きままくらし

2004年12月31日(金) 仕事納め

・・・と言うほどのものではないのだが、
今年の荷物を2つ見送り、無事に到着を確認したら
ほっとしてしまって、、今日は雪のこととて
寒い寒いの連発、、でさしたることもせず晦日を迎えた
このところ何事もなく ただただあなたまかせの年の暮れだ

2004年もうまくまわっていくものだと思っていたのが甘かった
だが、方向をすこし変えさえすればまだいけるかもしれない・・と
甘い気分はまだまだ続いてる

災の字はこの年の瀬に一気に来たようだ
だが 昨晩も風呂の中で 「パンドラ・ボックス」のように
人間には希望だけは残されているかもしれないとふと思う

そう思えば 自分のこの一年はやはり『きままくらし』に
ほかならない、、
来年は 同じくしたいことだけをする、、とひそかに決めた
そう思ったら 辛口でない白ワインをあけたくなった、、、

今年もいちねん ありがとう・・
   わたしに、わたしのまわりのひとびとに・・・

いとおしむべきいちねんだった




2004年12月25日(土) ・・・

わたしたちにクリスマスというものがないのは
当然ですが、、今日無性にケーキが食べたいなと思ったわけで
でも、先週も 娘のケーキ食べたいね〜というひとことで スーパーの
ケーキ売り場で5個購入し その夜の食後にはみんなで食べました

4人家族なのに5個なのは おお喰らいの息子のためで
それに数種類のケーキのなかでこれがいい、、、あれがいいと
とりあいになるかも、、しれないので 人数分プラス1個なのです

昔 25日の夜ころには ケーキの安売りをしてたみたいだけど
今はないのでしょうか、、それとも26日だったか定かではないけど
売れ残りのクリスマスケーキという言葉もあったし・・

最近はそんなことないのかな、、スーパーやコンビにでも
ケーキの予約の名前を張り出しているのを今年も見たけど
こんなにたくさんの家庭でケーキを食べてるんだと
ちょっとびっくりです もっとも買い物は 普段のものは
生協の配達だし、、混む時間にスーパーに行ったこともないから
よくわからない、、、夫と例年話すのは 「こういうのをホントの
キリスト教徒のひとが見たら、、どう思うんだろうねぇ、、」と
いうのと「うまく商戦に乗った行事になったものだよね」というの
それにもう 子供のころから当たり前のことになっている人が
相当数いるはずだし、、うちの子は「暮れのイベントでしょうー」と
言ってるけど あたりまえにウチとは関係のない行事だと思っている

そう思ったら ウチはほかの行事というのもあまり、、いやほとんど
しない、、雛人形は気が向かない年は出さない  息子のこいのぼりも
なかった、、新年も特に何もない(おせち料理が好きではない、来客なし)せいぜい 雑煮を一日 二日たべるだけ、、というのをもう何年も
やってるけど 年はあけるのです

あのN○Kのラジオでも昼間 ’メリークリスマス’って番組の冒頭で
語りだしたアナ、、、とても違和感を覚えました
アメリカからのカードだって そんな言葉は書いてない
Season's Greetingと’A Happy New Year!'だった
ほかの宗教のひとに そういう挨拶はしないものだとこころえている
のでしょう、、、「あなたはたぶんこのお祝いはしないでしょうけど・・」って ThanksGivingDayのときもメールにあったし、、
たぶんそれは人としての配慮というものでしょう
何でも 自分のものにできることは悪いことじゃないと思うけれど
やっぱりうちにない言葉は【ヒトナミ】かな〜と改めて感じる年の瀬
でした・・・
子供のころ よく【ひとなみに暮したい】ってきいたけど 改めて
わたしの幼いころの 平等、平等っていう連呼の声が耳にこだまする

最近 静かに耳をすませば もう二極化はかなりのところまで来ている
このこもりのおばさんにだってわかるくらい・・
だから 何がいいとか悪いとかじゃないけど すくなくとも
○さんがそうするからっていうのいいかげんやめたら・・って思う





2004年12月22日(水) かこつ・・・

寂しさをかこつ・・・

どこにいても だれといても
さびしさはこころの傍らにあり
自分のこころのうちだけに
さびしいと言え


ふつかほど前 急に’こんな小春日和の穏やかな日は、、’って
歌詞が浮かんで そんなことだけで わたしは涙ぐんでいる
わたしの娘は高校3年で 今はセンター試験やら
願書の写真やらで・・・毎日 その手伝いをしたり
受験の日程を一緒に検討したりで わたしはすこし忙しい
それでなんで’こんな小春日和’なのかというと
来春 娘はこの家から離れてひとり暮しをはじめるから
まるで 娘が結婚して家族から抜けてしまうような
寂しさをかんじたからなのだろう・・・多分こころの奥底で

時に 友達のように ははのように やさしい子だ

涙ぐむのはそれだけではあるまい

実家のははのことも いつもこころのかたすみにある

こんな歳になっても 親や子の心配は耐えない


むしろ自分のことだったら それはいい・・

どうしても耐えられなくなったら、、きっと泣く
ひとりで泣く それからあたたかな毛布で眠ればいいと思う

成長と老いと どちらもまじかにありどちらも涙を伴うものなのだな、、
と思った 

枯野になった裏山、、枝をゆらす風、、
  また めぐり来る春を待とう








2004年12月13日(月) イベントはね・・

とても疲れるが今回はまずまずだったので
ほっとした、、前回は 今年 最悪の結果だったのでひどく気落ちした

先週の2日続きはおなじみさんも多く慣れた場所ということもあり
気分的には楽であった

2日目は前日のほとんど1/4程度の売り上げだったが
むしろゆったり出来たので帰りのしたくも手早くはじめた
今回はひとりきりでセッティング〜販売〜片づけを
したので、、早めに片付けさせてもらった
ひざはがっくりし、家に帰っても洗濯物を片付けたり
荷物を運んだりで結局 自分の元気さを再認識できたのだった
まだまだいけるかもしれない・・と 気分屋のお気楽さだ


どうだろ、、扱っているものは違うが出店の人と話すと
ことしに入ってネットショップはさっぱり、、半分くらいしか
売れなくなったと言っていた、、、
原因はやはりこれらのイベントが増えたこと、、かもしれない
実物をみて買うほうがいいだろうと思う・・・

どうしたらいいんでしょうねぇ、、なんて、、打開策は
あるのだろうか・・・

-----------------------------------------------------------
休題
◆今日は 荷物を開けるのはやめにして
   DVDを2つ観た
    「鏡の国のアリス」と「今を生きる」

   *今を生きるはとてもよかった、、久しぶりにうるうるしてしまった

    やっぱり映画ってこういうのだよねと思った

    今日は面倒なことはごめんだと思ったが、、朝から来客
    あとは普段通りの日常で 荷物二つと郵便一つ発送、、

◆昨日 夫もわたしも留守だったときに 『も○みのTOU』さんが
 来たらしい、、娘のいうのに「キリストは信じていません!」と
 返事をしたら もぞもぞ言って帰ったらしい・・
 そうだねっ、、ツリーやらリースやら ライティングやらしている
 お宅を廻るがいい、、きっとキリストの生誕を祝う人たちだろうから、、

 
 



2004年12月05日(日) No title

たゆまずに努力することを 今日は辞めたくなる

それで もう辞めますと宣言してしまおうかとも
思ったのだが・・・

私はなんと言っても古いものがだいすきなので やっぱり辞めるのを
よそうともう一度思いなおした

それも今日は山へ行って来たからで 今日は高2の息子と
掃除をした、、年末の恒例の掃除・・
掃いたり拭いたり、、ストーブの用意など
今日はとても暖かい日だったので 実に楽ではかどった
そして畳を掃きながら・・こういう穏やかな日々もいいなと
思ったりしたのだ・・雲が早く流れる青い青い空のしたで
目の前も後ろも山で 川の流れる音だけが聞こえて・・
あまりに穏やかな時間だけが過ぎた

にもかかわらず 午後1時を廻ったらもう薄暗くなってきた
山はやはり厳しいものだった、、そしてこの山の冬の暮らしを
思ったらやはり自分には耐えられるかどうか とても不安になったのだ
過疎の村の暮らしをこの歳ではじめるのは厳しいとそれだけを
認識した
勝手かも知れないけれど 老いをおもったら生活環境は重要だ
どうしても慣れないところで生活するのは 多分ひどいストレスに
なるだろう・・・


そう思いながら木の葉があたたかい風に舞う中を帰ってきた
逃げ出せる歳でもないな、、、当初10年はやろうとか
思っていたことが頓挫するのを見るのはやはりつらいが
ここで投げるのも潔くないと・・・

明日はどうなっているのかわからないけれど 
今日の終わりにはこう思った・・


風に舞う木の葉はとてもきれいだった 
なにも思ってはいない 何のてらいもない
そういう生を得たいと思った




2004年12月02日(木) No Title

退院後 母は、すこしわがままになったように感じたが
それが以前からの母なのか 術後変わったのかよく判らない
実の母でもかなり『わからない人』なのだ、、、

昔から あまり情がないような気がする
感情が希薄というのか、、心からの思いやりがない

それで、昔は悲しい思いをたくさんしてきた
長じて ああこういう人もいるのだと理解できた
それは とてもよいことで 別に母を恨んだりはしていない

今は・・これも脳の手術をしたからそうなったのか
昔からそうなのか 判らないが 母は多分自分で考えようと
することが出来ないようなのだ


弟の奥さんは かつて父にどんなにもひどいことを言われても
母がかばってくれたことは 一度たりとなかったと言っていたらしい
あ、、そうかもしれない、、私たちはそれが習い性になっていたが
あの人には到底理解できないことだったのだろう
それは とても気の毒なことだったと思う・・・

私は弟の奥さんが 笑うのをここ何年も見ていない
ということに 昨日気づいた
若くてかわいらしい女性だったし、鼻の上にくしゅっとした
しわをよせて笑う顔を昨日思い出したのだ
それを思うと、、あの実家のような不穏なところによくもまあ
長きにわたりいたものだと・・・
歳月はかくもひとを変えるかと わが身は省みず思う

わたしには彼女にとやかく言う資格などない
ただ こころ穏やかに過ごせと・・・



はんこ代はすべて支払われた・・・はなからさっさとけりをつけて
しまえばいいものを、、、こう長くかかるとむしろ気抜けしたかのようだった・・・・


 < 来し方  INDEX  行くすへ >


きままくらし [MAIL]