| 2005年01月25日(火) |
「おおきく振りかぶって 3」 |
「おおきく振りかぶって 3」(ひぐちアサ著/講談社)
内容:2004年09月14日の日記参照。
連載で追っかける前まで2話分補完。 …榛名ってこんなにイイヤツだったのか…。 もっと酷い人間だと思ってました。
どーせピッチ(or野球)に賭けるなら、巧(「バッテリー」)より榛名タイプの方が良いな。
サイン会おまけの小冊子の原稿が挿入されていたのはサイン会に行けなかった身としては嬉しいけど、サイン会出た人はちょっと残念?
あ、今日「アフタヌーン」の発売日だ。立ち読みしに行きたいけど帰りに立ち読みできる本屋に寄るのは難しいなぁ。萌える内容なら買っても良いんだけど…。
「野ざらし忍法帖」(山田風太郎著,筑摩書房)
内容:伊賀忍法を操る忍者の小説。短編集。
Iさんより借り物。
荒唐無稽さを論じるレベルではないのでそこはまあそれで。
価値観の違いからか、意味の分からない所が少し有った。「袋返し」は、何でわざわざそんな子供を生ます必要が有ったの?他の誰かさんが田沼を殺す、じゃいかんかったのか?旦那が差し違えた…でそれは仕組むべき決着だったのか?よー分からん。
嫌いではないが、風太郎忍法帖からエロを抜いた感じのものが見てみたいなと思ったり。(でも大半の人は「そんなの風太郎じゃない」と言うことでしょう。)
| 2005年01月23日(日) |
「ローマ人の物語 8−16」 |
「ローマ人の物語 8−16」(塩野七生著,新潮社)
「ユリウス・カエサル ルビコン以前 上,中,下」 「ユリウス・カエサル ルビコン以後 上,中,下」 「バスク・ロマーナ 上,中,下」
内容:2003年08月09日の日記参照。
Iさんより借り物。 カエサルとアウグストゥスの話。
歴史小説ジュネにするならマエケナスの純愛を書いてみたい。<もーーーーーし!!!
ある意味、哀しくもあったアウグストゥスの人生で、最期の時のあの予期せぬ歓声は、凡人の私が想像するに、「全て報われた」と思った瞬間だったかと。 私が、「老いた時、縁側で猫を膝に乗せひなたぼっこをし乍ら、「いろいろあったけど良い人生だった」と人生を思い起こすのが夢」と常々思う、その最良の終末とほぼ一致する。 でも彼がその歓声を得る事が出来たのは、それまで必死に成し遂げてきたからであり、不屈の精神と努力が有ったからこそだろう。最も、努力したからと言って報われるとは限らない中、そうやって報われたのは何と幸せなことかと。 人の上に歴史は成る。人一人の感情は一助とはなってもそのまま後世に残る土台とはならない。ぶっちゃけ、凄い治世を築いた統治者が嫌々政をやっていたとして、成したものに意味があるのであって、「嫌々」という感情はどうでも良い。それでも、歴史を築いた人物が、個人として幸せな生涯を送ったというのならそれはそれで気持ちの良いものだなと思った次第。
| 2005年01月17日(月) |
「丸かじり」シリーズ |
「タコの丸かじり」(東海林さだお著,文藝春秋社)
「タケノコの丸かじり」(東海林さだお著,文藝春秋社)
「トンカツ奇々怪々」(東海林さだお著,文藝春秋社)
「タヌキの丸かじり」(東海林さだお著,文藝春秋社)
内容:東海林さだおの食エッセイ。
米原万里さんのエッセイに登場していたので適当に読んでみた。
斬新な切り口が評価されているようだが、物事を斜めって見る人間には別に斬新ではないと思う。 でもだから逆に「同じ世界の言葉」として安心して読めるということもある。
米原さんのエッセイで描かれているような感動はなかった。それは私が、このエッセイで描かれている食べ物全て、「食べたい」と思えば手に入れる事が出来る日本人で、日本食に餓えた海外在住日本人でないからだろう。 本に感じ入られるというのは素敵なことだと思う。だから、この本を読んで望郷の念に囚われる環境の人々をちょっとだけ羨ましく思いました。ちょっとだけね。別に海外行って日本食に不自由したくないし。
しかしこのエッセイで勇気有る愚行もしくは斬新な試みとして描かれている事を私は結構試していて、まあ、昔から思っていましたが、私は食に対して結構チャレンジャーなんだなと思いましたよ。 20倍カレー。食べました。つーか、高校時代、某本の〆切に間に合わなかった連中に、罰ゲームとして奢りました。 うずらの目玉焼き。好きでした。良く作りました。中学時代。 狸。旅館で出て何の抵抗なく食べました。 キャットフード。缶詰ばかりでなく、ドライのものも食べました。「猫が食べるものを人間が食べられないはずはない」と思って。結構イケました。 しかしそれを食エッセイに出来るかと言えば…、まあ、思い付いたモン勝ちなのかしらねぇ…。
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