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2007年05月31日(木) 入院3週間

週末、土曜か日曜のどちらかは
実家へ行き、妹と昼食を食べてから
一緒に病院へ面会へ行っている。

平日には行けないので、土曜も日曜も面会へ行く
妹が洗濯物を持ち帰って、洗ってくれている。
協力できなくて申し訳ない。

ベランダで長年眠っていた妹のマウンテンバイクを
自転車屋さんへ持っていって整備したので、使えるようになり、
もう一台の自転車もあるので、二人で自転車に乗って
病院に行ける。

歩いても近いけど、自転車だと2,3分で行ける。
ラクチンです。

父は、被害妄想がひどくなっていて
自虐行為があったため、個室に移っていました。
病院の人がみんな悪い人とつながっていて、いい人のふりを
しているけど、敵だ、、と思っていたみたいです。

私や妹のことは、家族だとわかっていたので
(一時は名前さえ出てこなくて、わかってない時もあったのに)
こそこそと、「帰りに気をつけろ」とか「自分のせいで
危ない目にあわせてすまん」とか言っていたのです・・。

個室(鍵付き)に移ってからは、トイレも簡易トイレで
寝ているだけになっていました。
薬を変えて、うつ状態をよくするようにしてみるとのことで
1週間以上・・。面会に行ったときは、お腹がはって辛いとか
辛そうな顔をしていました。翌日、妹が面会に行くと
まだお腹が不調にようなので、面会は短くと看護師さんに
言われたそうで、5分で切り上げてきたと言っていました。

今日、医者から妹へ「大部屋に戻す」と連絡があり
散歩も許可したとのこと。(看護師さんと一緒ですが)
病院内は、緑がいっぱいなので、気持ちいいのだけど
今の父は、そんなふうに感じる感情はないだろうなぁ。

いつも辛そうな顔か、怖い顔をしています。
リラックスした、楽しそうな顔は、もう見れないのかな。



2007年05月19日(土) 介護認定の訪問調査

5/17(木)

介護保険を申し込んで2週間。
病院へ、調査員の人が来てくれた。

妹が先に行ったら、約束の時間より早いのに
もういらしていたそうだ。
私は、息子が学校に行く時に一緒に家を出て
駆けつけたが、電車の接続が悪いと1時間以上かかるので
やっぱり不便だなぁ。

父に色々質問して、それを書きとめていた。
やっぱり、父は質問した内容を理解できなかったり
適当に話していたりした。

その後に、私たちや看護師さん、担当医から
話しを聞いて、1時間以上かかったかな・・。

調査員の人、父より年上だと思われる。
けっこうなオジイサンなのに、しっかりなさっている。
父の場合、体は動くけど認知症の症状が出ているから
一人で行動するのは無理。それをどう判定するか、、
だとその人は言っていた。

あの状態では、家で一人には出来ないし、
妹さんも大変でしょうから・・と、私たちに
同情的だったから、いい判定がでるかな。

でも、介護保険をたくさんもらえるということは
重病っていうことなのだよね。。

この日の父は、朝から他の患者さんに土下座をして
謝ったり、泣いたりしていたそうだ。
主治医も、入院してから、そんなことは初めてだったと
言っていた。比較的、父は穏やかな性格なので
この病棟は、年齢も色々で、総合失調症の人も居るし
認知症専門の病院へ移って、穏やかに過ごされた方が
いいと思うと言われました。

聞き取り調査の最中も、ベッドに座ってハンカチを持ち
声も震えて泣いているような時もあった。

今まで、そんな父を見たことが無かった。
母が亡くなったときは、泣いてはいたけれど
声が震えるようなことは無かったし・・。

「散歩などはしていますか?」という質問に
「娘達に、するように言われていたのに、出来なくて」なんて
泣きながら答えていて。
「私が悪いんですけど」という前置きをすることが多く
潜在的に、罪悪感があるのかなぁと思った。

昔の記憶はあっても、今を記憶することはもう難しく、
説明して「わかった」と言っても、わかっていない。
指示をしないと、動けないと、看護師さんも言っていた。

自分が、変になってる自覚がある時もあるが、
あとは、妄想みたいなことを話している。
自衛隊の飛行機が上空を行きかう音で
「敵が攻めてくる」と、妹に言っていたそうだ。



2007年05月16日(水) 今日で入院1週間。

先日、13日(日)に妹と一緒に
面会に行った。

私が行った時とは違って、よく喋る父。
薬のせいなのかなぁ・・。

一応、私や妹のことはわかると言う。
でも、話すことは変なんだけどね。

ま、大変だけど力を合わせて頑張ろうな、
というようなことを、父が言うので
ちょっとおかしかった。
看護師さんには、「ちょっとボケちゃって・・」
なんて自分のことを言っていたけど。

洗濯物を持って帰るよと言っても
自分で整理できているのか、わからないと言う。
看護師さんに頼んで、病室を見てきてもらったら
袋に入った下着類が置いてあった・・・。

やっと、介護申請のための訪問が行われることになり
病院で、私たちも立ちあうことになった。

介護とか、痴呆とか、今まで私たちには
全然関係なかったことが、急にふりかかってきて
対応していかなくてはいけない。

妹と、「私たちへ厳しい試練を与えてくれるもんだね」
と話している。

ま、頑張って切り抜けましょう。



2007年05月12日(土)

この1ヶ月、めまぐるしかった。

父の精神面が、どんどん崩れていくのを
目の当たりにした。

人間、こうなってしまうこともあるのだね。

入院した翌日、仕事を夕方からにしてもらえたので
13時からの面会に行った。

閉鎖病棟なので、ピンポーンと押すと
中から看護師さんが開けてくれる。

食堂で待つように言われたので、そうしていると
病室から父が呼ばれて出てきた。

ボーっとしていたので、寝ていたのかも。

会話はするけど、かみ合わない。
私の聞くことには、適当に話をあわせているカンジで、
父からは、「○○さん(父の兄)は、どうしたかなぁ」
などと、突然関係ない話をし始める。
妄想っていうのかな。思い込みをしている。

表情は暗く、喜怒哀楽がないので
とても不憫に思える。

入院の時に、買い揃えたはずのお箸がないと言う。
あとで、看護師さんに聞いたら、食事のあとに食器乾燥機に
かけているとのこと。覚えてないんだなぁ。

なぜ入院しているのか、とか、寂しいとか、帰りたいとか、
そういう感情はなさそう。自分の家がどことかも
きっとわからないんだろう。私のことも誰だかわからないと
言っていた。

今日は、妹が面会してきたのだけど
やはり、良くなっているわけでもなく、何を話しているのか
わからなかったそうだ。
病室に入りにくい雰囲気なので、洗濯ものを回収できない。
自分で「はい、これ汚れ物」って持って来れない。
わからないみたい。

おりを見て、看護師さんにお願いするか、
病室に入ることを許してもらうしかないな。



2007年05月09日(水) 父、入院

実家の近くにある国立の病院に入院しました。

私が小学生の時は、○○療養所だったのだけど
いつの間にか、厚生労働省の国立のセンターに
なっていました。

今は、敷地内に外部の人は入れないけど
子供の時は、自由に入れたので、広い敷地の中を
走り回って、遊んでいたのです。
職員の住む家もあったから、同級生が住んでいたし。

今日、久しぶりに病棟の方に行ったら
昔の古いままの廊下とかあって、懐かしかったな。
まさか、自分の父親がここに入るとはね・・。

入院手続きも、書類を書くだけじゃなくて
主治医の話もあったり、持ち込む品物や服全部に
名前を書くってことで、思った以上に時間が
かかってしまった。

面会、平日は13時〜17時って・・・。
働いている人には、無理ってもんですよ。
まぁ、面会して嬉しいとか言うことは
今の父にはないので、洗濯物を持ち帰ることと
看護師さんに様子を聞くってことになりますが。

体は、普通に動くので、
食堂で昼食を食べている姿を見ました。
私たちが、娘だってことは、わかっていません。

認知症だと、ゆっくり進行するのだけど
今回、急激にボケの症状が出て、自分がドコに
いるのかとか、わからなくなっているので
「せん妄」である可能性を指摘されました。

ただの?認知症などでは、入院できないって
言っていた先生が、急に変わったので
あんまりいい状態ではないのかな。

せん妄が出た人は、その後半年〜1年後くらいに
亡くなるっていうデータもあるようです。

今回の入院は、夜中に起きていることを
改善し、睡眠を規則正しくして、症状が良くなるか
様子をみるということがあります。

もう、私たちのことはダレだかわかっていません。
敬語で話してきますし・・。
病院に行くって言うのもわからなくて、
仕事をしている時に、気持ちが戻っているようでした。

1ヶ月以内の入院の予定で、その後、ケアマネさんと
相談して、それなりの施設を探してもらう予定です。
介護申請も出したので、その判定をする人が
病院に来て、面接することになると思います。

なんとか、妹も仕事を再開できるようになったし、
夜も寝られるでしょう。



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