kaorinのしょーじき日記
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2005年03月31日(木) 本日退院

木曽病院は現在
インフルエンザの入院患者が多い上
院内がかなり乾燥しているため
かなり危険。

ぢつはお産後
個室で過ごしたいと思っていましたが
それもインフルエンザの
隔離患者さんがいるため
4人部屋で過ごしました。

そういっても・・
最初の2日間は前日お産だった方と
4人部屋にふたりで。

今日は大安で日がいいということ。
一日早くお産だった同室の方は
一日入院を伸ばして今日退院。

今日は保育園も休みで
主人は1日休みをとっているので
午前中は赤ちゃんのいる部屋を掃除してもらい
11時近くに退院のお迎えに来てもらいました。

---

ところが主人は退院前に一騒動だったそうです。。

武士が朝から歯痛で
主人がかかりつけの歯医者へ行くものの休診日。

奥歯にぽっかり穴があいているそうです。
主人はそこに正露丸をつめて応急処置。
また武士は歯医者通いになります。とほほ

---

家に帰って聡志のお布団をひいて・・
今日から家での育児生活です。


2005年03月30日(水) 退院前日

おっぱいいたい状態が続いていて
退院は明日。

気持ちもしんどいし・・
ぼーっとしていると
涙なみだ状態になってしまう。

聡志は毎日顔がかわって見ていてあきない。

赤ちゃんが寝ている間に
お母さんも休みましょうと言われるが
家に帰ったらそういうふうにできないんだろうな。

主人は家事は自分がやるというけれど
武士のお相手があるとやはり時間が限られてくる。

しかも出産前にも感じたけれど
自分ばっかりやることが多くて
という風情をかもしだしてくるので

子連れで結婚してもらったのにやはり悪いよなあ

と私は動いてしまうことになりそうだ。

そして動けば動いたで動いた方が体にいいとか
体は鍛えないとダメなんだなんて言われて
泣きたくなるんだろうな。

---

茨城の実家の母は

”行こうか?準備はしているよ。”

と言ってくれるものの
主人は来てほしくない状態だから
それはないだろう。

連れ子の武士のことを心配して
一度くらいは
木曽に来たいと思っているようなので
産後しばらくしたら
一度くらいは聡志の顔をみるのに
来てもらうことにしたいけれど。

退院するのが怖い。。


2005年03月29日(火) おっぱいがいたい

ようやくおっぱいが張ってきて
おっぱいがいたい。。

元でおっぱいが作られるものの
赤ちゃんが吸うには吸いにくい状態のため
搾乳することに。

1日早い出産だった同室さんは
母乳だけで3〜4時間間隔でいけるそうだ。
すごい。

吸ってもらえるように
保護器とやらを使うよう
助産士さんにすすめられるが
これを使っても皮膚がかゆくなって
さらにいたい。

助産士さんによっては
じかに吸ってもらうほうがいいという人もいて
どうすればいいんだろう?状態。

確かに武士のときも産後退院して
搾乳から乳腺炎になり
桶谷の母乳相談に行ったんだよな。

熱も出たし・・あれは痛かった。
熱の中ふらふらになりつつ涙目で
日立まで武士を連れて
車を運転したのを思い出す。

母親には・・
おっぱいのことにお金をだすなんて
もったいないとか

おっぱいなんておいしくないのにとか

どうせほっとけば出なくなるし
ミルクの方が大きくなるわよ

なーんていわれてかなりくったりしていたのを思い出す。
それを思うと茨城に帰るのはけっこうつらい。

どうも家のリフォームは退院の木曜日には間に合わず
完成は4月の第2週になりそうとのこと。
家に帰りたくない。


2005年03月28日(月) おとうさんをいぢめないで

武士と一緒に茨城に帰りたいと主人に話をする。
でも武士は茨城に行くのはいやだと言う。

おとうさんをいじめないで。。

うーん・・困った。

主人は武士にとって
かけがえないものになっている様子。

だめ母の私は安静生活のいらいらでささくれだって
武士の相手もろくにできてない。

保育園の卒園式にもいけなかったし。

---

主人は家の片付けのことを話すと

どうせうちはきたないよ

と逆切れしてしまうので
私は産後とてもあの家で生活するのが不安だった。

気力があって元気なら

そうだね、かたづいてないからきれいにしたいね

と言いたいところだが・・。

お尻は痔がひどくて産後の傷もあるのに
汲み取りのトイレでシャワーはあるものの
寒いと家の中でも氷点下になると
自分の体の維持も自信がない。。

武士を出産した後の茨城の実家もまだ古い家だったけれど
それでも母が丁寧に家事をしていたので
精神的にはつらくても掃除・洗濯・食事の用意はしないで
武士の育児に専念できた。。

でも今回はそれは絶対に無理だ。
まずお昼に主人はご飯を食べに帰って来る。

その上4月の第1日曜には用事があるので
武士の面倒はみれないとのこと・・
それをいまさら後だしじゃんけんのように
言われてもまいってしまう。

いったいどうすればいいんだろう。



2005年03月27日(日) がんばろうとおもったのに

主人のご両親がお見舞いに来る。

出産前に病院へ入院しているか
病棟にチェックにきたりして
とてもいやな感じだなあと思っていたので
主人と相談して
主人と武士と一緒にきてもらうことに。

あらかじめ
食べ物はもってこないで欲しいと
主人に伝言をたのんだのに
おかあさんは食べ物持参。

しかも

おっぱいはちゃんとでてる?
(この ちゃんと という言葉に既にとげがある)

(赤ちゃんの様子をみて)
おなかすいているんじゃない?

前に入院したときにすぐに生まれたの?

これって・・主人が電話で
生まれたことを報告しているのを
全然信用してない発言のようで
心が疲れてくったりしてしまった・・
いったい主人の話のなにを聞いて
こういう発言をするんだろう?

おかあさんはいろいろ聞きたい様子だったが
食べ物をもってきていることだけで
私はもうなんだか気持ちがだめになってしまって
朦朧として目が泳いでいるのが自分でもわかる。

おなかすいているんじゃない?

というからおっぱいあげたいなあと思っていても
赤ちゃんを抱っこして離さないし。

結局おっぱいをあげるので
席をはずしてくださいというまで
抱っこして離してもらえず
主人も久々に両親に会って疲れてしまったようで
私は話したいことも話すことができず帰ってしまう。

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産後初のものすごいストレスにさらされて
本当にいやになりました。

出産後なんとかがんばろうと思ったけれど
これじゃ全然だめだあ。

自分の親ならしょうがないと思えることも
なんで??どうして??と思ってしまう。

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おかあさんが私に渡そうとした食べ物は
結局主人が持ち帰ったものの
いただいたものの中でお赤飯は堅くて食べられず
八宝菜は既に匂いが怪しく食べられず
いちごがかろうじて食べられたそうです。

だからいらないって言ったのに。
どうせいただいても食べられるかチェックしなくちゃ
いけないものなんて本当にいらないんだもの。

お店で購入したと思われるもののようだったのに
なんでそうなっちゃうんだろう。

もしかしたら・・
お見舞い当日買ったものでは
ないということなんだろうか?

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おかあさんのことやリフォームのことで
主人と険悪になってしまう。


本当は・・出産してたいへんだったねと
言われたいだけなんだけど
主人は主人で武士の世話や家事に追われて
私のことまで気遣うことはできない様子。

きっと産後もろくに休めず家事をすることになる予感。
この全身打撲状態でなにができるんだろう。

これなら・・本当はいやだけど
茨城に武士と二人で帰りたいと思う。

赤ちゃんはきっと主人のおかあさんが
大事なはらさんちの孫だから
なんとかしてくれるだろう。

私や武士は・・
どうせ邪魔ものだと思っている様子だし。。涙


2005年03月26日(土) 全身打撲状態

体がとても痛いです。。
交通事故にあったことはないけれど
全身打撲状態というかんじ。

第1子の分娩時間が3時間30分だったのに
第2子は・・・いったい何時間かかったのだろう?

このときは母子手帳を
スタッフにあずけていたので
分娩所要時間が何時間か
まだわかっていませんでした。

母子手帳に記載されていた
分娩時間は20時間35分。

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今思い出すと痛みで怒ってばかりで
とても恥ずかしい。
神経ささくれ立っている状態で
主人にも武士にも悪いことしちゃったなあ。

私が分娩室に入ってから
主人が撮影した陣痛室のベットに残された
私の携帯とお気に入りのかえるさんが
ちょっとさびしい。。






2005年03月25日(金) 出産当日

午前1時過ぎ・・腰が砕けそうな痛みが
やってくるようになる。
主人がいるときとは数段痛みのレベルが違う。

痛みの波もかなりあるので
これは産まれるかなあと思うものの
お産の進みは以前スローペース。

産科の先生が再度診察に来て内診をうけ
筋肉弛緩剤と追加投与される。

この筋肉弛緩剤・・
寝不足の体にとてもきいて
動きたくても動けない。苦笑

痛みの弱いためせめて歩けるといいなあと
陣痛室内をうろうろしたいけれど
トイレに行くのがようやくで
頭から倒れそうになるため動くのをあきらめる。

午前3時過ぎ出血と痛みがさらにひどくなる。
助産士さんがきて内診してもらうと
胎胞が先にさがってきて
頭が奥にあるということ。

午前6時前・・全開になっているものの
破水待ちということで分娩台に移動する。

移動前に主人に分娩台に移動すると電話する。

ここでもうちょっとでおわる・・
と思った私が甘かった。

分娩台で破水待ちをしているものの
2時間経過の8時になっても破水せず
腰骨を砕くような痛みは
以前かなり短い間隔で続いている。

出血も多いのが自分でわかる。
あまりの痛みで分娩台の上で
しゃがんだり仰向けになり
左に右に横を向いてと
よろよろしつつ動いている私。

午前7時過ぎに再度筋肉弛緩剤の投与。
夜中からついていてくれた助産士さんが
交代の時間になる。

けっこう心細い。
というか・・
なんでこんなに時間がかかるんだ〜!!

次の分娩の人がきちゃったらどうしよう?とか
もう分娩台にのって3時間になっちゃうよ〜(号泣)と
けっこうつらい時間が続く。

午前9時10分になって産科の先生がくる。

痛みに朦朧としているので
家に帰れっていわれちゃう??とパニックになる。

”はらさん、後10分で用意をして
 9時半には産みましょう!”

といわれる。

導尿して破水をしていきみに入り
いきみはゆっくりでもいいよ
と助産士さんに言われましたが
ゆっくりなんていきめないよと
3回くらいいきんで
先生のいうように9時30分
2575gの男の子を出産しました。

分娩所要時間は20時間35分。
前回と比べると17時間も長いお産となりました。

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主人は10時から仕事で打合せがあり
朝武士を保育園に預け陣痛室で待っていたものの
まだみたいだなあと職場に帰ったところで
病院から”出産しました”という電話で
病院へ来ました。

以前から3月中に
2500g以上で産んでほしいな
ということだったので
主人の希望をかなえた出産でした。

名前は以前から相談していたとおり・・
主人の名から一文字もらって
聡志(さとし)となりました。

女の子だったら主人と私の名からそれぞれ一文字ずつで
志緒(しほ)の予定でした。

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出産後2時間の安静時間を主人と息子と過ごし
お昼をはさんで午後は陣痛室で寝て
午後3時過ぎに病室に移動。

幸い赤ちゃんがちいさかったので裂けることもなく
切開されませんでしたがちくちく縫われました。
全身打撲状態の筋肉痛&いきみのせいの痔が
とてもつらかったです。

ともあれ・・なんとか無事出産できて本当に良かったです。


2005年03月24日(木) 出産前日

今思えば・・この日が出産前日でした。(^^ゞ

今度は動けっていうのか〜!
と前日の日記に書いたように
かなり精神的にまいっていました。

3/14のシロッカー抜管の後は
ほとんど毎日前駆陣痛との戦いの日々で寝不足状態。

この日も明け方から10分おきの痛みがありましたが
痛みは前回出産時MAXよりは程遠い。

この日は朝武士を保育園に送って
”動け”ということだから
ちょっとドライブしてみようと
楢川の7-11まで行ってみました。
この時点でも10分おき。

明け方から換算するともう6時間も10分おきかと
家に帰ってきて2時間ほど様子をみるものの
やはり痛みの波は変化せず10分おき。

前回の分娩時間が3時間30分と急産だったため
15〜13分おきになったら
病院へ来るようにという指示だったため
11時40分になっても10分おきで
迷いつつ病院へ電話をすると
入院の支度をしてくるようにということ。

またフライングかもしれないないので
自分で病院へ車を運転していこうかと思ったけれど
一応主人に電話をすると
昼休みに送って行ってくれるということで
主人の運転で病院へ行く。

前回の入院時に出産用の荷物は病院へ預けてきたので
今回は自分の身一つでOK。

主人は午後仕事があるため
いったん職場へ戻っていきました。

診察によると子宮口は5cmで入院。

シロッカーの影響で筋肉が堅くなっているため
陣痛があるもののお産の進みが遅いという説明を受け
場合によっては筋肉弛緩剤の投与をしましょうとのこと。

陣痛室には先にお一人入院中で
旦那さまとふたりで痛みにじっと耐えている様子。

うらやましいなあと思いつつ
私の場合・・私が痛そうだと”痛い?もう産まれる?”と
変な言葉をかけられて私が主人にきれちゃいそうになるため
とりあえずすぐに来てもらうわず
夕方時間があったら来てもらうことにする。

とりあず動いた方がいいだろうということで
陣痛室から病院内をふらふらさまよう。
ずっと安静だったため
体中の筋肉がおかしいことになっているし
痛みはまだ耐えられるものの
動いてないとなんだか気持ちも落ち着かない。

お昼過ぎの入院だったためお昼はなしで
ポカリスエットで夕方まで過ごす。
この間陣痛10分おき変わらずだが
だんだん腰がひどいことになってきていた。

夕方4時過ぎ同部屋の方が
分娩台にのって1時間くらいで出産。
時間的に同じにならずよかったとちょっと安心する。

夕方主人と息子が来る。
どうも時間がかかりそうということを話して
一度帰ってもらって武士を寝かせた後
顔をだしてもらうようにする。

まだ痛みの波が不規則のため筋肉弛緩剤を投与
おしるしの出血がある。

主人が再度来てくれたときには
寝不足と痛みと薬の影響で
自分で陣痛間隔がわからないので
主人に時間をメモしてもらう。
午後11時過ぎ・・武士をひとりにしておくのも心配なので
主人に帰ってもらう。

ここで入院から12時間経過・・まだまだかかりそう。
痛みはこの頃からすごいものになってくる。


2005年03月23日(水) 今度は動け

昨夜から明け方にかけて
かなり痛みがあったものの
15分から10分になり
結局痛みの波は去ってしまう。

うなされていたようで主人が何度も

大丈夫?どう?

と聞いてくれたらしいが
私はよく覚えてない。

たしかに痛かったし
腰がつらいなあとも思ったけれど
おきてどうこうというのでもないし。

妙にいらいらして
武士にも主人にも当たりまくり。

どうも自分が獣か動物になっているようだ。涙
なんでこんなにいらいらしてるんだろう?
体が痒いせいなのか。。

---

検診では子宮口3cmで推定体重3200g。

よく育っているのでもう生まれていいね

ということで今度は動けとの指示。

子宮口が堅くなっている?らしいので
来週の火曜日にまた診察で
そのときに くすり を使うかも
ということだ。

常に息苦しいし、
家にいるときは
常にお腹は張りモードだが
病院だと妙なことにお腹が張らない。
病院が温かで安心だからなのかな??

---

主人のお母さん襲来後・・家に帰りました。

詳しいことは聞かないけれど
武士の入学祝と食料を持ってきてくれたそうです。

---

今日は主人がしょうが湯を作ってくれました。

あまり主人をいぢめないようにしたいです。。


2005年03月22日(火) さてさて

さてさて今日は武士の誕生日。
特別なことを今日はしないけれど
武士はかなり楽しい一日だったようだ。

天気がいいなら
赤ちゃん用の肌着の
水洗いでもしようかと思っていたが
今日は雨。

赤ちゃん本舗から届いた荷物や
新生児用パンパース、
茨城からの衣類の箱、
武士の入学式のスーツの箱などを
押入れにまとめる。

ちょっとした力仕事だから
腰やお腹の痛みと相談しつつ休み休みやってみた。

しかし安静生活のせいで体力が本当に落ちている。
気力的にもがっくしだ。

こんなときはマイペースが一番だ。
とても主人のおかあさんに明日は
絶対会いたくはない。

---

明日は武士の卒園式。

私は病院で診察のため
主人が卒園式に出てくれる。

午後は主人のおかあさんの襲来のため
私は病院から
主人のおかあさんがうちからでるまで
車でその辺をさまよう予定。。

最近自分の性格が凶暴化している。
前の妊娠・出産時のときにはなかった現象。。
なんでだろう?
まず何を言われてもむっとしてしまう。

主人が救命救急系統のテレビ番組が好きで
けっこう医療にも詳しいわりに

他人が痛みを我慢しているのはみているのもいや

というのがとても気に入らない。

主人は私がつらいとき
腰などをさすってくれることもあるが
どうもつぼにはまってない。

しかも陣痛に近い痛みは
時間が長いというのがわかってないようで

”(まだ)具合が悪いの?”

”それ(痛いなら)ならいつ生まれるの?”

”この日は予定があるから武士の面倒をみれないんだよなあ”

などなど・・
とても困ったみたいな表情をされると

”このひとって思ったより冷たいんだなあ”

と思う。

結婚当初・・
なにかあったら武士の面倒や家事は
ばあちゃんがいるから大丈夫!というのは
円錐切除の退院1週間で思い切り裏切られている。

その後の彼女の暴言の数々で武士も

”おとうさんといっしょじゃないなら
 怖いからおばあちゃんには会うのはムリ”

というくらいになってしまっている。

産む前でさえこんなに神経ささくれだっているのに
産後主人のおかあさんに妙な暴走でもされたときは
私はきっと切れるだろうと思う。


我慢しても悲しくなるので思ったことは
しょーじきに書くことにしようと思う。

---

日記からリンクさせていた
kaorinworld2のリンクを
3/20をもって切りました。

3/31までHPデータは残っていますが
アドレスをかえて
また時間をみてHPを作ろうと思っています。

出産のタイミングでデータのアップが
どうなるかわかりませんが
気長にやろうと思っています。


2005年03月21日(月) 武士5歳最後の日

武士は6年前の明日・・3/22に生まれました。

午前4時くらいに破水?尿漏れ??という感じで
その時点で軽い生理痛が12分おき。

午前7時に産院に電話をし・・
初産だから今日生まれるかわからないけれど
入院支度をして8時半の診察に来てくださいといわれる。

当時実家から40分の産院へ
実家の両親と姪っ子と私の4人で病院へ行く。

産院に到着し玄関前で大量破水のため入院が決定し、
点滴・浣腸などの処置をうけ
その時点ではまだ子宮口がひらいてはいるものの
まだまだね〜と言われ、院内を歩くよう指示される。

院内を歩いているうち・・
おさまった下痢のような痛みがひどくなり
トイレと病室をいったりきたりをかなりの回数こなす。

午前10時半くらいから痛みがかなり本格的になってくる。

病室には実家の母がいたが
妹のときの出産はトイレよりも吐き気がひどくてね〜
なんて話をしているのを聞きつつ痛みに耐える。

11時すぎくらいに・・
病室の壁をこぶしでたたきわれそうなくらいの痛みになる。
助産士さんがあまり様子を見に来ない。
気づくと股の間になんだか違和感があるので
分娩室近くのナースステーションへ行く。

初産だからまだじゃない〜??と
助産士さんはいうけれど
股の間になにかあるみたいですぅというと
一応分娩台にのるよう指示されて
分娩台にのると助産士さんがいいました。

もう全開で頭でてるわ・・先生呼ぼう。苦笑

いきむのを逃そうとしていたけれど
もう頭が見えちゃっているし・・
かなりの痛みだったので
2回半か3回のいきみでするんと武士誕生でした。

最終検診のエコーでは
推定体重3000g超ということだったけれど
出生時の体重は2495gで
すぐに保育器に入ることになりました。

今回の出産はどうなるんだろう。。

---

今日は午前中から松本方面へ主人と武士と3人でおでかけ。

武士はゲームセンターでムシキングをやって
家具屋さんでリフォーム後の家具をみて
南松本のジャスコでIH用のやかんや圧力鍋を買いました。

武士はおもちゃ売り場で
誕生日のプレゼントを買ってもらい
コージーコーナーで
小さいデコレーションケーキを買いました。

お昼はデニーズ。

のんびりゆっくり帰ってきて
武士は公文、主人はリフォームしている家の修理?
(お金出して大工さんを頼んでいるけれど
 自分で直したいみたい・・なんで??)
私は久々に夕飯の支度。

夕飯後コージーコーナーで買ったケーキに
ろうそくをたてて火をつけて
HappyBirthdayを歌いました。

明日陣痛がくると誕生日・・いっしょだなあ。


2005年03月20日(日) でかけてみました

今日は主人が仕事で
朝6:30から夜22:00くらいまで不在。

今日を乗り切れば
いつ産んでもいいと思うと気分も晴れ晴れ。

---

3/23の午後の主人のおかあさまご来訪も

私は顔をみるだけで
具合が悪くなりそうなので
病院の診察が終わっても
おかあさんが帰ったと
ご報告をもらうまでは
家に帰らないで車でさまよっているので
ご自分で対応よろしく!

と言ってある。

そう主人に言ったら
本当にすっきりした。

前回のおかあさんのご来訪も
主人がおかあさんからの電話を受けて
しかも主人はご訪問の際
主人が仕事で不在になるのに
来てもいいという返事。
しかも仕事で不在ということを
私は当日の朝に主人に教えられた。

私はおかあさんのお相手ができないくらい具合が悪いので
ここに来ないでほしいと
電話するように主人に頼んだのは本当に切実で
これ以上嫌になりたくないと思って言ったことだったんだけど
主人はその断りも電話も忘れてた。

いまだに愚痴をつらつら書くくらい
私は本当に嫌な思いをした。

あの時点で会わないでワンクッションおけたなら
今回ここまで嫌がらずにすんだのかもしれない。


でも・・ここで私が彼女に普通に接して
恩着せがましく産後の家事をしてもらうことになって

(主人のお母さんの狙いは
 おにいちゃん(主人)はおかあさん(主人の母)が
 いなくちゃダメでしょ?
 という状態で
 私と主人がありがたいなあと
 たくさん言う状態)

全然気に入らないのに
感謝しなくちゃいけないなんて
すごく精神状態に悪いと思う。

さらにいうと・・
他人に武士を預けるなんてかわいそうだから
主人のおかあさんは武士を預かりたいなんていうけれど
それだって口ばかりで
ちょっとした武士の言葉尻ですぐ

”そんな口のきき方ってないでしょ!!”

と切れるから武士が怖がっていること
主人のおかあさんは知らないんだよな。

だいたい5歳(もうすぐ6歳)の子供のいうことなんて
テレビのCMのまねだったり
深い意味(嫌み)があるわけないって
どうして70歳にもなってわからないんだろうなぁ。

私がそれを毎回解説しても・・武士につっかかって

”どうしてそういう言い方をするのよ?
 育て方なのね!”

なんて武士にいうので・・
5歳の子供にまで気を遣わせる
主人のおかあさんは本当に恐るべしです。

---

今すごく心配しているのは・・
リフォーム後の台所に
主人のお母さんがわがもの顔で立っていること
想像しただけでもぞっとする。

主人も自分のおかあさんに
会いたくないみたいだが
それなら

保育園の謝恩会があると前日に電話すれば?

とだけアドバイスしてある。

でも多分そう電話したって
家で待ちぶせするだろうな。>>主人のおかあさん

あぁ本当に嫌だ。

主人のおかあさんとおとうさんに会いたいと言っている
私の両親を出産後の4月以降
茨城から木曽へ来てもらおうと思っている。

主人は主人の両親と
私の両親を会わせたくないようだけど
さすがに私の両親は武士のこともあるから
主人のご両親を一度くらいは会ってみたいらしい。

---

名前付けに関しても夫婦間では
だいたい話がついている。

女の子なら私の一文字と主人の一文字で
男のなら主人の一文字と私が気に入っている
呼び名の名前で。

武士のときは・・
女の子なら私が名づけることになっていた。

私の両親も前の旦那の両親も
名づけに口出しするなんて
嫌われることはしなかった。

だいたい生まれてくるこの子で
私の出産は最後なんだから
いろいろうるさくして
胎教に悪いことをしないでほしい。

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今日は午前中ごろごろしてお昼前に思い切って
武士とふたりで塩尻まででかけました。

誕生日のプレゼントには早いけれど
絵本を1冊と武士が小学校に上がった際に使えそうな
100ます計算のドリルを買いました。

私は情けないけれど計算がとても苦手。
いまだに一桁二桁の計算が??となる。
どんなに文章問題がとけても
最後の計算でミスすれば0点という
悲しい思いをずいぶんしてきた。苦笑

今武士は公文で国語をやっているけれど
算数はこの100ますプリントが
効果がありそうだから
私も少しつきあってやってみようかと思っている。
老化防止になりそうだし。

本屋さん経由デニーズで
のんびり二人でお昼を食べた。

武士と二人きりで
デニーズなんて円錐切除の手術前、
諏訪から木曽に引っ越したとき以来だ。

出産後また怒涛の日々がはじまれば
武士とふたりでのんびり外食なんて
たぶん数年後になりそう。
武士はそれまで今日のことを
おぼえていてくれるだろうか。

その後タリーズコーヒーまで足を伸ばして
武士はアイス、私はアイスラテをテイクアウトした。

こんな風に自分の好きに動けるのは
本当に最後だろうな。

別に主人との外出が苦痛ではない。
ただ主人はのんびり外出というよりは
きびきび動くのが当たり前。
5歳の息子でさえも
いそがないとおいていかれちゃうと思うくらいだ。

だから置いていくぞ!といわれるのが
武士はとても怖いそうだ。

赤ちゃんができて
だんだん大きくなっていくうちに
赤ちゃんからこどものペースというのを
主人が学んでくれるといいんだけれど。


2005年03月19日(土) 少しだけ動く

今朝はお腹がすいて寝ていられず
久々に自分で朝ごはんを
作りました。
ここ数日・・主人に朝ごはんを
つくってもらってました。

私はおかずがなくてもいいから
ごはんがてんこ盛りが好きなんですが
主人は男の人にしては小食。
ここ数日・・
私はひもじい思いをしてました。涙

あまり食べる量が少ないと
うんちくんもでなくなるんですね。
びっくりです。

---

今日は温かでいい天気でした。

武士と主人は午前中塩尻に買い物へ行き
私は久々に少しだけ
家事らしきものをしました。苦笑

布団とこたつ布団をベランダに干して
シーツを洗濯して
2部屋に掃除機をかけて洗濯をしました。

情けないですがこれだけで
息が切れて溺れている人状態です。

主人がいうようにこれを2日続ければ
体力が以前と同じになるんだろうか。
かなり疑問だけどそういうものか。

---

リフォームをはじめて1週間・・
ユニットバスと玄関や窓が入りました。

あと断熱材をいれてフローリング&内装と
システムキッチンの配置、
給湯設備の配管と移動。

1週間でできるんだろうか。
最後の3日くらいはお風呂に入れない。

昨日主人は雨漏りで腐っている部分を発見して
今日大工さんが帰った後
自分でそこの部分を直しています。

私は大工さんに相談した方が
いいんじゃないかなあと言ったけれど
自分でやっちゃうみたいです。

設備屋さんにお願いしていた
浄化槽の後始末も
先週半日かけて自分で片付けて
見積りのここの部分節約したから
建設屋さんにメールしてよと言われて
自分で動けることって本当にすごいなあと思いつつ
さすがに私からその分値引きしてと
メールするのはできませんでした。

今日設備屋さん(主人の弟さんと同級生)が
申請書類を持ってきたので
主人が先日浄化槽を埋めちゃいましたと話すと
その分見積りからはずしますねえと言われたけれど
なんだか少し恥ずかしかった。。

確かに当初の予算より
お金がかかることになってしまい
主人もぴりぴりしています。

家計簿を毎晩つけているときも
ため息ついているし。

私もろくに家事もできないし
いらいらしているので
うんざりって思っているだろうな。

でも安静ってとてもつらい。

なんとか明日を乗り切って
明後日一日武士と主人と3人で
松本方面へ武士のプレ誕生日を
楽しむことができるといいな。

もう分娩の荷物は木曽病院に運んであるし
陣痛がきたら母子手帳と保険証をもって
私がいけばOKなのだ。

他人の痛みをみたくない主人には
私を病院に送ってもらって
家に帰ってもらってもいいんだもの。







2005年03月18日(金) 最後までマタニティブルー

今回の妊娠はいろいろありすぎて
いまだに前回の頭の中が
Happyピンク状態になっていない。

妊娠も思いがけないことだったし
ここまでなんとか必死で
過ごしてきたという感じで
武士の出産のときのような
ほわほわ幸せモードは皆無だ。

---

分娩後も主人のご両親の行動が怖い。
へたしたら毎日来るんじゃないだろうか。
本当にいやだよ。

産後の家事に主人のお母さんは
意欲があるようだけど
昨年11月から12月の
たった1ヶ月ちょっとの同居で
精神的にとても疲れ果ててしまった私は
今じゃ顔もみたいないくらい嫌になっている。

台所にびちゃびちゃの入れ歯入りケースを
食べ物の側に置くのもたまらなかった。

5歳の武士の言う言葉尻を
いぢわるくとって勝手にいじけて
武士がいるから
私が出て行くと怒って家を出て行き
数日後何事もなかったかのように戻ってきて

武士がそのとき

おばーちゃんはなにしにきたの?

と言った一言に切れて
そんな言い方するあんた(私)の育て方が悪いと
怒鳴り散らしたのもびっくり。

あんな言い方されたらお腹の子だって
預けられないなと感じたことは
わからないだろうか。。

武士には本当に切なく
かわいそうだったなあといまだに思う。

だから3/20までは絶対に産めない。
武士を塩尻のおかあさんにみてもらうのは
私も武士も絶対にいやだ。

主人のお母さん除けに茨城の実母を呼ぼうかな。
でも私の母はこの家じゃ
多分数日もたないで茨城に帰るだろうな。

---

だいたい主人のお母さんは一緒にいても
私ががんになったのは食事や運動に
きちんと気を遣ってないからで
悪いところは早く切ってもらえばいいじゃないと
もう何万回も私に言っている。

でも今は私はお腹に
赤ちゃんがいて切ったりはできないんですよ

好きで認知症やがんになる人なんていないですよね?

と何度言ってもエンドレスで同じ会話。


私の母親もかなり変わっている人物だが
娘の私に

がんを早く切れば?

とそこまで突っ込んだことは言わない。


思わず笑えるのが主人が一緒のときは
主人のおかあさんはそのエンドレス会話を
絶対に言わないのだ。苦笑

70歳の年寄りのいうことだから多少のことは許してよ
と主人に言われても
最近はため息どころか
顔が能面みたいになってしまう。

もし家事をしてもらうことになったらと
憂鬱なことばかりが思いついてしまい
気持ち的にたまらない。

今一番気が重いのは
日曜までに陣痛がきたときは
どうしようということだ。

今現在10分くらい立っているだけでお腹は張る。
昨夜は主人が帰宅する前に腰が砕けそうな痛みで
横になってお腹の張りを逃して
なんとか張りは去ったけれど

陣痛がこないで〜、
今だとあんたのおとうさんが迷惑だっていうんだ〜

と心で赤ちゃんに思うことが本当にしんどい。

日曜までもたせて月曜から動いて
ちゃっちゃと産めばいいでしょう

と主人に気楽に言われると
うんちするのも見張られているようで悲しい。

武士がいなかったら
そんな気遣いしなくても
いいのにとも言われているようだ。


安静にと横になってばかりだから
筋力が落ちて体もぼろぼろ。

それを主人に言ったら

2日くらい普通に暮らせば筋力なんて戻るよ

だそうである。

---

汚い話だが今のお風呂じゃ
体が温まっているうち
動悸が激しくなってくるし
息子と入るとせまくて体も洗えないうえ
体中がかゆい。

先日木曽病院に入院したとき
ゆっくりシャワーを浴びて髪を洗って
少しほっとした。

---

3/22は武士の誕生日で3/23は武士の卒園式。
出産しちゃだめという
プレッシャーは本当にストレスで嫌になってしまう。

そして3/23の午後・・
主人のお母さんがいらっしゃるそうだ。

たぶんお腹の子供の名づけで
いろいろ言いたいんだろうな。

それも以前から私は主人には
話せないでいたが
(主人は占いは嫌い)
かなりのご意見をお持ちです。

占いや印鑑にお金をたくさん遣っているので
そのすごいご意見を
いいたくてしょうがない様子だったよなあ。

主人のお母さんは
私に同意をお求めのようだったが
私もうんざりしていたので

赤ちゃんの名づけは
全部主人に任せていますので

と素通りしていた態度が
気に入らないのかも。

考えただけで息切れがする。
こっちは具合が悪くていらいらしているのだから
ご心配はいいが・・
はっきり言ってもう勘弁してもらいたいものだ。


2005年03月17日(木) 安静もつらい

ひとつの目安として・・
3/20までは
赤ちゃんにお腹にいてもらおうと思って
ひたすら安静にしています。

でも安静もしょーじきつらい。
安静生活のため筋力が落ちて
ちょっと動くだけでも
息が切れて動悸がします。涙

こんなで果たして
出産できるのだろうか。。

---

今日は主人が仕事で遅いので
武士の保育園のお迎えと公文の送迎と
夕飯のお弁当の買出しに行きました。

たったこれだけなのに
息はあがっちゃって情けないです。

武士には

深呼吸するといいよ〜

なんていわれちゃうし。

---

リフォームの工事が進んでいます。

今日は玄関のドアと窓が入って
電気工事でコンセントの位置が決まったようです。

---

武士が昨夜・・

赤ちゃんができて
子供が二人になって
子供の世話をするのがたいへんでも
僕を捨てないでね

いい子でいるから

と言いました。

なんだかあまりに切実な声で悲しくなりました。


2005年03月16日(水) 退院しました

今日退院しました。。

破水も怖いし・・
生まれるまで病院にいたいと思ったのですが
今インフルエンザで入院している人がいて
入院中の妊婦さんも
インフルエンザに感染しちゃっているので
安全をとるなら退院がいいですよということ。(^^ゞ

お昼に退院して帰ってきました。

しかし入院中は抜管したせいなのか
とてもよく眠れました。

胎動もかなり元気なって
くにょくにょよく動いています。

昨日病棟の担当だった先生は主治医ではなかったので
推定体重はまだ2400〜2600gということだけど
ここまでもってくれたので
あと少しがんばってもらいたいです。

子宮口は2cmなので
破水・発熱・出血・
13分おきくらいの陣痛がきたら
即電話してくださいと言われました。

---

名前も私と主人の意見が分かれているものの
だいたい決まりつつあるし。

一文字の名前でも私はいいと思うけれど
主人は二文字がいい

(苗字が一文字なので
 名前が一文字はバランスが悪いという)

というんですが難しいなあ。

---

ちょっと”えぇ〜”という出来事がひとつ。

今日の昼に主人に退院のお迎えに
来てもらったのだけど
そのとき主人が見ただけで
血圧が上がるほど不機嫌になる
主人のお父さんが木曽病院に来ていたのと
すれ違ったんだ、やだやだ・・
と話していたんです。

そこで私はなんだか
いや〜な感じがしてました。

夜になって主人のお母さんから電話があって
上松の家にきて私の自動車がないことを確認して
その後わざわざ木曽病院まで
私が入院しているかを確認しに来たそうです。

で・・どうして入院したことを電話しないのかと
主人を責めていたとのことで
主人は気の毒なくらいいらついてました。

シロッカーを抜く入院をするとは
私もおかあさんに話していたし
1日入院ですとも話していたけれど・・
なんだか気持ち悪い対応でたまらないです。

ご自分はここに来るときも電話もなしでくるのに
私が入院するときはいちいち入院しますと
前日電話でもすればよかったのか?

幸い名札を見ただけで
お二人はお帰りいただけたのですが
顔をみたら・・
私も血圧があがりそうだと思いました。涙

主人は病院に話して名札をださないようにしようというし
私は主人と息子以外に今回の出産であのお二人には
陣痛室や分娩室に入ってきて欲しくないから
出産入院のときは入ってこないよう
病院関係者に言わなくちゃなあと思ってしまいました。

経過が悪い妊娠で
心配なのはありがいとは思うけれど

(実際具合の悪いときに鬱陶しい質問攻めばかりの
 ご訪問にかなりまいっています。。)

顔をみたって嫌みなことしか言われないので
私としてはもう本当にたまらない感じ。

武士の出産のとき実家でもブルーでしたが
ここではさらにうえーーんな状態。
胎教にも悪いよ。

実際・・主人が選挙の日や卒園式のときに
武士をみてもらえると
ありがたいなあとも思うけれど
年末のかなりいやーーなやりとりで
武士も私も主人も嫌な思いをしたし
武士をひとりで
おかあさんとおとうさんの元へ預けるのは
とても勇気がいります。

しかも・・
どうしてもっていうなら
やってあげてもいいわよ〜
という雰囲気がたまらない。。

なにがなんでも頭をさげたくない気持ちに
なってしまうのはわがままなんだろうか。。

そういう理由で3/20までは安静でいきます。


2005年03月15日(火) 深夜入院

シロッカー抜管前日の夜・・
お腹の張りが10分おきから
だんだん狭まってきたため
病院に電話して入院しました。

元々お腹が張ることも多くて
時間的間隔が一定から短くなることがあっても
(痛みは陣痛とはちょっと違う・・)
それが数時間も続くことは少なかったので
かなり怖かったです。

で・・病院で深夜1時くらいに
シロッカー抜管。

これがけっこう痛かったです。

担当医に

”これだよ〜”

とみせられたのは
まさに管状のもので丈夫そうな短い管。

その時点で子宮口は2cm。

張りの波は10分から8分。
そこから6時間かけて3分おきになったものの
大きな痛みにはならず生まれませんでした。。

3/20が町長選挙で3/22は武士の誕生日
3/23は武士の卒園式だから
その後の3/27あたりがいいなあ
なんて話していたので
でてくるのが悪いとおもってしまったのかもしれません。

---

陣痛室で1日過ごして退院になる予定。

シロッカー抜管は痛かったけれど・・
これをひきちぎってうまれてきちゃう恐怖は
私にはたまらないものがあったので
抜管したことは良かったです。

これでもうちょっとだけお腹にいてほしい。。


2005年03月14日(月) 明日シロッカー抜管

明日はシロッカー抜管です。

自分で車を運転も怖いので
お昼休みで帰ってくる主人に病院に送ってもらい
午後1時に妊婦検診を受けて
その後処置を受ける予定。

切迫早産気味なので
内診も1ヶ月以上してないし
この抜管の刺激で陣痛がくるとも限らないので
念のため1日入院ということ。

あぁ・・陣痛がきちゃうのだろうか。
こわいよぉ。。
武士の妊娠出産のときとは不安感が違う。

確かに主人が町内で仕事をしているから
電話すれば来てくれるけれど・・
なんだか言いようのない怖さがあってどきどき。

陣痛に似た痛みもあるから
ひたすら横になっているものの
安静にしていると痛みが遠くなるので
まだまだなのかなあ。

さてさてどうなることやら。。


2005年03月13日(日) 安静、安静

張りもあるし寒いので安静にしています。

お腹の赤ちゃんはまだ2500gはないようだし
エコーでの推定体重が私のお腹の脂肪で
予測より少ないとやはりかわいそう。

動いていると下に下がってきてしまうので
ひたすら横になっています。

しかし・・動かないというのは
ストレスがたまる。。

---

木曽は雪模様・・
先日までの温かな日々がうそのようです。

寒さで石油ファンヒーターの給油が
とても頻繁になります。

---

今日は主人が給湯器を移設する下準備と
たまっていた洗濯と家事をしてくれました。

武士に

おとーさんにありがとーっていうんだよ〜

と言われました。。

---

明日1日乗り切ればシロッカー抜管。
痛くないといいな。

病院なら生まれちゃっても
安心というのもちょっとうれしい。。

しかし二人目というのにやたら心細いです。

なんだかブルーな気分。。


2005年03月12日(土) リフォーム開始

木曜日にはじまる予定でしたが雨のため
今日から解体作業でリフォーム開始。

今日は雪が舞う寒い日・・
私は昨夜の前駆陣痛で朦朧としていて
全然動けませんでした。。

1時間くらいかけて解体した後をみて
こんな風だったんだ〜としみじみ。

手術後この部屋で
1ヶ月ちょっと過ごしたけれど
妙に寒かったわけがよくわかった。。

主人が中学生のときにたてた家は
2階部分を主人と主人の弟さんが使っていただけで
生活していたのは古い家だったためか
解体してもほこりがあまりなかったです。

主人にとっては思い出の家の解体で
なんだかストレスになるなあと言ってます。

---

3/20が町長選挙のため
主人は早朝から夜11時まで仕事。

その日に私が不在のときは
武士は主人のおかあさんのところへ
預けることになりそうだと主人。

昨日の夕方そのことを武士に言うと

赤ちゃんがくるのが
その日より後なら
行かなくてもいいんだよね〜。
たのむからおなかにいてね〜。

と私のお腹をなでてました。

そうか・・やはりそうなんだね、武士。。

塩尻の家も主人と一緒に行くなら安心だろうけれど
武士がひとりでお泊りというのは
私の実家以外ではまだ未体験。

たぶん心細いと思うし
これ以上かわいそうなことは
ないだろうなあということで
安静をこころがけるようにしてます。

私はもうちゃきちゃき動ける状態じゃなくて
90歳のおばあさんのような
緩慢な動きでしか動けない。
武士の出産のときの順調さを思い出すと
情けないなあと泣けます。

そういえば洗濯も山になっているなあ。
あうあう。

---

主人は午後から松本へおでかけ。
私と武士はお留守番。。

おきているのがやっとだったので
主人がでかけて横になって
午後3時くらいに
武士も布団にもぐりこんできて
ふたりで寝てました。

動くことがつらいから
お弁当を買ってきてと頼んだので
夕飯は7時半すぎ。


帰ってきた主人に

おかあさんに電話してね

ということそれがかなり気に障ったらしく

もう電話なんてしない!

とのこと。
しかもその後口をきかないし。
前回電話してくれなかったせいで
かなり嫌な思いをしたんだけど
それは悪いと思ってないんだな。

自分が元気なら電話してもいいんだけど
私はとてもそんな気力もない。

おかあさんが歯医者のたびに来ていただくも
今の生まれそうだけどまだ待って状態では
体がつらいんですけどね。

たぶん次のおかあさんの歯医者の日は火曜日。
その日私は午後1時から入院だよ。

そんな日に
うっとうしい思いをしたくないというのは
私のわがままなんだろうか。





2005年03月11日(金) 今日はおとなしくしております

昨日上松〜松本のドライブを楽しんだので
今日は一日おとなしくしています。

武士の保育園の朝の送りは主人に頼んで
家から出ないようにして。
今日は雨だからちょうどいいのかも。

やはり車の微振動は
早産気味のお尻には微妙です。(^^ゞ

---

たんすを移動させたので
衣類の片づけをする。

私の下着なんて
もう半年以上もつけてないものが多数。
諏訪から上松に引っ越すときも
かなり大量に処分したけれど
今回もかなりの量を捨てることに。

妊娠以降着る服も3パターンくらいだし
体はひとつしかないから
特に多くの衣類は必要ないなと思う。

意外と多いのは武士の衣類。
茨城の着道楽の妹や母から
衣類をもらうことも多かったし
成長の伸びが低い方だからなあ。
(現在110cm〜120cmのもの)

たぶん主人の衣類が一番多いのかもしれないな。
赤ちゃんの分の引き出しも用意しておかないと。

---

京都のてすこさんから
アップルパイの作り方で電話をいただく。
なるほど・・パン粉がポイントなんだなあ。

今日は寒いので元気なときにつくってみよう!

---

今日は保育園で3月の誕生会があったらしい。
武士は3/23卒園式の前日に6歳になる。
本来だと3/18が卒園式だったが
町長選挙のため日程がずれたそうです。

武士に聞いてみると

お誕生会・・長くてしつこくて・・疲れた〜

ということ。(^^ゞ

しつこいってなあに??って思ったけれど
自分が主役になる年に一度の機会だから
緊張したんだろうな。。

---

夕飯はちょっと迷ってホタテ入り餃子。

昨夜の伊藤家の食卓で
皮のくっつかない焼き方というのを
放送していたのでそれを試してみる。

主人も武士もおいしいと食べてくれるけれど
私としては焼き方がちょっと不満。。
やはりかりっとパリっとが物足りない。

今度は皮がくっつかない焼き方よりも
前の焼き方にしようっと。

---

午後10時半から翌午前1時過ぎまで
ある一定の前駆陣痛がある。
けっこう怖い。

主人は晩酌してぼーっと転寝していてむか〜っ。

武士のために雑誌てれびくんの付録を作って
疲れちゃったに違いない。

出産準備のバックを茶の間に
移動させて中身を確認。

明日松本へ行こうと思っていたがやめた方がいいかも。
でも一人になるのがこわい。。


2005年03月10日(木) みえた気がする・・・

今日は信大病院へ
出産後のがん検診についての相談に
主人と行ってきました。

木曽病院で出産予定はそのままだけど
やはり昨年の経過がわかっている
信大病院で治療するのが
いいだろうと思うので。

12時に予約を入れていたけれど
前の診察が遅れていて
結局13時過ぎに診察。

先日の3bという検査結果は
木曽病院の主治医から
信大の担当医に電話連絡してあって
産後1ヶ月くらいに
木曽病院で再度がん検診を受けて
再度円錐切除などの治療が望ましいということ。

このはらぽてのお腹じゃ
今すぐどうこうできる状態でもないし
木曽病院の主治医さんと信大の担当医さんは
知り合いということも
今日の診察でわかってすこし安心した。

なにかありませんか?と医師に言われて
エコーをみたいと言ってみました。

木曽病院じゃ性別を教えてくれない上
主治医がエコーもみえないようにするし
エコーの写真もくれない。。

赤ちゃんの推定体重しか教えてくれない。。


信大の担当医も

私は性別は言わないんですよ、
お楽しみということで・・

ということだったけれど
ゆっくりエコーしつつ
ここが頭で足がこうで説明してもらい

しっかりみえた気がします。苦笑

これで名前を考える手がかりができたぞ。。

今のところ候補に挙がっているのは
いつくかあって・・
迷うなあ。やはり。。

---

今日からリフォーム開始ということだったけれど
明日以降になるらしい。
明日の雨の状況によっては明後日から。

今朝主人が重いし職人さんの手を借りて
移動させようと思っていたタンス2つを
病院へ行く前に移動させた。

このタンス本来は3点セットだったが
1つは前の家に持ち出せずに
下諏訪においてきてしまった。

3つ並んでおくことが
一度もできなかったのが
ちょっと悲しいが

(3つ並ぶとタンスは2畳分になる・・でかい)

こればかりはしょうがない。

この2つのタンスが並んでいることは
出産後茨城の私の両親がみたら
きっと喜んでくれるだろう。



2005年03月09日(水) 体重管理

金曜日・・妊娠中毒症かもしれないということで
塩分と体重管理のスタンプを母子手帳にぺたり。

主人は仕事&自己管理で出された料理を
ぱっと見ただけでこれは○○○カロリーとわかる人。

木曽病院の主治医の前で

あんたの作る食事は
だいたい○○○カロリーくらいだから
食べすぎなんだよ〜

と主治医に話して、

じゃ、旦那さんに食事管理してもらって

ということに。。

たいへんな中・・
主人が食事つくりを担当してくれて
昨日の朝の時点でマイナス1キロ。
すごい効果だ。

昨日の夕方から夜にかけて
なぜか下痢になってしまいさらに1キロ減った。
お腹の中がすっからかん状態。。

ちょっとだけ体が軽くなったら
少しは体が楽になってきた気がして
私がまた食事作りをしているが
立っていられる時間が
またさらに短くなっている。とほほ

---

武士は今日休んでのんびりしてもらった。

午前中は起きていてDVDなどをみて
私はこたつ布団の洗濯と掃除
武士の服の繕い物をすませる。

私は午前中で一日の体力を
使いきってしまったみたい。

お昼ごはんを食べた後に
病院からもらった風邪薬を飲んで
武士はこんこんと眠りました。。

やはり体が疲れているみたい。


2005年03月08日(火) 入院回避

今日は咳ののこる武士は
マスクをして保育園へ行き
武士になにかあったら
主人の職場へ連絡がいくようにする。

武士としては
大好きなおとうさんと
二人きりの方がいいような感じもするが
さすがにはっきりとそうは言わない。

テレビの放送に反応して

”フランダースの犬だ”

と私が言ったら武士には

”だんなさまのいえだ”

と聞こえたそうです。
私の発音が悪いのか
武士の耳が調子がいまひとつなのか。

---

前回でうんざりしたので土日あたりから
主人のおかあさんご訪問回避のため
電話連絡をするように主人に言っていたが
電話し忘れていたらしく・・
今日もおかあさんはいらっしゃいました。

私は検査で病院に行く微妙な時間で
彼女の相手をしつつ昼ごはんの支度は困難だから
電話して来ないように言ってほしいと言ったけれど
忘れていたようだ。

たぶん主人が電話をしても彼女はくるだろうな。

で・・
毎回の通り・・具合はどう?というので

私も具合は悪くてたいへんだから
主人から電話するように話したのですが
電話・・ありませんでしたか?

と言いましたよ。

電話はないわ〜というので
帰るのかと思ったら
茶の間にあがってこたつに座っているし。苦笑

そうなるとお茶をいれるのに
お湯をわかさないといけない。

動かないでとは言われないので
お茶を入れ話を聞いて。

主人のおかあさんは
お産の後の家事は任せてというものの
円錐切除の手術後も
お風呂洗いも食器洗いも全部私が担当で
時々洗濯物をくちゃくちゃに取り込むのと
料理を大量に作るだけの家事だものなあ。

それなら実家の母の方がきれい好きな分いいかな。

但し彼女は取り扱いがたいへん難しい。
実家の母は他人にちやほやされたいし
便利なことに慣れているので
ここの暮らしに適応できるかとても疑問。。

以前下諏訪の公団住宅に引越しの手伝いに来たときも
こんなせまいところにいるなんて
息がつまると数日で帰っていった。

産後の家事をしてあげるわよと言われるものの
とてもお願いしたいと思えない悲しさ。。

---

で・・主人が帰ってきたので
急いで作った蕎麦をだして
入院荷物を車に積んで病院へ行きました。

そうしたら入院回避。。

連日の前駆陣痛とお腹の張りで
ぐったりなので
ちょっとがっかりだったかも。

ただ・・電話で主人に
入院しなくていいってといったら
よかった!といわれて
ちょっとびっくり。



2005年03月07日(月) 名前書き

武士は今日はお休みして一日ごろごろ。
やはり咳が残っていてかなりつらそう。
午後は薬を飲んでぐったり寝ている。

夕方4時くらいに起きて
子供向け番組をみて夕飯に食べたいという
カレーライスを食べて
武士の大好きな月曜8時からの
地球大自然は録画してもらうようにして
また横になる。

早くよくなるといいね。

---

私は明日午後1時から妊娠中毒症の検査。

最悪のパターンではそのまま管理入院で
シロッカー抜管して、
その刺激で出産?となるので
今夜こそ武士の入学準備品への
名前書きをしなくちゃ。

主人が小学1年生準備号という雑誌で
お名前シールなるものを
注文してくれたので
それをえんぴつ・筆入れ・下敷きにぺたぺたはる。

入学式用の通販でスーツもどきと
下着や通学用の服を買ったので
それにも記名。

お名前シールにアイロンプリントもあるが
これは油性ペンで書き書き。

今回は家で準備するものだけで
算数セットや学校で発注の文具はまだ品物が来ていない。
入学後にくるのだろうか?

こういう細かい作業は
好きだから全部私がやりたいものだ。

その間主人は10日からのリフォームに向けて
部屋の片付け作業。
私は動く作業だとお腹が張るのでシール張り。

---

ここのところ明け方の陣痛もどきがつらい。
3時から5時くらいにかけて断続的に痛みがくる。

まだだからね〜、もうちょっとお腹にいてよ〜

と話しかけているけれど
いつまでもつだろう。

男の子だの女の子だの性別も
気になるが今となっては
元気に生まれてきてくれればいい。

---

私は家にいても体もつらいし
家事もろくにできないから
明日入院でもいいかなと思い始めている。
今回は入院準備を車に積んで診察に行く予定。

でもそういうときに限って・・
入院にはならないんだろうな。苦笑


2005年03月06日(日) いらいら

自分の体が思うように動かないためとてもいらいらする。
陣痛もどきな痛みもあると体は動かない。
横になっても起きていてもつらいものはつらい。

まだ赤ちゃんの推定体重も低いため
産んじゃまずいかなとひたすら横になるが
そんなとき

いたい・・

とか

つらい・・

とひとことでも主人に言うと

もう産まれる?

とか

救急車?

と無表情に言われて
怒りで目の裏が真っ赤になる。

まだ産んじゃダメということで
おとなしくしているものの
それってなんなんだ?と思う。

4/12の予定日だが3月中に産んでほしいなどと
希望は言う主人だが
他人の痛いのは見るのもいやだそうだ。
そんな気持ちはわかるが
このしんどさをどうしろというのだろう。

健康に人一倍注意している主人は
私が妊娠前にもっと体を鍛えておけば
こんなことに(今の状況に)
ならずにすんだのにという。
そんなことを今さら
くどくどとお説教されるのも
気持ち的にしんどい。



主人のおかあさんは来訪のたびに
私のがんの状態を知りたくて
たまらない様子でいろいろ聞いてくる。

そして最後には

おかあさんは
(主人の母は自分のことをおかあさんといい、
 主人のことはおにいちゃんという)
食べ物にも注意しているし
(通販で高い野菜を買うのが趣味)
毎日運動しているから大丈夫なのよ

という。

そこでいつも私は

誰も望んで認知症になったり
がんになったりはしませんよね?

と切り返し

すみませんねえ、具合が悪くて

という。

そんなこと全然気にしないで

と彼女は言うものの・・
毎回同じ会話ってことは
私が健康でないことを責めているようだ。



起きているのもしんどいくらい具合が悪い

と言いたくなるが主人は

具合が悪いなら寝ていればというだけだ。

そんなことが自分の立場でできるのだろうか?
いや・・主人なら無理しても起きているな。
私みたいに眉間にしわよせずににこやかに。


毎回毎回(同居のときは毎日毎日)同じ会話で
私はそういう他にどうすればいいんだろう。
そういえばお腹の赤ちゃんの予定日も毎回聞かれる。苦笑



あといらいらするのは・・
息子の好きなお菓子についての主人のご意見。

息子はカルビーのじゃがりこというスナック菓子と
普通の板のチョコレートが好き。

別に毎日食べているわけでもないのに
じゃがりこを1つ食べるのは塩分が多いという。

そういうものかなあと私は思うが
主人もじゃがりこが好きで1つはぺろりとたべる。
子供と大人じゃ代謝が違うということだろうが
何度も言われると食べさせるなということかと思う。

コンビニにも気軽に行けないから
武士の好きなお菓子くらい
週に1回くらいは
本人の好きに食べてほしいと思うのも贅沢なのか。


いらいらしておかしくなりそうだ。
多分・・武士も主人もへんなのと思っているだろうな。
私だっていらいらしていやになる。

もう9月から髪も切ってないし
お腹も腰も背中も痛い。
人間としてダメって感じ。


2005年03月05日(土) リフォーム準備

建設屋さんから連絡がないけれど
おそらく3/14くらいから工事に入ることになるのかな
と主人と話・・今日明日で荷物を片付けることに。

といっても
私は調子が悪くて
まったく動くことができない。
昨日からご飯も作ってない。

武士は幸いというか・・風邪で寝ている。
インフルエンザではなくて
のどとせきの風邪だが
高熱が続いているし・・かなり辛そう。

武士が元気だと
どうしても作業の足手まといになる。
しかも武士は私より主人がいいので
そういう作業のときは
まとわりついてたいへんだが今回はそれがない。

主人は心おきなく作業できたでしょう。
でも主人は食事も準備もあるから
けっこういらいらしている感じだ。
いくら体調が悪いとはいえ
そこにいる奥さんが寝てばかりじゃ。。

2ちゃんねるのDIYのスレッドに
出産前日まで壁塗りをしていて
出産した妊婦がいる、すごいなあ・・
なんて話をひとりごとで言われると

どうせ私は何もしてないよ、
でもこの私にどうしろっていうんだ・・

と落ち込む。

もっと体調のいいときに
リフォーム計画をしてくれていれば・・と
思ってもどうしようもないよな。


2005年03月04日(金) まずいかも

昨夜から発熱の武士は
今日は保育園をお休み。

午後から私の診察に主人が来るようにということだけど
その時間は午後4時。

調子が悪くて体調が復活するのを待って
家をでて小児科に駆け込むと・・
10分前に受付時間がおわっていた。とほほ

昨夜から熱がひどいと話して
診察してもらうようにして
全部が終了したのが午後1時半。

買い物をして
一度家に帰ってまた午後4時の私の診察に病院へ。

そこで分娩出産を木曽病院にするということを
主治医が主人に確認。

今日の段階でお腹の赤ちゃんは推定2300g。

私は3/8に再度検査をして
妊娠中毒症がひどいときはそのまま入院。
(今日は武士のひどい風邪なので
 一度家に帰って様子をみましょうとなった。。)

3/14か15にシロッカーの抜糸処置のため
1日入院というスケジュールになる。

食事に気をつけるようにということで
今日から主人が食事を作ってくれる模様・・
主人は野菜好きでカロリー計算ばっちりです。

私はその辺はおおざっぱというか
考えることができない。苦笑
まずいかも。。


2005年03月03日(木) ひなまつり

今日はひな祭り。。

武士が昨日から不調だけど
今日は保育園に行くというので保育園へ。

たぶん・・明日はだめだめになっているだろうな。。

案の定・・お迎えのときに

今日はおやつを残しちゃったんだよね

と先生。。

公文の宿題をがんばってやったけれど
教室の前まで行くと

お友達に病気をうつしちゃいそうだから
今日は行かないとのこと。

おでこをさわるとすでに発熱。。
あちゃー。

明日は病院で診察決定だな。

私も調子が悪い。起きているのがようやくだ。


2005年03月01日(火) うーん

今日は主人のお母さんがご訪問の日。

当日の朝になってから
今日はお昼に戻らないよと主人の弁・・
それはないよ〜。

調子がいいときならいいけれど
現在・・ようやく起きて
最低限だけの家事と息子の保育園の送迎だけで
まじで精一杯な私なんですが
その私にどうしろというんです?

そんなこと気にするなと言われても
起きていて話をするだけでも
すごい負担なんですが
わかっちゃもらえない。

前回はお掃除したりできたけれど
今回はとてもそんな元気はなくて横になってました。
だって・・具合が悪いんだもの。

具合悪い=不機嫌に見えることがわかってから
私も必要以上に元気そうにすることをやめてしまったので
なんて嫌なやつなんだと思われているのは
わかっているものの・・
そんな体調のときに来ていただくのはいやだ。

これで赤ちゃんが生まれている状態ならと思うとぞっとする。
産後うつの状態の悪さって・・
筆舌に尽くしがたいものがあるのを思い出してきた。。

結局おかあさんは2時間お茶だけ飲んで
お父さんの愚痴をたらたらと言い続け。

毎度のことながら・・
本人が離婚したくないという以上
根本的解決は無理だ。
息子の主人だってあなたたちのことは
本当に心を痛めているものの
本人たちに他人の話を聞く耳がないんじゃ
話にならない。

100歩譲って健康なときなら話を聞くのも
ボランティアできるが
今の私の体調でそれをしろというのは
胎教にも悪いんだけど・・
わかっちゃもらえない。

うーーん。


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