| 2007年11月27日(火) |
福岡伸一著「生命と無生物のあいだ」 |
「秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない」第9章動的平衡とは何か、より。この一行を読んで、会社のこと、生きるということ、死ぬということについて、目から鱗が落ちたような気がした。(目から鱗を昨日も敬語の使い方で使ったような気がする。)会社からどんどん優秀な人材が退職していくのを惜しいように感じていたが、多分こんな理由もあるだろう。そしてこの生ある世界から離れていくことにも。なかなか興味深かったが、日の目をみなかった研究者にもかなりの紙面をさいて言及していて、読み物としては面白かったが、もっと知りたければ他の本を...というような入門書であろう。
| 2007年11月26日(月) |
「頭がいい人の敬語の使い方」本郷陽二監修読了 |
昨日吉祥寺の啓文堂で買った一冊。最近「頭のいい人の」とつく書名が多いのはなぜか。ひどく魅力的なとっかかりであることは確かだが。通勤電車でほとんど一日で読了。「とんでもございません」が間違いであることは20年前に読んだやはりこの手の本で一番目から鱗だったので知っていたものの、使い勝手がよいので、ついつい多用していたが帯にまで書いてあるので、今後は使うのは極力控えようと思う。他にもなぜおかしいのかとは理論的に説明できなかった誤用が明確になってよかった。社内の人へ朝はおはようございます、というが昼はこんにちは、と言っていたがお疲れ様が正解らしい。かなり違和感を感じないでもないが。
| 2007年11月25日(日) |
Poe殺人事件に再挑戦 |
先週書店で翻訳本が上下巻新刊書のコーナーに並べられているのを見る。手に取った限りではかなり面白そうだ。とは、今さらであるが、と、言って原書に惨敗したからといってまた購入するのもかなり無駄な話である。面白そうだという確約が得られたことは相当なモチベーションになりえるだろうからもう一度挑戦しようと書棚から出してきた。町で美人姉妹だと評判の一家のさらに一番可愛いといわれている少女と幼馴染である多分狂言回し役の主人公。 ある日偶然ひどく淋しい葬儀を見かける。この葬儀の印象は忘れがたく、周囲からその日こそは幼馴染の女性にプロポーズするだろうと思われていたその夜のパーティにも影を落とし、主人公は上の空でそのパーティーをすごす。 翌朝主人公はその葬儀がエドガーアランポーのものだったことを知り驚愕する。彼はこのところ弁護士としての仕事の顧客として以前から文学的に崇拝していたポーとやりとりをして、昨日もポーからの書状が来ていないかを調べに郵便局に足を運び、その葬儀に遭遇したのであった。と、かなり私にしては珍しく筋書きを書いてしまったが、前回読んだところを今回再読したため、今度こそは忘れないように書き留めておくものである。でも、このところ幸せなことに読みたい本がたくさんあるので、原書という効率の悪いものにかかわっている時間は惜しいような気もする。吉祥寺の啓文堂で「頭のいい人の敬語」「生命とはなにか」を購入。
| 2007年11月23日(金) |
コリン・ホルト・ソーヤー「殺しはノンカロリー」が届く |
朝の4時にふとAmazonのサイトのお勧め本サイトを見ると、この本が入っていた。つい一ヶ月前に必死で原書を探していたのだが、翻訳が発行されたようだ。待てば海路の云々とはまさにこのことか。その場で購入を決定すると、18:00に届いた。本当に便利だが、果たして書店で900円もする薄っぺらなこの文庫を見かけたらすぐに買うだろうかは疑問だ。ともかく月曜からの通勤の楽しみができた。表紙は例の元気いっぱいな老女二人がなにやらダイエットプログラムに挑戦しているらしい。老人ホームを飛び出して探偵ごっこに精を出すらしい。ということは私の好きな老人ホームの豪華な食事メニューが出てこないのだろうか。ちょっと残念!!
| 2007年11月21日(水) |
大島一彦著「ジェイン・オースティン」 |
中公新書。 1997年1月27日発刊と書いてある。新書は探してまで読まないので、多分新刊書としてこの時期に書店で購入したと思われる。今、読書日記を見たところ、1997年はなぜか空白になっているほど読書は不毛であったらしい。翌年の日記の冒頭は次のように書いてある。「1998年3月4日水曜日 昨夜今でペンバリー館(エマテナント著)を読み終わる。オースティンの「自負と偏見」の続きだが、あまりおもしろくはなかった。」オースティンに興味はあった時期らしい。 で、今回改めて取り出してきたのは先日読んだノーサンガアビーについての解説を読みたかったからだ。期待通り、作品についてかなり詳しく載っていた。私が面倒で読み飛ばしたあたり(文学論等など)があの小説の要であったらしい。まあ、筋も面白かったので良しとする。 新書には副題として「世界一平凡な大作家」の肖像とある。山本健吉がそうように評したらしい。
| 2007年11月09日(金) |
荒俣宏著「ホラーとファンタジーの起源を訪れる」読了 |
先週の土曜日、髪を切りに行った帰りに府中美術館に行く。18日までキスリング展をしているので是非その日に行きたかったのだが実現できてよかった。で、美術館のグッズ売り場は展覧会と同じくらい魅力なのだが、キスリングの絵葉書3枚とたまたま目についたこの本を買った。前回ここに来たときはカルチャペックの庭仕事の話を買ったのだった。なかなか美術は関係ない品揃えが面白い。 で、この本についてだが、過去に荒俣宏は何冊か読んでいるが、「帝都物語」も途中で放棄したし、レンヌ・ル・シャトーを舞台にした小説もあまり感心しなかった。趣味というより美意識が違うのだろう。こういうものを読むとやはり私は科学の方が好きなのかもしれないと突拍子もないことを考える。「地下牢の恐怖」青ひげ城の幼児虐殺、怪物ゴーレム伝説」郵便夫の霊廟、魂を吹き込む人形師。バラゴーニアのお化け屋敷、謎の町レンヌ、巨石が示すレイライン、「狂王の脳内遊園地、生きている死少女、うめく蝋人形、天国と地獄に通じる庭園、自分のための死の部屋、パリの地下の巨大迷宮、吸血鬼ドラキュラ、ロンドンの幽霊ツアー」一応怪奇の原点にあるものばかりなので、書き記しておく。そういえば、グロッタ(岩窟)の話がよく出てきたが、ここからグロテスクという言葉はできたらしい。 また、マダムタッソーの出自には驚いた。
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