日々の泡

2007年08月31日(金) 「グレート・ギャッツビー」読了

8月最後の日、駆け込みで夏季休暇をとる。充実した一日にしたいと思いながらも、近所の散策、庭いじりで午前中が終わり、午後は居眠りをしたり、その合間に 「グレート・ギャッツビー」を読む。夕食後も居間で読み続け、19:00に村上春樹の長い後書きも含めしっかり読了。「ギャッツビー」は面白かった。 村上春樹が言うところの美しい文体を味わう余裕もなく、またしても再読にもかかわらず先を追ってしまったが。 そう言えばこの物語はひと夏の話だ。ギャッツビーがプールで殺されるのは、プールの水をそろそろ抜こうかと言う日だったから。ちょうど読んだタイミングも良かった。「判断を保留に保留にする事は、無限に引きのばされた希望を抱くことに他ならない」冒頭にあったこの一文が心にひっかかったが、読み終わった後で頭の中になるほどと蘇ってきた。この小説も、ロング・グッドバイも完全な愛を描きながらも、結局は無残な姿に終わるため、どうも読後感が幸福でない。村上春樹が、既に訳された古典を再訳することについて、後書きで語っているが、文学そのものには賞味期限がないものもあるが、翻訳と言う技術については、技術が刻一刻と進歩しているものであることから、再訳と言うのは必要な行為であると書いている。なるほどと思った。 そうそう、村上春樹は、人生でめぐりあった重要な3冊を挙げよ、と言われたら「ロング・グッドバイ」「カラマーゾフの兄弟」そして「ギャッツビー」だそうで、特に一冊と言われたら迷いなく「ギャッツビー」とのことで、それは回りに人に首を傾げられるのが残念だと書いているが、やはり私も少々???である。それは決して彼が言うように、今までの日本語訳に原因が在るとは思えないが。



2007年08月30日(木) スコット・フィッツジェラルド著「グレート・ギャッツビー」読み始め

村上春樹訳である。発売当初はその内読んで見ようと言うくらいの気持ちだったが、先日読んだ「ロング・グッドバイ」のあとがきに村上春樹がギャッツビーについて長々と触れていたので非常に興味をそそられた。「キャッチャー イン ライ」に続いて3冊目の村上春樹訳だが、それほど良いと思うわけでもないが(日本語の選択はあまり好きではないかもしれない)彼が選択した原作であると思うとやはり読んで見たいと言う気持ちになるのがよい。考えて見たらすべて再読である。一回目に読んだときは、ついつい筋に気をとられて先を急いで読んでしまうが、再読はじっくりと読むことが出来て、忘れている事が多い事もあるが なかなか良い。今日は、ニックとギャッツビーが遭遇するところまで。



2007年08月23日(木) 「夜愁」下巻へ、カラマーゾフ新訳は買わず

今、「カラマーゾフの兄弟」が売れているらしい。新訳が読みやすいと言うのが一因らしいので、早速啓文堂で立ち読みをする。 この際、再読してもよいくらいの勢いだったが、文庫を開いてがっかりする。内容はともかく活字の大きさと明瞭さに、これはドフトエフスキーではないと思った。こころなしか、文章も平易になっているようだ。 悪い事ではない。内容がすいすい頭にはいってくるのならば、それに越した事はないはずだ。と、思いつつも、傍にあった岩波文庫の「兄弟」の字面を確認してやはりほっとする。この活字のぼやけかたと小さな字。これがやはり、ロシア文学の香りだと思わずにはいられない。 それはそうと、カラマーゾフを読んだのは、高校の頃だったと思う。和歌山にある友人の田舎に行く列車の中で読んでいた記憶がある。次男に一番魅力を感じた。 村上春樹の「ねじまき鳥」を読んでいるときに、登場人物が自らの記憶力を確認するために、「兄弟」の名前を全部言える...と書いてあったような。 そうそう、カラマーゾフが若者に今読まれているのは、村上春樹の影響ではないかと思ったりもする。



2007年08月21日(火) サラ・ウォーターズの「夜愁」上巻を読み出す

あちらこちらの書評にこの本にミステリーを期待してはいけないと書いてあった。確かにまだ100ページくらいを読んだだけだが、何組かの登場人物が淡々と生活をしていて、殺人は起こりそうにない。ただ、それぞれの人物の心の中が非常にミステリーである。楽しみだ。



2007年08月20日(月) 島田荘司著「ロシア幽霊軍艦事件」を読了

アナスタシア皇女の謎については、あちらこちらで目にしたが、ようやくこの本によって、その謎の焦点がわかった。史実と想像の境をしっかり作者が開設しているのもなかなか親切な話だ。その書き方が面白い。「読者の今後の教養構築を邪魔しないため、フィクションと史実との境界についても述べておくと...」などと書いている。ひょっとして、ミステリーから教養を構築しようとする安易な読者へのおちょくりかもしれない。ロマノフ王朝最後の四姉妹の末娘、アナスタシアと、アナ・アンダーソン・マナハンという帰化アメリカ人の話は史実であり、この二人が一人の女性である事を著者は信じているそうだ。 箱根の芦ノ湖に出現した謎の軍艦は実はドイツからアナスタシアを乗せて飛んできた飛行船だとくだりもなかなか面白い。 箱根富士屋ホテルの応接間の暖炉の上に掲げられた一枚の写真から謎解きが始まるあたり、久々にわくわくとした。 で、朝と帰りで読んでしまったので、帰りに啓文堂で昨日ネットでその発刊を知ったサラ・ウォーターズの「夜愁」上下を買う。計1,760円なり。高い!! サラ・ミネットの新刊も面白そうだ。



2007年08月19日(日) 島田荘司著「ロシア幽霊軍艦事件」を借りる。

遊びに来た妹が面白かったからと貸してくれた。私が一時期島田荘司にはまっていたことを知っている。帯に「箱根・芦ノ湖にロシア軍艦が現われた!?」なんて書いてある。ちょうど読む本がなくなったのでタイミング的にもありがたい。



2007年08月17日(金) 「ロング・グッドバイ」読了

ほとんど筋は覚えていなかったにもかかわらず、読後感のやるせなさには記憶があった。村上春樹の長い解説があった。チャンドラーは、文章のうまさは定説になっているそうで、いつかミステリーではなく文学作品を書きたいと思いながら果たせなかったそうだ。 いずれにしても、この小説の魅力はテリーレノックスという人物像を作り上げたところにあると村上春樹も語っている。 また、チャンドラーとフィッツジェラルドとの比較にかなりの紙面を割いている。ロング・グッドバイはグレートギャッツビーを下敷きにして入るのではないかと言う分析はすごい。テリーレノックス=ギャッツビーという構図だ。 そう言えば、この訳の前にはギャッツビーを訳していたような気がする。こちらも再読して見たい。 「ギムレットを飲むには少し早すぎるね」と彼は言った。正体を現したテリーの台詞は前の「長いお別れ」を読んだときにも印象的だった。まだ空気が汚れていない開店したての店についての記述も好きだった。 前の訳は「ギムレットには早すぎる?」だったのではないか? 最後のテリーレノックスの台詞も悲しい。「もちろんだ。何もかもただの演技だ。 ほかには何もない。ここは−−」、彼はライターで胸をとんとんと叩いた。「もうからっぽだ。かつては何かがあったんだよ、ここに。ずっと昔、ここには何かがちゃんとあったのさ、マーロウ・わかったよ、もう消えるとしよう」



2007年08月14日(火) 「ロング・グッバイ」半分

テリー・レノックスのテリーは実は正式にはテレンスである。この部分を読んだとき、私は十数年前に読んだ時のテリーのイメージの原型を思い出した。そうだ、あの「世にも奇妙な物語」の夜霧に叫ぶ声?ちょっと違う....のテレンス・スタンプだ。ちょっと崩れた、狂気を感じさせる繊細な風貌。



2007年08月11日(土) レイモンド・チャンドラー著「ロング・グッバイ」村上春樹訳購入

20年以上前に、他の訳書にて読んだが、今回新訳、しかも村上春樹ということで TSUTAYAにて購入。 本当は夏休みの最後をDVDかCDで盛り上がって締めくくろうと思ったのだが、フィットするものがなく、多分ないだろうと思いつつ試しに探したところすぐに見つかった。登場人物であるテリーレノックスが魅力的な設定だったこと、「ギムレットには早すぎる?」という台詞くらいだろうか、覚えているのは。 フィリップ・マーロウが登場する。 前は筋を追うのに必死だったので今回は味わいながら読んで見たい。 そう言えば、再訳?は結構読んでいる。 「百年の孤独」「星の王子様」「ライ麦畑でつかまえて」等など。いずれも初訳ではハマルことのできなかったものだ。今回は、さらに味わい深いのではないかと楽しみ。



2007年08月09日(木) HARRY POTTER and the Deathly Hallows読了

初めは、少しずつコピーをして通勤列車の中で読んでいたのだが、弾みがつき、結局は分厚い本を抱えての出勤となる。 一週間の夏休みを利用して読了。とにかく暑い日が続くので家にこもっていた結果だ。題名ともなっている「死の秘宝」と例の魂の入れ物が混在して少し統一性がなかったような気がした。最後のあたりのスネイプの「思い出話」、緊迫した場面でのダンブルドアとの解説のような話は長すぎて流れをぶったぎっている。「愛」での勝利に導くのにスネイプのリリーに対する執着にも似た片思いを語るのはどうだろうか。リドル少年の愛について語ったほうが良かったような気がする。読み終えてHPを漁るが 謎解きに終始していて 感動したかどうかの感想は見つからなかった。もう一度ゆっくり読むと私の感想も代わるかもしれない。 ところでイギリスの小学校の校長先生が壇上で読み出した最後あたりの1ページとはどの部分だったのだろう。 そうそう文句ばかり書いてしまったが何度もハリーが絶望に陥りながらもそれを乗り切る場面はいつも感動する。私にも必要な力だからだろう。


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