日々の泡

2004年09月28日(火) 森村 桂死去

朝のニュースで知る。
サガンに引き続き、ショックである。学生時代に「天国に一番近い島」をはじめとしてずいぶんいろいろなエッセイ集を読んだと思う。

晩年はずいぶん苦しい日々だったようだ。 自殺と言うことが重くのしかかってくる。



2004年09月26日(日) フランソワーズ・サガン死す

今朝の朝刊のトップ面にかなり紙面を割いて記事が載っていた。小説に夢中になっていたのは中学のころだったのだろうか。多分、「悲しみよ、今日は」は中学の頃だ。 

大学の頃、多分1年だったと思うが宗教学の時間にイニシエーション通過儀礼についての講義があり、宿題として 通過儀礼を扱った小説についてレポートを提出するように言われた。 ちょうどその頃読んでいたと言うわけでもなかったと思うが、サガンの「ブラームスはお好き」を選んだように思う。中年の女性と青年の恋愛小説だ。最後のシーンで、ヒロインが階段かなにかで青年に向かって叫ぶ。「私、もう48歳なの」恋多き女性として 生きていた女性がその時自分がもう若くないことについに気づくのだ。

考えてみたら私もその年齢はとっくに過ぎているが、恋愛などと言うものとは縁遠く生きてきたせいか、それに気づいたところでどうという感慨はない。 

学生の頃、サガンはまだ新作を次から次へと書いていた。「冷たい水の中の小さな太陽」が最後に読んだ小説かもしれない。醒めた仲の夫婦が中心となった話で、最後に妻が自殺したような気がする。これは、映画も見に行った。サガンで持っている唯一の単行本なのではないだろうか。ブルーとピンクと白の表紙が素敵だった。

社会に出てからしばらくして薄っぺらな短編集を読んだような記憶もあるがエッセイ集だったかもしれない。 よろしくない噂はよく聞いた。晩年は悲惨だったようだ。
「らしい」と言えばそれで終わってしまうかもしれないが、それが私の今の気持ちだ。



高校の頃読んだ短編で、「優しい関係」と言うのがあった。すっかりはまってしまったが、あの女性は39歳だったのか49歳だったのか。 やはり若者との恋愛を扱っていたが 後年一条ゆかりが漫画化してそれはそれでとても素敵な話になっていたが、女性は29歳になっていた。これは美化というものなのだろう。 この小説は何度も読み返した。 不思議にハッピーエンドだった。
二十歳前後にサガンの影響で、フランス文学を結構読んだ。コレットもそのうちの一人。「女は夫の不在になれることはできるが、嫉妬に慣れることはできない」という名言を小説で読み、時々思い出してはなるほどと思ったりする。

余談だが、先に書いた宗教学の講師は非常にユニークな人だった。肝心の英語の授業はすっかり忘れているのだがこの教師が言ったことは結構よく覚えている。 他にレポートで、アイデンティティーについて、自分の名前や住所、大学などなど、そういったことはすべて書かずに自分とは何かを語れと言うものがあった。 実際にそのときにそう思ったのか、それとも脚色したのか今となっては忘れてしまったが、何度か小説の中に書いたことで、じっと目をつぶって無になった状態で自分とは何者かを問いかけたとき、私はUに恋している自分だけがそのときの自分であると思った という一節がある。そのとおり、まさにそのとおり。

サガンの死で、青春のあれこれを少々思い出したので記録しておく。

重要な訂正!!
なんと今ウェブで検索をしたら、「ブラームスはお好き」の主人公の女性は40歳になろうとする微妙な年代と書いてあった。 私の記憶違いと言うか、20歳だった私との年齢差が、私に49歳という間違いをさせたのだろうか。 いくらパリでも49歳は自分で言わなくても十分おばあさんだ。



2004年09月22日(水) 村上春樹「アフターダーク」読了

朝、通勤列車の中で読了。 往復であっさりと読めた。というか、あまりひっかかるところもなくさらさら読んでしまってあまり残るものがない。少々飽きてしまった題材というところか。たった一晩で人間の心がほぐれるというのもちょっと安易。マリという19歳の学生が、夜のファミレスで分厚い本を読んでいるところからこの小説は始まる。(結局なんの本かわからず仕舞い。小説ではなさそうだ)
で、法学部の学生ながら現在バンドの練習に熱中している青年(その後、実は法に目覚め、明日からは勉学に勤しむ決意であることが明かされる)、中国語ができることから安いホテルに連れて行かれ中国人の売春婦の事情を聞く羽目になったり、そこのマネージャー(女子プロ上がりのたくましい女性)やこおろぎ、こむぎといった従業員とのぽつぽつ語り。いわば底辺で生きる人から ときどきこぼれる人生観 いつもの手法である。

ただ、底辺に生きる人間も、法を犯してしまった人間も、そんなにかけ離れた存在ではなく、ふとした弾みに日常から逸脱してしまったに過ぎないことをいろいろな登場人物が語っていたのが印象的だった。

影のヒロイン、エリにはあまり同調すべきところはなかった。



2004年09月17日(金) 「ダンテクラブ」読了

昨夜真夜中にダンテクラブ読了、めずらしく家で読み進めていた。
これだけ分厚い本を一週間で読んだのだからもちろん面白かったのだが、犯人の正体が見えた瞬間から私の興味は急速に引いてしまっていた。 これだけ知的な題材を扱った謎解きで、なぜ犯人は字もろくに書けない人間なのだろうか。もっと知的で高潔な理由の犯罪ではないのだろう。 たかが戦争というと語弊があるが、戦争によってゆがめられた精神が引き起こした殺人ではあまりにお粗末な謎解きではないだろうか。かなりがっかりした。以上とも見える、と言うか異常な執着品は単なる作者が頭の中で考えた想像の産物に過ぎないのではないだろうか。会社の人からもらった「波」にもそのようなことが対談で語られていた。
まあ、おかげで私はここ数年さ迷っていたダンテの地獄から一応引き上げられたのだから 良かったと思うことにしよう。 それにしてもダンテの神曲は地獄編が一番面白い。



2004年09月12日(日) 村上春樹著「アフターダーク」講談社 購入

借り物の「現代短歌そのこころみ」「ダンテクラブ」を読んでいる最中だというのに、しかも後者はやっと50ページを超えて楽に読めるようになったというのに、今日、母に頼まれて腰痛の本を探しにフォーリスの紀伊国屋書店にきて、他にインテリアの雑誌も買い、レジを済ませたとたんに目に入った新刊書の山には村上春樹の名が....。 一瞬迷ったが、すぐに手に取りレジに引き返す。きれいな表紙だったので、カバーをしてもらう。 そういえばおととしも9月に「海辺のカフカ」が発刊になったのだった。そのときは、8月ころからTSUTAYAのレジのところに 予告が貼ってあって楽しみにしていたのだが、今回はハリーポッターの発売に押されて ひっそりしていたような気がする。

どんな話なのかもまったくわからない。それだけに楽しみだが、とにかくなにはともあれ、ダンテの神曲をわざわざ読んで準備したダンテクラブを読みたいと思う。



2004年09月11日(土) 宗 左近「あなたにあいたくて生まれてきた詩」を読む

またまた会社の人に貸してもらう。
子供が作った詩、大人が作った子供の詩。
なかなかはっとさせられるものがあった。

こういう私だったら絶対に買わない本を貸してもらって
感動したりするのって、やっぱり醍醐味だ。



2004年09月07日(火) ダンテ「神曲」読了

何年ぶりかで ようやく地獄からのさまよいから、天国に昇ることができた。ただし、ちんぶんかんぷん。 はっきり言って苦痛であった。神曲を読むにいたったくだりはダンテクラブにて。
2000年の夏にこの大型豪華本は購入したらしい。

高校時代、歴史の教師が何度も繰り返した、ベアトリーチェによって天国の門が開かれたとき、それがルネッサンスの幕開けであった、と何度も教えられ、さぞかし 華々しく門が開かれるのだろうと思っていたが、ベアトリーチェは、教えたがりの高慢ちきな女性だし、一体あれはなんだったのだろうと思わずにいられない。 私が悪いのではない。ダンテが悪いのである。こんなことで読了と書いてよいのかどうか。

ただ、これでダンテクラブを読める!!!うれしいことだ。


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