| 2007年05月29日(火) |
「ねじの回転;デイジー・ミラー」 |
「ねじの回転;デイジー・ミラー」(ヘンリー・ジェイムズ著,岩波書店)
内容:スイスに住むアメリカ人男性がアメリカから来た美しい女性に惹かれていく「デイジー・ミラー」,ヴィクトリア朝時代のイギリスで、住み込みの家庭教師を引き受けた若い女性がそこで遭遇した幽霊奇譚を手記の形で綴った「ねじの回転」の中篇小説2本。
図書館からの借り物。
ガヴァネスに関する資料の一環として読んでみました。 「デイジー・ミラー」はついで。
うーーーん、文学作品だーーー。 小説を語る脳みそでは語れないぞーーー。
時代を読む資料として良いんでしょうけど、素直にそうともいえないのでないかという所が。
「ねじの回転」ですが、これは本当にイギリスが舞台なのでしょうか? 家庭教師たちの価値観がとてもアメリカ的に見えました。異界に対する嫌悪感とかね。 家付き幽霊が文化概念として存在しているヨーロピアンな対応でなかった気がするんですね。それとも、ヴィクトリア朝時代はこんなものだったの? 幽霊が出現したり、それらと交流するのが、あそこまで恐ろしく忌まわしく汚らわしいものなのか?とそれがずっと疑問で、家庭教師の怯え語りがとても大げさに思えて入り込めませんでした。 ほれ、若い子が「今日は家から出られないわ!だって前髪のはね方が変なんですもの!」と悲壮に嘆くのをハタから見て「…バカ?」と思うような。 幽霊が具体的な悪さをしたのなら分かる。子供たちも唆されて何かをしたというのなら。 でもそれらはただ在るだけで無邪気なものにしか見えない。 どこが「不気味で、醜悪で、戦慄を催し、苦痛さえ与える」のだろう…。このシチュエーションだったら美しい幻想小説にもなったと思うんですけど…。
幽霊の存在自体が邪悪であるまじく許せないもの、という価値観がないとあの話は成り立たず、それが、中世ヨーロッパという舞台に合わない気がして仕方がなかったのです。 いや、これがイギリス人作家の手によるものなら「そういう時代だったんだな」とどこか釈然としない乍らも信じたんでしょうが、アメリカ人だしなぁ…。
あと、やっぱり最後は視点を戻して欲しかったなぁ。ダグラスの方にね。
「デイジー・ミラー」は、アメリカ人のくせに何気取ってんだか、と思ってしまいましたがまあ、アメリカ嫌いの言うことですので。 それでも昔は多少は品が有ったのね、あの国の人も。
「無限の境界」(ロイス・マクスター・ビジョルド著,東京創元社)
内容:マイルズシリーズ、中篇3つ。
いつもは3転4転5転するマイルズシリーズが、精々2転くらいで収まって読みやすいです。 疲れた時に丁度良い長さです。
とは言え、この人の肝はやはり長編かと。
|