かっしーのつぶやき
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| 2005年11月26日(土) |
旧友再会・尾張デジャヴナイト |
名古屋の街はいたるところ照明が明るくて人もいっぱい歩いてて楽しげに見えました。
特にJRタカシマヤに入った瞬間のあの感じ、あれはまさに十数年前のバブル絶頂期に東京のあちこちに横溢していたイケイケドンドン天井知らずモードに通じる、あのなんともキラキラした華やぎ空気でしたですよ。なんだか懐かしいような感じでした。いやマジで、潤ってるのかも、名古屋。
マスターズリーグにもお客さんが多くて、好景気というのはすなわち人が動くことなんだと実感するのでした。東京ドームでの開幕戦より多いかも、と思うくらいの入り。外野のお客さんは中日の選手の打順が来るとトランペットこそないもののちゃんと昔なつかしの応援コールをやってくれたりして、ほのぼのいい感じです。愛されてるなあ、中日。 私的にはお目当ての東京ドリームスの池山が出てなくて残念でした。まあ、来季は楽天の打撃コーチになるらしいし、身辺忙しいんだろなあ…ってじゃあ来季は池山コーチ目当てに楽天の試合見に行くことになるのか。うわー(遠い目)
夜は、名古屋在住のTさんと久しぶりに会って飲みました。 昔の共通の知り合いの消息を聞いてしみじみしたり、バカバカしい思い出話に照れたり笑ったり。 久しぶりに会って話してみると、自分でも忘れ過ぎてきたような昔の私の言動の細部をTさんはたくさん憶えていてくれたことが判って、なんともありがたいやら恥ずかしいやらでした。初対面のときの私の言動なんか、うわあそれ他の皆には黙ってて下さいよって感じで、その他にもあの時はこうだった・かの時はこう言った等々指摘されるたびに、うひゃあと首をすくめるしかない私でした。 こんなふうに「私の忘れてる私」を憶えててくれる人がいるってことは、幸せなことだと思います。
のんびりTさんと話してるうちに、なんだか自分が、昔の空気の密度みたいなものを肌で思い出してくるような感覚があって、ほんとに不思議な夜でした。
学生時代に足しげく通った繁華街、というのは誰にとっても懐かしいやら恥ずかしこそばゆいやらでそれぞれにいつまでも思い入れ深いところだと思います。 幸い私にもそのような場所がございまして、それが神楽坂。 いや別に芸者遊びをしていた訳じゃなくて学校から一番近い盛り場がそこだったからですが(笑)
最近はいろんな新しいお店ができて、なかなかに流行の街のひとつとして認識されてきている由。今では名高きビストロ系フレンチ激戦区、だったりするらしいですし。その一方で昔から変わらない老舗もあれば新しく建つビルもあり、訪れるたびに感慨無量です。
昔も今も神楽坂でお茶と言えばここ、という店があります。知る人ぞ知る喫茶の名店・巴有我有。 ここの「くるみのケーキ」、学生時代は「漢方薬臭くて不味い」とゼミの連中の間で不評だった筈ですが、こないだ久しぶりに食べてみたら実にしっかりした滋味あふれる味で大変おいしく感じました。逆にこの良質なケーキのどこをどう食べたら不味いなどと感じることが出来たのか、それこそ今ではまったく判りません。私の味覚も少しは成長したってことなのかなと思います。 ああ、本当に、あの頃の私はすべてに対し実に愚かで稚なかった…
あ、神楽坂のもひとつおススメは毘沙門天様の狛犬ならぬ「狛虎」です。 ものすごーく恐い。夢見るぞ。
また職場の階段から落ちました。
今年は派手に7段まとめて上から下までもんどりうって落ちまして、着地は顔面ででした(多分)。 なんで多分かというとあまりに派手にもんどりうって転がり落ちたので、自分でも自分の身体がどのように転げたのかよく解らないんですなこれが。 落ちきった時、うわ顔面打ったってことは頭部打撲になるのかなだったら恐いな、と一瞬思ったんですが、落ちてすぐに自力で立って歩けたし普通に喋れもしたのでまあ大丈夫だったみたいで、それより何よりとにかく床に勢いよくびたーんとぶつけた顔やら身体のあちこちの表面がもうヒリヒリ痛くて痛くて…
で、自力で立ち上がった後、ちょうどお昼休み中だったのを幸いにすぐ近所の薬屋さんまで歩いていってすみません今しがた階段から落ちたので膏薬を下さい、と申しましたところ薬屋さんはそりゃ痛かったでしょうお大事にと言いながら湿布薬冷感タイプと炎症(顔の腫れ)止めの飲み薬を出してくれました。 どちらもものすごーくよく効きました。良い薬をありがとう薬屋さん。時間をおかずにすぐ処置したのも良かったんでしょう、あれほどゴツンビタンと床にぶつけた左頬骨近辺も、炎症止めの薬をの飲んだ後その午後じゅう氷嚢(またの名を職場の給湯室の冷凍庫に放置されていたアイスか何かの保冷剤)で冷やしながら仕事してたら、結局ほとんど腫れずに済みました。
我ながらあっぱれ頑丈な身体だと思います。天地とご先祖様と両親に感謝しなければ。
後日談。
timutaんに「あんたは年に一回階段から落ちることにしてるのか」と言われて初めて気がついたんですが、そういや私、去年もやっぱりVリーグが始まる時期に職場の階段を落ちてるんですな(笑)。 この頃ってなんだかんだ言って仕事が忙しい時期で、知らないうちに疲れがたまって足元がヨレってたりするんでしょう。あの時も負傷のため観戦はなりませんでしたとかバカ言ってましたねえ。今回の負傷は左大腿部の打撲です。この季節に冷感タイプの湿布薬を脚の上から下まで真っ白状態に貼ると、いやあもう体感的には冷え冷えの冷えぇ〜〜って感じで足から震えが来る来る…
…で、連想は当然のようにトモさんへ向かうわけで…。
去年も思ったけど、たかが打撲でこんなに痛くてこんなに不便、ましてや膝にメスを、と思うだけでもう涙目ッス。いや本当に。
このところ連日連夜の大残業続きでヘロヘロなのだけれど、これだけは書き留めておきます。
さっき、ふと、思いました。私に最初に「私と同い年の、この国のお姫様」の存在を教えてくれたのは誰だったのかなあ、と。 私の兄は秋篠宮(以前は礼宮)様と、そして私は紀宮様とたまたま同い年だったので、きっと大正生まれの万年夢見る乙女だった祖母あたりが事あるごとに「××ちゃんは宮さまと同い年だから」云々と言うのを聞いて覚えたのではないかと思います。
ただ、この私の生まれた国には私と同い年の姫宮さまがいらっしゃって、そしてそのお名前は清子、清い流れの清に子供の子と書いて「さやこ」とおっしゃるのだと初めて聞いた時、 「なんてきれいな名前なんだろう」 と、文字通り水に打たれるように感動したことははっきりと憶えています。
それ以来、都から遠く離れた鄙にはあっても、単なる一庶民に過ぎぬ身ではあっても、それでもなお、自分と同じ年に生を享けた女性が、この国の内親王としてその責務を日夜担っておいでであるという事実は、それだけで畏れ多くも何となく誇らしいような、頼もしいような気持ちとなって、私の心の中にあったのでした。
明日、その紀宮清子内親王殿下がご成婚のため皇籍を離れられます。
私の愛するこの祖国に明日から「私と同い年のお姫様」はいなくなるけれど、でも、たとえ称号はプリンセスでなくなっても、私が彼女の存在に向ける敬愛の念は、これからも変わらず私の心の中に在りつづけると思います。
祖母から習った歌のひとふしを、いつまでも懐かしく、やさしく思い出すように。
ご結婚、本当におめでとうございます、プリンセス・サーヤ。 お二人のご多幸とご健康を、心からお祈り申し上げます。
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