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     2006年08月30日(水)
民主主義が守られた共産党 / 夜回り先生講演ドタキャン


民主主義が守られた共産党

自分でタイトル付けて ちょっと笑ったので。
もちろんわたしは反共だけど、それはそれとして、
そもそも不要なビラをドアポストにポスティングされたからって、
わざわざ不法侵入で裁判に訴えるのってどうよ、という感じ。
オートロックのセキュリティマンションならともかくも。
なんて狭量な…( ̄▽ ̄)

夜回り先生 講演ドタキャン
テレビで見たとき、すごい人だなぁと思った。
無私ってこういうことだろうなぁ…と少なからず感動した。

…で、このたびのニュースを読んで、
テレビ放映で社会に周知された人が、今更「モニターでは私の話は伝わらない」って どういうことかと…(笑)
講演に引っ張りだこになって、偉くなっちゃたと勘違いしてるのかなぁ。
休みとって講演に駆けつけた人もいるだろうから お気の毒様としか言いようがない。
でも、講演聴かなくても ちゃんと本も出てるんだから、もう持ち上げるのはやめてもいいんじゃないの。
あ、本の宣伝のための講演なのかな?( ̄▽ ̄)




     2006年08月25日(金)
長文:三色旗関連/ 信じる 自分という存在 喜捨 

 
ネットのドッペルゲンガー SIGHNの日記から転載

===ここから====

先ほど徘徊した mixi日記の中で ちょっと気になる事が書いてあったので、つたないですが、考察を…。

人は、何かを信じなくては生きていけない仕組みになっています。
何も信じないということは、道を歩いているとき、
すれ違う人がみんな悪人ではないかと疑ってみたり、
いきなり地震が来るのではないかと座り込んでみたり、
電車はおろか、エレベーターにも乗れなければ、出歩く事もできず、
極端な話、水道の水に毒が混入されてやしないかと水も飲めない状態…
何も信じないレベルが高くなると心療内科か精神科のお世話になるほどの状態になってしまうことでしょう。

つまり、常識的な日常で、人は必ず何かを信じて生きています。
「多分大丈夫」そういうお気楽が日常です。
今日大丈夫だったから 多分明日も。あさっても。ずっとこの先も。。。

そしてその判断をするのは 最終的に「自分」なので、
大抵の場合、人は根本的に「自分」を信じて生きています。

しかし、私は根本的に非常に疑い深い人間なので、
いつもどんな時も、最低最悪の想像をしながら、
常に独りぼっちになっても構わないという覚悟で生きています。
いわゆる「強いヒト」と言われる由縁です。

ところが、疑い深いがゆえに、
その独りぼっちになったときの「自分」ほど信じられないものはありません(笑)
自分を信じることを 自信というのですからうなづけます。

他の人はどうなんでしょう?

自分を一番信じられると 言い切るのでしょうか?

病気になっても? 

「オマエハ何者?」と問われたときに、用意できる答えをアイデンティティ と言います。

いつでもどこでも、どんな状況になっても、
自分のアイデンティティを語れる行為が信仰であると 私は思います。
要は 「自信」となりますね。

また、人生を航海にたとえて、信仰は羅針盤とも言われます。

ある日突然、お金もない、頼る人もない、健康も害している、
そういうどん底から 希望を見い出す力が信仰にはあります。

信仰のない人は、どん底から這い上がるとき、やはり自分を頼みとするのですかね。
自分の力でどうにもならない局面では 何を頼みとするのでしょうか。
多分 そんな日は来ないと 信じているのかも知れません。
ある意味 幸せですね。
そう考えると 信仰は 絶対保証の保険のようですが…。

といったところで お金の話。

「宗教になんでお金が必要か?」とはよく聞く疑問です。

では、逆に聞きたいのですが。
平成の日本で、全くお金を動かさず、何千人何百人の人間が 週に何度も集会をするには どうすればよいと思いますか?

「地域に専用の会館が欲しい!」
これは 組織が大きくなればなるほど、地元の会員が切望して、何年もかかって実現してきた汗と涙の結晶です。
想像力が働けば簡単なことですが、
構想から、土地選び、周辺地域の理解、着工、建設、完成、その後の維持…当然お金が必要です。
小さなマイホームを建てるような安易さで(それでも大変な事でしょうが)、建った建物など1つたりとももないでしょう。
アフリカ等の海外では、貨幣価値も違う事から、日本からの支援なくしては 会館維持も難しいと聞いています。

その元になるお金の話ですが、信者が「喜捨」したのなら、
外野がアレコレいう事はない、と私は思っています。
億万長者が、億寄付する。自分のお金なら何も問題はありません。

仏法では、寄付を「喜捨」という言い方をしますが、喜捨できないのなら、イヤイヤ寄付して欲しくないなぁとも思っています。これは 末端組織ではスグ辞める人もいて言えない事でしょうが( ̄ー ̄)

まぁ 私など、いくら寄付をケチったところで、金額が知れいているので、つまらない贅沢をしてお腹の中に消えてしまうか、少々小奇麗な服を身に着けるか、しょーもないことです。
社会や人の役に立つ事には使いそうもありません。
かえって もっともっと…という餓鬼界の命が増幅されるだけの事でしょう。

しかし、法に喜捨した金額は 未来にわたって宝城を荘厳する一部になり、歴史に残りますよね。
歴史を作る波の中で、その他大勢の人は その最中にいる時は 
自分が歴史上の人だとは気づきません。
歴史を残そう と意識した人だけが解っている話ですね。

さて、後半戦 日々全力で行きましょう♪

=====ココマデ====



     2006年08月24日(木)
<過去の太田語録(要旨覚書)>

公明党・新代表に太田氏選出へ mai-pol

ミクシィニュース 

太田さんは わたしが若い頃、創価学会の全国青年部長だった。
爽やかなのに情熱的で、フィルムでしか見ない若き日の池田先生を
髣髴とさせる弁舌は 本当に信心の先輩としては最高で、
政界への出馬を聞いたときには悲しい事極まりなかったものだ。
どうして そんな汚い世界へ行っちゃうの…的な(笑)

そして、太田さんが政界に進出してから程ない頃に 
たまたま太田さんを囲んで少人数で膝詰めで懇談する機会があったので 
その時のことを。。。 エンピツでは過去にも書いたことがあると思う
阪神淡路大震災のすぐあとだったので、1995年か1996年位のことだと思うけど定かじゃない。
わたしの若年性ボケ気味の記憶の中に残っている断片の談話。

「政治の世界は本当に金がかかります。ビックリした。
ケタも我々一般の人間が考えてるのと違うんです。
僕ら公明党の議員は絶対やらないけど、金丸信が金の延べ棒を
こっそり地下に隠したニュースがあったでしょ。
彼くらいになると金がかかるからしょうがないんだろうなぁって、
思わず同情してしまった。それ位カンタンに大きな額の金が動くんですよ。
常識じゃ考えられないくらい大きな金が右から左へ簡単に動く、
政治の世界はものすごく怖い世界です。」

「公明党が本当に感謝しなくちゃならないのは、
皆さん方が、本当に朝から晩まで、無報酬どころか、
何もかも持ち出しで、手弁当で応援して下さるから…
あまり読んでないかもしれない公明新聞をお金を払って購読して下さってるから、
出費も他党よりははるかに抑えられてるんです。本当にありがたいことです」

「僕は議員になってから、毎日秋谷会長に電話を入れています。
秋谷会長は信心の先輩ですから。
自分の信心を見失わないために、毎日の報告をするんです。
それで家に帰って、夜、鏡を見るんです。自分の顔を鏡に映して、
大丈夫か、魔にやられてないか、悪人の顔になっていないか
自分でチェックしするんです。怖いんですよ。
国会の赤絨毯を踏むと、人間性が狂ってしまう。
色んな人から先生、先生って持ち上げられてね。だから公明党では先生と呼ばせないでしょう。
僕みたいに議員になりたての人間でも、偉くなったような勘違いをしてしまう。
そうならないように、立党精神を忘れないように、
僕は毎日、学会本部に電話をして指導を受け、題目を上げ、
鏡を見るようにしてるんです。」

その言葉をずっと忘れないように 太田さんの顔を新聞で見続けてきた。

一時期、「あ 魔にやられちゃってるな( ̄ー ̄)」と思える悪人顔の時期があって(当然、事の詳細も真偽もはわかりません)、
ちょっと心配したけど、ここ数年は元の福福しい男前にきちんと戻っています。顔だけを見れば、ですがw

仏法の慈悲の一滴を政治の大河に注ぎ込む…
=大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく=

この永遠の立党精神を絶対忘れず、弱者を絶対泣かさない、という気概で頑張っていただきたいものです。
青年時代の不正への憤りを、絶やさず誤魔化さず、青年たちを、健気な婦人部を、絶対裏切らない陣頭指揮をお願いします。





     2006年08月18日(金)
Google「ググる」を使用禁止に

動詞「ググる」使用を厳重に取り締まる

まぁ なんて狭量な…( ̄▽ ̄)
と、思ったのはわたしだけ?
一般人がメーカー関係なく クレパス〜、セロテープ〜と言うのを、
サクラクレパスやニチバンが ごちゃごちゃ言ったりはしない。

ググる、ググる時、ググります、ググれ ググれば

ちなみに英語では「Google someone」

うーん グーグル≠ぐぐる 

日本語には適用されないような気がする( ̄▽ ̄)




     2006年08月17日(木)
自殺の校長は公務災害  日の丸の旗

<<ミクシィ+α>> 

自殺の校長は公務災害 

3年前、自分の日記で校長自殺のニュースを取り上げた。
そら教育者としてあかんやろ、と書いた。


その後の4月20日の日記にも取り上げた。
校内でよっぽど虐められてたんではないかと書いた。

校長先生が小学校の校内で首吊り自殺をした…
子どもに対する影響を考えたら、 
いくら奥さんが気の毒だとは言え、労災出てよかったねとか
素直に言えない気持ちになる。

それに、どうして日本の学校で、日本人が1年に1回か2回、
国歌を歌ったらあかんのか全然わからん。

君が代=天皇の世 だからとかいう理屈は聞きません。
作られた時代がそうで、そのまま今日まで国歌として認めてきたんだから
しょうがない。
むしろ、内容的には美しい古い日本語が使われていて、いい歌なんだから、
君が代=YOUR WORLD≒我々の代位に捉えればいいのに。

どこの世界に、自国の国歌を歌うなという国があるだろうか。
新しい国歌があるのに、君が代に固執したら問題あるだろうけれども。

フランスのラ・マルセイエーズなんて、旗が血みどろって内容の国歌やで( ̄▽ ̄)言い過ぎ


当時広島のその学校に通っていた子どもたちは、元気に学校生活を送っていますか?

話がとんでますわね 失礼( ̄▽ ̄)←今更書き直さない

■ついでに 文部省唱歌「日の丸の旗」

白地に赤く 日の丸染めて ああ美しい 日本の旗は
朝日に昇る 勢い見せて ああ勇ましい 日本の旗は

君が代にの代わりにこの歌を歌うと、短すぎて最後まで国旗掲揚できません( ̄▽ ̄)




     2006年08月15日(火)
終戦記念日に何を思うのか

小泉首相は、お盆休みで夜更かしした私が起きた時間には、
既に靖国神社へ出かけていた。
9時半からの会見で言っていることはもっともらしいことで、
彼が何故靖国神社を参拝するのかを説明するのには特に過不足はない。
しかし、8月15日に固執するんだったら、なんで今までずっと8月15日を
外してきたのか理由がわからない。
まぁ、オイラもう任期切れだし、
辞めたあとは安倍クンがなんとかやってくれるんじゃないの…
的な態度がミエミエ。

それと 前にも書いたわたしが不思議に感じている 
公約≠個人の精神的なもの これの釈明はどこからもでてこない。
公約だとか「へ理屈」言わずに、日本人の帰属意識の由縁により参拝する…
と言えば、辻褄が合うのに。
内部に向けて自分を正当化するために公約を振りかざすあたり
コスイのよね( ̄ー ̄)

そしてこの問題で、わたしが特に大きく嫌悪感を抱くところ、
違和感を感じるところは 嫌韓・中意識ののネオ右翼とも呼べる
戦争を知らない若い人たちが、(わたしだって知らないが)
「やるんやったらやったるぞ、コラ」を、
思想のモチベーションにしているのではないかということ。

日本の平和と安穏を守るために戦争してもいいと思ってないですかね…。

排日感情を煽るだけ煽ったその行く先に、何を望むのか。
先哲たちが手を尽くして切り開いた国交をふさぐ感情を爆発させるなら、
その国交を死守するための代替案を出せ、と言いたい。
極力…というより、断じて戦争を回避すると言う姿勢に勝る代替案を出して、
国粋主義を振りかざせばよいではないか。

毎朝毎晩 世界が平和であるようにと祈る私は それを言う権利がある。

20歳のとき 民青の青年部に囲まれて
「祈るだけで世界が平和になると思ってるのか」と恫喝されたのも嫌な思い出。

祈るだけで平和になるで。と今なら言える。

但し 世界の3分の一の人口が真摯に平和を祈る世界を
作らなくてはならないんだけどね ( ̄▽ ̄)






     2006年08月09日(水)
靖国神社公式参拝は 公約でいいのか?


公約は生きている 
「公約」と「極めて個人的な精神の問題」が 同一のものでいいのかどうか、
誰かわたしに噛み砕いて説明してほしい。


8月15日に靖国参拝する事を小泉首相は「極めて個人的な精神の問題」と、
言いながらそれを「公約」とすることに何の問題も感じていない。
小泉首相自身も、マスコミを含めた国民の多くも…である。
『政治家の公約というのはパブリックなインタレスト(利益)を政策として、
掲げるということで、私的な心の問題を公約にするというのは論理的に成立しない』
…てなことが 潮9月号に寄稿されているようです。
みんなの前で約束するから 公約 なんて幼稚な理屈を、
総理大臣ともあろう人が言うのかね? 
辞め際だから なんか言いそうだなー( ̄▽ ̄)


以下 靖国神社のホームページよりその歴史要約。

靖国神社は、明治2年(1869)に明治天皇によって、
戊辰戦争(徳川幕府が倒れ、明治の新時代に生まれ変わる時に起った内戦)
で斃れた人達を祀るために東京招魂社として創建された。
明治12年に靖国神社と改称されて今日に至っている。
 後に嘉永6年(1853)アメリカの海将ペリーが軍艦4隻を引き連れ、
浦賀に来航した時からの、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀り、
明治10年の西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、
斃れた人達を祀ることになった。


※斃れた…たおれた


「同期の桜」という軍歌にも表されているように、
死に行く自身を桜にたとえ、潔く散る事を美徳とし、
靖国神社の桜となってまた会おうと友と別れた青年たち。

今のような情報の錯綜する時代と違い、
地方の人間が、靖国神社の何たるかを知るはずもなく、
徴兵された兵学校で、戦死こそ誉れと刷り込まれ、
貴い命を犠牲にしたのであろう。

その合言葉が「靖国で会おう」

靖国を政争の具にするなというけれど、
そもそも国内において、戦時中から政治に利用されてきたのに。

だから、当時の占領地の人民(韓国や中国)が、
人権を無視した日本軍部に嫌悪感を持っているであろう
(悪感情が酷い教育により増幅されてるとはいえ)ことは想像に難くない。
靖国を日本の軍国主義の象徴と見ることは当然といえば当然なのだ。
アジアの中で韓日だけが 靖国参拝を問題として騒いでいる… 
というのは当たり前といえば当たり前の話なのだ。
日本が占領軍として跋扈したのは 韓日だけ。戦争被害の当事者だからだ。
信教の自由を理屈で解っていたとしても、日本の軍国主義の象徴が
靖国神社であるという心象を拭い去る事はできないだろう。

戦後生まれの日本人のわたしだって、靖国神社=同期の桜=八紘一宇 
みたいな図式がすぐ浮かぶ。

過日、第一次世界大戦を舞台にしたバルトの楽園という映画の話を書いたが、
坂東村のドイツ人俘虜収容所における敵国人の人権を尊重した統治を、
日本が当時の満州で、韓国で行っていたら、中韓の嫌日感情というのは、
ここまで酷くなかったと思う。

今年、85才になろうとする満州で兵隊経験のある知人は、
ものすごく理不尽に中国人を虐めてきたと話してくれた。
「意味も分からず、『スラスラっ』ていうと皆が怯えた。
怯えてるところを容赦なく銃で殴ってすっきりした。
女とか男とか関係なかった。
食い物でも女でも、欲しければスラスラって言えばよかった。
スラスラってのは殺すぞって意味やった。
酷い事やが、その時はそれでいいと思っていた。」

知人は 戦争が終って、日本に騙されていたと感じ、共産主義に走る。
組織の青年部で旗を振り、労働組合で体制と喧嘩ばかりして、
会社で万年ヒラを余儀なくされ、定年を迎えて 
それも間違いだったかもなぁと回顧するが、それは余談w

首相の靖国参拝反対を他国がとやかくいうことが、
内政干渉かどうかが問題なのではない。

そもそも 靖国の意義付けを 日本は戦後どうしてきたか…
…が急速に問われているのだ。

それこそ、首相がガッチガチの創価学会員とかクリスチャンだったら、
そもそも靖国参拝はしないんじゃないのか。


61年前の今日、長崎に原爆が落とされて、7万人が犠牲となり、
2度にわたる原爆の洗礼を受けて、日本はようやく降伏を観念した。
アメリカが、敗戦国である日本に対して今のように横暴ではなく、
少なからず復興の応援をしたお蔭で、戦後の復興は早かった。
嫌米感情なんてものも湧かず、どちらか言うとアメリカナイズされていき、
日本はアメリカに対して 尻尾振る犬のように飼いならされてしまった。

今となっては アメリカの思う壺だったのかもしれないが、
とりあえずそのお蔭で、あなたの祖父母も両親も虐殺される事もなく、
生かされて、今日の私たちがある。 







     2006年08月07日(月)
SIGNの日記から転載〜オーランド・ブルームさんを歓迎


■写真8月7日付 3面  同2面
今日の聖教の2面を開いて、興奮しなかった婦女がいるのだろうかw
私は朝から興奮してしまった。もちろん嬉しくて。
新潟で行われるフジロックフェスティバルに参加するため来日した彼は、長野研修道場に、彼の家族と共に池田先生を訪れた。
私も、夏の長野研修道場で先生にお会いした機会(ほんのちょっと)は過去に数度あるが、そこで出会った有名人といえば、坂口力元厚生労働大臣くらい…。
オーリーに会う機会に恵まれたメンバーがつくづく羨ましい。

オーリーが先生へ手渡したメッセージカードに書かれていた言葉。
『親愛なる先生。法華経の剣を掲げ、誠実をわが規範とし、あなたを我が師とし、全宇宙の善なる力を味方として、私は広宣流布布を目指します。そして、山頂から四方をはるかに見渡す日まで、険しき妙法の山を登攀(とうはん)しゆくことを誓います。山の頂において、私は感謝を抱いて、次なる生命の冒険への旅立ちに挑みます。生々世世(しょうじょうよよ)あなたとともに、多くの山を登攀しゆくことに我が胸は躍るのです。あなたの弟子にして友─オーランド・ブルームより』

==SGI会長は語った。
「スウェーデンの劇作家ストリンドベリは言いました。『俳優は役を支配すべきで、役に支配されてはならない』と。大事なのは自分自身に生き切ることです。オーランドさんはその通りの人生を進んでいます。役者だけ、仕事だけ─そうであれば平凡です。本当に人々のために、社会のために、永遠の哲学である仏法のために生きておられる。その姿は尊いです。一番価値ある生き方です」
「私は、必ず行動します。池田先生、見ていて下さい!」と、社会のため、世界のために貢献の人生を誓うオーランドさん

「長い、長い人生です。最後の最後まで、大いなる理想に向って生き抜いていくのです。黄金の夕日が、大空を真っ赤に染め上げながら、荘厳な輝きを放つように、人生の最終章を見事に飾っていくための仏法です。そのために、一年一年が戦いです。一年一年が勝負です。今の成功が未来の成功とは限らない。『最後の勝利を!』。コレが永遠の勝利です。友人として、私は申し上げます。」==


オーリーが 真剣に環境問題に取り組んでいるということも、
今回の記事で初めて知った。

役者馬鹿な役者はそれなりに魅力だけど、社会問題に取り組む役者というのはもひとつ器が大きいなぁ。

ステキ(* ̄▽ ̄*)♪





     2006年08月04日(金)
バルトの楽園(がくえん)  企業のプライド

バルトの楽園(がくえん) 

最終日の最終回にすべりこみセーフで観賞して来た。
想像以上に主人公の松江所長が好人物で面白かった。

日本で初めて ベートーベンの第九が演奏されたエピソードの詳細は上記リンクで。

第一次世界大戦当時、日本人の宿敵であったドイツ人が、俘虜収容所で出会った日本人所長と収容所のある地域住民に対して、
尊敬と感謝の意義をこめて演奏された第九交響曲。

苦悩を突き抜けて歓喜に至れ というテーマ。
戦時下にあっても 人と人は文化交流をもって相互理解を深められる。

いやん きれいごとのオンパレード、わたしのツボじゃん( ̄▽ ̄*)

しかし 実話に基づくストーリーなので、
一人の傑出した人物が、環境を変え、人の心を温め、ほぐしていくのは 単なる理想ではない。

ベートーベンの楽曲だけでなく、ドイツ菓子、ドイツパン、サッカー等、
徳島の一地域から発信された外国文化は、90数年の時を経た今、
神戸はおろか、全国にその恩恵をもたらしている。
きゃーステキ( ̄▽ ̄*)

俘虜収容所内の パン工房にかけられていた看板のマークなんて、
まさにフ○○○ド○ー○のマークなんだけど、

わたしは日本に残って神戸でパンをたくさんたくさん作ります…

といったドイツ人が フ○○○ド○ー○その人なのかどうかは不明。

フ○○○ド○ー○のHPを見たら、げんなりする位の商業ページだったよ。
夢もロマンもなかったよヽ( ´ー`)ノ
神戸の老舗としてのプライドはないのか…

そして 最終日最終回の終演時間だからといって、

スタッフロールが流れる(映画は続いている)と同時に、
後ろ正面のドア2枚をフルオープンにして、
客が帰るのを待った○宮東映に 映画館のプライドはないヽ( ´ー`)ノ

わたしは そのドアの前(つまり一番後ろの席)にいたのだが、
見事に、スタッフロールが終るまで 出た客は一人もいなかった。

サイテー( ̄▽ ̄)

欲望の茶の間 更新しました。





     2006年08月03日(木)
=SIGNの日記から転載=奇跡を起こしてくれる人 /関西創価学園日本一の栄冠


■<名字の言>
古(いにしえ)のインド。金持ちの男が、釈尊に頼んだ。
「素晴らしい弟子」を派遣してほしいと。供養はたくさん用意するらしい。
どんな「素晴らしい弟子」を望むのか?男は言った。「超人的な奇跡を起こしてくれる人」
▼釈尊は諭した。
「三種の奇跡があります。一つは変身や空を飛ぶなどの超能力による奇跡です。
これはいかがわしい呪法であり、煩わしく、私が嫌うものです」
「二つ目は、超能力により、他人の心を読むこと、予言をすること。
夢占い、土地占いなど。これらは無益です。煩わしく、私が嫌うものです」
▼「三つ目の奇跡とは何か。それは教えを説き、人の悩みを解決する事です。
これこそが最上の、そして真実の奇跡です」(「ディーガ・ニカーヤ」)
▼日本の宗教事情を調査しているヨーロッパの研究者が語っていた。
「日本では、日々祈り、布教活動を行い、教理を学ぶと言う、
いわば“きちんとした”信仰が嫌われている。一方で、
占いの類がこんなに流行っている国も珍しい。その国で、
創価学会が広まった事は奇跡です」
▼御書に「成仏するより外(ホカ)の神通(じんづう)と
秘密とは之(コレ)無きなり」と。
他者の幸福を願い行動する─その誠実の真実一路の"創価の前進"こそが
奇跡である。』




■「関西創価学園が『日本一』
http://www.kansai.soka.ed.jp/index2.html
おめでとう!日本一の青春の舞、万歳!!
関西創価高校のダンス部と東京・創価高校のダンス同好会が7月31日、
『ミスダンスドリルチーム日本大会2006』(東京・国立代々木競技場
第2体育館)のヒップホップ部門に出場した。
関西校は同部門1位。また、大会に出場した全81団体中、
総合1位となり、初めて日本一の栄冠である『最優秀賞』に輝いた。
東京校は同部門第3位、総合5位と健闘した。
(関西校)部長の堀結帆さん(3年)は「<真の団結>、
<どこまでも成長>というテーマを、野球を題材に演じました。
<笑顔><元気><希望>を与えるダンスを、創立者への感謝をこめて
精いっぱい踊ることができました」と声を弾ませる。」

  以上 8/3付 聖教新聞1面から。


鍛えの夏、若いときから師匠に応えたいって思う気持ちをもてることが素晴らしい。羨ましい。
日々努力するモチベーションもさることながら、実力以上の力も出せるに違いない。





     2006年08月02日(水)
キライなもの見たさ 世界タイトルを得た亀田長男と英五郎さん


亀田興毅:フアン・ランダエタに判定勝ち 世界王者に
ミクシィの記事
前にも書いたけど 亀田一家がキライなんで今夜の試合も見なかったが、
夜のニュースと2ちゃんねるでお腹いっぱい。

フジ系のニュースキャスターが
「ボクシングの判定というのは、ラウンドごとにポイントをつけるんですね。
ダウンしたラウンドというのはもちろん判定ポイントが悪いわけですが、
そのラウンド以外でどちらが優勢かということは、 接戦になりますと
個人判断が微妙に分かれるところです。
今回も後半の判定が非常に微妙で、最終集計の結果が亀田君の勝利に
結びついたのだと思いますが、今までと違い非常に苦戦でした。
大晦日にも試合があるそうですが、まだ若いので、今回の事を糧にして 
若者らしく精進して頑張って欲しい〜(要旨/テキトー)」
みたいなことを言っていた。・・・・・納得はしてないのね?( ̄ー ̄)

そして どうしてテレビ局にとってもボクシング会にとっても、
ドル箱の試合を平日の8月2日に選んだか…と言う理由について、
まことしやかに、世話になっているヤクザ(差別語?以下「ヤ」)のお誕生日にした…と書いてある。

この「ヤ」は青少年育成会という 至極まっとうな名前の会の会長さんで、WEB日記を書いていて、
ご本人自ら 日記に「たまたま亀田興毅の世界戦」と書いてあった。
昨日の挑戦相手(しかもベルト保持者)に対する、
無礼な態度※もキッチリ批難している。
※会見場に大幅に遅刻して、チャンピオンを待たせ、
やおら昼食だとハンバーガーを食べながら、会見に応じた
(非常識にも程があるやろという世界に笑われる日本の恥!
そんな子どもを許す親の顔が見たい!とわたしも思う。
親の顔は知ってるけどね( ̄▽ ̄))


もちろん、わたしは「ヤ」は嫌いだし、住む世界も違うし関わりにもなりたくないが、
昨今「ヤ」でないというだけで、「ヤ」よりも無茶苦茶な人間も多いので
非礼を非礼ときちんと公言してる 英さんのWEB日記はこちら…

というかやはり直リンする勇気はないのでw
コピペしてh足して飛んで♪ ttp://www.ikuseikai.co.jp/hitokoto.htm

しかしなぁ タイトルとった直後、ビッグマウスのクソ生意気で非常識な興毅が、
「親父のボクシングが正しいと言う事を世界に証明できて嬉しい!
親父、ありがとう!」と子どもらしく 声を上げて泣く姿を見て、
このいけ好かん…というより大嫌いな亀田のオッサン、
子育てだけはある意味大成功やんなぁと感心せずにはいられない。うーん…。





     2006年08月01日(火)
ばかばかしく笑いたい 相田みつ「お」 /タカアンドトシ/血文字を書く

身辺も社会も鬱陶しいことが多いので 現実逃避で笑いたい。

タカアンドトシ
今 一番笑える漫才師。欧米か とか 女子か とか好き( ̄▽ ̄*) 

相田みつ「お」

相田みつをが わたしは好きじゃない
だからといって みつおのような男は嫌いだ(笑)
でもかなり笑える。

ついでに、わたしもパロってみた( ̄ー ̄)
にんげんだもの

本家サイトはコチラ
色々書いて遊んでみたw