「停電の夜に」(ジュンパ・ラヒリ著,新潮社)
内容:インドで生まれてアメリカで育った作家が書いた短編小説集。
Iサンからの借り物。
「小説と文学は違うものだ」と某人は言いました。シェイクスピアやヴェルレーヌの著作は小説ではなく文学で、好き嫌いで語って良いものではない、と。 私はそれが長いこと分からず、ハムレット(は正確には戯曲か)も源氏物語も小説として接し、小説として断じておりました。
小説として評価する基準は「アイディア」「ストーリィ(起承転結や伏線の回収等)」「キャラクター」「文体」なんかがざっと上がるのですが、文学というものはいまいち分かりません。ので、これは文学作品だなと思ったら読んでも語らないことにしておりました。いや、語るとね、カレーを食べているのにラッキョウの話に終始する…みたいになりそうでね。
ほいでこの短編集は文学作品だと思うんですけど、小説として感想。だってカレーの存在感を上回るラッキョウだって有るじゃんね?
…ダメだ、どれも同じくらい心に残らなくて、どれも同じくらい心に残っている(笑)。
えーと、根底にエトランゼが異国で感じる疎外感というか居心地の悪さがどの話でもあります。 たとえ舞台が主人公のテリトリー内でも。 その居心地の悪さが心にズレを与え、ちょっと釈然としない感が残るのですが、そのズレが少しずつ動いて、やがて独特の存在感が残ります。 …すいませんね、毎回思うんですけど、私、感想下手よね。
まあ、一回読んだだけで気に入ったのは最後の話だけだったのですが、思い返すとどの話も好きです。 記憶の中でまろやかになる…まるで人間そのもの。 じんわりとする読後感があります…本当に下手だな、感想。
どうでも良いが、一体Iさんはどうやってこんな小説を見つけて来るんだ。 私なら絶対探せないぞ。フシギ。
「狐笛のかなた」(上橋菜穂子著,新潮社)
内容:心が聞こえる“聞き耳”の力を持つ小夜は、ある日犬に追われる子狐を助ける。その子狐はこの世と神の世の中間世界に生まれた霊狐で、使い魔として呪者に命を握られていた。憎しみから対立する二つの国の争いに巻き込まれつつ、二人の心は近づいて行く。小説。
Iサンからの借り物。
和製ファンタジーだそうで。 舞台は日本の、まあ、武家社会のどこかの時代。場所も時代も不特定。
えーと、読みやすかったです。 設定の全てに特出するところはなく、どこかで聞いた、見た、有ったものの寄せ集めですが、それをとても綺麗に構築しています。 話のまとめ方もとても綺麗です。 でも、思い起こすと色々事件があったはずなのに起伏を感じませんでした。
料理で言うなら、仲の良い友人とお喋りし乍ら食べていて、いつの間にか食べ終わっているタイプ。 腹は膨れたし不味くもなかったけど、話を止める突出した香りも味も感じず、いつの間にか食べ終わってしまった、というような。
荻原某と同じく、カップリングの趣味が合えば面白いのでないかと思います。
| 2007年04月10日(火) |
「仔羊の巣」,「動物園の鳥」 |
「仔羊の巣」 「動物園の鳥」(坂木司著,東京創元社)
内容:ひきこもり探偵シリーズ、第2弾と3弾。で、完結。
Iサンからの借り物。
文章は1作目に比べて格段に読みやすくなっていますが、気色悪さ度は相変わらずです。 えーと、一昔前の多感で繊細な少女漫画家が小説を書いたらこんなんになるんでないでしょうか、という展開というか心理描写。これで作者が成人男性だとしたら、かなりの貴重種です。 探偵が幼児言葉になると笑えて仕方がありませんでした。
謎解きについては、ミステリー小説としてはこんなものなのかなーと思いますが、状況から導かれるいくつかの推測のうち探偵が示したものが全て正解というのは…まあ、太古ホームズの時代からのお約束ですからこれが許せない人はこの手の話は読んだらいけないんだろうとは思います。 しかし潜在意識下の謎(というより心の闇)を引っ張り出し、しかも全部解決し、皆が皆、ほぐれて「良く」なるのはあまり好みではありません。いえ、うそ臭いオールハッピーエンドは好きですけど、人により幸福の定義は違うと思うのに、一つの定義の下に皆が一様に解決しているみたいなのがどうかと思うので。皆が夫々の定義の下のハッピーなら好きなんですけど。 あと、絡まった糸がきちんと解けているのは良いのですが、すごい絡まってみえるのにするりと解ける…は良いんですけど、その解ける為のきっかけの一本が後から挿入されているよーな所がどうよ、と。
印象は最初と変わらず。 女子高生の厚顔と無知(決して悪い意味でなく)で書き上げた作品のよーだなと。
ところで、多くの共依存もの読んでいていつも思うのですが、「こいつはこのままではいけない。俺がいなくても生きていけるようにならなければ」という展開になるんですけど、あれがどうも分かりません。 その人が居なくなれば生きていけないほどの完璧な共依存なら、Aが死んだらBも死ぬ、で良いんじゃん?何で片方が亡くなった後のもう片方の生き死にまで考えなければならないんだ? Aが死んでもBは生きていけるような軽度な依存なら分かるけど、Aが居なくなったらBも生きていけないほどの依存なら、Aが居なくなった時点で人生終わらせても良いと思うんだけど…。 これに関しては「こういう考え方もある」でなく、本気でそう思っています。一応、相手を生かそうとする人の理論は分かるんですけどね。
「青空の卵」(坂木司著,東京創元社)
内容:探偵はひきこもりの鳥井、ワトソンは彼の唯一の友人である坂木、共依存する二人の地域密着型ミステリー小説。
Iサンからの借り物。
これが高校の文芸部の文集に載っていて、同級生の作品として読んだのなら凄いと思ったし「将来あんたは小説家になるかもね」くらいは言ったかもしれない。
つまり、小説家を目指すちょっとひねくれた、でも多感な女子高生が書きそうな題材とテンポと勢いで、女子高生が文集で書きそうなレベルの文体と話運びだった、と。
名前だけ見て作者は男だと思っていたのですが、文体を見る限り女?でなければ上遠野某のような乙女男か。 環境ホルモンにヤられて何か足りなくなった男なら書きそうな感じの。 別に作者の性別なんざどうでも良いちゃ良いんですけど、女だと言われればごく普通に納得します。が、乙女男の方がこの作品の端々に見える、決して悪い意味でない気色悪さとマッチしているし、男でこの文章が書ける方が貴重なので良い気がします。 女だと狙っているとしか思えない二人の関係も、男が書くなら天然で許せるし。
えーと、取り敢えず貶しているわけではありません。面白い、というわけではありませんが。 たた所々ムズ痒いというか、顎が外れるというか…。 同族嫌悪…違う、高校時代の自分…が、ちょっと夢見ていた道…、今となってはお子ちゃまらしい無知と無謀とロマンチシズムに満ちた場所を見せられて恥ずかしいというか。
文体がまず商業レベルでない拙さでしたが、こなれたか慣れたか、最後にはそれほど気にならなくなりました。 題材と展開が何というか…、うーん、本当に高校生が頑張って書いたっぽいなぁ。
つまらなかったわけでないですよ。 題材的にも斬新ではなかったけど唾棄するほどでもないし。
しかしどうしてこう、推理ものは作者のPNと“ワトソン”の名前が同じものが多いかなぁ。 語り部としてその世界に入るのに都合が良いってのはあるでしょうが、ある種の願望が見える気がして恥ずかしいですよ、こっちとしては。
全3作みたいなので続けて読んでみるつもり。
どうでも良いことですが、妊婦に優しくない人種No.1は「若い女」と聞いた事があります。 誰でも(私でも)なる=病気じゃない,身近すぎ&そうなった時の想像がまだ及ばない からかなとか思うんですが。
| 2007年04月05日(木) |
「優雅な暮らしにおカネは要らない」 |
「優雅な暮らしにおカネは要らない」(アレクサンダー・フォン・シェーンブルク著,集英社インターナショナル )
内容:ドイツの没落貴族の末裔が、お金を使わないライフスタイルを書いたエッセイ。
現在のドイツ貴族のエッセイを読みたくて古書店で購入。 大失敗。
金を使う事がいかに醜く馬鹿らしく愚かか、そしてお金を使わない今の自分の生活がどれだけ素晴らしいかくどくど書いてある、だけ。
お金を使わない生活がどれだけ素晴らしいかを書くのに、金を使うのがどれだけ悪い事かを書くことによる対比で表そうとしているのが気に入らない。 真逆のものを貶めるでなく、如何にそれが素晴らしいか、しかも自慢たらしくなく自然体で書いてこそ美徳があるのに、敵を下に見ることで相対的評価を上げた所で浅ましいだけです。 アイテムを変え似たような事を何度も何度も、鬱陶しい。金がないものの僻みにしか見えない部分もある。「私はこんなに凄いんだよー」と必死で語っている。 心の優雅さが全然見えません。
「貴族だからこそ書けた」という紹介文がbk1にありますが、貴族、全く関係ありません。 つーかこれ、ジャーナリストの文章ですよ。
ジャーナリストってヤツぁ、年季が行くと、大衆が支持するものの否定から入るものを書く者が多い。 今まで大衆を手玉にとって来た反動か延長線上か。警鐘の意味もあるかもしれないけど、大衆や流行を否定する。しかも所詮マスコミに関わってきたもののやることだから浅い浅い。 つまり、メディアを斜めって見ているものにとっては当たり前以下の事しか言わない。 大衆に反対するものの中でもっとも凡庸な意見を述べる。
ああ、面白くない、時間の無駄だった。 こんな本を持っておくことも嫌。 図書館に寄贈しようかと思いましたが私の趣味だと思われるのは凄く嫌。 ゴミ箱に即ポイいたします。
…しかし一体こんな本読んで誰が楽しいんだろう…。
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