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2004年05月31日(月) スムージー


暑い上に、新しいスムージーが
発売されたので、よく注文が来ます。

昼ピーク、なぜか私は
スムージーの担当になってるんだな。
いつの間にか。
みんなの陰謀?(笑)
明日は、他の場所担当するぞ〜

午後は、近くのJ●Eビルの中へ
注文されたドリンクを手提げ2袋に入れて
持って行った。
アイスラテとかあったけど、作って持っていく間に
氷が溶けて来ていた。
風も強くて、紙袋が飛ぶんじゃないかと
ヒヤヒヤ。
このビルに、Sちゃんも勤めているはずなのだが
元気かなぁ?

義妹が学習塾のアシスタント以外も
働き始めて、帰りが私より遅いみたい。
姪っ子が、学校のクラブで必要なお金を
義妹が用意してなかったとかで、
娘に借りに来た。(私もまだ帰ってきてなかったので)

姪っ子は、どーしよーと困って
福岡の義母に電話したらしい。
娘には義母から電話が来て
「貸してあげてくれる?」って。

姪っ子、ちょっとしたことでも
義母に電話してるのかな・・・・・
まぁ、自分の娘の子供だから
義母も話しやすいだろうね。



2004年05月26日(水) 残念


某生協の運営委員をやっている関係で
住んでいる地域で、企画するものがある。

今回、某コーヒーメーカーの工場に
見学に行くことにして
バスも手配できたので、参加募集をかけた。

でも、誰も申し込んでくれなかった(-_-;)

ここの地域の組合員、600人はいるんだけど。

手ごたえがないと、何を企画しても
来てくれないって思ってしまう。

幼稚園のお迎えに間に合うよう
13時過ぎには戻ってこれる時間にしたのだが。

新しく運営委員をやってくれる人も
この数年全然いないし・・・
今残っている運営委員は私を含めて3人。
今年で、もうみんな辞めるつもりなので
この地域は運営委員がいなくなる。

メーカー訪問は、板橋区内のほかの地域の
運営委員長さんをお誘いしたら
みなさん来ると言ってくれたので
合計7人で行ってきます。




2004年05月19日(水) 息子が帰ってきた


今日は、息子が榛名から
帰ってくる日。

学校には16:20到着予定で
例年、ちょっと早めに到着すると
先生から説明もあった。

ということで、バイトのシフトも
お迎えに間に合うよう、早めにあがるように
申請していた。
休憩ナシでバイトを終えて
家には帰らず、直接学校へ向かった。

結論から言うと、到着は30分遅れて
早めの時間から待っていた私は、1時間半
待ち続けた・・・・雨の中。

学校に隣接する公園に、大型バスが着き
荷物入れから、自分のカバンを選ぶのではなく
誰のでもいいから、1つ持って、学校へ入っていく。

体育館前で、帰校式が行われて
その時、自分のカバンを探して、横に置くのだが
どうも、息子のカバンがない様子。


帰校式が終わって解散してみても
余っているカバンはなく・・・・・
息子も、ちょっと泣きそう・・うろうろして
探している。
先生に言ったら、慌ててたけど
もしかしたら、先生方の荷物として
職員室に持っていかれたかも!!!
ってことで、先生が息子を連れて探しに行った。

ありましたー。

紺色だけど、ミッキーの大型リュックなのだから
先生のじゃないだろーに。

家に着くまで、自分の荷物は持ちましょうと
校長先生に言われたので、ちゃんと背負ってました。
ナップザックは、持ってあげたけど(過保護?)

「楽しかった」とは言ってくれなかったけど
”こんなことした””あんなもの見た”と
家に帰る間、ずっと話してくれたので
けっこう楽しんだのではないかと思います。

これで、成長が見られるかな?



2004年05月18日(火) いつもの生活に。


日曜の夕方に
ダンナが帰ってきました。

月曜の早朝には、息子が移動教室に行くので
日曜の夜は早めに夕飯を食べて
寝させました。

なので、久しぶりに家族4人になったものの
2夜、息子が居ない我が家です。

今回、福岡に行ったら
ダンナの従兄弟のお宅が、もうすぐ3人目が
生まれるとのこと。(男の子らしい)
もう一人の従兄弟のお宅は、すでに子供が3人います。
どちらも、全部男の子(-_-;)

うちの子たちにとっては、はとこにあたりますね。
まだ小さい子達なので、うちの子と姪っ子たちで
相手になって遊んでました。
息子は前に、弟が欲しいなーって言ってましたが
小さい子って、こんなに大変なんだってことが
わかったようです。

そんな、ワイワイやってる姿をみていたダンナ。

あいつら(従兄弟)も、子供3人いるんだよなぁ〜。

「うちも、もう一人どう?老後が寂しくないかも」って。

おい。


「最後ってあっけないんだな。
 急に心臓止まって、モニターがピーーーっとなった」
と、お義父さんの臨終の時の話もしていました。

亡くなって、お医者さんが人工呼吸器をはずそうとしたら
義妹が、「なにするの!!先生、お父さんを殺す気!!」と
ものすごい声で怒鳴ったそうな。
(本人、そのことは覚えてないって)
その場にいた人、みんな驚いて、義妹を落ち着かせて・・・・


叫びたい気持ちはわかる。
私も、「なんで、母がこんな目にあうの?」と
どこに怒りをぶつけていいのか、わからなかった。
妹は、母が亡くなって看護婦さんが処置してくれる間
ICUから外に出たら、怒鳴ってたんだよ。
「なんでよーーーーーーー!!!!」って。

そんな話をダンナにした。
母の臨終については、話してなかったから。
やはり、同じ経験をした者でないと、この辛さは
わからないと思うんだよね。近い肉親を失った苦しみ。

ダンナも、今なら、それが理解できると思ったから
「うちの母も、血圧上がらなくなって、先生が
 薬を入れるのをやめて・・・・・
 しばらくは、心臓も鳴ってたけど、急に止まったよ」

そんな話をした。



2004年05月17日(月) 実印


皆さん、自分の実印持ってますか?
印鑑登録してあります?

うちは、私が大学生くらいの時に
実印を作ってくれました。
苗字は将来変るだろうから、名前だけを
彫ったものです。

結婚した時に、この印鑑で
自分の印鑑登録を作りました。

今回、義父の死によって
手続きするものの中には、義母、義妹、ダンナの
印鑑証明が必要になります。
でも、義妹は印鑑登録してないらしいです(-_-;)
まずは、印鑑を作るべきなんでしょうけど
三文判でもいいから、登録しておけってダンナが
言います・・・

私の子供たちにも、うちの親がやってくれたように
20歳になったら、印鑑を作ってあげたいなぁと
考えています。

私の名前って、平仮名なので
実印と言っても、説得力なさそうですが(笑)



2004年05月14日(金) 思いがけず

今回、家族3人で飛行機往復したし
ダンナは2回往復してるし、
ネット予約でカード決済したけど
来月の請求が怖かったんです。

が。

娘が入っている学資保険から
生存保険金が出るというお知らせのはがきが
来ました。
出るのは来月ですけど。

わ〜〜すっかり忘れていたから
とても嬉しい。

ダンナも、日曜には帰ってくるとのこと。

息子は月曜から学校の移動教室です。
家族から離れて泊まりに行くのは
初めての経験。
毎日、「行きたくない・・」とぶつぶつ
言ってます(-_-;)



2004年05月12日(水) 懐かしい

この日記を初めて書いた日は
義父母の話題だったんだよね・・・・

みんなで旅行した時に
旅館で撮った集合写真が
今回の葬儀で、いくつかの写真と一緒に
使われていました。
レイアウトされて、一枚のの色紙風になってました。

お義父さんと初めて会ったのは
結婚する1年前かな。
ダンナと付き合っているときに
長崎に(婚前)旅行して
実家に寄ったのです。
その時を入れると、15年くらい経ちました。
お義父さん、あまり老けなかった。
その間、ダンナは髪が薄くなり、白髪が
たくさん増えたけどね(笑)


日記に書き残しておくと
あとで読むのにいいですね。

私が死んだら
HP関係も、閉めてもらわなくては
いけないから、どこかにPWとか
書いておいて、やってもらうようにしないと。

こんなHP作ってたのか〜とか
こんな日記書いてたのか〜と
思われるね(笑)






2004年05月10日(月) 帰京

昨夜は、お義父さんの骨が置いてある
祭壇のある部屋に、お義母さんは布団を敷いたが
お義父さんに話しかけて泣いていたり
なかなか寝られないと、義妹に訴えていた。

私たちが寝る頃には、布団に
入っていたが、果たして寝られたのだろうか。

朝、早めに起きて食事の用意に
取り掛かろうとしたら、お義母さんも
起きてきた。

娘が来週から中間テストで、受験生でもあるから
なるべく早く帰ってちょうだいと
お義母さんが言ってくれて、私と子供たちは
今日午後の飛行機で帰ることにした。

ダンナと義妹のダンナさんは、
役所に出す手続きや、通帳関係のものを
やっていた。
お義母さん、お義父さんにまかせっきりで
何も知らないし、出来ない。やろうという気もない。
「兄ちゃん、やっといて」なのだ。
義妹も同じようなカンジ。
私が帰って、義妹のダンナさんも帰ったら
ダンナ一人で、走り回るんだな・・・

お義父さんが孫たちにやるつもりで貯めていた
記念硬貨を、義母が持ち出して
子供たちに分けていた。きゃあきゃあ、わいわい
お義母さんも、子供たちも楽しそう。

私たちがいよいよ帰るときには
涙ぐんでいた・・・寂しくなるって。
「また夏に来ますから」、、と義母の手を握った。

ダンナに最寄駅まで送ってもらい
そこから出る空港行きの高速バスに乗った。
また1週間くらい、ダンナとも会えないな。
子供たち、我慢しているのか、寂しいと言わない。
娘もパパ大好きなのに、気を使っているみたいだった。

天気が悪く、飛行機は揺れて最悪。
羽田ではなかなか着陸許可が下りないため
千葉上空をぐるぐる旋回。
予定より遅れて着陸した。

今日は塾のアシスタントの日で
私と義妹、2人抜けてしまうと
テンヤワンヤになるので、頑張って
私も帰ってきたのだ。
家について、娘に出前の取り方を教えて
私は塾に向かった。
終わったのは7時過ぎ。
無人の義妹宅に寄って、姪の持ち帰った
給食の白衣を、洗濯の山の中から取り出した。
(義妹たちは、木曜に帰ってくる予定なのだ)
持ち帰って洗濯し、明日、息子に持っていってもらう。

盛りだくさんの1日だったな。



2004年05月09日(日) 告別式

世間的には母の日だが
告別式となった。

大雨がザーっとふったり
やんだり、変な天気だった。

朝、早めに義妹が斎場に行き
ダンナと義母と交代した。
戻ってきたダンナと義母は、お風呂に入り
食事をした。

そして、また斎場へ。

私は子供たちの世話。
(世話っていっても勝手に遊んでるから)

親族は11時集合だったので
私たちも向かった。

孫4人で、告別式が始まるときに
献花、献灯の式をやるので、
リハーサルをした。
そして、祭壇の前で写真撮影。
親族の集合写真なんて、なんで撮るんだろう・・・
理解できん。

告別式は1時から。
約1時間で終了。
息子が、けっこう泣いていて
それを見て、私もつられて泣いてしまった。
それまでは、泣かないでいたんだけど。

あと、喪主であるダンナが
挨拶をしたときに、涙声になった。
お義父さんは、入院中に遺書のようなものを残していて
(自分の生い立ちなど、葬式で読めるように書いてあった)
それを読んで、病気のことに触れた時、ダンナは
泣けてきたみたい。
泣くのは初めて見た。正確には見てない。声で判断できた。
見たら私も泣くし。娘はちゃんと見ていて(全然泣かなかったけど)
パパ、挨拶の時と、出棺前の別れの時に泣いていたと言っていた。

火葬場にはマイクロバスで行くのだが
子供たちには見せたくないということで
私は残って、子供たちと時間を過ごした。
タクシーで、科学館に乗り付けて
遊んだ。

お骨になったお義父さんが戻ってきて
精進料理で精進落としをした。
4時半に戻ってくる予定が5時過ぎていたので
30分以上、会場の前で子供たちと待っていた。

すべて終わり、みんなで家に帰ってきたが
実は、これだけで済まなかったのだ。

義母の妹宅に同居している、義母の実の母。
(ボケが進んでいる&糖尿病)
葬式で誰も面倒見れないので、施設に預けていた。
ところが具合が悪いと言う知らせが
火葬場にいるときに入ったらしい。
義母の妹さんたちが、おばあちゃんのもとに
駆けつけて、検査の結果待ちだった。

これで、おばあちゃんまで死んでしまって
葬式になったら、疲労がピークになっている
みなさんはどうなるんだ・・・
(義母の妹さんも、ずっと義父のことで
協力してくれていた)

結果をヒヤヒヤしながら待っていた。
ダンナは、休むまもなく病院に向かっていた。

結局、脳に異常もなく
反応がないと思われていたのは
なにかショックで、喋れなくなっていたのではと。
ボケてはいるが、義父が亡くなった事を誰かが
言ったのを、聞いてしまって、それが
ショックだったのかもしれない、、という
ことだった。

今日、私は昨日の分のお香典を
リュックで背負い、今日の分のお香典を
箱に入れて紙袋で持っていた。
片時も離さず。責任重大。

なので、早く整理を始めたかったが
最初から義母はやるつもりはないし、
義妹は「兄ちゃんが帰ってくるの待ってる」と言う。
まだ、ダンナに押し付けるのか・・・自分で
やろうとしないことに、あきれてしまった。

遅くなるし、私が別室に行き整理を始めたら
義妹のダンナさんも来て、手伝い始めた。
そのうち、義妹も来て、香典袋からお金を出すことを
やってくれた。
能動的、受動的の違いを痛感したな。

その夜、久しぶりに家族4人で寝た。
ダンナも、まとめて数時間寝れたのは
何日ぶりだったんだろう。




2004年05月08日(土) お通夜

昨夜、義妹のダンナさんと打ち合わせをして
同じくらいの飛行機で行くことにした。

私はJALのチケットをネットで予約して購入。
義妹のダンナさんがスカイマークがいいというので
私たちより30分遅い飛行機。

福岡空港で待ち合わせて
一緒に行くことにした。

が。

スカイマーク、遅れてるし(-_-;)
到着ターミナルは端っこだし・・・

ダンナの実家には、午後3時前に到着。

お義父さんは、昨夜家に帰り
安置されていた。
こけた頬には、綿を詰めたらしい。

夕方4時には葬儀屋が来て
通夜を行う斎場へお義父さんを運んだ。

私たちは、6時頃斎場へ。
通夜は7時から。

いったん、8時頃にお坊さんが帰って
通夜は終わったが、ろうそくや線香を一晩
絶やさないということで、その場に
人が泊まるのだという。
遅い時間になっても、弔問に来た人がいたそうだ。

私は、子供たちと姪っ子たちと一緒に
家に帰り、お風呂に入れたり。
10時過ぎには子供たちも寝た。

義妹と義妹のダンナさんは、11時くらいに
戻ってきた。
斎場には、ダンナと義母が残った。



2004年05月07日(金) 義父永眠

昨日、ダンナから
「明日は連絡取れるようにしておいて」
というメールが来た。

病院に詰めているので
電話ではなかなか話せず
ちょっとしたときに、メールを
送ってくるので、詳しい状況が
わからない。

でも、私は覚悟をしていた。

義妹には「容態は変わりなし」
と言っていたらしい。

早朝、ダンナから電話が来て
義父がいよいよ良くないので
義妹を呼んだと言う。

朝一番の飛行機で行ってしまったかと思い
登校時間の少し前に(全校遠足の日だったから)
義妹宅に行ってみたら、まだ義妹がいた。

子供たちが出てから、自分も出ると言う。
何していいのか、わからない、、と
かなり動揺していた。

子供たちやダンナさんの分の荷物は
作ってあった。

そして、私は義妹宅の鍵をあずかり
姪っ子たちの面倒は見るからと言い
義妹と家を出た。義妹は駅に向かった。

そして夜9時過ぎ、義父は亡くなった。



2004年05月03日(月) 連休


今のところ、まだお義父さんは
落ち着いていない。

あっちに行っているダンナが
メールで容態を知らせてくるが
安心できるものではない・・・

義妹は、子供たちのこともあるし
体も(心も?)まいっちゃってるらしく
帰らせたとメールに書いてあった。

やっぱ、子供たちが
心の支えになるよね・・・
気が紛れるし、この子達のためにも
自分がシッカリしなきゃって思うし。

ダンナには、しばらく義母に
付いていてあげて欲しいので
そのようにメールで伝えた。

この連休、なにも計画してなかったのが
助かったな。キャンセルする必要がないから。

映画に行ったり、動物園に行ったり
それなりに楽しんでいます。

普段混んでいるスーパーなんかも
わりと人が少ない。
子供の姿が、ないですね。
遠出したり、泊まりでどこかに行ってるんだな。


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