kaorinのしょーじき日記
DiaryINDEXpastwill


2007年07月26日(木) やるきにするのはむずかしい

今日は午前中武士と聡志をつれて
町の未就園児の集まりで
夏野菜カレー作り。

聡志はほとんどカレー作りは不参加。

武士は野菜を切ったり作業を楽しんだ。
武士は小さいとき私と一緒に料理を楽しんだので
包丁もなれている。

まわりが保育園にあがる前のこどもたちだから
それなりに落ち着いて見えた。
しかし聡志はひどかった。
途中で帰ろうかとも思ったけれど
なんとかなった。。

この集まりの間、体育館で武士と
久々にソフトバレーボールで
キャッチボールをした。
以前は諏訪湖周辺の公園で
体を動かすこともあったが
上松に来てそういう機会がとても減った。
自然がいっぱいだが危険もいっぱいで
聡志との散歩もかなりあぶない。。

そこで武士の担任に会ったので
武士の学習について相談した。

そこでわかったのは
やはり国語がとてもおいつかないと言うこと。

漢字の読みがだめなので
書くことまでいかない。
ここ数日漢字ドリルをさせてみたが
本人も私も辛い。

DSソフトのかきとりくんというのを
主人に買ってもらうようにしたが
どうなるだろう。

武士も聡志もやる気にするのはむずかしい。
私自身も同じだ。


2007年07月25日(水) 夏休み開始

今朝は6時半からのラジオ体操へ武士と行った。

カセットテープとラジカセは
ラジオ会場の隣の家の6年生が
預かってくれている。

昨年や一昨年は学童保育に
行っていた武士が家にいる。
なんだか妙だ。

午前11時半から精神科へ予約だったので
聡志は木曽町の未満児保育にみてもらった。
武士はお昼ご飯を作っておいて留守番。

またパキシルという抗うつ剤をのむと
薬をやめるのに時間もかかるし
担当の医師に現状のんでいる薬だけ処方してもらう。

いろいろ聞かれるかなと思ったけれど
医師からの質問はなし。

午後武士はプール開放へ行く。
帰ってくる時間を見計らって聡志と散歩にでると
思ったよりもはやく武士が帰ってきた。

近所の友達のおかあさんが
クルマに乗せてくれたそうだ。

あまり歩かないけれど
聡志と武士と3人で家にかえる。
そんなこともある。。

夕飯を作ろうと思うと
おなかのすいた息子たちに
おにぎりを作ってと言われ、
夕飯の分のご飯を食べてしまう。
しかたがないので素麺をゆでる。

7時からは武士の
習っている剣道の大会が8月にあり
保護者会の打ち合わせ。

打ち合わせは2時間みっちりあって
8月の第2週の土曜日以降数回の
打ち合わせと準備がある。

私はこれが気が重い。
こんなことなら武士に剣道を
やめてもらいたいくらいだ。




2007年07月24日(火) 今日の散歩

今日も9時前から11時半まで
次男と散歩をした。

今日は小学校の校外指導部で
地区の通学時危険箇所をマップで提出とのことで
この書類を小学校へ
そのあと地区PTAお楽しみ会で花火をするため
役場へまぎらわしい煙を出すための書類を出した。

足の裏は相変わらずだし
次男は言うことは聞かないし
歩くのを嫌がって抱っこになるし
暑さで汗だくになった。

今日で長男は終業式。
通信簿は△が3つだった。

◎○△で△は=ダメだ。

2週間ほど前に漢字の書き取り50題のプリントを
長男は持ってきたがほとんど書けていない。

これはまずいと今更だが
それから毎日ノートに4ページほど
書き取りをさせているが
2年生の時の方がまだ書けていた。

書けないながらも
長男なりに丁寧に書いていた。

私が思っていたとおり
国語の漢字の読み書きが△で
文章を読んで話しの中心を聞き取れるが△。


夏休みに漢字の書き取りを
やらせようと思っていたら
漢字のドリルはなくさないように
学校に集めておくらしく
自宅に持ち帰ってこなかった。
同じドリルをネットで買うか
教科書の漢字を地道にかかせることにしよう。


2年生までの先生が
自作のプリントで学習をすすめる
教え方だったので
(それも今時珍しい自筆のプリントだ)
1年間だけで学習したプリントの厚さが
15センチ以上になった。

そのときは先生のたいへんさを
あまり感じなかったが
先生はプリントを作って、
それをやらせて提出したものを添削する。
これは時間的にも労力がかかるものだ。

しかし今年は家に長男が
持って帰ってきた学習プリントは数枚。
その分ノートを書いているかといえばそうでもない。

話は丁寧で指導力もあるが
文字を書くのが苦手な先生のようだ。

これはまずいだろうと思うので
文字を書かせることにしたいが
すでに遅いか。




2007年07月23日(月) 痛い足の裏

昨年の秋から足の裏にできものがある。
魚の目のような感じでチクチクして痛い。
同じようなものが3カ所あって歩くとき
時々うっとなる。

病院へ行けばなんとかなるかと思って
今日次男を木曽町の有料の未満児保育に預けて
皮膚科にかかった。

3時間待って診断は3分で治療が3分だった。
足の裏のできものはいぼで
ドライアイスで患部を火傷させる方法で
治すとのこと。

治療中は痛みもそれほどではなかったが
午後になって患部がとても痛い。

でも次男のお散歩や
例の地区PTA懇談会の内容を
まとめた書類を作って全戸12軒に配ったので
今日もじりじり痛い足をひきずって歩いた。

10日毎にこの治療を繰り返していぼを取るより
いぼの痛みを我慢する方がましに思えた。
足の裏をしみじみ見せる人もいないし
誰も私の足の裏なんて見ない。


2007年07月22日(日) 気長に

金曜日の夜から3日間、
子供のいない時間に主人と話してみた。

主人に私のうつうつとした気持ちを
聞いてもらいたいと思うことは
現実的に無理だとわかった。

主人としては私の話を聞いて
その気持ちを共感するよりも
そんな風に感じることがおかしいという
主人なりの判断しか言葉にしないからだ。

批判じゃなく共感がほしいと
言葉にして主人に言ったが
まったくわかってないようだ。

俺だって働いて辛くて
家にかえっても
育児をしているだろうとのこと。

あと主人に来年の3月までは
なんとかしてくれと言われた。



このまま私がいなくなってしまえば
長男はどうなるだろうか。
次男は主人の実の子だし
妙に我が強いからなんとでもなるだろう。


私がいなくなっても
私だけが悪者になるだけだから
ここは図太く気長にここにいることにしよう。


2007年07月21日(土) ひとりでかんがえてみる

昨夜の地区懇談会はなんとか終わった。

私の話の進め方がへたなため
時間がかかってしまって
申し訳ないことをしてしまった。

私は地区の行事は出ていない。
昨年は出産後で
昨年は手術後でだったので主人がでていた。

だから去年と同じでいいのよと
いわれても話が見えない。

もちろん記録用のノートに記載もあるので
おぼろげにこんな風かな?と想像している。

今年も同じでいいのよというおかあさんにかぎって
確認事項の質問が多く
その度に
「昨年はどうでしたか?」と私が聞き
「ノートに書いてあるでしょ!」と言われる。

なにかの罰ゲームみたいな物だった。


聞いたところにによれば、ここの地区行事は男親がでても
カレー作りなどで実際役にはたたない。
女親が責任もってでてくるというのが
この地区の慣例なのだそうだ。

だから我が家がしていたことは
地区にとっては迷惑だったそうだ。

フィリピンの奥さまも多い地区なので
もちろん旦那さんが出てきてフォローするお宅もあるが
うちの場合は主人が役場の職員なので
わきあいあいというふうにはならない。

話し合いの終盤で
「この話じゃわからないから
 後でプリント作ってくばりますよね。」
と保育士をしているおかあさんに言われたので、
昨夜はそのプリントと地区への回覧を
せっせと作りました。

そして来年度の役員については
立候補する人がいたので
なんとかなりそう。
何事も早めにやる方がよさそうだ。

転勤でやりたくない彼女はまたしても
一生懸命今年こそ転勤だと力説してましたが
それもなんだか変な話で
あとで他のおかあさんが
そんなこと言っても来年もいたりしてね
と話していました。

---

ここのところ私と次男を見かけた人が
私が次男を虐待しているのではと主人に言ったそうだ。

病院でうつ病の診断をとって保育園に入れることも
考えていると主人。

そこまで私はおかしいらしい。

実際に次男と二人きりになることは怖い。
来週から夏休みなので長男も家にいることになる。
それがいい作用になると願っている。

---

主人と昨夜話していて思ったのは
主人は私を切り捨てているなということ。

主人は自分が働いていてつらいこともあり
家でも針のむしろでつらいということだけだ。

なにか自分の考えも言ってみたが、
そんな考え方がおかしいとすべてを否定され
私の気持ちについて一緒に考える言葉はなかった。

困っていることに共感してくれることを
私は待っていたのかもしれないが
この人はこういう人なんだと理解して
元気になるまで
ここにいさせてもらうほかなさそうだ。


2007年07月20日(金) 小中合同地区懇談会

来週半ばから長男が夏休みに入る。

今年私は地区のPTA役員をしていて
今夜の懇談会が初の司会になる。

前年度のおかあさんのノートと
資料をみつつ段取りしてきたが、
自分がやるとなると気が重い。

一緒に役員をしているおかあさんが
とても感じも良く優しいので
なんとかがんばれるが
これが別の人だったら
投げ出すかもしれない。

この一緒の役員をしてくれている
おかあさんは転勤族。
来年には関西方面に家を新築して
お引っ越しの予定と聞いている。
いい人ほど別れがはやいように
感じるのは気のせいだろうか。

この地区のPTA役員を3年間
転勤があるからという理由でやらない人がいる。

私の一番の憂鬱はその彼女に
役員をするよう説得すること。

前の役員のおかあさんは
彼女に嫌われて最後には
電話をしても
居留守をつかわれたとのことだ。

確かにこの地は因習深く
外から来た人間に冷たい町だが
それでも自分の子供が通っているなら
来年は役員の順番ですよといわれたら
転勤があるかもしれないので
そのときはよろしくお願いします、
できるところまではやりますよ
と大人の言葉を期待した。

しかし
”絶対に転勤で無理なので役員は
 やれないと皆さんに説明します”
と数日前に彼女に電話で言われめまいがしている。

たしか3年前に転勤できたときは
”転勤したてで様子が分からないから役員はできない”
2年目からは
”転勤になるから役員ができない”
といって来年で4年目だ。

他の人は変わった人だからと
あまり関わりにならないようにしていると聞いた。

私もかかわりたくないが
そうもいかないようだ。

やだやだ。

---

来月の最終日曜日に小中PTAで資源物回収がある。

その日に武士の唯一の習いものの木曽郡剣道大会もある。
実際習う人数が少なくこの町の剣道チームは大会に参加しない。
でも200人ちかい人間が試合にくるため
この剣道大会には夫婦で会場係を
して欲しいと剣道の指導する人に言われた。

主人に言ったがこれも主人には気に入らないらしく
なぜか私が底までする必要がないことを
何度も何度もくどくど言われて憂鬱だ。

剣道の指導をしている人が同じ地区にいるので相談したところ、
主人が資源物回収のトラックの運転を毎年しているので
代役となると人がいないから
私が剣道の方にでるように話がついた。

この地に長くいる主人だから
いろいろ相談できると思って話せば
ここでの慣習のこれがおかしいなど
話が長くなり、
最後には私が一方的に叱られる構図になる。

私はお説教が聞きたいわけではなく
共感できる話の落としどころなので
主人と会話するときは
気をつけないとその後数日落ち込んだり
涙がとまらなくなる。

こう書いていると再婚したことで
経済的に仕事をせずにすんでいるが
それ以外の安らぎがどこにあるのかなと素朴に思う。

---

少しでも気力があるのなら、
自分らしくなにかすることを
みつけたりできるのだろうか。

木曽に来て2人のともだちができたが
その二人についても主人は辛辣だ。

少し前に私があまり外出しなくなったことを
心配した彼女から久々に電話きて話したんだよと
明るい気分で言ったら
「金儲けの話か?」と一言。

主人はこういう会話の人間なんだとしみじみした。

私は主人のその一言で私は友人を作ることさえも
主人の顔色を見ないといけないらしいと感じた。


2007年07月19日(木) 今日も散歩

さて今日は午前中9時前に
次男と家をでて主人の職場の公民館まで散歩。

到着したのが10時過ぎなので
1時間以上は歩いたことになるだろう。

今日は未就園児の会があったので
そこで室内遊びと
外でどろんこ遊びをした。

疲れた、疲れた。


---

ここ2日、以前処方してもらった
銀のハルシオンとデパスを服用してみた。

睡眠が深くなって頭が
はっきりしている時間ができた。
薬の効果だ。

おかげで今日も朝
長男の顔をみることができた。

---

主人は次男は我が子になるけれど
長男は私の連れ子なので
次男ほど長男の世話はしない。

そんなに長男がかわいいなら
お前がしっかりすればいいだろうと主人に言われる。

そりゃそうなんだが
それができないからつらいということは
主人にはまったく理解できない。

おそらく抗うつ剤の服用をやめて
私のうつ病は治ったと思っているのだろう。



先日外出中に長男が気分が悪くなり
吐きそうだからクルマをとめてほしいと言ったが
「こんなことならでかけなけりゃよかった」と
主人は吐き捨てるように言った。

子連れでのこういったアクシデントは
主人の中で想定されていない。

このときは通りかかった
スーパーの駐車場の奥にとめたので
台風の雨の中すぶぬれになりながら
長男と私は店舗の入り口に走りトイレにかけこんだ。
店舗の入り口に一時停止するという心遣いはまったくない。


これが次男だったら主人は携帯で救急車を呼んで
病院へ駆け込むことだろう。



私が妊娠中に腹痛でトイレ休憩するのも
本当にイヤそうだった。

最近では主人の言葉で胃腸系がすぐへたれてしまう私に
「アテントしろよな」と言う。

長男はその言葉を聞いたあとで私と二人の時
「誰だって具合は悪くなるのにあんなのってひどいよね」
と言っていたのでほろっとした。

主人は元々が丈夫なため実際に自分がどこかが痛いときは
それはそれは大騒ぎ。

そのときは楽しく見守らせてもらうことにしている。


主人は外面はいい。最低限の家事もしていた。
子連れで体も悪い女と結婚したので
家事も育児もしてさぞ優しい旦那さまでしょう?と
私は町の人に言われるが上記が主人の言動だ。



気力があれば私の受け止め方も違うと思うが
主人はこの結婚を後悔しているので
私が出て行くか自殺するのを待っているのだろう。

出て行く気力がないので
愚痴を書きつつ、ここで生きていくほかない。


2007年07月18日(水) 赤沢美林へ

今日は未就園児の集まりで
赤沢美林へ行った。

次男はわがままで単独行動ばかりで
集団行動についていくのがやっと。

主人が誘ってきたので行ってきたが
次男を怒ってばかり楽しむどころではなかった。

この手の集まりに行っても
私は気が合って話す人もない。
ぼーっとしているだけだ。

しかも思い通りに動けないと
泣き叫ぶ次男にうんざり。

長男とは何度かここに遊びに来て写真が残っている。
そのときはとても楽しかった記憶がある分
やるせない思いになった。

帰りのバスでうとうとした次男は
午後たっぷりお昼寝した。

お昼寝をすると夜眠れないので
夕方2時間散歩。。

長男と散歩ならとても楽しいのに。


---

愚痴ばかりだけど書いていれば
多少の気持ちが落ち着くかと思い書いています。

主人に見られて苦情がでたらまた書くことは中止します。


2007年07月17日(火) 本人以外の署名捺印はだめだ

今日の午後、次男と散歩に行こうと
玄関から外に出ると
見慣れない不審な白の軽自動車。

中には男性が二人で地図を見ている。

バックで軽自動車がもどって
”ここは○○○さんのお宅ですか?”とのこと。

相手はNHKの身分照明をみせて
”この用紙に署名捺印を”と言ってきた。

なにやら衛星放送がみることができるから
うんぬんということを言っていたように思う。

そこでついうっかり私が
署名捺印してしまった。

主人は47年この地で過ごしている。
ひとり暮らしになってから十数年
NHKの受信料を支払わずにきた。

昨年私がついうっかり
NHKの人と話をしてお金を払ってしまって
毎月の受信料を支払うことになり
口座振替にしたらしい。

私は主人からとてもいろいろなことを言われた。

(主人は自分の主義主張に反するものに
 寄付はしないという確固たる強い信念がある)

しかもその男は口座振替の
できていない分の金を支払えと言ってきた。

ここで支払ってしまうと
また主人に何度も叱られると思った。

うちは主人はNHKが大嫌いで
家の銀行口座も現金の管理も
彼がしているので
主人の職場へ行ってくれと言った。

私は署名捺印した紙を取り返そうとしたが
さっさとしまわれてしまったし、
次男が道路にでてさわぎだしたため
そのまま彼らはクルマに戻った。。

主人はお金のことにはとても厳しい。

レシートを取っておいて
1円単位で家計簿をつけて
お金の管理をしている。

さっそく携帯電話でメールをうつと
家に電話が入り
私がなにやら署名捺印をしてしまったことを言うと
案の定、それが詐欺だったらどうするんだ!と激怒。

確かに詐欺だったらたいへんだとは思うけれど
普通の主婦はこういうとき
いったいどうするんだろう。

私は主人に怒られるくらい
たいへんなことをしたのだろうか。

家にいるのもたいへんだ。
本人以外の署名捺印はしないことだ。


2007年07月16日(月) なんとかしなくちゃなぁ

自分の考えを書けなくなってかれこれ1年。
どんよりした生活を送っている。

今年の春には私にあきれている主人から
お前はいったい、いつまで具合が悪いのか?
という言葉をかけられた。

確かに再婚して心から元気でいたためしはない。

灰色のねっとりした空気の中でもたもたとあがいている。

その後このことについては
主人から謝罪めいた言葉をかけられた。

しかしこれは主人の本音だ。

愛想をつかされるのも時間の問題だろうと
とても危険なことだったが
私の勝手な判断で抗うつ剤の服用をやめた。

もちろん私も好きで具合が悪いのはない。

しかし主人には
私はいつまでも薬に頼って
だらけている人間だと決められたようだ。


当時も今もやけっぱちになっていたので
私は抗うつ剤を一切飲まない生活に入った。
ついでにがん検診も行ってない。

---

抗鬱剤の断薬はきつかった。

シャンビリと表現される指先や後頭部に電流が流れるような
奇妙な状態が四六時中つづく。

イライラが波のようにくる。目も回る。起きているのもつらい。

薬を飲んでいても副作用でぼーっとするが
薬を飲まなくても同じ状態だ。


周期的に私なんていなくなればいいだろうとくよくよする。
時々涙がぼろぼろでる。

一番辛いのは幻覚。
この家の広いベランダにある柱や下屋の鉄骨に
自分の首つり状態の死体がゆらゆらして
その下で主人は面倒なことをしてくれたとうんざりした顔をしている。

運転中にシャンビリとイライラの状態がくると
あいついで幻聴があるので気楽に運転もできない。
そして私は運転して外出することも極端に少なくなった。

しかも次男は運転中チャイルドシートのベルトを
諸肌脱ぎして前方のシートベルトをいたずらする。
ひどいときは運転中物を投げつけられたり
助手席の長男は首をしめられることもある。
次男は窓からはいている靴や帽子を投げる。
そのたびに次男を怒るが効き目は全くない。


このため好きな本を借りに図書館へも行かなくなった。
自由になるお金もないので本も読めず
昔に買った本を何百回も繰り返し読んでいる。

---


眠りに関しても変化があった。

眠れなくてもかなりの頻度で
横になっているようにしている。

起きていてもなにもしたいこともないし
実際動くことはない。

うとうとした眠りの状態で
1日の2/3を過ごしている。

質の良い睡眠ではないため
強い疲労感がいつもある。

川の音、家の前の道路を走る
大型トラックの振動、
雨がふればトタン屋根をたたく雨音、
息子の声、テレビの音にさらされて横になっている。

たまにふっと深い眠りにはいれることもあるので
それを心待ちに待って横になっている。


---


大雨で決壊しそうな川のそばではなく
日当たりの良い平らな土地に
家があったらいいな。

そう言葉にだしていえば
主人は離婚してここから出て行けと言う。

私にでていけるくらい生きる気力があるなら
いいがまったく気力がない。

一日に2度くらい掃除をすれば
きれいさを保て
こどもにも目が届く範囲で
暖房で適度な温度が保てる広さの家。

こんなのいいねという希望さえも
嫌みを言っていると主人は私に言う。
これもすべて私のせいなのだろう。


ここは主人が生まれて47年住んでいる主人の家だ。
だから築50年以上。

近所の運送会社の材木を積んだ大型トラックが通れば
その風圧で家ががたんと揺れる。
雨がふれば天井がないトタン屋根の雨音はとても大きい。
大雨がふれば雨漏りがするし、雨が上がれば、
家の中は蟻や虫がやってくる。

今でも危険だからと私と子供たちが出入り禁止の部屋が3つ。
そこには多くの物があふれている。
最近長男は崩れ落ちそうな危険がある6畳間を子供部屋としてもらった。
次男と長男の居場所はかろうじてある。

確かに広いから物は置くことができるが私の居場所はない。

そんな私も1日に主人が帰ってくる昼前と夕方に掃除機をかけている。


しかし主人は私はなまけていて掃除をしてないと見なしている。
次男は私に面倒をみてもらえずとてもかわいそうだと言う。


主人はこの連休に次男がいても掃除なんてこんなにできると
顔を真っ赤にして怒りながら掃除機を動かしぞうきんがけを実践してくれた。

私に同じようにしろいうことだろう。
でも同じようにしろと言われても無理だ。
私は呼吸するので精一杯。
これ以上どうしたらいいものやら。



---

昨年4月に手術したとき私としては珍しくやせて56〜54キロの体重だった。
その頃の主人はその状態でもお前は十分にでぶだがそのやせたままでいろといっていた。

今ではぶくぶくの64キロ。
最近では着る服がすべてきついし体を動かすのがつらい。

最近は楽しいことは何もないし何を食べてもおいしくない。
味覚が麻痺しているのか。

時々おいしいなあと思って食べていてもでぶはよくたべるなとあきれ顔の主人の視線でおいしいものが砂利を噛んでいるのと同じになる。
砂利になっても飲み込んじゃうんだから私もいやしいものだ。

主人はでぶが大嫌いで人間として認めないと最近痛感した。

主人は自分はご飯を減らし
好きな飲酒をしているが
体型は18歳から変わらないとご自慢だ。
実際その20年以上着ている衣類も多い。ご立派なことだ。

私がこの地に来てから買ってもらったスニーカーも
大事に履いて20年は使わなくてはいけない。

今の私には節制できるほど余裕がない。
楽しいことも何もない。

呼吸するのだけでいっぱいいっぱいなのに
掃除や食事と次男の世話を
倒れずにしているのはいいほうではないかと思う。

しかし主人の不満は爆発寸前だ。


---


時々気が晴れて
私が何気ない会話をしようとすると
主人は自分の世界にいて
いきなり話かけられても困ると声を荒くする。
だから主人との会話も難しい。

考えてみると主人以外の大人の人間と
会話することも週に数回しかない。


---

4年前まで馬車馬のように働いていた生活から
再婚して次男に恵まれた。

私はわがままを言って投資価値のないこの家に
風呂・トイレ・台所をリフォームしてもらった。

次男妊娠中に発見された子宮頸ガンも
昨年子宮摘出で解決。

そしてダイエットも成功した。

これが幸せでなくてなんだ?

しかし幸せよりもほど遠いうつ病になり、またまた体重を増やした。

主人は時々腹の肉をこれでもかとつかみこんなのみっともないぞとののしる。

長男はそういう主人を見ているためお菓子を食べてご飯を食べると太るからと
ご飯を食べないようになった。

長男は昨年から妙なアレルギー症状や嘔吐も起こす。
太るということはいけないことだと私にお説教口調で言うのも主人に似ている。私のいないところで主人が長男に私の太ったことを揶揄することを吹き込んでいるのがつらい。

私は主人の希望をかなえたいが呼吸しているので精一杯だ。


---


私の中の大きな問題の一つは
長男と同じように次男をかわいいとはまったく思えないことだ。

長男がいるのでひらがなが読めて数字も読める。
次男は頭はよさそうだが人を見て行動する姑息さがいやらしい。

次男は主人が家にいれば私の言うことなど全然聞かないし
大声で泣けば自分の言うことを聞いてもらえるとわかっているので
それを最大限に利用している。

私の精神状態のせいなのか個性の差のせいかは不明だけど
次男に愛情を感じない。


次男は現在2歳3ヶ月。
足の大きさは16cm。体重13キロ。
今日はフライパンを振り回されて
足の指の先にフライパンをたたきつけられた。

あまりの痛さに私は悲鳴をあげて
思わず次男の頭をぶったが
これも幼児虐待になると主人に言われそうだ。
いやだ、いやだ。


長男は小学3年生で足の大きさは19cm。体重は21キロ。
長男はまだ私に優しい言葉をかけてきて
他愛のない会話ができる。

次男は来年になれば保育園にはいるけれど
そこまで私の精神状態は大丈夫だろうか。

時々自分の日記を読み返すと
たいへんだった昔の方がよっぽど楽しそうな気がする。


kaorin |MAILHomePage