kaorinのしょーじき日記
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2004年10月30日(土) 手術後3日目

頭痛は今日もひどい。
起き上がるとぐらぐらするので
食事以外はほとんど横になっている。

今日は諏訪のアパートの引き払いの日で
主人が武士を連れて諏訪経由で
お見舞いに来るという。

武士の姿をみるのも5日ぶりだ。

以前入院したときは毎日のように
武士に会えたし
そのとき武士はまだ1歳半。
こんなに武士と離れていたのは
武士の骨折の療養で
茨城にあずけたとき以来だ。
そのときだって
まだ武士は2歳半くらいで
5歳の今ほど物心がついてなかった。

それでいうと今回の入院は
武士にもずいぶん負担が
かかっているなあと思えて
かわいそうだ。

電話で何度か声を聞いたところでは
妙に浮かれ騒いでいる。
にぎやかにすることで
心のバランスをとっているのか思える。

確かにあたらしいおとーさんと
私の母よりものわかりのいい
おばあちゃんがいることは
武士にとってとてもありがたいことだ。

---

武士と主人がお見舞いに来る。

せっかく来てくれたけれど
私ははじめの5分以外は頭が痛くて
どんな話をしたかもよく覚えていない。

子供のいるお見舞いは
デイルームでというふうなので
デイルームに行くものの
起きているのがやっとだった。。

もうちょっと元気ならないとなあ。。


2004年10月29日(金) 手術後2日目

昨日の夕方くらいから・・頭痛がひどい。

昨日の朝からお昼くらいの快調さがうそみたい。

ともかく頭が痛い。
起きていると頭がぐらんぐらんするし
気持ち悪くなってきて吐いてしまう。

半身麻酔の後遺症ということらしい。

前の手術のときはどうだったのかなあ・・
もう11年も前のことで記憶は遠い。
あの時は開腹手術だったので
そのお腹の痛みがひどかった。

ひたすら横になっている。
あうあう。。


2004年10月28日(木) 手術後1日目

午前9時、飲水可になる。

昨夜から今朝にかけて不自由ながらも
ベットの上で何度も寝返りをうつ。
おなかがでてきているので
ずっと同じ姿勢では腰が痛い。

午前11時看護婦さんから
動いていいという指示。
さっそく点滴と導尿をつけたまま
トイレまで歩く。
歩くことができたので
ベットに戻って導尿をはずしてもらう。

術後数日は尿を計測するということで
トイレにある尿の自動計測器の
使い方の説明を聞く。

お昼から食事もでる。
予想していたよりもずいぶん楽な気がする。

これは明日からひどいことになって
手術後1日目が特別だったと後で思うことになる。(^^ゞ


2004年10月27日(水) 手術当日

昨夜から水も飲めないけれど
緊張のせいかつらくない。

担当医は大野先生・・2年目の女医さん。
主治医は芦田先生と岡先生。

朝ごはんはないということだけど食事がくる。
???と思ってスタッフステーションへ行くと
やはり食べちゃだめらしい。
食べたら手術はないのかななんてばかなことを考える。

---

午前9時から点滴。

手術は緊急だったこともあって
午後の遅い時間ということ。

同室に昨日私の後に入った方は
帝王切開で私より先に手術になる。
帝王切開で3人目の出産ということらしい。
直接お話はできなかったけれど・・
それはすごいなあと思う。

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午後3時主人がくる。
彼もかなり疲れているみたいだ。
言ってもしょうがないけれど
主人には悪いなあと思う。


4時45分に手術室に入室。
麻酔の注射が痛い。

麻酔科の先生がひっきりなしに話しかけてくる。

半身麻酔というのは妙なものだ。
触れている感覚もあるし、もちろん意識はある。

眠れるならいいなと思っていたけれど
結局眠ることはできなかった。

途中なんだか急に涙がでてきた。
別に痛いわけでもないのに。


終わったのが6時45分くらい。

時間配分としては麻酔のことが半分くらい。
1/4が子宮口の処置、1/4が円錐切除。

手術後半、手術台と点滴の部分に
妙な冷たさを感じる。
術後寒さで震えが止まらなくなる。

麻酔科の先生が温熱パットを握らせてくれたり
綿毛布で体をおおってくれるけれど震えはとまらない。
まるで雪山で遭難した人みたい。

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手術室からストレッチャーででるときに
この手術室に歩いて入れるのって
医者と看護士くらいなんだろうなと
妙なことを考えていた。
そんなことどうでもいいのに。

病室に戻って主人が手術の報告を先生から聞きにいく。

主人がデジカメで撮影した
採取した患部をみせてもらう。
主人のつめの大きさ大のものが3つ。

ふーん
これをまた1ヶ月かけて分析するんだ。
それで初めてがんの状況がわかるらしい。

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術後の寒さ対策に
電気毛布をいれてもらっていたが
これが暑くなってはずしてもらう。
暑かったり寒かったりいそがしい。

両足のふくらはぎにエアマッサージャーがつけられる。
エコノミー症候群の予防ということ。

---

面会時間は7時までだが
(帰り道も遠いからわるいなあとおもったけれど)
今日は主人に側にいてほしいといって
側にいてもらう。



2004年10月26日(火) 入院初日

朝6時過ぎに起きて
日曜の引越しででた燃えるごみをだすために
主人と諏訪に向けて出発。
諏訪に着いたのは8時過ぎ。
やはり諏訪は遠い。

病院から9時半に入院手続きを
といわれていたのになんとか間に合う。

朝ごはんが食べられず
病院の売店でサンドイッチを買って主人と食べる。
食べていたら・・看護士さんに
旦那さんはデイルームで食べてといわれる。

この場に及んで
まだ食欲があるのはしぶといなあ。>>自分

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1週間から10日間は
ここにいるのかと思うとかなり緊張してしまう。

売店で本を買ってきてひたすら読む。

看護士さんに
お風呂に入っていいといわれびっくり。
明日の手術後は
お風呂に入れるのか
わからないから助かるなあと入浴。

---

診察がある。

女性でこれがいいと
いう人はいないと思うけれど
私も内診はいやだ。

今日は手術前ということで時間が長い内診。
奥をずーっとひろげられていじられている。
激痛ではないけれどかなり気持ち悪い。

看護士さんが病歴の聴取をするので
話しかけてくれるので気がまぎれる。

芦田先生の話ではがんの部分は
前回の組織診でかなりの部分が採取されているらしい。

言わないけれど・・
だったら手術しなくても
いいじゃないですかといいたくなる。

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今日の夜9時以降は飲水不可。
それまではお昼もお夕食も食事あり。

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同室の人がいるけれどまったく会話なし。
カーテンがひいてあるし。
時々泣いているみたいだ。
(そういうことで彼女をめそめそちゃんと命名)


2004年10月25日(月) 明日入院

朝早く目が覚める。昨夜トイレに行きたいなあ。でも今は足が動かないから階段下りるのしんどいなあと我慢していたせいかも。。昨夜は熱のせいで体が全然だめだめでした。武士がタオルがない〜と泣いていたこともあって熟睡もできてなくて半分布団から落ちながら寝ていて。(^^ゞ

朝ごはんはお母さんが作ってくれる。やはり食事を作ることはしばらくなさそう。

主人のお母さんと3人で保育園へ出発。私が入院している間武士の保育園の送り迎えはお母さんにお願いすることになる。息子をふたりあずけていたとはいえもう何十年も前のことだから場所があやしいということ。

朝武士を送って町の健康増進センターの保健婦さんのところへ武士の予防接種の状況のことで寄るよう言われていたけれど・・お母さんが一緒なので一度家に帰る。お母さんと一緒に行ってもいいのかもしれないけれどなんとなく嫌で。
今日中に町の健康増進センターの保健婦さんと話をすることと注文していた洗濯機と乾燥機の設置に立ち会うようにということ。

洗濯機と乾燥機が来るなら玄関においてもらった台所の食器のダンボールをあけて食器棚の片付けを先にしたほうがいいかなあと片づけをはじめる。

お母さんが手伝いをしましょうか?と声をかけてくれるけれど自分に余裕が全
然ないので断る。一緒に作業するとやはり話をしなくちゃならないしけっこう疲れる。お母さんはなにやら用事があって外出することになる。

私は片付けと洗濯をしてひと段落・・さすがに疲れて横になる。お昼・・主人が帰ってくるまで眠る。昨日熱がでていたせいで体がいうことをきかない。

お昼はお母さんが作ったお蕎麦。おいしくいただいたが量が多くて残す。

午後一度健康増進センターへ行くけれど誰もいなくて帰ってパソコンをしたり漫画を読んだりして午後を過ごす。午後3時半が保育園のお迎えの時間。。武士は楽しく初日を過ごせた様子。少しだけ園庭で遊ぶ。

家に帰ると電気屋さんが来ていて洗濯機と乾燥機を設置してくれる。明日から武士が一人で着替えができるようにお母さんの部屋に武士の衣類を箱詰めして移動させる。そうこうしているうちにお夕飯の支度・・今日はてんぷら。主人は会議で遅くなるということで3人での夕飯。。

夕食後・・テレビの音が大きくてなんだか疲れてパソコンの部屋に一人で逃げてくる。カナリヤのきーこちゃんも私はなんだか怖い。ちょっと前までは子供だったけれどばさばさと近づいてくるのがちょっと。。

さてさて明日は入院。一度諏訪によってごみ袋をださなくちゃいけないらしい。。


2004年10月24日(日) 引越し当日

自分としてはずいぶん片づけが
きちんとできなかったけれど
もう今日が引越し当日。

新しい旦那さんはきれいずきで
せっせと掃除をしてくれるし
私が何か言わなくても
とんとん作業を進めてくれるので助かります。

武士は今朝もおねしょをして
私はコインランドリーへお洗濯。
ついでにJANISのADSLモデムの返却。

そうこうしているうちに引越業者が到着。
運び出しをしてもらって
主人が先発で諏訪を出発。

追って業者さんも出発。

私と武士は
ほとんど何もなくなった部屋を
掃除機をかけて
カーペットをたたんで
出てきました。

ここから上松に出発。

朝ごはんをろくに食べていなかった武士と
塩尻のデニーズで早めの昼ごはん。

こうして武士をふたりで
ごはんというのも
少なくなるんだろうな。

ゆっくりご飯を食べていると
引越し業がもう上松に到着したという連絡。

私と武士が上松に到着すると
すでに運び込みが終わっていました。

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上松の家には主人の弟さんが
名古屋からきていて初対面。

しばし休んで片づけをはじめるけれど
準備の片づけがいい加減だったのと
新しい場所の把握が私が全然できてないので
どこに片付けるというのが全然イメージできない。

私の入院のために急な引越しだったので
居間になる部屋のフローリングも中途半端で
そこにこたつをつくってもらってパソコンを設置。

周囲はダンボールとゴミ袋。
どこにどうしたらいいのかなあと
途方にくれてしまう。

でも主人は一生懸命動いてくれる。
悪いなあ。。

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夜発熱?する。体が動かない。

武士はお気に入りのタオルがないと泣くけれど
主人とおばあちゃんにまかせて横になる。

明日一日でどこまでできるかなあ。


2004年10月23日(土) 引越し準備

明日は上松に引越し。
3月から10月末までの8ヶ月・・
短い間だったけれど
ここで暮らして楽しかった。

片づけをしなくちゃなあと思う気持ちばかりで
あまり片付いてなくて。

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朝・・武士はおねしょ。

コインランドリーで洗濯しつつ
マクドナルドで朝マックと
でかけるとまだやってなくて
ぜいたくにロイヤルホストにはいる。

ご飯を食べて
一度コインランドリーに戻って
乾燥機に洗濯物を移して
大熊保育園から借りていた
カラー帽子と駐車場許可証を返すために保育園に行く。

またコインランドリーに戻って
今度は乾いた洗濯物をピックアップして
守屋さんに電話をし、職場に挨拶に行く。

久々の職場だけどこれで最後。
ちょうど業務課長のQP課長がいて立ち話をする。

火曜日に入院して水曜日に手術という報告をして
守屋さんがまとめておいてくれた私物をもって職場をでて
人事課に制服を返しに行く。

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家に帰って本格的に片づけをはじめる。
お昼過ぎに柊くんのおかあさんに
冷凍食品を渡して
午後2時に石彫公園で落ち合う。

ちょうど三村園で一緒だった
ゆいちゃんとおかあさんもきていて久々に遊ぶ。

湖畔ではなぜかまだ御柱のお祭りをしていたり
明日が諏訪湖マラソンなので走っている人がいて。
なんだかもう見ることのない風景だと思うと
新鮮な感じがして。

片づけがまだということを話して
柊くんのおかあさんに
武士を夕方まで遊んでもらうようにお願いする。

武士はお夕飯までご馳走になって
柊くんとの時間を堪能して帰ってきました。
よかったね、武士。

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お夕飯は蕎麦が食べたいと
近所の田毎庵へ行くと
蕎麦完売のため準備中。。

他のお店で食べる。
寒いので温かいお蕎麦がおいしい。

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明日は引越し。。


2004年10月22日(金) 入院が決まる

今日午後信州大学病院へ行きました。

診断は子宮頸部上皮がんで
妊娠は継続し、出産を前提に
火曜日に入院・水曜日に円錐切除手術となりました。
入院期間は10日くらい。

予約は午後2時だったけれど
待ち時間がけっこうあって
診察から入院の検査で2時間・・
おわったときはぐったりしていました。

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武士は大熊保育園での最後の日・・
園長先生と担任の先生にご挨拶しました。

昨日・・携帯電話にでられなかったことで
園長先生にも病気の経緯を話すことに。
とても心配してくださって
優しい言葉をかけてもらいうるうるでした。

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夕飯は仙岳で念願だったしゃぶしゃぶ。

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明日は職場に顔を出して私物を取りに行き
引越しの準備と武士のおともだち柊くんと遊ぶ予定。

明後日は引越しです。


2004年10月21日(木) しあわせになれるよ

昨夜も夜中目を覚まして明け方から眠る。
不安もあってうまく眠ることができない。

朝寝坊をしてしまうが
なんとか武士を保育園に送る。

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今日は・・思い切って床屋へ行く。

下諏訪に行きつけの床屋さんがある。
諏訪に来て9年・・そのうち5年は
ここで髪を切ってもらっていた。
おそらくここで髪を切るのは最後。

髪を切って髪の色を
ひとつ暗くして染めてもらう。
あと顔そりエステ・・これが気持ちいい。

全部で3時間かかる。

---

下諏訪のデニーズでお昼を食べて諏訪に帰る。
お天気も回復してきたので
洗濯機のスイッチをいれると
守屋さんが縁側から

”よかった、いた〜!!”

???

朝メールをいただいて返事を書こうと思いつつ
携帯電話をどこかにやってしまって
その後・・守屋さんが電話をしても通じなくて
もしや体に異変があったか?と心配して
次長と一緒にわざわざ家まで来てくれたとのこと。

あまりに電話が通じないため
旦那さんの家にも電話をして
保育園にも行ったらしい。

何度か携帯電話を鳴らしてもらったがみつからない。
家の中は引越しの片づけでごちゃごちゃ。
外で話をして次長から結婚祝い金をいただく。

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次長と守屋さんが帰った後・・
バックの内ポケットに携帯電話がありました。

はずかしい、あうあう。

私など主人か守屋さんからしか
電話がかかってこないのに
今日に限って
その他大勢の人から着信がありました。

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武士が私に
しあわせになれるよ
といって押し花にした草をくれました。

本人は四葉のクローバーのつもりらしい。

このはっぱ、ちがうよ
ということもできず
武士のその気持ちがうれしくて
あとでひとりで泣きました。

武士も不安になっているけれど
私はひとりで目玉が
溶けるくらい泣いてばかり。
気がつくとぼーっと泣いている。

ちょっと前までは泣いているうちに
号泣になって吐いてしまっていた。
今は号泣するところまではいかない。

こんなときに気力があるほうが変だとは思う。
せっかく再婚したんだからがんばれとか
新しい旦那さんや赤ちゃんとこどものために
あなたが元気にならなくちゃとか
言われるのがつらいなあ。

そりゃあもう
空元気でも元気にできるなら
いいのはわかっているけれど。

---

明日先週の結果を聞きに
信州大学病院へ行く予定。


2004年10月20日(水) たよっていいのかな

今日は信州大学病院の精神科へ
うつ病のことで受診。

また薬を飲んでもいいか
相談に行きました。
私の場合・・パキシルという薬が
じわじわだけど効果があったので
それが飲んでいいものなら
飲みたいということで。

今の状況をのりこえるために・・
少し薬にたよってもいいのかなあ。

妊娠がわかって
現在15週に入ったところ。
飲んでだめといわれる
デパス・レンドルミンの服用を
妊娠がわかったときから避けていたことは
ものすごい意志でやめないとできないことだよと
精神科の先生になぜかほめられました。

本当ならせっかくやめたところだけど・・
今の現実からいうと
かなりぎりぎりのところにいるんだねと
先生に言われて涙がでました。

そう、先生の言うように・・
かなりぎりぎりのところで
武士の笑顔に支えられている状況なんです。

---

がんのステージが
どうなっているかは金曜日にわかります。

でも私はすでに
もう出産できる確率の方が
宝くじが当たるくらい
難しいんじゃないかと予感してます。

腰のだるさ、違和感については
以前から(特に昨年の秋以降)感じていたしなあ。

出産可能もあるという話があって
気持ちはもちなおしたものの・・
かえってそれがあだにならないといいな。

---

今日は病院からの帰りに
新しい保育園で使うものの
準備の買い物をしました。

既製品でありそうだった座布団がなくて・・
クッションと布とゴムを買って
夜ちくちく針を動かしました。
苦手なんだけど・・なんとかできました。

---

夕方・・前の職場で
日曜日にケーキをもっていったIさんが
わざわざうちをさがしてたずねてきてくれました。。

まさか顔をみることができるとは
思わなかったのでびっくり!でうれしかった。。

お餞別と商品券をいただいてしまう。

かえってなんだか悪いことをしたかなあ。

でもこの諏訪の界隈で過ごした9年間で
年代を超えていろんな人と
知り合えたことが自分の
たからものなんだとしみじみ。

これからまた
ゼロからの土地に行くんだと
ちょっとさびしいけれど。

---

新しい旦那さんも
もちろんたよりがいがあるけれど・・
私がなんだかとても悪くてしょうがない。

せっかく結婚して
妊娠してるのに
子宮ガンだなんて。。

彼だってショックがあると思う。

私は再婚だけど新婚だから
いっしょに生活につかうものなどを
買い物したりできるといいんだけど・・
一緒に行くのは病院じゃなあ。

でも懸命に私を支えてくれようとしている気持ちと
私を迎える準備をしてくれているのが
とてもうれしい。。

さてさて
そろそろ薬を飲んで寝よう。。


2004年10月19日(火) 雨のドライブ

今日は午前保育で
午後3時から上松保育園の面接でした。

上松保育園で武士はばら組。
クラスに男の子が少ないらしい。
聞いてみると来年小学校に上がる子が
武士をいれて47人だそうです。

絵本袋と箸入れと座布団を準備しなくちゃ。
絵本袋はあるけれど・・
せやたけしになっているのを直さないとなあ。(^^ゞ

---

諏訪から上松まで1時間半から2時間くらい。
台風の余波の雨で
ドライブはきつかったです。
特に帰り道の塩尻峠の霧と雨は怖かったあ。

たぶん・・諏訪から上松のドライブは
これが最後かもしれないな。
日曜日には上松に引っ越してしまうから。

---

明日は信大病院の診察。雨がいやだなあ。

---

久々に彼のおうちに行く。

今日産廃業者さんに
荷物をひきとってもらったので見てといわれて。
あのものすごい量のものがないと・・やはり広い。

で・・産廃業者さんがリフォームの設計をするので
どうでしょう?という提案もあるそうだ。
それは私にとってはうれしいな。
でもお金がかかりそうで悪い。

いずれにしろお風呂とトイレが下水道工事がくるので
水洗化する計画はあるようだ。

洗濯機と乾燥機を明日注文するといっていて
洗濯機8キロを6キロに
乾燥機5キロを4キロのものにしてもらう。

家にいて毎日家事をするなら
そうでかくなくてもよさそうだと思う。
広いベランダがあるから天日干しができるし。


2004年10月18日(月) 重たいよ

検査の後の出血が続いていて
朝・・信大病院に電話する。
先生と電話でお話して
通常の範囲みたいかなと思えたので
今日はとりあえず診察に行かないことにする。
水曜日にも信大病院に行くし。

この諏訪の家にいるのも1週間ない。
今のうちにしかできないことをしておかないと。

今日は武士を保育園に送った後
洗濯をして疲れて横になる。
疲れやすくなっているみたいだ。

10時過ぎ市役所へ転出届けを出しに行く。

入籍して苗字がかわったので認印を買う。
転出届を書いて、児童手当の消滅届をだして
母子家庭保険証を返却して転出証明をもらって。

市役所をでたところで
農協の職員さんで顔見知りの人に会う。

手をふったけれどお相手は??状態。(^^ゞ
制服着ているならわかるのに〜と言われて。。
今月いっぱいで仕事をやめることや
すでにうわさになっているだろう病気のことも話をする。
彼女もばついちでお子さんをひとりで育てていて
子宮筋腫をとっているという。
お互い用事があって少し話してから元気でねと別れた。

引っ越すとこういう知り合いにも会うことがないんだろうな。

---

11時半におともだちのSさんと会ってお昼をたべて
14時くらいまでおしゃべりする。
病気のことにはびっくりしてたみたいだ。
たぶん・・もう会ってご飯を食べることも
ないんだろうなと思うとさびしい。

---

夕方・・保育園の個人面談。
武士の様子よりも
私の体のことが話題になる。

明日は午前保育で
午後は引越し先の保育園に行く予定。

---

夕飯に栗ご飯と大根と厚揚げの煮物をつくる。
来週からは気軽にごはんを作ることもできない。

主人は私の好きにしていいというけれど
おかあさんは自分がしきりたいひとだ。
私が普通の状態でもうまくいくのは難しそう。。

それに嫁になっても
妊娠しててしかも子宮ガンなんて・・
大丈夫?を連発されそうで。

でも私が入院中はお世話になることは確実。
武士の保育園の送り迎えのこともあるから
お願いしますの姿勢にならないといけないのは
頭じゃわかっているつもり。

でも以前おかあさんとお話していて
疑問だったり嫌だと感じたことが
何十倍にも増幅されてしょーじきに重い気分。
考えただけで呼吸が苦しくなる。。

やはり会いたくないなあ。重たいよ。




2004年10月17日(日) のんびりしよう

今日は時間を追って書いていません。。

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木曜日に子宮頸がんの告知をうけて
金曜日に信州大学付属病院で検査を受けて
次の金曜日には・・・
赤ちゃんを産めるかどうかがわかる。

こればかりは結果次第で
結果がどうであっても
子宮頸がん部分を円錐切除になる。
これは入院が必要。。

しかし・・調べれば調べるほど
出産できる確率が少ない感じがある。

母体の生命維持が優先だから
以前話題になったタレントの
向井亜紀さんのパターンで
堕胎で広範囲の摘出が一般的のようだ。

私の場合は妊娠が進んでいるのでどうなるかな。

---

今日は日曜日。

木曜日から主人は
諏訪と上松を行ったり来たりしてくれる。
運転はすごく疲れると思う。
でも来てくれることはとてもうれしい。

武士は

こんなにおとーさんが
いるのってはじめてだよね〜
でもすぐかえっちゃうのが、さびしーの

なんて言って笑わせてくれます。

もうちょっとで
一緒に住めるから心配しなくて大丈夫。

そう言ってあげる。

---

武士にも本当のことを話す。

おかーさんのあかちゃんのお部屋が
たいへんな病気になっていて
あかちゃんに会えるかどうか
今検査してもらっていると話をする。

で・・入院するということも。

長いものか短いものかは
検査結果次第だけど
武士も

みんなのいうことをよくきいて
いいこでいてもらわないと困るよ

という。

---

落ち着かないことこのうえないけれど
のんびりするようにしようと思う。
仕事にはもう行かないことにして。

多分仕事へ言っても落ち着かないし
絶対安静までいかなくても
安静にするようにということだ。

月曜日に日付の変わる頃
守屋さんと話をする。

自分の体のことだけを考えてねといわれて
おかーさんみたいだと思う。

ぢつの母はヒステリックに取り乱して
わけのわからんことをいってたので
こういうおかーさんならいいのになあなんて思う。(^^ゞ

---

今日はいい天気なので
主人が帰ってしまった午後に
諏訪で本当にお世話になった
KさんとIさんちへお菓子を届ける。

両方ともお留守だったけれど
夜・・電話で全部本当のことを話す。

あと職場ではすごい話題になっていることだから
(F次長さんはスピーカー)
心配かけたくない数人の人に電話をして
いちおう私は生きているし、
もしかしたら出産もできるかもしれないと話す。

みんなびっくりしていた。私だってびっくりだよ。
でも言葉にして話すことで
自分の覚悟も決まってきた感じがする。

---

引越しの予定を
月末の10/29の金曜日にしていたけれど
業者さんに連絡をして10/24に変えてもらう。

いずれにしろ入院なら武士の保育園のことも
早めにお願いしないといけないから。

もうだいたいの荷物はできているし、
毎日使う布団や食器の片付けも
少しずつならできるだろうし。

しかし・・体は正直だ。
緊張していると子宮が
くっきりと張ってきてこちこちになる。

不安じゃないといったら
うそになるけれど
のんびりして赤ちゃんとの日々を過ごしたいな。


2004年10月16日(土) なにが幸せなのか

今日は保育園の御柱祭りです。
でも朝から私は不調で
けっきょく保育園の行事は休んで家にいました。

腰もだるいし、頭は痛いし、熱っぽいし。

お昼前に松本で用事のある
旦那さんはでかけて行きました。

午後になって起きて灯油を買いつつ
岡谷の釜口水門の公園で散歩をしました。

なにが幸せなんだろうって
ついつい考えてしまいます。。

---

ネットで子宮頸がんについて調べると
私のような組織診クラスIVの場合、
堕胎して広範囲の摘出手術が
がんの根絶治療になるようです。

信州大学ではリーブ装置というものがあって
がんのステージ0期からI期aまでなら
(がんが一定範囲まで浸潤してない場合)
がんの部分を円錐切除をして
妊娠の管理継続、出産という選択も可能です。

これは幸運なことかと思うけれど
なかなか不安なものです。
腰がだるいし、気持ち悪いし。

---

旦那さんは精神的にタフと書きましたが
なかなかダメージがあるようでした。

旦那さんからは本音の話が聞けてよかったなと思うし
それでもダメージがあるのはあたりまえだなあ。
私なんて自分の体のことだけで頭がいっぱいだもの。

結局・・旦那さんは松本から塩尻経由で
一度諏訪によって上松に帰ってから
また夜心配だと諏訪に来てくれました。

武士と二人きりだと武士がかわいそう。
どうしても私はだるくてつらくて
ごろごろしちゃうし、
武士はかまってほしいからたいへんです。









2004年10月15日(金) 細胞診じゃなくて組織診

今日は昨日相澤病院で子宮ガンといわれ
信州大学病院へいくようにということで
朝から信州大学病院へ。

1時間待ちで問診。
さらに1時間待ちで診察。

昨夜・・午前1時まで主人と話をしていて
さらに腰も痛くて眠れなくて4時に起きて
インターネットで子宮ガンについて検索していて
付け刃的な知識を得て。

円錐切除という治療法があるということ。
相澤病院での細胞診は
レベル1から5があって自分が4の上皮がん。

さらに組織診でがんステージがわかるということ。
で・・今日は子宮ガンの組織診の検査。

数箇所の子宮頸部の細胞を採取して
がん細胞の検査をするらしい。
通常2週間かかる検査だけど私は現在妊娠14週。

妊娠16週以降の堕胎や円錐切除は
出血による母体の危機もあるため
16週までに組織診をおえて
治療方針を決めるという先生の話。。

細胞診が0期から1期aの場合は
妊娠出産の継続が可能とのこと。

明け方もう全摘出??と
涙にくれていたので
少しでも妊娠の継続の可能性が
あるのならまだいいのかと思えました。

子宮頸部細胞診は痛いということでしたが
細胞の採取のときの痛みよりも
私が苦痛だったのは器具で
子宮までの入り口を広げていること。

出血がひどくならないように検査1時間後
止血の処置をして、次回の予約をしつつ
先生と話をしました。

次回の組織診の結果によっては
妊娠をあきらめる可能性があること。

妊娠を継続する場合でも
入院して子宮頸がん部分の円錐切除をする・・
つまりどう転んでも入院で円錐切除になる。

来週の午後・・その結果がわかり
ベットのあきをみての入院となります。

それだと諏訪から上松の引越しに
私が不在になるかも。

---

君はぼくの妻だからと
新しい旦那さんは言ってくれます。

精神的にはタフなので
私みたいにセンチメンタルになって
うつうつ泣いているのも
病気なんだからしょうがにないと言ってくれて。

その言葉はありがたいけれど
せっかく結婚したのに
子宮ガンじゃ悪いなあと
やはり思ってしまう。

---

昨日相澤病院の林医師から
信州大学病院へ転院するよう
言われたときは
妊娠も出産も全部だめなんだと思ったのですが・・
今日信州大学病院へ行ってよかったです。

相澤病院の林医師はいい先生とは思うけれど
私は彼の元じゃびくびくして
満足な治療と話を得られなかったと思うので。。

明け方みた信州大学病院のHPには
先生全員の顔写真が載っていて
話を聞きやすかったです。

まあ・・とりあえずよかったな。


2004年10月14日(木) 子宮ガンでした

今日は先週相澤病院での
子宮ガン検診の結果を聞きに行きました。
で・・結果は子宮ガンでした。

旦那さんは今日午後
塩尻で会議があって
夜・・片倉モールで先日撮影した
結婚記念写真を選ぶことになっていたので
夜・・再度相澤病院の先生から
病状の説明を聞くことに。

そこで子宮ガン初期なので
信州大学病院での治療をすすめられ、
紹介状をもらいました。

明日朝一番で信州大学病院へ行きます。

ひとりじゃむりなんで
旦那さんと一緒に。

こういうとき・・身内にその事実を
伝えることって難しい。

私は今ちょっとした言葉にもうるうるしちゃうし、
事情説明がうまくできず・・けっこうたいへんでした。

あぁ、私の感じていた妙な不安は
このことだったのかしら。。

しかし旦那さんには本当に悪いことになってしまった。
入籍してどれ引越しというときに
嫁さんは子宮ガンでしかも妊娠中。

気にするなと言われても気になっちゃうよ。。




2004年10月13日(水) こしがいたい

今朝・・調子がいいみたいだったので
片づけをはじめる。
ちょうど今日は不燃物の日。

武士のおもちゃ関係を最近整理してなかったので
みてみるとやはり・・
たべかけのクッキーがかびだらけででてきたり
どうでもいいような紙切れの山がでてきたりする。

これをゴミ袋二つにまとめて
これからも使いそうなおもちゃはひとつにまとめて。

時間にして2時間くらいごそごそやっていると
武士がうるさくてうまくねむれない〜と
起きてくる。

ものを移動するくらいだったけれど
この作業で腰を痛めてしまった。
あいててて。

朝ごはんを食べてひとやすみする頃には
これは仕事にならないくらいの痛み・・
さっそく塩尻のはりの先生に電話をして予約。

武士は武士で
ぼくもなんだかつらい〜と
だだをこねていましたが
塩尻のはりに武士を連れて行くと
私が落ち着かないので
今日は保育園に行くように説得。

仕事を休んで午前中は横になっていました。

お昼前に起きてまた片づけをして
寒いのでコタツを作る。

午後2時半過ぎに家をでて塩尻のモスバーガーで
遅いお昼を食べて午後4時からはりに行く。

じわじわーっと腰が痛くてなんだか気持ち悪い。

それでも夕方買い物をちょっとして
夕ご飯にトン汁と
武士のリクエスト・・目玉焼きを作る。
なんだか妙な献立だけど。

先日かれのおばさんからいただいたぶどうをいただく。
塩尻のぶどう園のぶどうはさすがにおいしい。

---

明日は松本の病院でがん検診の検査結果を聞く。
いやだなあ。
腰は痛いし、気分もいまいちで。
それでも昨日今日と吐くほどは泣かないですんでいる。

旦那さんも明日は午後から塩尻に出張というので
午後4時に塩尻で待ち合わせをして
先日撮影した結婚記念撮影の写真を見に行くことにする。

私は明日は一度松本で病院へ行った後
武士をお迎えして塩尻に行く。

結婚の写真を撮影したのはいい記念になったなあ。
私はまだ旦那さんとは一緒に住んでないので
結婚したという実感が薄いし・・
おかあさんと同居ということで
HAPPYな気持ちにならない。

私は目玉が溶けて
頭の髄が痛いくらい泣いているけれど
私の中じゃうまくいきそうな解決策は
まったく浮かばない。

いっそ目玉も溶けて頭の髄もなくなって
なにも考えられないくらいならいいだろうに。
ここまでいやと思うのは
私が異常なのかもしれないなあ。

でも嫌な予感しかないなんて悲惨だ。

腰がいたい。。とほほ。





2004年10月12日(火) しゅくだいするんだ

入籍した10月7日以降・・
武士には
たーちゃんに
あたらしいおとうさんができたんだよ
と伝えてあって。

そのせいなのか最近の武士は
しゅくだいするんだ〜
といって文字の練習をしてます。

前は  せやたけし だったけれど
今度は はらたけし なんだ。
だから、がんばるの。

なんていいながら。



もちろん私がお手本を書いて・・
それをまねするだけですが。(^^ゞ

武士が右手で書いてくれるなら
私が書道のように
手を持って教えてあげられるけれど
武士は左手でかくものだから
ひたすら文字をみて左で書いています。

帳面の一枚に両面書き終わると
はさみでじょきじょき切ってしまっています。

---

7月に武士が入院したときの医療費・・
総額9万ちかくが
3ヶ月たってようやくもどってきました。

市役所からは金曜日に
医療費の一部と児童福祉手当も入金されていて
今日のうきょうの健保から
残りの分が給与口座に入金されていた。

よかった、よかった。

7月から今月も・・かなりの医療費がかかっている。
健康って本当にありがたいものなんだなあ。

---

職場の朝礼で私が
今月末で結婚退職ということと
その後の人事が部長の口から報告。

妥当なラインと私は思うけれど
業務課長さんは体調を崩してお休みしている。
またダメージを受けたのかな?

何人かの人におめでとうと言われたり
どこに引っ越すの?と質問されて照れくさい。

人事課から各種の書類も届いてそれを記入して。

---

今日は久々に気分がよくて
一度も泣かなかった。
少しぼんやりすることはあったけれど。

この連休、彼といろんなことを話して
彼のあたたかい気持ちが
私と武士のいるところに
きちんとあることが
ようやくわかったし
自分の納得のいかない部分は
吐き出したからかな。

赤ちゃんもいるし、武士もいるし
たよりになる旦那さんもできたことだし
にこにこ笑って元気な自分にならないと。

---

夕飯も久々にスーパーに買い物に行って
ちゃんとご飯をつくる。

武士のリクエストはおかーさんの作ったカレーライス。
きゅうりとキャベツの浅漬けも作ってみました。

カレーは圧力鍋で
たまねぎ一個とにんじん一本とジャガイモ一個で
量は少なく作る。

茨城から春にもらったお米も残り少ないので
長野県こしひかりを2キロだけ買って
炊いてみたら・・おいしい。

武士もおかわりしてくれて
私もおかわりした。

自分の気分で献立を決めて気兼ねなく料理する
こういう時間もあとわずかかとしみじみ。




2004年10月11日(月) くぎりがつく

昨日彼と話をして自分だけの思い込みで
自分を追い詰めていたことがはずかしくなる。

泣けてきそうになることは変わらないけれど
彼が側にいる生活は自分にとってやはり
のぞんでいたことなんだとしみじみ。

---

朝お風呂に入ってパンを食べて
10時に松本へ出発。

いい天気で気持ちがいい。

松本城では蕎麦祭りがものすごい人・・
そこでお昼をたべる。 

3人で松本城から片倉モールまで歩く。
武士はちょっと調子が悪くて
甘えておんぶしてもらったりする。

片倉モールの写真館で
結婚記念写真を撮るために1時に写真館に入る。

私だけ先にドレスを試着して
メイクとヘアメイクをしてもらう。

私はうつうつだし
顔はなんだかぼんやりしていたけれど
さすがプロの先生!

髪型をティアラに決めて、
肌もぼろぼろだった私の顔を30分くらいで
すっかりきれいな花嫁さんにしてくれました。

自分で見ていても・・
前の結婚式のときより
きれいに仕上がっているとびっくり。

武士はグレー
彼は黒のタキシードに着替える間
私だけの写真を撮影。

カメラマンさんもプロでかなりの枚数を撮ってもらう。

武士と彼がタキシードに着替えて私と一緒の写真を撮る。
彼と私の写真・・これもかなりの枚数撮影。

最後に写真館内にあるチャペル(小さい挙式もできる)
での撮影。

所要時間約2時間・・かなり濃密な時間で
まだ一緒に住んでいなくて・・入籍しただけだけど
家族になるんだなあというくぎりになりました。

---

松本から諏訪に送ってもらう途中、
入籍の日に不在だった彼のおばさん宅にご挨拶。

上松に住むもうひとりのおばさんが
塩尻のおばさんの家にいて
あわせてご挨拶する。

結婚のご報告もそこそこに
おかあさんとおとうさんのことに話は移る。
やはり心配いただいている様子。

---

武士は帰り道眠ってしまい、
彼と今後のことを話し合う。

私の子宮ガンの検診結果によっては
私は入院の可能性もあるので
やはりおかあさんの力を
借りることになるだろうし

かといって・・

私とおかあさんが一緒に生活して
主婦がふたりになると
折り合うのは難しいだろうということ。

とりあえずは14日の病院の結果を待とう。


2004年10月10日(日) なにがふあんなのか

明け方・・目が覚めて
自分の日記の1年前の部分を読み返してみた。
ずいぶん落ち着いていたんだなあとしみじみ。

今の日記は書くことに必死。

読んでいても1年前の日記のようにほんわかした
日々の香りが少ないなあ。

私が落ち着く日が来るのだろうか。。

---

台風一過でいい天気。
武士のおねしょ続きで
お洗濯がたくさんあるので
せっせとお洗濯をする。

今日は町内運動会があるということで
夫になった夕方彼がくる予定。

昨日は私が上松の家を
きれいにしてほしいというので
一日片づけをしてくれたそうだ。

気になっていたものをしまったり
体いっぱい痛くなるくらい動いたと話していた。

私が不安に思っていることを
なんとか少なくしてくれるようにと
心をくだいてくれている。

前の夫は
うつ病=気にかけてほしいための詐病
と思っていて
私が不安に思って泣いても
まったくなにもしてはくれなかった。

---

彼から10時くらいにメールがあって
これから諏訪に来るということ。

12時半に諏訪に来てすきやでお昼を食べて
諏訪湖の石彫公園で武士と3人で遊ぶ。

武士はスケーターにのってびゅんびゅん。

武士は彼に甘えて
諏訪湖のふたりこぎボートに乗りたいといって
ボートに乗る。

諏訪にいるのもあと少し。。

ボートが終わった頃にお天気が
急に悪くなって雨になってきたので家に帰る。

洗濯物をいれて家で夕方までごろごろ。

夕飯は私が和食のふじもりで食べたい!といって外食。
外食続きだ。

気に入っている諏訪聖母幼稚園の近くにある
ラ・ピュルテというケーキ屋さんでケーキを買う。

ここのケーキ屋さんもお店が開店したときから
なにかあるとケーキを買っていた。
思い出がたくさんあるケーキ屋さんだ。

ふじもりでは下記のお料理をいただく。

お刺身盛り合わせ
海老と三つ葉のかきあげ
帆立とたまねぎのかきあげ
まいたけのてんぷら
豚の角煮
揚げ蓮根と揚げ茄子のサラダ
しらすごはん
うにごはん
赤だし味噌汁

かきあげがかなりの量で残してしまう。
でもお魚もてんぷらもおいしくて。

ここのお店で何度か食べた思い出を
最後に彼といっしょに食事をすることで
なんとかいい思い出に
したいなあと思っている自分がいる。

これで心残りがない。

---

彼といろいろ話をする。

彼が自分を大事に
思ってくれていることが心にしみる。

それなのに私はなにが不安なのか。
どうしてそんなに泣けるくらい
だめだめなのか。

おかあさんとうまくいかないと
私が思い込んでいる原因はなんなのか。

彼と話しつつ考えてみる。

---

ひとつ言えるのは自分が幸せになることが
ずるいことをしているような気がして
気がとがめている。

自分の今まで生きてきた流儀の中で
とてもはずかしいことをしてしまったように
自分で感じてしまっているみたいだ。

それは彼が悪いわけでもない。

かかわりになるのに
怖い人たちではあるけれど
彼のご両親が悪いわけでもない。

私の中の問題だ。

私は自分が思っているよりも
腹黒い嫌な人間だと認めるのが
嫌なだけなのかもしれない。

幸せになることに
ためらいはいらないと思うけれど
そうすると自分の良心の大事な部分も
売り渡してしまう気がして
じたばたしているんだろうな。

---

10月14日に子宮ガンの検査結果がわかる。
悪い結果なら入院になる。

10月22日は同じ病院で心療内科の初診を受ける。
それで薬をもらったほうがいいかどうか
聞こうと思う。

---

明日は結婚式ではないけれど
結婚写真を撮りにいく。

武士も一緒にタキシードを着る。
私は自分の入るドレスがあるか不安。。

今さらはずかしいけれど。


2004年10月09日(土) なみだがとまらない

うつうつしているせいもあるし
雨が降っているせいもあるけれど
涙がとまらないです。

こういうのって
尋常じゃないと思うけれど
・・・とまらない。

昨日彼が来ることになっていたけれど
台風被害に備えて自宅待機命令がでて
諏訪に来られない。

上松に住むなら使いそうもないものを片付けて
きれいに住みたいといったことが
かなり気に障ったみたいで連絡もとれない。
気にかかるけれどしょうがない。

私も引越しの準備をしつつ
写真を見ては泣いてしまうし
武士の幼稚園の作品を見ても涙がとまらなくなる。

自分がなにをやっているんだろうと切ないし
こんなもやもやを抱えて
嫌な自分になっていく環境に
飛び込むのがさびしい。

おかあさんは一緒に住めば
意外となんてことはないのならいいのだけれど。
でも・・裏がありそうなひとだし、怖いなあ。

なんで今こんなことになっているんだろう。
なんてどうしようもないことを
エンドレスで考えてしまう。

---

今日は明け方雨の音で目が覚めたのが午前3時。
日記を書いてまた眠ったのが午前5時。
武士が起きて起こされたのが8時過ぎ。。

お昼に諏訪聖母幼稚園でお世話になっていた雅美先生が
結婚退職されて今・・旦那様のお店を手伝っていると聞いて
諏訪市内の鳥梅というお店にランチを食べに行く。

選んだのはやきとり定食とコロッケ定食。

雅美先生はあいかわらずきれいでやさしくて
武士にもとてもよくしてくれて。

うれしくてうれしく武士はたくさんおしゃべりをして
雅美先生はそれをよく聞いてくれて
武士はとても満足していました。

別れ際・・大きくなったねえと
雅美先生にひょいっと
抱っこされた武士は
やはりあの頃より
ずっーと大きくなっていました。

みていた私はなんだか胸が熱くなって
涙がでそうでした。

今日片づけで見ていた入園のときの武士は
本当に幼稚園の制服を着せるのかわいそうなくらい
小さくて頼りない感じでした。

それが今はつわりで
泣きながら吐いている私のことを
だいじょうぶ??と気遣ってくれる息子です。

---

雅美先生のところをでて
下諏訪図書館へ本を返しに行って
帰りに洗濯の洗剤を買って帰ってきました。

武士のおねしょ3日連続で洗濯が山です。


2004年10月08日(金) 待っていた

今日は待ちに待った児童福祉手当と
医療還付金の入金日で
武士の入院のときに
かかったお金が半分くらいもどってきた。
後の半分はJAの健保から戻ってくるらしい。

しかし7月以降ものすごい医療費と
8月以降のつわりの欠勤で
あっぷあっぷの生活。

母子家庭だとその全額が
戻ってくるようになっているけれど
すぐは戻ってこなくて3ヵ月後。

とりあえず今日は灯油を買いに行った。
ここ1週間・・寒くてお風呂から
お布団に直行の日々だったので。

明日は洗濯の洗剤とファブリーズと
引越しに使うガムテープなどの雑貨を
買ってこようかな。

---

今日は入籍したことを人事の人に話して
保険証などのて続きをする。

臨時職員じゃ出ないだろうと思ったけれど
少しだけど結婚祝い金とやらがでるらしい。

私たちは式も挙げないし
入籍の証明みたいなものも必要ないということで
もらっていいんだろうかとちょっと思う。

職場の人に彼を紹介する機会なんてなさそうだし。

---

住むところが上松になったことは
昨日書いたけれど
なんだかいろんなことが気にかかる。

あのいろんなものと危険な場所の中で
安全に子供を育てるのって大丈夫だろうか。

トイレやお風呂のことは改修するらしいけれど
妊婦に和式トイレはつらい。

---

なにより一番気にかかっているのは
自分が今ある上松の台所に
とても立てそうにないこと。

時々遊びに行ったときも
彼が自分の領分だから入るなといって
私はろくに料理をしたこともないし
2ヶ月前からはおかあさんがきちゃって
私は皿洗いをしたくらいだ。

それも全部をみちゃうと
気持ち悪くなるから
めがねをはずしてものをみないようにして。

時おり遊びに行って
お母さんにごはんを作ってもらうならいいけれど
食べられる量を超えて作るごはんは
毎日じゃたまらない。

遊びに行ったときくらいなら
我慢して食べることはできるけれど。



たぶん・・引っ越すまで上松に行きたくないよ。
お母さんに会いたくない。(号泣)



---

以前実家の母が・・
他人の台所に入るのは
つらいといっていたのが
こんな感覚かと自分でけっこういやになる。

調味料の位置がわからないとか
そういうレベルじゃなくて・・
どうしていいかわからないくらいいやだという
とんでもない感じにいやなんだもの。

たぶんお母さんがいなくて
彼ひとりのところに入るなら
こんなにいやじゃないと思う。

以前お母さんに言われた

主婦は一家にひとりでいいから
あなたは働いて発言に
(もちろん悪気はないと思いたいけれど)

一緒に仲良く住もうという気持ちは
(いっしょに生活することがまったく考えられないくらい)
私の中で完全に萎えてしまったし

そんなに自分だけが主婦したいなら
塩尻のきれいな台所で

(彼に散々迷惑をかけるあなたの夫で)

離婚したくない
(できない?)

お父さんところで主婦したらどうでしょう?

(殺されそうなくらい
 暴力をふるわれても
 離婚しないのはお母さんの意思なんだし)

私は武士と彼に料理を作るくらいはできるから
上松の台所は私一人に好きにきれいに使わせて

といぢわるな気分になっている。

---

別に広くてきれいな台所がほしいわけじゃない。

自分だけが使える小さいのが
あればいいけれども
今以上・・どうしようもなさそうだなあ。

これから出産もあって
お金がかかることはわかっているし
彼だって住んでもいない塩尻の家の住宅ローンが
まだまだ残っている。

私がいっさいがっさい目をつぶって
家事をしないなら
お母さんも喜んで
大事な息子の嫁はなにもできないといって
嬉々と主婦をしてくれるだろう。

---

昨日おかあさんの妹さんが

あんなお父さんにしたのはお母さんだし
女次第で男はどうにでもなる

という言葉がけっこう痛いなと思う。


私も息子も彼にとって重荷になるだけ。
彼にとってはお母さんは
やはり母親だし
守ってあげたい大事な人だ。

血は濃いものだし
どんなに好きで思っていても私は他人だろうし。

お母さんの私の心を冷やした発言の前は
彼が気の毒に思っているかわいそうなお母さん
なんだなと思っていたけれど
私はお母さんとはうまくは生活できないと思う。

独断的で悪いけれど。

---

44年前にあのお父さんと結婚したのはお母さんで
これからいやで離婚するかもしれないのもお母さんだ。

私のでる幕じゃない。

あなたの自慢の息子で
私の夫の彼が
とてもとてもつらい思いをしている。

彼に私がどう思っているかは
大体伝えてあるけれど
それだって自分の人格を疑われそうで
すごくつらい。

実際愛想をつかされそうだ。

---

こう書いていると自分が偏狭な人間だなあと思う。

でもぼんやりすると
今後のとんでもなさそうな生活を思って
ぼろぼろ涙がでる。

それも考え方ひとつだし

(もうちょっと歩み寄って
 年寄りに優しくなってとか)

病気(うつ病)なんだから
しょうがないよと彼はいうけれど。

こんなわがままな自分だったことも
嫌気がさしてきてる。
自虐行為には走りたくないけれどしんどい。

パキシルのみたいなあ。。


2004年10月07日(木) よかった

今日は武士の遠足。
朝お弁当を作って武士を送り出す。

今日は出産予定の病院で初の検診。
彼も代休があるということで
一緒に行くことにしてくれた。

病院では紹介状にあった私の昨年の婦人科検診の
細胞診がIIIbということで
急遽がん検診もすることになる。

1週間後に結果がでて悪い場合・・
出血をともなうため入院検査になるそうだ。
うつの症状についても相談して診察の予約をする。

スタッフさんは親切だけど
先生には細胞診断が遅れていることで
しかられるようにいろいろいわれる。
けっこううつにはつらいつらい。。

彼が一緒にいてくれてよかった。
一人なら泣いていたと思う。

お昼を食べて午後塩尻市役所で
婚姻届と養子縁組届をだす。
その後彼のおかあさんの親戚にあいさつ。



行く道で彼とも話して・・
塩尻の彼の立てた家に引っ越すのではなくて
上松の家に引っ越すことになる。

よかった。

しょーじきに書くと
私の憂鬱の原因はそこあたりにもある。



彼のお父さんはかなりかわっている。

私は彼が自分の父を嫌うことはよくわかるし
私も彼のお父さんと同じ敷地もしくは市内に
一緒に住むことは不可能だなと感じていた。

かなり危ない人物だと思うし
ある種のトラブルメーカーだ。
ひどい書きようになるけれど
ちかくにいるのだって気持ち悪い。

しかも酒乱?じゃないけれど
なにか気に障ると暴れる人の異様さが
言葉の端々や行動の端々に感じられて
すごい緊張する。

彼は父親と一緒にいるだけで血圧があがるみたいだし。

元主人が切れる?タイプだったので
私はそういう感情の起伏みたいな波に結構敏感。



一番いいのは
彼のお父さんとお母さんが離婚することだけど
それはお母さんの体裁に対する考えが
あってなかなか進みそうにない。

自分の生命の危険があるなら体裁なんて
私は関係ないと思うけど。

お母さんからも自分の夫に対しての
恐怖をお母さんの言葉で聞いていて思ったけれど・・
じゃあどうして離婚しないの?
というのが今でも素直に疑問。



少なくとも44年夫婦生活をしている二人は
別れられない運命なのかもしれない。

だから殺されそうに乱暴されたり
ためていた大きな金を
あっという間に使われても
息子の所に逃げることだけで
なにもしないのかもしれない。

離婚にはかなりのエネルギーがいるし。


彼がローンを返している家に
(彼名義の家で父親が居座っている家)
何度か連れて行ってもらったし、
お父さんにも会って、
その家に泊まったけれど
しょーじきあの場所には・・
いたくないと強く感じてしまった。

24時間やっているスーパーがあったり
デパートもあるし・・
生活するには便利がいい土地だとは思うけれど
気味の悪いものがあって
そこで生活することが怖くてしょうがなかった。

それは彼のお父さんに対しての恐怖なのか
その土地に対するものか
よくわからないけれど。

私はそこじゃ安心して
子供を生んだり育てたりは
不可能だと感じていた。
そういうのって妊娠中はかなり敏感になると思う。

でも彼は自分の立てた家に住みたいこだわりもあって
私はそんなわがままなことは言い出せなくて。

バツイチの子持ちを初婚でもらってくれる相手に
家があってそれがなんだかわからない
気味悪さだけで住みたくないとはいえない。。

彼が職場の合併中止ということで
塩尻に住むことがまかり通らんとなったことは
私にはよかった。。

かなり古いおうちで
お風呂とトイレは昔ながらのものだから
慣れるのはたいへんそうだけど、
年末には下水道工事がくるので
そのうち改修するようなことも話していたし。

まずはよかった。。


2004年10月06日(水) すべてがうまくいきますように

今日は久々に一日仕事をする。
というか・・つつがなく職場にいました。(^^ゞ

今日職場で退職願をだして。
お昼には引越しの見積りをだしてもらった運送さんに電話して
引越しをお願いして。

明日までに自分なりの考えをまとめたくて試行錯誤して
以前から困ったときの・・方と連絡をして
話す算段をして。

ときどきすべてをちゃぶ台をひっくり返すようにしたい
衝動にかられていたけれど
それはやはりしなくてよかったことみたいだ。。

すべてがうまくいきますように。
今日は久々にうまく眠れそう。

---

明日は武士の遠足。
先日台風で延期になって
今月のおわりくらいということだったようだけれど
明日まではお天気だという予報。

急遽・・明日お弁当。とほほ


2004年10月05日(火) そろそろ

月曜の午後と今日一日
うつうつして過ごす。
ぼんやりすると
泣けてきておいおい泣いてしまう。
泣きすぎて吐いてしまうこともある。

涙の理由はよくわからないし
呼吸をするのも苦しい。

今住んでいる家になにやら霊がいるとしたら
それに取り付かれたの?と思うくらいだ。

パキシルをやめた後遺症なんだろうけれど
こんなにやっかいなものとは思わなかった。

そろそろしっかりしなくちゃいけない。

---

今日は武士のおねしょを洗濯して
コインランドリーに乾燥機を使いに行く。
いつもいくコインランドリーが混んでいたので
近くのコインランドリーにいくと
なんと諏訪聖母幼稚園で
いっしょのクラスだった子のお母さんに会う。
近況を報告して思わずうるうる。

武士の担任だった先生で
結婚してやめてしまった
雅美先生についての消息を聞く。

今は旦那さんの焼き鳥やさんを
お手伝いしているとのこと。

いまだに雅美先生のことは武士の口から
なつかしいいい思い出として話がでてくる。
武士が聖母幼稚園をやめるときに
クラスのみんなと先生と武士が
本当に本当に悲しくて泣いたことも。

武士の過酷だった三村園の日々も
聖母幼稚園の雅美先生がいてくれたおかげで
とても健やかなものになったと感謝しています。

武士と塩尻に引っ越す前に雅美先生に
会いに行こうと思っています。

---

午後から塩尻のはりに行って来る。
気の病になってから精神科で薬をもらう前は
この塩尻のはりにかなり癒されていました。

ここは痛い治療ではなくて気の流れを
自然なものに整える治療・・
はりもささるかささらないかくらいの感じで
はり以外にもお灸もしてくれる。

肺の気が滞っているとのことで
足にむくみもあってかなりお灸をしてもらう。

おわって頭が少しはっきりしたみたいだ。

---

夕方久々に武士のために夕飯をつくる。
本当に久々・・ここのところ
ずーっとコンビニ弁当だった・・反省反省。。

そろそろ私がしっかりしないと
武士だってかわいそうだ。


2004年10月04日(月) 雨の月曜日

10月に入って
すっかり秋らしくなっています。
朝晩はそこはかとなく寒い。

こたつかファンヒーターが欲しいくらい。

でも今月末には引越しもあるから
それまでは暖房器具をだしたくなかったりして。

あぁ・・無精者です。

そういえば武士の保育園の冬服も
衣装ケースのどこかにあるはず。
めんどうだなあ。。

できるなら月曜日は晴れていてほしいものです。(^^ゞ

---

気持ちのエネルギーみたいなものが
なくなってしまっていて
かなり困っています。
じたばたするのも気力がいる。

なにかのきっかけを
つかみたくているけれど
それも難しくて。。

---

保育園で武士がはさみで
洋服も下着も切られてしまって
夜・・悲しいと泣く。

本人にも多少の問題はあるだろうけれど
武士の話によると
他の園児に嫌われている兄弟の
弟にやられたそうです。

保育していた先生から
謝罪の言葉はあったけれど
たぶんその嫌われ者の園児も園児の親も
武士が夜しくしく泣くくらい
ショックを受けていることは知らずに
これからも他人に迷惑をかけていくんだろうな。

三村園では髪の毛を切られたり
もっと悪質でいやなこともあったけれど
そこで私は相手の親に電話で
謝って欲しいと言ったりもしたなあ。(遠い目)
でもそういう親はうちの子だけがやったのか?
なんて平気で聞かれて唖然としました。

今はそんな元気もないです。


2004年10月03日(日) 柊君と遊ぶ

今日は武士の友達柊くんと遊ぶ約束の日。

前日から雨模様だったので
諏訪市の湯小路いきいき元気館で
待ち合わせする。

ここは1Fに温泉施設があって
大人が300円、6歳以上が150円で
温泉が楽しめる。
武士は3月生まれなのでまだ5才。

親子で300円で温泉を楽しみました。(^^ゞ

武士と温泉に行っても
全然ゆっくりはできないけれど
やはり家でお風呂に入るより
しっかり温まることができるのがうれしい。

2Fが児童館になっていて遊具設備もたくさんあって
久々に柊くんと楽しく遊びました。

お昼を諏訪ステーションパークの
いちばん食堂で食べて
諏訪市立図書館で本を借りるのも一緒。。

武士は久々にとても楽しく過ごすことができたようです。

家に帰る途中・・
柊くんと別れるのがつらかったのと
少し泣いてました。

武士にとって1歳半から今年の2月まで
三村園での長い時間を一緒に過ごした
戦友のような柊くん。。

また一緒に遊びましょう。

---

武士ももちろん楽しんでいましたが
私も柊くんのおかあさんとのおしゃべりで
かなり癒されました。

おしゃべりできる人がいるというのは
うれしいことです。

今日一日ありがとう。。


2004年10月02日(土) ぐーたらないちにち

昨夜12時過ぎまで彼に遊んでもらっていた武士は
さすがに朝6時半過ぎまで寝ている。

武士はおねしょをしてしまったようで朝から布団を洗濯。

朝は下諏訪のデニーズに朝ごはん。
朝マックもいいけれど・・
デニーズの朝食メニューは好きだ。
小食な彼にはとてもボリュームがあったみたい。

自分が元気なら
湖畔の公園で遊ぶのもいいけれど
食べたらぐったりして
諏訪の家に帰ってごろごろ。

武士は物入れにある電子ピアノを
彼に出してもらってご満悦だ。

武士も私の不調を知っているので
私だけがいるときじゃそんなことが
許されるわけがないのを知っている。。

気がつくと1時過ぎ・・
先週見逃した大河ドラマの再放送をみる。

大河ドラマ”新撰組!”は三谷幸喜の脚本でおもしろい。
キャスティングは若者ばかりで
各種批評は酷評が多いけれど私は好きだ。
”利家とまつ”、”武蔵”、と3年続けて
大河ドラマを見ているけれど
今年が一番好きだなと自分では思う。

ドラマをみたあと
お布団は乾きそうもないので
コインランドリーに行って乾燥機に入れ
すき屋でお昼。。

とてもごはんを作る元気はない。
こんなんでいいんだろうか?とへこむけれど
まったくぐーたらな一日でした。


2004年10月01日(金) 衣替え

今日から10月・・気持ちの良い朝です。

うつうつしているけれど
ほぼ毎日仕事には行っています。

今日から衣替えかあと思ったのですが
合併して制服もリストラで
1年中同じもの。(^^ゞ

武士の冬服はでてこないし
今日はそう寒くないので
夏服で保育園に行きました。

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慢性的なつわりも気持ちの悪さもあるのに
食べたいものは妙なものばかり。

何が食べたいと聞かれると

しゃぶしゃぶ
(どうも以前見たTV番組で食べたいなと思って以来
 ずーーーーっと食べたい 苦笑
 でもたぶん食べることはなさそう 涙)

カツどん
(なぜか豚肉と卵とたまねぎの部分に心引かれる・・)

7−11の
昔ながらのナポリタン
(普通の時なら気持ち悪くて絶対食べないのに)

なんてものが思い浮かぶ。

毎日コーヒーをかかさず飲んでいたのに
飲みたいのはコーラや紅茶。

生協でただの炭酸水にレモンというのを飲んでみたけれど
甘さがないとダメみたい。

お菓子はOK。
デブの道まっしぐらじゃないか。

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気になっているのは自分の体臭。

体温が上がったせいなのか
自分がくさいような気がしてしょうがない。

食べているのものが油ものが多いし。

肌もなんだかぎらんぎらんしているような。(^^ゞ

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今日は夜彼が来た。
武士は喜んで夜中まで彼にまとわりついて遊んでいた。

こういう時間が大事なんだな、たぶん。


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