ミドルエイジのビジネスマン
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2003年05月25日(日) 頑張れ、りそなのビジネスマン

何気なく新聞を開くと「公的資金」が「注入」されるりそなグループの社員には夏の賞与が出ないと書いてあった。あと一週間で6月、まさにボーナスをもらう月なのに、それはないだろうというのが銀行職員の気持ちに違いない。

全くの想像だが、処遇は既に何年かかけてジリジリと切り下げられ、もはや下げ余地がないと思っていたらボーナス全額カットとは、あまりのことだ。会社に対する忠誠心がスーッと冷めていくサラリーマンの心のありようまでが見えるようだ。

大和銀行との統合前に、あさひ銀行の人たちの再生にかける姿をテレビのドキュメンタリー番組で見て応援していただけに、ついこの間までのあの努力は一体なんだったのかと思う。

状況は厳しいが、この3月期上場企業の利益は底を打って反転した。頑張れ、りそなのビジネスマン。


2003年05月18日(日) 薄曇りの日曜日に

薄曇りの日曜日に、階下からお友達と遊ぶ子供のはしゃいだ声が聞こえる。


家庭菜園にはいちごが熟し、庭にバラが咲いて、おそらく開くのは最後になるであろう下の子供のお誕生会に母親が思いを込めて「11」と描いたケーキを作る。

卓球の部活から、必要もないのに走って帰ってきた長男は母親と短い勉強をこなし、夜にはもっと勉強すると空約束をして、また卓球をするため今度は市の公共施設に向かう。

父親はコースに出る予定もないゴルフの練習のついでに、カエルがかすかに鳴き始め、遠くで白いサギが音もなく歩き回る田んぼの景色を眺めに行く。昼には採れすぎた絹さやで自分のために味噌汁を作り、夕方には体のためにちょっとだけ泳ぐ。


ずっと続けば幸せと言えるだろう。
求め続けた暮らしかといえば、そうとは言えない。
幸せだろうと思い、あるがままを受け入れる。


2003年05月10日(土) ゴルフとウルトラマン太郎

五月晴れの一日、ゴルフをやってきた。
都心から電車で一時間位、隣に遊園地や野球場がある都会的なコースには早くもセミが鳴いていた。

あまり気を使わなくてもいい同じ会社の部長さんや次長さんがメンバーなので、伸び々々とプレーしてきた。公平なハンデの決め方の結果大部長の上司が優勝、生涯ベストスコアの出た人もいて、みんながハッピー。

暑くなったのかチョッキを脱いだらてきめんに調子を上げた人がいた。ドライバーショットがピシッと決まったので「ベストを脱いだらベストショット!」と声をかけたが、こんなに上手いジョークを誰も誉めなかったのは驚きだ。しかも、午後のラウンドでショートホールでワンオンするとキャディバッグなどがもらえるゲームに申し込んだら本当にワンオン。まあ、実際に当たったのはキャディバッグではなくゴルフ用のソックスだったので本人のコメントは「ちょっとソックす」(ウソ)。

そのベストショットの人は徹底的についていて、お昼にレストランでノンアルコールビールを飲んでいるとテレビ東京のクルーがやってきて、17日(土)の「ワールドビジネスサテライト」で放送するからとノンアルコールビールの良さについてインタビューされていた。


この日記の中でもゴルフについてあまり積極的な記載がないのは、得意種目ではないからだ。

一番最初は、上司から昼休みの喫茶店で毎日のようにクラブのグリップの仕方の話を聞かされ、次には古いクラブを只であげるからと先輩にだまされて引きずり込まれ、霧雨の降る中、富士山のふもとのゴルフ場でのデビュー戦では打込むたびに砕けた軽石でクラブは傷だらけ、振り終わったら何も考えずにクラブを3本持って走っていけとか、下手くそなのは分っているから打ち終わってもシマッタなどと声をあげるなとか、コンペのときはキャディさんにお土産を渡す係、汗をかいても風呂には入らず皆様のスコアの集計ばかりやらされ、挙句の果てにコースに出るたびにひと月の小遣いが吹っ飛ぶような支出を強いられて、それで好きになれと言われても無体というものだ。

それでも10年位前まで、若い人が苦行を乗り越えて楽しみの方が大きくなるまで続けたのはゴルフがビジネス上の話題や上司に取り入る手段として重要な位置づけを占めていたからに他ならない。

今や結婚式にも会社の上司など呼ばない時代だ。大部長は会社の人とゴルフに行く最後の世代かもしれない。打ち終わったらクラブ3本を持って走っていくのは昔と変わらないが、全面ガラス窓から遊園地を見やりながらゆっくりと風呂につからせてもらった。

ゴルフもスポーツである以上、トレーニングでコツを会得すればどんな人でもある程度余裕を持って楽しむことができるようになる。昔、幾多の若者に理不尽な思いをさせた責任は、自らきちんと基礎を教えることなく一刻も早く仲間に引きずり込もうとしたオヤジサラリーマンどもにあると考えている。

大部長はバブル期以降1〜2年に一度しかプレーしなかったが、最近のんびりと練習場に行くようになった。かつては当たるかどうか不安に駆られながら、ボールに当てに行くようにひ弱に振っていたドライバーを思い切りボールをひっ叩くようにしてから却って当たるようになった。

ゴルフ場からの帰りにズボンのポケットを探っているとキャディの田島さんに返し忘れたマーカー代わりのメダルが出てきた。五百円玉くらいの大きさで子供がゲーム機に入れて遊ぶのに使うものだろうか。バス停ですることもなくまじまじと見ているとウルトラマン太郎と書いてある。ウルトラマン太郎が立っている絵柄の周りに円周に沿って英語らしきものが見えるので目を細めながら追っていくと「True Son of Father and Mother of Ultra」と書いてある。ウルトラの父と母の本当の息子・・・ウルトラの父には非嫡出子の息子もいたのであろうか。あるいは男の中の男というような意味で「true」と使っているのだろうか。あまりの馬鹿々々しさに思わず笑ってしまったが、いつか、今日のような明るいお日様の射すグリーンの上で思い出し笑いしながらウルトラマン太郎のメダルをマーカーとして置く自分の姿を想像した。











2003年05月05日(月) 恒例の潮干狩り

ゴールデンウィークは恒例の潮干狩りに行ってきた。

初めて行ったとき、まだ幼児だった次男がそれまで元気に水遊びしていたのに、ちょっと風が出てきたと思ったら急にカタカタと震えだして、あわてて引き揚げたことなどが思い出されたが、今や何の心配もすることなく、放っておけば親よりも豊漁だ。

お昼過ぎには帰途についたが、すれ違うのもやっとという道にこれから駐車場に入ろうかという車が延々と列をなしていた。帰る車と入る自動車のアンバランスは覆うべくもなく、その人たちがアサリ取りに十分な時間を確保できたかどうか気になるところだ。

後日遊びから帰ってきた子供が言うには、友達約10人のうち3人が潮干狩りに行ったという。あの行列も納得がいくというものだ。



***カニもいました***




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