ここにいてくれる人」メンタルクリニックに通うことになってしまった既婚の女性。夫にはそのことは内緒にしている。一度は良くなったのものの、半年後にさらに悪くなっている自分にショックを受ける。ところで、もちろんこの短編にもぶたぶたは現れる。今回はメンタルクリニック近くのカフェだ。ここで塩キャラメルのガレットを食べるのだが、やはり心理状態と食欲は直結しているらしい。



2009年06月27日(土) 「クッキング・ママの遺言書」図書館で読了

2回延長した挙句に、催促のメールが来ていた一冊。朝、外出する際に、最終的に寄るつもりである図書館に行き着くまでには、読み終える筈だったが、結局図書館の一回にあるロータスカフェで読み、さらに読書デスクで集中的に読み、ようやく読了。今回も最初の一行から事件に突入するゴルディ。近所に住むパラ・リーガルのダスティの死体に躓くところから小説は始まる。場所はダスティが勤める弁護士事務所だ。 時刻は夜の10時。毎朝弁護士事務所に朝食をケイタリングすることになったゴルディは、明日の準備を兼ねてパンの焼き方をダスティに教える予定だった。この事務所の数名の弁護士、受付嬢、そしてその妻たちがいろいろ怪しげな行動をとり、事件を解決しようとするゴルディを複雑にしていく。キングと呼ばれるダスティの叔父、その妻で医師のK.D.は、既に離婚秒読みの状態である。弁護士事務所を心から愛している女性。彼女は夫と離婚し、金銭的に困っていた。司教の父と同居しているノラとその夫。その夫の誕生日パーティーのケイタリングヲすることになっているゴルディにとってノラも脅威となっている。相変わらずゴルディ・ファミリーは健在である。かなり神経質なところのある一人息子アーチ。夫のトム、そしてある事件を通していまや欠くことのできなくなった菜食主義者であり、天才的な料理人ジュリアン。そして、前回から仲間入りした少年。殺された前夫の子供でアーチより一歳年下である少年はその祖父母と一緒に暮らしているが、この一家とゴルディ一家は、足りないものをお互いに埋め合わせることにより、一つの大きな家族となっているという。家族が増えることのない私には、このあたりが非常にうらやましかった。最後には隣人であるダスティの母、祖父、幼い弟の一家とも大きな家族になるという。
また、今回、この小説を魅力的にしている要素のひとつ(というか、この小説には欠くことにできない要素ではあるのだが)チャーリーベーカーという料理人の存在である。既に彼は事故で死んでいるのだが、彼は料理人であると同時に画家であった。それも料理を描く画家である。その絵は高額で買い取られていた。彼が描く料理の絵には、必ずレシピーが描かれていたが、その通りにケーキを焼いたゴルディーは失敗してしまう。レシピーにはなにか欠けた所があるようだった。実は、最後のほうで判るのだが、チャーリーは、絵が盗作されることを非常に恐れ、売り手に渡す寸前までレシピーから一つ材料を抜かしていた。その材料は、忘れないように絵の余白に書かれているのだが、これがとても可愛い。一例は「プライム・クーヘン」の余白には、スプーンに入った砂糖が楽しげに踊っている絵。「シチュー」には、小さなバターのスティックがこれまた楽しげに踊っているらしい。 相変わらず、料理も魅力的である。ジュリアンが冷蔵庫で見つけたりんごで作る「オールアメリカンアップルパイ」、ゴルディがトムの夕食用に作る「ソーセージ・キャセロール」いずれも家族のために作る家庭料理で、ケイタリングで作るご馳走よりも、心惹かれる。
結局犯人はノーラであった。理由はもちろん嫉妬である。彼女は夫がダスティと浮気していることを知っていた。 
そういえば、今回はあまりマーラの出番はなかった。もちろん相変わらずゴルディ・ファミリーとは親密な仲であるが。



2009年06月20日(土) 「クッキング・ママの鎮魂歌」読了

プレップスクールでの風潮にすっかり毒され物的幸福のみ追求するアーチに、ついにゴルディは、アーチを転校させる。友人に恵まれ、すっかり回りに感化され、寄付に目覚めるアーチ。しかし、今度はトムがせっかく捕まえた犯人が裁判で無罪釈放されたため、すっかり意気消沈していつものトムではない。そんな時に、前夫、ジョン・リチャード・コーマンが減刑されて出所、ゴルディの気持ちは休まる時がない。ところがいつもの通りアーチを父親の元で過ごさせるために連れて行ったところ、なんと彼はガレージの中で殺されていた。しかもその直前にゴルディのピストルが盗まれていた。射殺体であったことから、ゴルディが銃を無くしたことで父親が殺されたと思い込んだアーチはゴルディに対して心を閉ざしてしまう。 ところで、リチャード・コーマンにはさらなる罪状があることが判明していく。患者であった若い女性と深い仲になりなんと子供をもうけていたのだ。 



2009年06月13日(土) ダイアン・デヴットソン「クッキング・ママの超推理」読了

 ゴルディ・シュルツ ケータリングを営む女性。とっつきが良いので、なんとなく読み続けている。図書館から借りた10冊のうち、このシリーズだけ読了した。他は手付かずだ。ヘンリージェイムズやモームだったから、どちらかというとそちらを読んだほうが充実感はあったと思うのだが。とにかくいつも内憂外患と言った感のあるゴルディだが、憂鬱なことがあっても料理をしていれば、元気になれるというタフなところがうらやましい。
今回の舞台は、ポルターガイストパレスと呼ばれるイギリスからアスペン・メドウに解体して持ってきた古城である。城の主、ハイド夫妻。城を管理するフェンシングの達人である女性マイケラ・キフロフスキー。ゴルディを目の敵にする城の改修を担当しているインテリアデザイナーシャルデ・ローダデール、ゴルディの元夫でようやく仮釈放された医師 ジョン・リチャード・コーマン。その新しい恋人、ヴィヴ・マルティーニ そして今回事件にはまったく関係なかったものの、トム・シュルツの初恋の相手であり、婚約していながらもベトナム戦争で戦死したサラ・ベス・オマりー なんでもジャックリーンケネディに似たベーシックな美人だ。トムへの疑惑がこの小説に彩を与えている(妙な言い方だが)
またしても、ゴルディが殺人現場の第一発見者となる。トムも早々に撃たれてしまい、今回はほとんど家にいる。 今回は貴重な切手をめぐっての事件だったが、さらに料理の腕は冴え渡り、また、ゴルディをとりまく人々も楽しい。息子のアーチ、ゴルディの助手ジュリアン・テーラー そういえば今回はあまり出番のなかった友人のマーラコーマン 夜、あるサイトに、「クッキングママの...という題名はいただけない。何を読んでいるか、人に言えない」と書いてあり、いたく賛成した。この掲示板に題名を書き込むたびに気恥ずかしさを感じているのは確かである。



2009年06月08日(月) 1Q84」読了

残念ながら、あまり釈然としない結末だった。と、思ったが、ネットで読んだところ、上下巻ではなく、BOOK1,2であることから、これはまだ続くと言う意見が多い。それならうなづけるが、はじめから二巻本として売り出されているのに、それはないような気がする。最後にはリトルピープルは、遺伝子だとかかれるかと思ったら それに関する答はでていなかった。一巻の真ん中くらいで老婦人が人間は結局のところ、遺伝子のキャリア(乗りもの)に過ぎないとかいている。あきらかにドーキンスの「生物機械論」である。あと、ふと思い出したのだが、青豆(と、私)が生まれた1954年というのは中井英夫の「虚無への供物」において、日本に凶悪な事件が発生するようになった年と書かれていた。なんらかの関係があるだろうか。しかもこの小説が書かれたのは1964年らしい。



2009年06月05日(金) 1Q84 下巻へ

真夜中の1時に目が覚める。上巻があとわずかに残っていることを思い出し、通勤に2冊も重い単行本を持っていくわけにもいかず、とにかく読みきろうと起き上がる。諸々のエピソードがようやく一つにつながりつつある。ついにそれなりに平穏だった日常が崩れようとしている。というか、その亀裂はかなり前に予見されていたものではあったが。2つの月、夜中に「空気さなぎ」を紡ぐリトルピープル。それにしても、不思議なことにこの小説にはいくつか私と接点がある。まずは「青豆」という30歳の女性。1984年に30歳なのだから、なんと私と同い年だ。私の運命の分岐点だった30歳(と、書いても実は何事もなく、ただなんとなく選んだわけでもないのに自分の行く末が決まってしまったと思えてきた頃である)その頃のことを思い出すのではないかと期待もしている。あとは、やはりこの頃読んだのではないかと思うドーキンスの「生物機械論」が仄見えること。(今調べたら1986年に読んでいた)、なぜかもう一人の中心人物である小説家志望の男の年上のガールフレンドが日本女子大の英文科らしいこと それはともかく、この小説は明らかにオーム真理教の一連の事件がテーマになっている。幼児虐待、エホバの証人との関連もある。もちろんテーマと言っても表面上のテーマであり、まだ一体村上春樹がこの小説を通して書きたかったことは、よく見えない。ただ、面白いことは確かである。


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