2003年12月08日(月)
イラクで日本の2人の外交官が糾弾に倒れた。 小泉首相はじめ、日本政府の関係者は「2人の外交官の遺志をついで」と 言い、日本の自衛隊派遣に拍車がかかっている。 2人の外交官の遺志は、先ず何と言っても「イラクの復興の人道的援助」、 それと同時に「テロに屈せず撲滅させる事」だった。 しかし、果たして、=「日本の自衛隊派遣」になるのだろうか? 確かに日本の自衛隊は、「イラクの復興」のために、行くのであって、 米英軍と違って、戦争をしに行くのではない。 でもテロをする連中にとって、そんな事は関係にない。 米英軍でさえ、テロを撲滅されられないのなら、自衛隊に何が出来る。 テロは敵が増える事によって、増大する。 日本の自衛隊が派遣される事によって、テロが増える危険性の方が高い のではないか。 「イラクの復興」に日本が出来る事は「自衛隊の派遣」しかないのか?
奥大使は、 「今のイラクの子供達が、20年後、30年後になって『日本(人)、ありがとう』 と言うような仕事をしたい!」 と、言っていたそうだ。
それが、彼らの「遺志」であろう。 自衛隊の派遣に対して、イラクの子供達が将来「ありがとう」と言うだろうか? 「ありがとう」と言うのは、ブッシュだけではないだろうか? 自衛隊派遣を「2人の外交官の遺志を継いで」などと、言っては欲しくない。 「遺志を継ぐ」という重い言葉は、その遺志の本当の意味をわかっている人 のみが使う事の出来る言葉である。
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