Author:春日

 


 鈍感

会社の前の歩道が今工事中です。
今日は特にその音が大きくて困りました。
どれくらい大きいかというと、隣で話しても声が相手に届かないのです。
大声を出しても聞こえない。
こんな時に電話がかかってきたら本当に困ります。

でも一番辛かったのは歯なのです。
先週から歯が痛くて、でも時間が間に合わなくて行けていなかったのですが
コンクリートを掘っている音とその振動でどんどん歯が痛いというか鈍いじんじんした感じが気になって仕方がないのです。

結局昼から歯医者さんに行かせてもらいました。
その結果、痛みの原因は右下に埋まっている親知らずの化膿でした。
化膿によって歯茎が腫れていたのですが、レントゲンを見た先生に
「大学病院に紹介状を書くから見てもらって下さい。」と言われました。
親知らずが真横に生えているのですが、その周りを黒い円が囲んでいるのです。
先生にもこの黒いものが何かがわからないそうで、もしかしたら膿がたまっているのかもしれないと言っていました。
が、問題はその部分の骨がないという事。
顎の骨のすぐ上くらいの所まで広がっていて、このままにしておくと広がるだろうと言われました。

恐らくは抜く事になると思います。
埋まっていてしかも真横。そして奥歯に触っていたりして…。
いくら痛みに強いからといって、親知らずを抜く…抜いた後の痛みを考えるとやっぱり憂鬱です。
周りからは「あれは後が痛いんだよなあ。」と言われるし。

とりあえず明後日の金曜日が紹介して頂いた先生が来られる日らしいので行ってこようと思います。
しかし大学病院だから土曜日が休みだというのが難点です。
これから何度か行かなければいけないとしたらその都度会社を抜けないといけない訳で。
許可はもらえるのですが、それが何度も続くとなると言い辛くなりそうです。
とは言ってもこればっかりは行かなきゃどうにもならないし、もちろん行きますが。

もうちょっと痛みに敏感であろうと思います。
ちなみに土曜日には胃腸科に行って来ます…。
うちの会社何かあるんだろうかと最近思ってしまいます。
来週からしばらく社長が入院なのですよ。ちょっと深刻。
社長が前回入院した年に私も入院して、で、このタイミングなので「嫌だなあ。」というのが本音。

早く元気に帰ってきて下さいね、社長。
居なくなるとその存在の大切さがわかるものですね。
本当はもっと早くわかるといいのだけれど…。
 

2003年10月29日(水)

 恐怖

昨日、一昨日と会社の慰安旅行で山の中に居ました。
本当に山の中。というか、2日間のほとんどが移動だったので車の中でした。
乗っているだけでも疲れますが、やはり一番疲れたのは運転している人でしょう。

2台で行ったのですが、私が乗っている方ではほとんど皆が免許を持っているにもかかわらずほとんどすべて専務が運転していました。
いくらナビがあるとは言っても、行った事のない道を走るのは恐いし、その上乗っているのは自分だけじゃないから尚更です。
うちの専務は仕事上、あちこちと車で行っているし、お世辞じゃないけど車の運転はかなりうまいです。
例えば高速でどれだけの速さで走ろうとも安心していられるくらいです。

2日目になって専務が冗談で「なんでこんなに免許持ってる人がいるのに、ひとりも運転しましょうか?の一言もないんだ?!」
と笑いながら言いました。でも誰も「交代しましょうか?」とは言わない。(笑)
2日目はずっと助手席に私は座っていたのですが(あみだくじの結果)私の方を専務が見て
「あ、咲夜に運転しろなんて言わないからな?気持ちだけ受け取っておくからな。」
と言って皆で爆笑。そんな恐ろしい事言いませんとも。

しかし、専務にも限界がきたらしく1時間程もう1台の車の方に移動して休憩をとるらしく向こうの車に乗っていた人がこちらに来ました。
後ろに座っていた4人はほとんどずっと寝ていたのですが、私は助手席なので寝るのはやっぱりいけないなあと我慢。
そして恐ろしい光景に出くわすのです。

高速を何時間も走って帰るのですが、スピード出し過ぎなんですよ。
最初はもう1台の車が前を走っていたのに、その速度にいらついて途中で追越してしまいました。
その後は追越し車線になると横の車を追越しまくり。
延々と140キロも出されて走る車の助手席に乗っているのは心臓に悪いです。
しかも横にパトカーにつかまってる車が見えたりするっていうのに!
70キロ制限の所を140キロって…。

あとはこの人の運転をいまいち信用出来ないからなのでしょうね。
先に書いた通り専務ならば140を例え出したとしても落ちついていられるのです。
私が恐かったのはスピードの出し過ぎじゃなくて、信用度の差なのでしょう。
自分の運転を過信しすぎている所や、「シートベルト」をするのを嫌がる所も理由の中に入っていると思われます。


そしてもうひとつこの旅行でわかった事が…。
この旅行中はほとんど胃に問題がなかったのです。
そして今日、夕方私が合わないと思っている人が帰ってきた瞬間吐き気が。
おいおいおい。(汗)
只、その人が横を通っただけで胃が重くなってきたかと思えば吐き気が止まらなくなるのです。
これってまずいんじゃないの?
もしも、万が一これが原因だったら薬じゃ治らないじゃないか。

とりあえず今週病院には行きますが、なんとなくどこも悪くないと言われそうで恐いです。
あ、ちなみに今回の慰安旅行にはこの人は諸事情により参加していませんでした。

しかしわかりやすいよなあ私って…。
 

2003年10月27日(月)

 睡眠優先

最近はできるだけ早めに寝るように心がけています。
ついつい夢中になってしまうと2時、3時になってしまうので意識して時計を見るようにしました。
それでも1時とかになってしまったりするんですけどね。
そして早く寝た分早く起きられるかというと、もちろんそんな事はなくていつも通りの時間に起きてたりします。
むしろ最近はいつもより2、3分遅くなったりする日もあったり。
この2、3分が結構痛かったりするのですが、寒くなってくるとどんどん布団から出られなくなってきます。
今からこの調子だと12月とかになったらどうなるのやら…。

何故か今トランプゲームの「フリーセル」にはまっています。
はまるというよりも、すでに習慣化していたり。
必ずPCの電源を落とす前にするようになりました。
これをし終えないと1日が終わらないような感じにまでなっています。
簡単なゲームなのですが、やり出すと止まりません。

後、やりたいゲームがたくさんあり過ぎて、どれからやるべきなのか…。
今週末は会社の慰安旅行なので、来週の連休にでもやろうかなあと思っています。
きっとやり始めるとここの日記がゲーム日記になっている事でしょう。

大丈夫です。
この日記を書き始めた時のように叫んだりはしませんから。

いや、もしかするとちょっとだけなら叫ぶかも。
…訂正。
恐らく叫びます。
いい年してそれはどうよ?と思われるし、自分でも思いますが、でも叫ぶんだろうなあ。
時にはそんな事もあったっていいじゃないかと自分で自分を納得させつつ、この後フリーセルで遊んで寝ることにします。
 

2003年10月22日(水)

 頑張る君へ

昨日あんな内容を書いたせいではないでしょうが、なんだか社内がごたごたし始めてきました。
昨日私が「嫌い」だと言った人は今日は訳あってお休みしているのですが、どうやら明日もお休みのようです。
今日の休みの理由は本当に正当なもので、きっと私でも休むだろうというものだったので別にどうも思わなかったのですが
どうやらその件を専務に連絡した時に「このまま仕事をやっていけるのか不安だ。自信がない。」と言ったそうでして。
秘密裏にどうにか彼が仕事をしやすい環境を作っていこうと専務が案を出してきました。

いや、いつも無理言ってるのは専務なんだけどね…。自覚ないんかい。

などとは言えません。言えませんとも。
まあ決定事項なのでもちろんその通りにするのですが、それだと違う人にかなりの負担がかかるんだけど、それはいいのかなあ。
…いいんだろうな。
今の所その負担がかかるであろう人は文句一つ言わずにやってるから。
(でも密かに文句を聞いている私。)

そしてどうやら社長の話を聞くと、ある人物がえらく彼の負担になってるらしい。
聞いた時に「ああ、やっぱりね。」と思いました。
というか、あの人しかいないだろう。
とか言いつつ「咲夜さんの冷たい態度が負担になる。」とか言われるんじゃないかとほんのちょっとだけ思いましたけど。
態度には出してないつもりでも、相手から見たら出てる可能性はないとは言えないし。

その人とはやはり私が苦手としているセクハラ上司。
この方、自分が気に入った相手にはとことん尽くす(笑)のですが、ちょっとでも自分に反抗的な部分が見えたら徹底的にいじめます。
そのせいで仕入先にも敵が多い。
本人は知らないけど、長く勤めてると仕入先の方とも結構話をしたりして、よく耳にするのです。
普通は私という同じ会社の人間には言わないだろうに、皆喋る、喋る。
もちろん本人には言いませんが、恐いというか悲しいですね。
よっぽどの事をしない限りは仕入先にそこまで嫌われないと思うんだけどね。
うちの担当を外れて県外に転勤になった人が喜んでただなんてね。
まあ、長く居るといろんなものが見えてきておもしろい反面恐ろしいです。

前置きが長くなりましたが、その上司は彼の事を嫌っていまして。
それは彼にももちろん悪い部分だってあるにはあるのですが、要は自分の思い通りに動かないのが腹立たしいのでしょう。
私などはもうそういう人だと割り切っているから、言わなきゃいけない事を言ったら他は流してたりするんですけどね。
流さないとやってられないというのが本音かも。

その人も自分の思い通りにならないと駄目な人なので余計にぶつかるのでしょう。
それでイライラが大きくなって次第にそれが不安になって自信がなくなるらしい。

社長が近々その上司に話はするようです。
そういや私といざこざがあった時も最終的に社長に話が行っちゃって怒った社長が話しをつけるって言い出したけど専務が止めたんだったなあ。
私の場合は止めてくれて正解でした。
何故なら後々面倒だし、自分の中ではすでに割り切れていたから。「こういう人だ」と割り切ってしまえば楽だったりするのです。
ま、それまでは色々と葛藤もありましたけどね。

でも彼の場合はそうもいかないし、私と違って問題は「仕事面」での事だから話し合いは必要だと思われます。
それによっていい方向に変われるといいなあとは思うのですが…。

そういや、明日も彼は休むのだそうで。
いいんですけどね。休む理由が最初の理由ならば。
もしも、「行くのが嫌だから」という理由だったなら、考えて欲しい。
自分の仕事を誰がカバーしてくれているのか。
本来のその人の仕事+自分の仕事をしてくれているという事実を。
にこにこ笑いながら今日1日頑張ったその人が、苦笑いをしながら私にぽつりと言った言葉。

「まいっちゃいますね。」

お疲れ様です。
もしも何かあった時にはフォローしようと思ってしまうのはえこひいきとかではないと思います。
人間だから気持ちが動くのは当然だと私は思うのです。

明日も頑張ろうね。
 

2003年10月21日(火)

 強い感情

なんだかほぼ毎日喧嘩売られているような心境です。

誰にかと言うと、もちろん会社の人なのですが。
以前に何回も書いた事のある人なので、こう何度も書くとしつこいかなあと自分でも思うのですが
しつこいと思わせるくらい彼は毎日やらかしてくれたりするのです。

下手に年をとると素直さがなくなって嫌です。
でも、人の言葉に耳を傾けるというのは必要だと思うんだけどな。
例えそれが自分よりも年下の女に言われたんだとしても、聞かなければこれから困るのは自分だと思うのだけれど。
まあ、一番困るのはその後始末をする私達事務側だったりもするんだけどね。

先週は久々に朝からやられて切れそうになりました。
もしも傍に同じ事務をしているMさんが居なければ態度に出していたかもしれません。
会社でこんな事を言ってはいけないとわかってはいるけれど。

嫌いだ。あの人嫌い。

子供みたいだなって自分でも思うけれど、どうしても、どうやっても合い入れない。
これ書いてるだけで胃が気持ち悪くなってきたりして、なにやってんだかって思います。
最近また胃の調子が悪くて、というか異様に匂いに敏感になっていて
自分の嫌いな匂いがした、もしくはその嫌いなものを見ただけで吐き気が襲ってきて困ります。
吐くものは何もないのに吐き気だけが止まらなくて
家だとまだいいけれど、会社でだと変な人じゃないですか。(笑)
おかげで鞄の中にはいつも胃薬が入ってる嫌な状態になりました。

だから余計に家に帰ってからは自分が楽しめる事に集中してるのかもしれません。
一種の逃げかもしれないけれど、今の自分には必要なんだろうと思います。

そしてまた親に怒られる訳ですね…。
この年で体の事で親に怒られるのも恥ずかしい事なのでしょうが。
心配かけてごめんなさい。
こんな所でしか言えない自分に溜息。

私も大概素直じゃないなあ…。ま、仕事面じゃないしね。(言い訳)
 

2003年10月20日(月)

 日参

大阪でのお話がまだ書けてません…。

実はとても好きなサイト様を見つけて、通いつめてました。
おかげでここの所、寝るのが3時とかになっています。
さすがに昨日は1時過ぎに寝ましたが。(笑)

オリジナルではないのですが、久しぶりに何度も読み返したくなるお話がたくさんあって嬉しいです。
あとはやはり管理人様のお人柄でしょうか。
この方だからこういうお話が書けるのだろうなと納得しました。

話の内容とは別にとても読み易いというのがあります。
句読点の使い方、改行の仕方、余白の空け方、背景の使い方など。
これらすべてが私にとってとてもいいものでした。
連載の話ではすべて背景が統一されていて、続きを読む時にとてもスムーズに入れると感じました。
もちろん背景が変わる事によってもたされる感情移入の仕方とかもあります。
その時々で違うと思います。

あとこの方の博学さに驚かされました。
自分の好きな事だから詳しい…というのはわかるのですが、それにしても幅広い。
そういう部分でもとても興味深かったです。

というか、まあ最終的にはこの方の書かれる某帝王様が好きなんだろうなあ。

無意識に私は好きな話は何度も読み返す傾向がありますが、今日までに一体何度読み返した事か。
勢いにまかせてメールまで送りました。しかもかなり長い。(笑)
昨日の晩に送らせて頂いたのですが、今朝お返事を頂いてびっくりしました。
私のこの一言に尽きるという言葉に共感して頂けたようで嬉しかったです。

そして実は住んでいる所が近かったりするのです。お隣の県です。
話の中に地元の事や、果ては私が住んでいる所までが詳しく出てきたり。
いや、私でもここまで詳しくは知りませんよ。地元なのに。(笑)

なんとなく毎日の楽しみがひとつ増えたような気がします。
 

2003年10月17日(金)

 大阪1日目

今日から姉と旅行です。
朝5時45分起床。6時45分に家を出て駅へ。
歩いて駅に向かっていると7時に姉に有野(兄)から姉に電話が入りました。
ほんとにかけてくるとは!
休みの日に早起きしてでも姉に電話してくるあたりはもう尊敬の域に入りますが、
ひとりで歩くのって寂しいですよ。つまんないよー。

私が拗ねる時は大抵「つまんない」という言葉が出ます。
本当に子供っぽいなと自分でも自覚してますけど、自然と出てます。
この歳になって拗ねるのもどうかと思いますけど、まあよっぽどの事がない限りは言わないし。
入院してた時は毎日言ってましたけど。(笑)
あの時は本当に甘えたな奴になってて、母親や姉が「帰る」と言うと、
「つまんない…。」と言ってはひきとめようとしてました。
「私も帰る。」とか「帰っちゃやだ。」とか。
考えられないような事ばっかり言って困らせていました。
多分ああいう時は普段は押し込めているものが我慢できなくなって全部口から出てしまうんじゃないかなと思います。

ま、そんなこんなで姉が電話を終えた瞬間に「私をひとりにしたねー!」と拗ねまくり。
まあ半分冗談ですけどね。笑いながら言ってるし。
姉もちゃんと受け止めてくれて
「私やってあんたと話したいけど、しゃあないやん。終わってくれへんのやもん。」
などと言ってました。有野(兄)形無しだ!はははっ!

今回予約したホテルは8月に親友と行った時に泊まったホテルと同じ所だったりします。
しかも部屋は前回泊まった部屋の向かい側。
中に入ると思わず懐かしく思ったりしました。

この日は梅田ジョイポリスで遊びました。
真っ暗な所を歩いていったりして姉は私の腕にしがみついていました。
こういう時、姉は可愛いです。
ちょっと光ったりするだけで「きゃあああああ!」と叫んで私にしがみついてくるし。
本当に「きゃあ」なんて言葉が出てくるんだなあと感心。
私は恐くてもあんな風には叫べないだろうなあ。
どちらかと言うと言葉が出なくなる方です。
言っても「うわっ」とか「ぎゃっ!」とかそんなもの。

姉の反応に気を良くしたのか係りのお兄さんがやけに姉を脅かしていました。
私に対しては普通なのに、姉には態度が違うんだもんなあ。
店側としてはこんなにいいお客はいないんじゃないかと思われます。(笑)

ホテルに帰って、私が先にお風呂に入る事になったのですが、
ぼーっと着替え等を持ってお風呂のドアを開けようとしたら鍵がかかっていて
まあ普通はその時点で気付くんだろうけど、私は自然にその鍵を開けていました。
そしてドアを開けたら…開けようとしたら開かない。
「ガンッ!」とドアが何かに阻まれて開かないのです。
ふっと上を見たらロックがかかっていました。
「あれ?」と思うのと同時に「あんた、何やってんの?」という姉の声。
そうです。私は部屋のドアを風呂場のドアと間違えて開けようとしていたのです。
でもこれにはちゃんと理由があって、前回親友と泊まった時にこの位置にお風呂場があったのです。
必死にそれを説明する私に、
「そんなん理由にならんやろ。例え間違えたとしてもドアを見た瞬間思い出すはずやって。ドアを開けようとしたあんたはおかしい。」
と笑いながら言われました。その上
「夜中にトイレに起きた時に間違えて廊下に出んようにな。」とまで言われる始末。
そ、そこまでバカじゃないぞ!
とか思いつつ、寝ぼけた自分が何をするかわからないという一抹の不安も実はあったり…。

帰って親友にこの話をしたら間違いなく爆笑ものだろうなと思いました。
(※実際話したら爆笑されました。「その場で見たかった。」と言われました。私も見せてあげたかったです。)

ちなみに、夜中にトイレに起きましたが間違えずに行けました。
只、トイレの蓋が外れてなかなか元に戻せなくて必死になっていました。
次の日姉に「あんた、夜中に何をガタガタやってたん?」と聞かれた私。
なんですか。このホテルは私に喧嘩を売ってるんですか?

そんなこんなで大阪1日目は終了しました。
明日はエキスポランドで遊びます。
 

2003年10月11日(土)

 大阪リベンジ

明日から3日間姉と大阪へ行ってきます。
まさかこういう事になるとは思っていなかったので、
ぎりぎりまで行くか行くまいか悩んでいたのですが、母親の後押しもあって行く事にしました。
姉と旅行に行くのもこれが最後になるかもしれないし。

という訳で用意をせねば…と思っていたのですが、姉と一緒だから別に遠慮など必要ないのでかなり軽くなりそうです。
でもGBAは持って行きますけどね。
絶対に夜ホテルで居る時に姉に有野(仮)くんから電話があるので。
明日の朝もかかってくるしね!(メールで電話してもいいかどうか聞いてきてた)

問題は私の体調のみです。
まあ薬も持って行くし大丈夫だとは思います。

さて、大阪に行って一体どこに行くんでしょう。
実はなんにも決めてません。いつもの事です。

とりあえず、ちょっとは調べておいた方がいいかな…。
前日0時近くになってようやく動き出す自分。
まあらしいといったららしいのですけどね。
 

2003年10月10日(金)

 長いような短いような

久々に寝坊しました。
しかも母親に起こされるのなんて本当にまれな事です。
今週は睡眠時間が短めで仕事がどっさりあるのに加えて精神的問題もあって疲れてたんだろうなあ。

家に帰ってからは、やりたいなあと思う事はあってもやる気が起きなくてぼーっと過ごしています。
ゲームもやろうかなという気持ちにはなっても結局スイッチを入れる事がないままだったり。

ぼーっとする時間が増えたのと、家族と過ごす時間が増えました。
なんとなく母親を今ひとりにするのは恐くて、出来るだけ一緒に居るようにしています。
口に出すだけまだましなんだろうなとは思います。
ひとりで溜め込むのが一番恐ろしいです。

今思ったけれど、今週仕事が忙しかったのは良かったのかも。
会社では別の事を考える余裕がないほどの忙しさだったので、ぼーっとしてる暇なんかありませんでした。(笑)

自分でもここまでダメージを受けるとは思いませんでした。
父方の祖父の時も悲しかったけれど、ここまでじゃなかった。

好きだったんだなあ…。なんて今更ながらに自覚しました。
 

2003年10月09日(木)

 あなたに花を

今日は祖母の告別式。

父親の祖父の時は気がついたら祖父は棺の中に入っていて、遠巻きから見ているだけで終わったような気がする。
今日は自分のこの手で祖母を棺の中に入れました。
なにより驚いたのは祖母の手足。
ずっと布団がかかっていて見る事があまりなかったのですが、
顔がふっくらしているせいもあって余計に手足の細さが目立ちました。
ほとんど肉がついていないみたいで、さわったら折れてしまいそうでした。

「こんなに小さかったんやね…。」
母親の声が部屋に響きました。

告別式が始まって、その間は焼香の順番とかそんな事を考えていたりして時間が過ぎていったのですが
最後のお別れになって、祖母に花を捧げる時に祖母の顔を見たら辛くて。
こんな所で泣いたりしちゃ駄目だって言い聞かせたけれど
ふと聞こえてくる嗚咽に周りを見ると従兄弟や叔母、姉、そして母親が泣いていて。
こんな時にもまだ周りを気にする余裕があるんだな、なんて思っていました。
花が余っていて、「すべての花を入れてあげて下さい。」と言われても
周りは皆祖母を見るのが辛くて少しだけ離れた所で泣いていました。

花で埋まっていく祖母を見るのは辛いけど。
でもきっとこれが最後だから。祖母に触れられる最後になるから。
叔母とふたりで花を添えました。
物言わぬ祖母は花の中でやっぱり眠っているようで。
それでも最後に見たあの歯を食いしばった表情じゃなくてよかったなと、こんな時に思ったりして。
ああ、本当に眠りについたんだ。もうこの目は開くことはないんだと思いました。

祖母が居る棺が見えなくなって、「ガタン」という音と共にシャッターが下ろされた時。
私と祖母を繋いでいたものまでもが切られてしまったような気がして思わず手を伸ばしそうになりました。

いつでも、どんな時でも笑顔で迎えてくれた祖母。
祖母の私の名前を呼んでくれる声が好きだった。
頭をなでてくれるその手が好きだった。
何をしなくても、只傍に居てくれるだけで安心できた人。

それが自分勝手なエゴだとわかっていても思わずにはいられない。
私の事を忘れてしまってもいい。
その声が聞けなくても、その手にふれてもらえなくても。

あなたにここに居て欲しい。

居てくれるだけで、それだけで安心していた自分が居た事に居なくなって初めて気付いた。
後悔ばかりが渦巻く中で。
それでも、おばあちゃんと私が同じ時を過ごせた事に。
なによりもおばあちゃんに。
ありがとうと言いたい。
 

2003年10月06日(月)

 きっかけ

この日家に帰ってきたのは深夜2時を過ぎていました。

母親はやはりほとんど寝られなかったようでした。
昼前に会社の社長に月曜日休む事を連絡しようと電話をしました。

それまで病院以外では泣かなかった、いや、病院でもあまりにも周りがばたばたしていて泣く事が出来なかった。
いや、そうではなくて。
必死で何も考えないようにしていた。心を凍らせて、上辺しか見ないようにして。
誰か来たなあ。とか、お隣に居るお婆さんが泣いてるなあ。とか
その後に続く感情を閉じ込めて。何かひとつでも感情を揺らめかせるとすべてが崩れそうだった。

そんな状態がずっと続いていたのだけれど、電話に社長が出てきて
「実は昨日の夜〜」と言いかけた時。
喉が震えた。なんで?と自分でも思ったけど止める事は出来なくて。
「祖母が」という言葉が言葉になってなくて「誰が?」と聞かれた。
その後はひたすらこれ以上泣かないようにと喋った記憶があります。

自分の口で「祖母が亡くなった」と言う事によって急激に何かが押し寄せてきたようでした。

通夜と告別式は自宅ではなく葬祭場で行うことになっていたので早めに向かいました。
出来るだけ祖母をひとりにする時間を少なくする為に。
そしてそうしなければ母親がどうにかなってしまいそうでした。

私達が一番に着いたのですが、昨日冷たい霊安室に居た祖母はちゃんと部屋に寝かされていてほっとしました。
ほっぺたをなでるとやっぱり冷たい。でも、まだ眠っているみたいでした。
だからなのか、祖母を見ても涙は出てきません。
病院で眠っている時のような錯覚を起こしたのか、「寝ている」としか思えなくて。

父方の祖父が亡くなった時もそうでしたが、こういう時でしか会えない従兄弟が居ます。
もう10年以上会ってなくて、話なんか出来ないんじゃないかって思うけど、不思議とすんなりと話せたりします。
話の中心はやはり祖母で。
祖母の家にあったものとか、祖母に作ってもらったものとか。
母親の妹の子供2人(兄と妹)はずっと大阪に住んでいるのですが
「ひとりで寂しいから(両方共ひとり暮らしの為)大阪に来たら泊まっていって下さいよー。」
と何度も言ってくれました。ちゃんと本心から言ってくれてるのがわかって嬉しかったです。

この日は何かと用事が多くてそっちに気をとられていて、
「知らない親戚がたくさん居るものなんだなあ」なんて事を思ってるだけで時間が過ぎていきました。

まるで別れの日が来ないような、ずっとこのまま祖母を囲んで話をしている時間が永遠に続くような。
祖母が居る空間が当たり前のようにさえ思っている自分が居ました。
 

2003年10月05日(日)

 30分

きっと母親と私はこの日の30分という時間を一生忘れないだろうと思います。

会社から帰って届いた母親からのメール。
「ばあちゃん具合わるいのでおい」
途中で切られていました。
「おいで」と続くのかなと思って病院へ行きました。

母親に聞くと「おいで」と打ったつもりはなくて、只晩御飯が遅くなるから待っていてくれと言いたかったそうなのですが…。
途中で切れていたメール。
まったく違う内容だった事。
しばらく病院に行けていなかった私がタイミング良く行けた事。
なんとなく今思えば不思議な出来事でした。

祖母は痰がつまっていたらしく何度か吸引していて、
その時は調子が悪そうだったけれど
それでも私が行った時はまだましになっていたようです。

吸引されるのが嫌だったらしく、口を固く閉ざしていました。
私が話しかけても口を開けずに黙ったままの祖母に母親が
「あんたが話しかけても黙ってるなんて珍しいなあ。」と言っていました。

祖母が入院する前に私は寝たきりの祖母の元へ昼休み時間に毎日祖母の元で昼ご飯を食べていた時期がありました。
祖母は重度の痴呆で私の事はまったくわからなかったのですが、それでも名前を言った時だけは反応してくれました。
只、毎日通っていたので祖母は孫としての私は認識できなかったけれど
「毎日同じ時間になると来てご飯を食べて行く子」として私を覚えてくれました。
そのうち私が来る時間だなというのがわかるらしく、その時間になると叔母に
「あの子が来るから(食事をする為の)机を出してあげて。」と言うようになったそうです。

帰る時にはいつも「来てくれてありがとう。また来てな。」と何度も言ってくれた祖母。
どんなに調子が悪くて怒ったり叫んだり口をきかなくなったりしても必ず言ってくれました。
何度も何度も「また来てな。」と言う祖母。

けれど、今日は一度も祖母の声を聞く事は出来ませんでした。

ご飯も食べて、とりあえず痰の方もましになったので帰ることにしました。
家に帰って、とりあえず母親が姉と妹(3姉妹です)に今日の事を報告。
それから10分も経たないうちに叔母(母の姉)から病院から今息をひきとったと連絡があったと電話がかかってきました。

母親とふたりで「だってさっきまで一緒に居たのに。」と言いながら病院へ行きました。
祖母は本当にいつもと同じように眠っているようでした。
口が開いたままだったので、閉じて固定する為にずっと顎をおさえていたのですが肌がまだ温かく、
「ばあちゃん」と呼びかけたら返事をしてくれるんじゃないかって思いました。

母親と私は「何故あと30分ここに居なかったのだろう。」と何度も何度も言い合いました。
そうしたら、看護婦さんを呼ぶこともできた。
例え処置が出来なかったとしても、それでも祖母をたったひとりで逝かせる事はなかった。

ひとりで苦しんで誰にも伝えることも出来ずに逝ってしまった祖母。

ひとりにしてごめんね。
言葉に出来ない想いをわかってあげられなくてごめんね。
かみ締めた唇、閉じたままの瞳に浮かんだ涙。
あの涙の意味をもっと考えてあげられていたらよかった。

霊安室は冷たくて凍えそうな寒さで。
こんな所にまたひとりにしなきゃいけないのは辛かった。
せめて一緒に居られる場所だったら…と思ったけれどこればっかりは何人かの意志ではどうにもならなくて。

皆で「ごめんな。」と言いながら扉を閉めた。
でもまだ誰もが祖母の死を本当にわかってはいなかったと思う。

まだ今でも病院に行けば祖母に会えるようなそんな気がして。
これはすべて夢なんじゃないかと。母親のその言葉に思わず頷いてしまいそうだった。

 

2003年10月04日(土)

 7時出勤

今日は棚卸なので7時出勤でした。

しかし何故か7時現在、会社のシャッターは閉まっています。
すべて鍵がかかっています。

おいおいおい。
もしかして専務寝てるの?忘れてるのか?
(会社兼専務の住宅の為)
じゃあ社長が来るまで私はこのままぼーっと突っ立ってなきゃいけないのか?

ちなみに他の人達は別の所にある倉庫に直接行ってます。
私と専務が会社の倉庫担当。
あとの6人が別の倉庫担当。
なんか、なんか不平等じゃないか?とか考えるのはもうやめました。
だったら交代しようか?と言われたら困るし。
あんな天敵がうようよ居る倉庫なんか行けるもんか。

あ、社長は会社で電話番です。
ちっちゃい会社なので、こういう時は肩書きがあまり関係なかったりします。
棚卸してる間に社長はひとりで掃除したりゴミ出ししたりしてるし…。

結局社長に開けてもらって中に入りました。
40分経っても専務が来ないので(携帯は留守電になってました。)
社長が自宅の方に電話をする事に。

専務、寝てました。
すっかり忘れていたそうです。

これで3人目ですね!もう人の事は言えませんね、専務!


明日は我が身にならないように気をつけなきゃね…。
 

2003年10月01日(水)


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