きままくらし

2011年12月29日(木) 12/29 こしかた 転記




[つんどく]

一年の積読の果

ホコリ払い また仕舞う

今朝から
吉村昭 『死顔』 新潮文庫 の中の

「死顔」と津村氏の『遺作について』を読む

9年前に亡くなった父のことを思う

何故 この年の瀬に 吉村氏を
読もうと思ったのかといえば、
一番最初に読んだのが
『海も暮れきる』であったから、、

確か 父が亡くなる前年ころだった
と思う

Am☆zonギフト券を消化すべく
「新装版 海も暮れきる 」と
この 「死顔」と
三浦雄一郎 『歩く技術』
ケルティック ハープの CDを
購入した
CDと「〜技術」は先の2冊とは
何の脈絡もない

父は、最期は実家で家族に看取られて
死んだが、 末期の診断を受けるまで
アルコール以外に穀というか食を
意識して摂らなかったから 私には
緩々と自死に向かっているように
思われた

それは 亡くなったのちに 父が自身で
死を選びとっていたように思えただけ
なのかもしれない
単に 身体が弱って もはや食べるという欲求が
なかったのかもしれない

放哉の死に方と父のそれを重ねるべくもないが、
生きていたくなくなるのは わかる気がする
そして 吉村氏の死にかたも・・・


私は実家の家族と共に父の死を
看取ることができたことは、
いまでも 幸せなことだと思っている

かつて父と暮らした日々を
思い出しながら 数十日ほどの看病
をすることができた


父は毎ねん 元旦には遺偈をしたため
ていたかもしれないなどと 唐突に
思ったのも さるブロガーさんにお勧め
頂いた『尾崎 放哉句集 池内紀編』を
開いたからで いかな偏屈なわたしです
ら 歳末や新年という節を思ってのこと
だった

そう言えば、 父は よく因縁時節と
言っていたが、 確かに 時節因縁は
生まれるときがそうであったように、
死ぬときも予想できないが 何かの力や
円成というようなものがあって
起こるのかもしれないと
密かに思ってみる



2011年12月20日(火) こしかた 転記 2011/12/20


図書館で予約しておいた 茨木 のり子の



「倚りかからず」
を 読む




温泉から帰り 午後 ひとりでいつもの
裏の山道を歩いた
わたしの家はその公園の山の続きの
中ほど、、
寒くても風はなくてすぐに背中が
暖かくなった


 

日常のウォーキングひとつでも
ひとりですることと、家人と一緒に行うことは
全く等しくなく、どちらの行為も時間も
たいせつにしたい


ひとりで歩くことの 開放感が
好きだが、はたしてほんとうの
ひとりがどんなものか まだわからない


一人になったときを 日ごろ思うのは 
いつでも死を思っているのと
似ているのかもしれないし
まったく別物であるかもしれない
普段 そんなことばかり話しているので
我家では 縁起でもないと 言われそうなことが
茶飯事な話題



悔いというものが どんなものなのかを
わたしは まだ知らない
それほど 適当な半生だったような、、
やりのこしたこと・・ってあるのだろうか?
歩きながらにそんなことを想ったりした
平和ボケした時代をただのうのうと
生きてきたものだ
自分の子供たちのほうが 生きにくい
ご時勢なのではないか・・・


久々に大好きなヴァシュティ・バニヤンを
聴きながら歩いたら もうすっかり
まったりないい気分で
帰宅後にシュークリームを食べた


昨日、泊まった温泉旅館で米は喰らわずだったので
夕方の血糖値は良好だった

今日の締めくくりはとてもよい心持だ





歩くのは 小山に登りたいのと
イギリスに行きたいのと・・目安がふたつ
どちらも、脚を鍛錬しておきたいからで
一応の目安は65歳くらいまでは
自在に動きたいというのが希望・・
あくまで 希望で・・
お山は一人では無理だがイギリスは
一人でもいい


 倚りかからず  茨木のり子

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない 
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ



某ブログより転記
某ブログは退会する予定












2011年12月19日(月) こしかた記 12/29 転記




[つんどく]

一年の積読の果

ホコリ払い また仕舞う

今朝から
吉村昭 『死顔』 新潮文庫 の中の

「死顔」と津村氏の『遺作について』を読む

9年前に亡くなった父のことを思う

何故 この年の瀬に 吉村氏を
読もうと思ったのかといえば、
一番最初に読んだのが
『海も暮れきる』であったから、、

確か 父が亡くなる前年ころだった
と思う

Am☆zonギフト券を消化すべく
「新装版 海も暮れきる 」と
この 「死顔」と
三浦雄一郎 『歩く技術』
ケルティック ハープの CDを
購入した
CDと「〜技術」は先の2冊とは
何の脈絡もない

父は、最期は実家で家族に看取られて
死んだが、 末期の診断を受けるまで
アルコール以外に穀というか食を
意識して摂らなかったから 私には
緩々と自死に向かっているように
思われた

それは 亡くなったのちに 父が自身で
死を選びとっていたように思えただけ
なのかもしれない
単に 身体が弱って もはや食べるという欲求が
なかったのかもしれない

放哉の死に方と父のそれを重ねるべくもないが、
生きていたくなくなるのは わかる気がする
そして 吉村氏の死にかたも・・・


私は実家の家族と共に父の死を
看取ることができたことは、
いまでも 幸せなことだと思っている

かつて父と暮らした日々を
思い出しながら 数十日ほどの看病
をすることができた


父は毎ねん 元旦には遺偈をしたため
ていたかもしれないなどと 唐突に
思ったのも さるブロガーさんにお勧め
頂いた『尾崎 放哉句集 池内紀編』を
開いたからで いかな偏屈なわたしです
ら 歳末や新年という節を思ってのこと
だった

そう言えば、 父は よく因縁時節と
言っていたが、 確かに 時節因縁は
生まれるときがそうであったように、
死ぬときも予想できないが 何かの力や
円成というようなものがあって
起こるのかもしれないと
密かに思ってみる


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