「剣の名誉」(エレン・カシュナー著,早川書房)
内容:リンク先参照。個人的には「リチャードとアレクの18年後」。小説。
まだアレクもリチャードも生きているので、「王と最後の〜」に比べるとそっち系の楽しみがあります。 「王と最後の〜」を先に読んだので、あのキャサリンはこうだったのか、という楽しみもありますが、こっち先読んで「あのキャザリンがこうなるか」と思うのも楽しかったかも?キャザリンとマーカスね。
中世風ファンタジーものとしては「王と〜」より完成度は高いと思う。舞台構成はあっちのが好みだけど。キャザリンよりアレクとリチャードの動向が気になったけど、本筋そっちのけにしたいほどの存在感の薄さはなかったです。
ああそうか、このシリーズって「名誉とプライド」の話なんだなーとふと思いました。 何における、かは色々だけれど、誰もがそれを持って動いている。 だから話の背筋が通っているんだなぁ。
| 2008年08月14日(木) |
「王と最後の魔術師 上下」 |


「王と最後の魔術師 上下」(エレン・カシュナー著,早川書房)
内容:リンク先参照。個人的には「リチャードとアレクの60年後」。個人的にはBL小説。
前作「剣の輪舞」は中世ヨーロッパチックなファンタジー部分があったのですが(というかそっちのが肝)、今回はモロBLです。 というかBLとしてなら評価できるけど、ファンタジーとしたらちと弱いかなと。 学園風景とか良く描けているし面白いと思うけど、全てはセロンとバジルの恋愛の為の肉付けというか。 ラストが、こうする以外にはないだろうなという結末に収まったのがもう一点。結局魔術師は巨神兵(映画版)のように出てすぐ崩れてしまったというのがちょっと…。復活してしまったら話がややこしくなるんだろうなと思いつつ、だからと言って一番簡単な締めをされたのではちと面白みがない。 んでこの話、続かなきゃ嘘でしょう。いや、ファンタジー的にね。王は生き残った。王は君臨してこそ王である。ならば、流浪の旅から帰還してこそ話は収束する。のでないかな。BL的にはこのままで良いんでしょうけど。
BLと言いましたが、昨今の日本のそれのように直接表現はナシ。 四半世紀前の、まだ腐女子という言葉がなかった時代、オタク女子にも乙女の恥じらいがあった時代、ある意味グロテスクな直接表現は使わず、ぼかした、間接的表現でそれを表しひっそり楽しんだ、あの時代、前時代の文章の匂いがします。 作者自身の手法なのか、BL(「ゲイ」でなく)後進国ゆえの文章か…。まあこの曖昧さがファンタジーとして作品を成立させている良さではあると思います。
「剣の輪舞」を知らないと面白くない…までは言いませんが、読んでいれば世界観が分かった上、楽しみも大きいと思います。 「剣の輪舞」増補版に載っている短編を読む前だったので、「そうか、リチャードはアレクより長生きだったんだ」と勘違いしてしまいました。
「アイ」の訳が相変わらずステキ。 …ちょっとアレクとリチャードと被っていると思いましたが。
| 2008年08月03日(日) |
「オウエンのために祈りを 上下」 |

「オウエンのために祈りを 上下」(ジョン・アーヴィング著,新潮社)
内容:リンク先参照。カテゴライズ「文学」。
Iサンから借り物。 いや、たしか先月には読み終わっていたと思うんですが。
作風とかお話の前知識ナシに読んだものだから(「ホテル・ニューハンプシャー」は読んだけど、同じ作家だと知ったのは解説で)、どういうつもりで書いた本なのか皆目見当が付かず暫く読むのに苦労しました。 取り合えずこれは文学で、成形されたストーリィが展開されるというより、オウエンという青年の人生を回顧して語り聞かせる話なんだなと割り切ってからは読みやすくなりました。 つまり、ストーリィが軸、一つずつのエピソードが次に繋がりストーリィを形成するのではなく、人間が軸、一人の人間に帰属する、と。いくつもの連なりの薄いエピソードは(まあ実は結構繋がってましたが)、ストーリィ形成の部品だと思うと弱いけど、一人の人間を描くなら有効である、と。
で、これはキリスト教的にはどういう位置づけなんでしょう? クリスチャンが読んだらどう感じるか、か。福音書なんでしょうか。それとも冒涜? キリスト教的、人心を試すことにより己が信仰の計りとするやり方が嫌いなので、クリスチャンの考えることは分からないのですが。 これは現代的個人主義というよりやはり宗教でしょう。 日本人はよく「宗教を持っていない」と自ら言いますが、「宗教」という言葉に妄信し遣える誰ぞかが唱える教えという意味を感じるからであり、西洋人が言うところの信仰はちゃんと持っていると思う。 つまり“神”は在るものであり見守るもので、試すものではない、という。…いや、試さないとは言いませんけどね、祭壇で自分の息子の首刎ねろとは言わんやろ。 …ずれた。 まあなんだ、どっぷり日本人な私は、多分この話の本当の良さは分からなかっただろうなー。
処女懐胎については、キリスト教でないので女として昔からバカバカしいと思っている性質。 処女懐胎自体がバカバカしいと思っているわけでなく、それを唱える男どもの選民思想というか優位性の顕示欲というか?偉人であれ須らく女、しかも男により「汚された」女陰から生まれいずったのがそうまで許せないのかと。 アリストテレスだっけ?ソクラテスだっけ?「私は処女懐胎で生まれた」と裁判にまで持って行った哲学者。んで、認められたとか。 奇跡を信じないわけではないけど、そこに奇跡があるのなら、なんとショボいところに降り注ぐものだなと思ったりして。 というわけで、彼の処女懐胎は、キリストと同程度に信じていて、同程度に信じていない。 まあそんなところは物語の中核ではないわけで。
ストーリィから切り離せば、エピソードはそれぞれ面白く、ラスト数枚は「ここに繋がったか!」とちょっと興奮しました。 にしても神がオウエンに与えた使命、たったそれだけか、と、命の重みに大小つけるつもりはありませんが、アメリカが各国で繰り広げてきた正義の名をかたった虐殺を思うとあまりに小さく感じてしまうのです。
作者はアメリカを愛してはいても批判的精神も持ち合わせているように感じましたので、アメリカ嫌いの私でも読めました。
…すいません、多分的外れなこといっぱい書いてると思いますが、これ、評論じゃなくて感想ですから。
|