Author:春日

 


 制服

まるで昨日の事などなかったかのような朝を迎えました。
まあそれぞれの思惑は置いといて。

仕事場にて夏の制服のカタログが届いた時の会話。
Mさん:「制服ですか・・・」
私:「夏の制服よりも冬の制服をどうにかしてくれって思うよなあ。」
Mさん:「夏の制服がいいだけに冬の制服が・・・」
私:「制服新しくしようか?って聞いてくれたら1番いいんやけどね。」
Mさん:「でも夏の制服のカタログを見たら冬のは買ってくれないんじゃあ?」
私:「んー、『夏のは大丈夫なんですが冬のがちょっと・・・』って言ったら大丈夫なんとちゃうかな。実際うちの母親は冬の制服を見て『いい加減新しいの買った方がいいんとちゃうの?あんまりだと思うんやけど』って言ってたしな。」

そんな話をしつつ「夏の制服のカタログで冬の制服を買ってもらおう作戦」が出来上がりました。
最後にふたりして思った事は
「私達ってほんまに悪知恵だけはめちゃめちゃ働くよなあ。」でした。
上の会話だけではそんなに思わないかもしれませんが、実際にたてた作戦では上司の性格を読んだ上でのものになっているのです。

しかし制服って高いですね。
ブラウス一枚で9千円とかするんだから驚きです。
スカートとか2万円近くするし。
だから自分からは「買って下さい」とは言えません。
でもね、長年着ていると色々と支障が出てくるのです。
特にウエストのあたりとかね・・・
ずっと同じウエストをキープできればいいだけの事だというのは痛いほどよくわかっているのですけどね。
記録更新中の身としてはほんと毎日制服を着る時に溜息が出てくるものです。


夏の制服着れなくなってたらどうしよう・・・
 

2003年02月27日(木)

 親不孝

本人に直接言われるのではなく、第三者に話をしてるのを聞いた方がより重くのしかかってくるというのを実感しました。

そう言わざるをえなかった親の気持ちもわかるんです。
只、なんというか、言われ方がね。
「いつまでも家に居られるよりよっぽどいい」
「うちなんて2人も居るし」
「本当に○○ちゃんは親孝行やね」
などと私たちが聞いてるのをわかっていて・・・というか聞こえるように言ってたんだと思うけど。

どう表現したらいいのかわからないけど、なんかもうやりきれない気持ちでいっぱいになりました。
家を出るのは反対するのになあ。
親としては家を出る=結婚するという公式が成り立ってるらしい。

田舎だから近所の目とか親戚の目があるのはわかってる。
それを考えると自分でも辛い思いをさせてるなって思います。
わかってるけど、でもね。
それをぶつけられる方の気持ちをほんの少しでいいからわかって下さい。
何とも感じてないなんてはずはないのです。
たとえその時は「そうだね」と聞いていたとしても、心の中までそうだとは限らないのです。

たった1歳しか違わない姉の負担は私以上だと思います。
それでも母親の言葉を受け止められる姉は強くて悲しいです。
私だけにこっそりもらす「疲れた」という言葉が重くて、私には「うん」としか言う事ができません。

ごめんなさい。
 

2003年02月26日(水)

 テレカ

私が今使っている携帯はドコモのN504isなのですが、今確か販売停止になっているのですよね。
これを知った時、「またか」と思いました。

この携帯にする前はauの携帯だったのですが、その前はドコモでした。
その時使っていた携帯も実は欠陥があって本体ごと取替える事となりました。
メーカーより送られてきたお詫びの手紙と共に入っていたのは「図書券」でした。
そして今回送られてきた電池パックと一緒に入っていたのは「ドコモテレカ」でした。
所謂このカードで通話料が支払えるというものです。

得したような、損したような、微妙な心境です。

友人には「なんでそんなに見事に欠陥品に当たるの?珍しいよ。」と言われました。
というか、先に「ドコモの携帯で問題があったみたいだけど、もしかしてその携帯、この間咲夜が買ったやつだったりして?」と言われました。
あれか?私が使う携帯には問題が起きるとでも?
確かに確率的には高いけどね。


親友がどうやら「パンでプディング」のカスタードを食べたようです。
クリームチーズよりはましだったようでほっとしました。
姉は「甘すぎ」と言っていましたが、親友は違ったようでなんだか嬉しい。
そうだよね、私たちの味覚は正しいよね。
最近異様に食べ過ぎと断言できる程の食欲を見せている私が言っても説得力がないような気もしますが・・・
「パンでグラタン」はまだ食べた事はありませんが姉はこちらの方がおいしいと言っていました。
私は駄目かもしれない。
何故なら「ドリア」が食べられないから。
グラタンはグラタンとしてじゃないと駄目な気がする。
本当に王道好きだからなあ。
例えばポテトチップスは「しお味」、カールは「うすあじ」が好き。
めちゃめちゃ王道だよね。
キャラメルコーンも好きだなあ。これは関係ないか(笑)
 

2003年02月25日(火)

 胃痛

土曜日仕事が終わってから友人の家に泊りに行っていたのですが、これが思わぬ事を引き起こす事になりました。

友人の家で過ごした時間はとても楽しかったのです。
久しぶりにゆっくりと話せたし。(朝の5時近くまで話し込みました)
が、なにせ先週から睡眠不足で疲れていたので日曜日にはかなりばてていました。
車で家まで送ってもらったのですが、睡眠不足と軽い空腹が重なった状態で車に乗ると・・・

見事に酔いました。

やばい、やばいと思いつつもこればっかりは止められません。
友人には黙っていましたが、自宅近くに着いた時にはピークに達していました。
車から降りたあとは家までダッシュ。
その後はもうひたすら寝る。

11時前に起きた時には今度は胃痛に悩まされる事になりました。
うちの母親は私が熱を出そうと風邪をひこうと大して気にもしませんが、胃関係だけには敏感です。
前科持ちはやっぱり違うなあ。

薬を飲んで寝たら朝には治っていたので安心しました。
が、昼から今度は胃のむかつきに悩まされる事に。
定時に仕事を終って胃薬を買って帰りました。
薬を飲むと落ち着くのですが、時間が経つとまたむかむか。
まさに今その状態なのですが(笑)
さすがにこんな状態が続くようなら今週末にでも病院に行こうかと思います。
でも、絶対に胃カメラだけはやりません。
あれだけはもう何があってもやらないと決めたのです。
「子供じゃないんだからそんな事言ってどうするの。」と母親は呆れますが、こればっかりは譲れません。
別に痛くはないけど、吐きそうになるんです。気持ち悪くて看護婦さんの目の前で涙が止まりませんでした。
自然に出る涙だから止められなかったのです。

今週の日曜日は睡眠第一の日にしようと決めました。
ま、だいたい週末はそうなんですけどね。
そのサイクルが壊れたからなのか?
そうだとしたらなんて脆い胃なんだろう・・・それだけ年をとったって事なのかな。
 

2003年02月24日(月)

 蟹入りお茶

しもやけが痒いのを通り越して痛い状態です。
しかしなんで雪も降っていないのにしもやけになるんだか。
北国では暮らせない体だなあとつくづく感じます。

昨日姉と仲直り出来たかな?と思っていましたが、見事に直っていました。
仕事が終わった後携帯を見るとメールが。
もしやと思えばやっぱり姉からで、「御飯食べに行かん?」という内容でした。
私たちは喧嘩をすれば凄く冷たい空気を纏わせるのですが、一旦仲直りすると、それまでが信じられないようなぽかぽかした空気があたり一面に漂います。

鍋を食べながら、今までの2ヶ月間話せなかった事をいっぱい話しました。
笑えるのが、喧嘩しつつもお互いを気にしていた事。
例えば姉が「あんたの部屋から○○の音楽ばっかり流れてた。」と言えば、私も「そういうあんたやって同じ曲ばっかり流してるやん。」と答える。
気にかけないふりをしながら気にしてたんですね。

しかし話に夢中になりすぎたせいか(というかむしろそれを理由にしたくて仕方がないというのが本音だったりするのですが)お茶を飲もうと湯呑みに手をかけた私が見たものとは・・・

蟹の殻入り緑茶

いやあ、びっくりしましたよ。
自分でしでかした事とはいえ、まさかこんな事をするとは。
思わずじっと湯呑みを見つめてしまいました。
その後姉に見せると絶句した後爆笑していました。
いくら殻入れが隣に置かれていたといっても・・・言い訳すら出来ない状態でした。

もちろんお茶は飲みましたよ。
だって喉が渇いて仕方なかったんですよ。
いつもは飲まないくせに、そんな時に限って・・・うまくいかないものです。


そういえば、「パンでプディング」ですが、姉に聞くと「甘すぎる」との事でした。
どうやら私の味覚がおかしかった模様。
親友が食べながら首をかしげている様子が目に浮かびます。
ごめんね。多分甘すぎると感じると思うよ。私にはあれが美味しく感じたのですが・・・(汗)


話は変わってというか元に戻って。
3月にB'zが以前のシングルを11枚新しく出すという事で、友達からも「買うの?」と聞かれたりしましたが、今日姉にもやっぱり聞かれました。
でもね、全部持ってるしなあ。
確かに聞きすぎて音が悪くなってるんだけど、でもシングルって滅多に普段聞かないし。
時々気が向いた時にMDに2ndの曲ばっかり集めていれてみたりとかはするけど。
悩んでいたら姉が言いました。
「買う気があっても買わんとき。」
それですべてわかりました。これはどうやら姉が買ってくれるみたいです。
3月は私の誕生日があるのです。
「誕生日プレゼントにあげる」とは一言も言いませんでしたが、言い方ですぐにわかりました。
さすがに全部はくれないみたいですが(笑)
半分は買ってくれるようです。
どれを買ってもらおうかと今から悩んでいます。

しかし本当に私達って差が激しいなあ。
 

2003年02月21日(金)

 仲直り

今日財布を見たら2円しかなくてかなり驚きました。
哀しいのを通り越して笑いました。
会社の人に話してネタにしました。

知らないまま買い物しなくてよかったと心底思いました。


友達から「Jフォンの友達に画像を送ってもらって(送ってもらったその子はドコモ)それをドコモの携帯の子に転送したらちゃんと見れたのにJフォンの携帯の子に転送したら画像が見れないって言われた。どうして?」とのメールが来て、ふたりで延々と話し込んでいました。

話し込むといってもメールでですが。
最終的には私が自分のHPにUPして、そのアドレスをメールして転送してもらう事になりました。
色々と考えたんだけど面倒だったので。

が、よく考えたらそれってHPのアドレス教えたのも同じ事じゃあ・・・(汗)
日記しかないHPですが、その日記に問題がね。
最近でこそ落ち着いていますが(実は書かないだけでまったく変わってはいませんが)最初の頃なんて叫んでばっかりじゃないですか。
友達は葉月とか不二とか跡部景吾とかまったく知らないのですよ。(いつのまにか新しい名前が・・・!!)
ゲーム自体やらないし。
そんな彼女があれを見たらどう思うのでしょう。
まあ、PCを持っていないので大丈夫だとは思うのですが。

会社のPCで見られたら終わりだけどね。

それか送った友達からメールが来て、
「この人友達なの?大丈夫?」と書かれてたりしてな・・・
その時はその時。開き直りますが。
だってどうあがいたってこれが自分なんだから。

わざわざ自分から言おうとは思っていませんが、「違う」と否定もするつもりはないし、そんな必要もないと思うし。

さて、どうなるかな。


そういえば、ようやく姉と仲直りできた・・・のかな?
実は喧嘩してたのです。
だから日記にもしばらく登場してなかった訳です(笑)
今回は2ヶ月でした。
こういう時日記をつけてると喧嘩した日までわかって便利かもしれませんね。
うちの姉妹は喧嘩をするとまったく口を聞かなくなります。
だから2ヶ月まったく口を聞きませんでした。
で、「もうそろそろかな」というのがなんとなくわかってくるのです。
ちなみに今回仲直りのきっかけは私が姉に言った
「ラーメン作るけど食べる?(夕食後の話)」でした。
大抵のきっかけは食べ物だったりするのです。
「○○買ってきたけど食べない?」とか。
話し掛けたのは私でしたが、実は行動は姉が先に起こしていました。
それは一緒にしているあるゲーム。
それの掲示板(私と姉だけが見れるもの。もちろん制作側には筒抜けですが。)に書き込みがしてあったのです。
それを見てすかさず私も書き込みをして、また姉が書き込む。
同じ家に居るのにですよ(笑)
だからこの書き込みを見て、もうそろそろ話し掛けても大丈夫かなと思ったのです。

喧嘩で2ヶ月というのはやはり長いのでしょうか。
姉とは最長4年間口を聞かなかった事があるのですが(笑)
必要最小限の事しか話さない状態が4年。
もうきっとあんな喧嘩は出来ないだろうなと思います。
喧嘩は精神力も体力も使いますからね。
お互いもういいと思っていても、長すぎると話すきっかけすら見つけられなくなるものです。

行動を起こしてくれた姉に感謝しています。
 

2003年02月20日(木)

 渡し忘れ

バレンタインには会社の人にチョコを毎年渡しているのですが、14日の日に県外に居らっしゃった方には渡せていませんでした。

って事に昨日(18日)気付いちゃったよ!

やばい・・・
全然何も思っていないかもしれないけど、やっぱり毎年貰っているものがないというのは「あれ?」と思うものじゃないだろうかとか考えると焦りました。
ちなみに今日もその方は一日県外。
明日、明日は何が何でも渡さないと!!

でもそういうものに限って忘れたりするのが私でして。
自分のそういった性格は自覚しているので念の為に更衣室の机の上に置いておく事に。
それでも安心できない。
こうやって日記に書けば忘れないかもとか思いつつ、朝起きたら綺麗サッパリ忘れてる可能性も否定できないし。

そういえば中学生の頃、学校に支払うお金を持っていくのを3日連続忘れて、担任の先生に手にマジックで書かれた記憶が・・・
そしてそれでも次の日に忘れた私。
いくら温厚な先生でも、こればっかりは許してくれませんでした。
放課後泣く泣く取りに帰りました。

もちろんそんな事する奴はクラスで私ひとりでした。

今、忘れ物をあまりしないのは実は寝る前に朝起きて必ず見る所に紙に書いて置いているからだったりします。
会社に行ってからする事の場合はその紙を握り締めたまま会社へ行く時もあります。
ここまで徹底しないと駄目だというのは自分でも情けないのですが、これが自分でできる最善の防御策なのです。

「チョコ」と書いた紙を握り締めて会社へ行くのってなんかやだな・・・
 

2003年02月19日(水)

 コーヒーの飲み方

コーヒーを飲む時、ブラックで飲むか、砂糖を入れるか、フレッシュを入れるか。
色々とあると思いますが私の場合どれでも大丈夫です。
元々は砂糖もフレッシュも入れていたのですが、就職場所にフレッシュがなかった事から砂糖だけのコーヒーに慣れました。
最初はびっくりしましたけどね。
皆フレッシュを使わないからないのです。
私がこの職場に来た頃は「フレッシュを使う」なんて事は許されないといった雰囲気がありました。
それは「フレッシュを使うなんて邪道だ」とかいうものじゃなくて上の方々の「我々が使ってないのに何故お前たちが使う必要があるんだ」という意志がひしひしと伝わってくるからです。
なのでもちろんお客様にコーヒーを出す時でもフレッシュが添えられる事はなかったのです。(だってないんだから)

年が経って、少しずつではあるけれど会社に必要だと思えるものが手に入るようになってきたある日。
うちの会社に新入社員が来ました。社長の息子さんです。
そしてその人の存在がフレッシュを買う原動となったのです。

何故ならその人はフレッシュがないとコーヒーを飲めない人だったから。

おかげでこの日から堂々とフレッシュを買う事ができました。
密かに心の中で感謝しています。

ちなみに会社ではフレッシュを使っている私ですが、家ではクリープを使っています。
私以外の家族はフレッシュなのですが、私はクリープの方が好きなので自分専用に買ってたりするのです。
黄色いラベルのあれです。
家族はフレッシュの方が美味しいと言うのですが・・・
例えばクリープだと多めに入れたいなと思った時も調節できるし。
粉がゆっくりと溶けていくのを見るのも好きだし。
それを言ったらフレッシュだってそうだろうと言われるかもしれませんが(笑)

なんだかここまで書くと「そんなにコーヒーが好きなのか」と思われそうですが、どちらかと言えば紅茶が好きだったり。
紅茶が好きというか、元々飲み物飲まないのでこれといったこだわりはあまりないのです。(これだけ長々と書いておいて)

その場にフレッシュがあれば使うけど、もしもフレッシュとクリープの両方があるのならクリープを使うかな。というくらいのこだわりです。
 

2003年02月18日(火)

 週末

土日は会社の展示会の為いつも通り出勤でした。
普段座りっぱなしの仕事なので、立ち仕事の辛さを実感。

一日中寒い中で立ちっぱなしというのは堪えます。
とくに腰から下(つま先まで)が辛いですね。

土曜日は帰ってから御飯を食べた後お風呂に入って速攻寝ました。
次の日があるので意識して「寝た」のですが、日曜日はふと気付いたら見始めたばっかりのはずのテレビ番組が終っていました。

そして今日。
睡眠は普通にとったはずなのに眠い。
でも意識が飛ぶという眠さではなくて気付いたらぼーっとしてる感じ。
仕事が暇な時期で本当に助かりました。

とりあえず今週は早めに寝ようと決意。

そういえば最近何故か平熱が1度近くあがってて妙にだるい日々が続いています。
もしかして「疲れた」と感じるのはこれのせいなのかも・・・
 

2003年02月17日(月)

 半断線

何気なくテレビを見ていたらとんでもなく恐ろしい思いをしました。
電源コードの恐怖というものだったのですが、自分にあてはまるものというのは恐怖心がまったく違うのだという事に改めて気付かされました。

私の部屋には何せ電源コードが多いのです。
テレビ、ビデオ、電話、ステレオ、ファンヒーター。
PC関係なんて山のようなコードです。
ゲームをすればもちろん使うしね。

1番危ないのが「半断線」らしいです。
テレビなどの「足」の部分でコードを敷いてしまっているとコードの中の線がボロボロになっているのです。
そこから出火。
あっという間に炎が舞い上がる。

思わず自分の部屋のコードをチェックしました。

あと、よくやっているのがコードが長すぎたりする場合にコードを束ねてしまっているパターン。
これも束ねられている所が高温になってそこから出火するそうです。
実験していて実際に出火するのを見るとぞっとします。

普段から私の部屋のコードの多さは母親の不安の種になっているので、これを機に注意しなければと思いました。

後で他の部屋もチェックせねば・・・
 

2003年02月14日(金)

 チョコ争奪戦

毎年の事なのですがうちの会社は2月に入るとばたっと暇になります。
土曜日なんて本当に電話が鳴りません。
なのでこの時間のある時にいつも来年度の準備をしています。
3月になったら急に忙しくなるので今のうちに。

準備と言っても売掛帳に貼るお客様の名前を書いたタックシールを作るとかなのですが、これが結構時間がかかるのです。
300件近くあるのをすべて手書きなので、まあ仕方ないのですが。
2月が暇で良かったなと心の中で思っています。
会社としてはそれじゃあ困るのですが(笑)


仕事が終わった後、チョコを買いに走りました。
チョコ売り場は案の定女性で溢れていました。
皆結構ぎりぎりになって買うんだなあ。と思いつつ人波に突進。
会社用のチョコなんだからそんなに深く考えなくてもいいのに、気が付けば売り場を何週も回っていたりして笑えました。
いつの間にか真剣に「こっちとこっちどれがいいかな。こういうのはあんまり皆好きじゃないかな。」とか考えてたりして。

しかしああいう場所って離れた所から見るとおもしろいです。
熾烈な争いが繰り広げられているのですよね。
なにせ前日なのでチョコの数も少ないので、誰かがひとつのチョコを注文してそのチョコの残りの数が少なくなってたりしたら皆が店員さんを捕まえようと必死だったり。
そしてあっという間になくなったりするのです。

隣から女の子がぼそっと言っていました。

「女って恐いよね。」

心の中で深く頷きながら間違いなく自分もその中に含まれているなと思いながら争奪戦の中に入っていく私なのです。
 

2003年02月13日(木)

 忘却

今日こそはバレンタインのチョコ(会社用)を買いに行こうと思っていたのに、気が付いたら家に帰っていました。

どっちみち買おうと決めていた所は7時で閉まるので無理だったのですが・・・

予定では6時くらいに仕事を終わらせて買いに走るはずだったのです。
が、5時を過ぎたあたりからそんな事は綺麗サッパリ忘れてしまっていて、本当は家でやろうと思っていた仕事を面倒なので会社でしてしまいました。

あ、明日こそは買わねば!
って、もしかしなくても明日は前日なのですよね。

たしか去年も前日に慌てて買ったような記憶があります。
前日だと売れ切れてるものが多くて、数も少なくて困った記憶も・・・

18個も買わないといけないのかと思うとぞっとします。
人数は9人なのですが、もうひとり居る女の子の分も私が先に立て替えて買っておく事になっているのでこんな数に。

なかなかオジサマ達の好みに合わせるのは難しいです。
小さすぎても駄目。
かと言って大きすぎるのも駄目。
見栄えが良くてちょっぴり高級感のあるもの?

ああ、また明日は地下でうろうろとしなきゃなんないのか。

ちなみに父親の分はあっさりと決まります。
要は自分が食べたいと思うものでいいのです。
実際食べてるしね・・・
 

2003年02月12日(水)

 名前

祖母に会ってきました。

本当はお昼前に行く予定だったのですが、まあいつもの如く寝てまして夕方行く羽目に。
何故昼前の次が夕方かと言うと、御飯を母親が食べさせている為です。
しかし、朝御飯が7時っていうのは早すぎると思うのですが・・・

本当はちゃんと朝も目が覚めてはいたのです。
目覚ましテレビだってちゃんと見たし。
そう、只単に布団から出られなかっただけです。
なんで朝の布団ってあんなに気持ちいいんだろう。(言い訳)

久しぶりに会った祖母の第一印象は、「思ったよりも元気そう」でした。
なんとなく前の病院で居た時よりも顔色がいいように思える。
でも、実際は違ったのです。
それは祖母の腕を見た瞬間にわかりました。

今にも折れてしまいそうに細くなった腕。
細いというか、平らなのです。厚さがない。
ほんと今にもポキンと折れてしまいそうで手を握りながらそれが凄く恐かった。

ほとんど喋らなかったけど(もう喋る力があまりないそうです)それでも母親が帰る時に「また明日の朝に来るからそれまで寝ててな。」と言うと「寝る駄賃貰えるんだったら寝てる。」と冗談を言っていました。
帰って来てから母親に嬉しそうに「あんな冗談入院してから一回も言わんかったのになあ。今日は楽しそうだったよ。」と言われて「行ってよかった」と改めて思いました。

祖母はあまりというか入院してから母親の名前を呼んだことがないそうで、それが母親はちょっと悔しいようでした。
他の姉妹の名前は呼ぶのにと。
それは多分母親が3人姉妹の真ん中というのが影響してると思うのです。
長女である叔母さんは祖母と同居していたし、三女の叔母さんは上ふたりと年が離れているから祖母の中ではいつまでも子供の頃の記憶が残っていて「御飯を食べさせてあげなくちゃ」とか「学校には行ったのか」とかいう気持ちが強いのです。

母親が席を外している時に祖母が「○○ちゃん(長女である叔母さんの名前)は何処に行ったん?」と言うので、「婆ちゃん、Tちゃん(母親の名前)だよ?」と言ってみたら「ああ、そうやな。Tちゃんやな。」と言いました。
そのすぐ後に母親が帰ってきたので、「お母さん。婆ちゃんちゃんとお母さんの名前呼んでたよ。」と言うと母親は顔を輝かせて「ほんまに!?母ちゃん、私の名前呼んでくれたん?」と祖母に何度も問い掛けていました。

名前を呼ばれる、それだけの事でも、大切な人から呼ばれる自分の名前は違う響きとなって聞こえてくるのでしょう。

なんとなく母親が自分を呼ぶ時にいつもとは違って聞こえてきたような感じがしたのは気のせいなのでしょうか。
 

2003年02月11日(火)

 約束

明日久しぶりに祖母のお見舞いに行こうと思っています。
母方の祖母なのですが、入退院を繰り返していて、実際何度も救急車で運ばれて意識不明になってお医者様から「覚悟して下さい」と言われた事があります。
でもその度に奇跡的だと言われながら回復していました。

痴呆症の為、もう私の事は忘れてしまっています。
母親の事でさえも。
でも、名前は覚えているんです。私の事も。
ずっとずっと子供の将来を心配しているんですよね。
祖母の中では母親達姉妹(3人姉妹)は小学生くらいのままでストップしています。
「ちゃんと学校に行ったかな。」
「御飯食べたかな。」
そんな心配をずっとしています。

感染する菌を持っているという事で、前の病院を出た後受け入れてくれる病院が中々なくて唯一見つかった病院に今祖母はいます。
そこにはやはり同じような理由で移ってきた方々がいらっしゃって、母親は三ヶ月の間に同じ病室の人を3人お見送りしました。
「次は自分の母親の番かもしれない」という恐怖心を抑えながら毎日病院に通っています。


昨日まで元気で話をしていた人が次の日行ったらベッドが空いている。

苦しんで苦しんで、その最後の瞬間の歪んだ顔が脳裏に焼き付いて離れない。


そう話す母親にかける言葉すら思いつきません。
この間までは「病院には来るな」と言われていました(感染の恐れがある為)が、最近「時間のある時でいいから顔を見てあげて。」と言われました。

はっきり言ってあの場へ行くのは恐いです。
もちろん祖母には会いたい。
でも会うのが恐い。

それでも、私は祖母と約束したのです。
最後に会った日に。
帰る間際に祖母が私を見ながら言いました。
「来てくれてありがとう。また来てな。来てな。」

何度も繰り返す「来て」の言葉。
 

2003年02月10日(月)

 メール

何年かぶりにチェーンメールが届きました。
何故かこういうのが届くのに限って普段ほとんど連絡とってない人からだったりするものです。

今回届いたのは某番組で北海道からスタートして1人が9人にメールしてどこまで続くかというものでした。
「絶対止めないでね」と書かれていましたが、実はこのメール以前(とは言っても何年も前の話ですが)にも受け取った事があり、後になっていたずらメールだと判明したものでした。
それをまた目にするとは私も思っていませんでした。

もちろんしっかりと止めました。

しかも届いたのは朝の7時半。
なんだか腹が立つよりも悲しくなりました。

結局その日の晩に「いたずらメールだった事がわかりました。ごめんなさい。」というメールが届きました。
いや、まあいいんだけどね。

でも正直な所、「こんな時だけ送ってくるなよ。」って思ってしまいました。



話は変わって、東京に就職している子と話していて笑ったのが、私が住んでいる所に久しぶりに雪が降った日、東京に住んでいるその子の所に届いた故郷から送られたメールのすべてが「今日雪が降ったんだよ!」だったそうです。
「メールが来たと思って開いたら全部『雪が!』『雪が!』っていうのばっかりで、『一体何が起こったんだ!?』って思っちゃったよ。」
これを聞いた時心の中で「ああ、私も日記に思い切り書いてたよなあ。」って思いました。

それくらい「雪が降った」というのは地元では大変な事だったんだなあと再認識。

だっていまだにその話で盛り上がれますからね。
この話題になったらしばらくは皆で熱く語れます。
 

2003年02月09日(日)

 15年

私の今の髪型はストレートなのですが、母親が「いい加減パーマをあててこい!」とうるさくて仕方がありません。
まあ伸ばしてるし、私の性格上すぐに飽きてしまっていつも途中で切ってしまっているので、気分転換にパーマをあてるのもいいかもと思い、今日美容院へ行く事にしました。

どっちみち夕方から友達と待ち合わせをして高校時代の友達6人と集まる予定もあったので丁度よかったのです。

大きめのパーマをかけてもらってブローの仕方を教えてもらったのですが、なにせ私は不器用。
「この髪型に出来るのは今日が最初で最後だと思われます。」と言うと、お兄さんが笑いながら「いや、大丈夫ですよ。」とフォローしてくれました。
いやさ、ほんとに駄目なんですよ。
そりゃあ出来ることならこの髪型をキープしたいですよ。
それくらい今回の髪型は気に入ったのです。
今日集まりがあってよかったと心底思いました。
1回だけでもこの髪型を人様に見せる事が出来るじゃないですか。
お店のお兄さん(とか言って年下だったらどうしよう)が
「なんだか大人のお姉さんって感じになりましたね。」と言ってくれて、お世辞だとわかっていながら嬉しくなりました。

今日一日だけ大人のお姉さんだわ。
(年だけでいうと十分大人のお姉さんなんだが)

その後待ち合わせした友達にも褒められて舞い上がっていました。

久しぶりに東京に就職している友達にも会えて楽しい時間を過ごせました。
実は東京には密かに何度も行ってたりする私。
「何度か東京に行ってるんだよー。」と言うと友達はびっくりしながら
「えー。東京に来てるのに私には会ってくれないのね・・・」と嘆くふり。
だって君、土日仕事してるじゃないのよ。私は土日じゃないと行けないんだよ。

その友達がこの間会った時には携帯を持っていなかったのですが、とうとう買ったようで早速メールアドレスを教えてもらいました。
で、別の友達に私からメールしてその子のアドレスを教えるようにしたのですが、
「送ったよー。」という私に携帯を操作していた友達は爆笑しながら言いました。
「咲夜。登録してねーはいいんだけど、肝心のアドレス書かれてないよ?」
えええっ!?
慌てて送信メールを見る私。
ほんとだ、アドレス貼り付けるの忘れてたや!(コピーはちゃんとしたのに!)
瞬く間に全員の耳に入り大爆笑。
「咲夜らしいわ。」
という声がちらほらと聞こえてきます。らしいってどうよ・・・。

帰りは東京の友達も途中まで一緒にNさんの車に乗る事になりました。
お店を出たあたりから私はすでに方向感覚がなくなっていて「もうすでに道がわからんのやけど。」と言うと、すかさず東京の友達も「ここってバイパス?」と言い始めました。
Nさんは「咲夜ー。ここは行きしなに来た道だろー?もう忘れたん?」と呆れた様子。
だって暗いし。東京の友達とふたりで「わかんない。」と言うと

「ふたりとももういいから。黙って乗ってなさい。」と言われました。

しかしそんなことでひるむ私たちではなく、しばらくの間「ここ真っ直ぐ行ったら橋があるんかな?」とか「きっとバイパスに出るんだよ」とか討論してました。
Nさんは私達の言葉ひとつひとつにちゃんと答えてくれました。

途中、年の話になって私が「なあ、私って何才なん?」と言ってふたりに猛烈に突っ込まれたりしました。
でも多分○○才だろ?とかで正確な答えは得られませんでした。
あの、私達って同級生でしょ?
やっぱり皆自分の年は忘れたいものなのでしょうか・・・
その後も私のボケにふたりが突っ込むパターン連続でした。
車の中で笑いが絶えなかったのは言うまでもありません。

彼女達と出会って一体何年になるんだろう。考えるだけで恐い数字が出てきます。
 

2003年02月08日(土)

 接続

昨日の胃の気持ち悪さは朝起きたと同時になくなっていました。
睡眠ってほんと大切ですね。私の場合は特に寝ると大概治っているものが多いので調子の悪い時には寝るのがもってこいです。

って、それが普通ですか。

でもその普通が中々難しかったりするものなのですよね。寝たいと思った時に寝られないというのはよくある話です。
仕事は待ってくれませんしね。


上司が新しいパソコンを買ったのはいいのですが、接続が出来ない。
だから私はあのTAが絶対に怪しいと思うんですけどね。
PCを買った所の方もそう言ってたし。
ようやく接続が出来たと思ったら次の日にはまた接続できない状態。
結局その件について面倒を見るのはいつの間にか私になっていました。
どうにかTAを新しく買うように誘導するのに成功しました。
それで駄目なら・・・その時はその時だ!

古い方のPCを上司が使っていて立ち上げの時にいきなり画面に文字がずらーっと並びだして呼びつけられました。
そんなの見せられたって知らないって。
でも、せめて書いてある事を読んでみようよ。
「半角/全角」「スペース」キー以外は絶対に押さないで下さい。
そう書いてあるのになんで「とりあえずエンター押してみるか」なんて言葉が出てくるんですか!
意味はわからなくてもいいから押すなというものは押さないで下さい。
慌ててスペースキーを押したのは私です。あー、危なかったよ。

あれで他のキーを押してておかしくなってたらまた延々と居残りが待っている所でした。(結局はそこが問題)

フレッツADSLに申し込んでるのに、それを知らないままずっとISDNで使っていたのが判明した時には笑う事しかできませんでしたが。
「そんなの申し込んでいない」
そう言った人の引出しからADSLの申込書が出てきたのは言うまでもありません。


前途多難。
 

2003年02月07日(金)

 風邪?

会社から帰って来てから胃の調子がどうも良くない。
痛いんじゃなくて只ひたすら気持ち悪い。
起きてると余計にそれが強くなるのでしばらく横になっていました。

風邪じゃないとは思うのですが、なにせ今うちには風邪菌持ってる人が居たりするのであながち違うとも言い切れない。
母親はすでに風邪だと決め付けていて
「早めに風邪薬飲んだら治るかもよ。」などと適当な事を言っています。
自分がそうだったら絶対飲まないくせに・・・

とりあえずは今日は早めに寝る。これしかないというか、実際座ってる状態はきついので寝ます。

こんなん書いてないで寝ろよなと自分に突っ込みつつ。
 

2003年02月06日(木)

 感謝

高校時代の友達と久しぶりに今週の土曜日に集まる事になりました。
・・・って前から何度も書いてるけど(笑)

最初お昼になっていたのですが、それだと来れない人がいるので晩になりました。
私としてはそっちの方が嬉しかったりします。

だって昼まで寝てるし。

晩に変更になったので来れるようになった友達が「一緒に行こう。家まで迎えに行くよ。」と誘ってくれました。
このメンバーで集まる時は大抵迎えに来てくれるNさん。
集まる時以外にもNさんと遊ぶ時はいつも家まで迎えに来てくれます。
ほんとにね、毎回毎回ありがとう。

と書いてたら本人からメールが来た!
あいかわらずいいタイミングだなあ。

お礼にB'zのアルバムをテープに録音して持っていこう。
そして車の中でかけてもらおう。(どこまでも自分本位)

さすがに今自分がずっと家で聞いている曲をかけてもらう勇気は私にはありません。
車の中での沈黙は痛いしね。
 

2003年02月05日(水)

 隣の部屋にて

昨日の夜、やけに隣の部屋の電気が消えるのが早いなあと思っていたら、やたらと「ごほっごほっ」という咳き込む音が。

すごくすごーく嫌な予感。

朝起きたらそれは現実となっていました。
姉は仕事を休んでいました。
滅多な事が無い限り仕事を休まないのに、これは絶対にインフルエンザに違いない!と勝手に決め付けていた私ですが、母親に聞くと「熱が39度8分くらいあるんやけど、やっぱりインフルエンザなんかいな?」と逆に聞かれました。

インフルエンザ決定!!

とりあえず姉には近寄らないようにしないと・・・って言ってる傍から部屋から出てくるし。(そりゃあ出てもくるだろうよ)

しかしうちの母親は凄いです。
39度の熱を出している人間にお寿司を食べさそうとしたのですから。
やることが違うなあ、やっぱり。
私が以前同じように熱を出した時はお寿司はもちろんの事、はっきり言って水分以外ではりんごしか食べられませんでした。
味が変わっちゃうのですよね。どんなに好きなものでも変な味になってる。
唯一味が変わらないのがりんごでした。

母親に「なんでお寿司なんか出したんよ。無理に決まってるやろ?」と言うと、母親は待ってましたと言わんがばかりに食らいついてきました。


「だってあの子パンは食べるんやもん。」


食べたのかよ・・・
いや、突っ込む所はそこで合ってるのか?
パンを食べるからお寿司も大丈夫という定義を立てている母親に突っ込むべきなのか?


それとも「これは日記に書かねば」とか心の中で思っていた自分自身にでしょうか。
 

2003年02月04日(火)

 理系

バターフランスを食べて吐きそうになっています。
大好きだったはずなのに一枚食べた段階で気持ち悪くなりました。
「そんな!いつもだったら何枚でも食べられるのに!」
と自分を疑い、よせばいいのにそのまま一袋空けちゃいました。
気持ち悪さ倍増。ほんと馬鹿だ・・・

私は昔っから自分の事を「文系」だと思い込んでいて、実際周りからもそう思われていたし、高校での選択も「文系」を選んだのですが、たったひとりだけ「咲夜は『理系』だよ」と言い切った人がいます。

まあ私が何故「文系」へ進んだかというと「化学」が嫌いだったからなのですが、文字の上での「化学」が嫌いだっただけで実験は大好きだったのです。
小学校の時からそうだったけど、フラスコとかビーカーとかアルコールランプとか石綿金網(そんなものもあったなあ)とか使うのが好きでした。
多分実験の授業なら一日中でも喜んでやっていただろうなあ。

今も多分あるだろうと思いますが「学習」と「科学」っていう通信教育的なものがあって、私はもちろん「科学」を選んでいました。
あれについてくる付録が楽しみで仕方なかったのを今でもよく覚えています。

今思い出しましたが多分私が「理系」というものが「自分に向いていない」と感じ出したきっかけは小学校2年の時に理科のテストで40点という点数をとった時かと思われます。
小学校の時はまあまあいい成績を維持していたので40点という点数にかなりショックを受けた記憶が(笑)
思えばあの時から「理科」を諦め始めていたのかも。
諦め早すぎだろ。

私の弱さがよく現れている出来事だなあとしみじみ思いました。
 

2003年02月03日(月)

 リンク

気付いたら夕方の5時でした・・・

なんだか今週は疲れてるなあとは思っていたし、実際今週に入ってから8時くらいの時点で眠くて仕方なかったので昨日布団に入ってから「明日はもしかしたら寝っぱなしだったりして」なんて思ったりしたのですが、まさか現実になるとは思っていませんでした。

でも寝ていたっていう感じがなかったのです。
なにせずっと夢見ていたもので。
言葉では表現出来ないような変わった夢ばかりでしたが。

その中のひとつで、大好きな友達に面と向かって「嫌い」と言われました。
あれは正直夢の中でも堪えましたし起きてから今現在に至ってもなおそれが続いていたりします。
現実に言われた訳じゃないのに、なんだか「もしかしたらそう思われているのかも」と何故か思ってしまって、そう思い出したら色々と今までの出来事の中で「何か相手にとっていけない事をしてしまってるんじゃないだろうか」とか思わずにはいられなくなったりして妙に沈んでしまいました。

別に皆に好かれたいとかいう気持ちはまったくないけど、自分が好きだと思う人にはやっぱり嫌われたくないというのが本音です。

たかが夢の中の話だっていうのになんでこんなに気が弱くなってるのか。
多分夢の中で友達が私が送ったメールで気に入らない部分があったって言ってたからそれが原因なんだろうなあ。
完全に引き摺ってるや。
そのせいで最早その子にメールを送ることすら出来なくなってるんだからどうしようもありません。
ここまで夢の影響を受けたのは初めてだなあなどと遠い所で感心してしまいました。
 

2003年02月02日(日)

 癖

私の変わった癖といおうかなんというのか・・・

好きな食べ物を見つけるとそればっかり食べる癖があります。
最近はまっているのが前にも書いた「パンでプディング」です。
なにせ食パンと卵さえあれば出来るので楽なのですよ。
3日に1回はこれを食べてるような気がします。

今日も作っていたら、それを見ていた母親が
「あんたってほんまにひとつのものばっかり食べるよなあ。この前まで毎日のようにお餅食べてたと思ったら次はそれになったんやな。」と呆れている様子。

そういえばお餅食べてたなあ。
お正月には全然食べなかったのに、何故かお正月過ぎてから無性に食べたくなって、そしたらついつい毎日食べてました。
毎日お餅2個も食べてたらそりゃあ体重だって増えるもんさ。ねえ?
(その他にも原因があることは棚上げ)

そして今度のもまたいかにも「太れ」と言わんがばかりの甘さ。
なんでよりにもよってこれにはまっちゃったんだろうか。
最初に買ってきた母親に責任転嫁したい心境です。
あの日机の上にあの箱が置かれてさえなければ・・・!!

せめて「こんにゃくゼリー」とかにはまればいいのに。

多分高校時代の友人と集まった時皆に「太った?」とか言われるんだろうなあ。
久しぶりに会うと皆変化に敏感なのは嬉しい時もあれば泣きたくなる時もあります。
せめて皆に会うまでは「パンでプディング」は封印しとこう。
(実は買い置きが1個あったりする・・・)
 

2003年02月01日(土)


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