読了日記

2004年10月31日(日) 「アルバイト探偵」


「アルバイト探偵」
(大沢在昌著,講談社)



内容:冴木隆は六本木の私立高校に通う適度な不良。母親はいない。父親は営業努力をまるでしない私立探偵。父親の探偵助手をする事で小遣い稼ぎをしているが、この父親、過去にいわくがあるらしく、時々ゴツい仕事が舞い込んでくる。連作短編小説。


Web古本屋で値段合わせに購入。…値段合わせっても5冊ほど買ったけど。

重いヤマでも軽いノリで軽快に流すエンターテイメント小説。
キャラやノリに合えば面白いだろう。適度に散りばめられ、小出しに明らかになる父親の謎も良い感じ。
何作後かからの長編になっていくと重くなってくるという話だけれど、まあ取りあえずは軽いし疲れた頭でも読めます。

ハードボイルド系ではあるけどまだ美学の押しつけになっていないのでウザくはない。
一つだけ。隆が失踪した女性の部屋からゴム(避妊具)を見つけて、「世の中にはピルっていう便利なものがあるのに」と、非難?したけど、ピルって経口じゃん。ホルモンバランス変えるか何かするんじゃなかったっけ?服用は結構面倒だし(確かタイミングとか色々有ったはず)、副作用が完全に無いってわけでないし。ゴムが避妊としては一番優秀なはずだぞ。確かに男の側からはピルの方が便利で楽だろうけど、女性側から見れば違う。男の身勝手というか無知を見た気がしました。
まあ、相手があーゆー女性だから「気を使ってゴム」という発想はないと思ったのかもしれませんが。



2004年10月30日(土) 「紅丸ぼたん 2」,「主任がゆく! 4」


「紅丸ぼたん 2」
(たかの宗美著,ぶんか社)



内容:著者の飼っているインコのエッセイまんが。


変な擬人化もなく大げさな表現もない。ごく普通のインコの生態をマンガにしているのだが、起承転結がきっちりしているので事実の垂れ流しに終始していない。「ハム研」を彷彿とさせる。インコ版といったところか。

「ハム研」や他の動物マンガが、最初はモデルは有ってもモデルから独立したキャラになることがままあるのにこれは最後まで「紅丸」で「ぼたん」だった。
紅丸が死んだ事によりこの漫画は2巻で最終巻となり、最後は淡々と描かれていたが、裏に潜む作者の辛さを思うと胸が痛い。胸が痛いが、淡々と終わったものだから、読者まで悲嘆の淵に引きずり込む事なく綺麗に終わっていると思う。

いずれ思い出を振り返られるようになったら、「しましまえぶりでぃ」のように思い出エッセイ漫画として再開して欲しいなと思ったり。




「主任がゆく! 4」
(たかの宗美著,ぶんか社)



内容:がさつで豪快で大酒のみで美人で仕事が出来る主任とそれに振り回される回りの人間たちのドタバタ4コマまんが。


「みこ半」連載なんでちょっと品の無い所があります。

たかの宗美は無茶面白いというわけでないけど、連載追っかけていない4コマは買うかなという感じ。安定しているというか、一定以上の上手さがあると言うか。

使えない新人とか主任の同級生とか、新キャラは出てきたけどどうも定着しない感じ。新人はもう消えちゃったけど、同級生の方はちょっと今後に期待。

…ところで、主任のフルネームって「北見しろみ」?や、「たぬきでたまご」で、「きみしろみ」で。「たしろみ」とか「したろみ」とか「しろたみ」とか「しろみた」とか「たしたろみ」とか…。…着眼点が的外れかもしれませんが。



2004年10月29日(金) 「マンガ世界の歩き方」


「マンガ世界の歩き方」
(山辺健史著,岩波書店)



内容:マンガについて、外国人から見たマンガや、コミケの事や、マンガ図書館についてや、色々な角度からレポートしたもの。


図書館にあったものをパラパラ読み。ので、この読書日記の中では一番上っ面読んだだけで感情的になってます。

マンガを良く知らない人間が、トンチンカンな角度から本質に迫らぬ取材をし、的外れなレポートをした、と感じました。
マンガ好きなんだろうが素人の域を出ず、しかもアナリストとしてド素人なものだからそういう感想が出たのだろう。
「全て中途半端」。まーさーに、そのとーり!

実際はそれなりに活きた取材もしていて参考になる部分も有ったと思うのですが、全体の根底を流れる「ピント外れ」に腹が立つったら。
コアな人は「分かってないな」で済ませたり、必要な部分だけ共感するも良いんですが、こんな本、マンガを良く知らぬ層には見せたくない。これが指標だと思われたら困る。
一歩離れた書き方は客観的なつもりかもしれないが、ただの知識(やデータ)不足による分析不足。肌で感じた文を書きたいならもっと対象に踏み込みなさい。冷静な分析をしたいのならもっとデータやソースを集めなさい。どちらも中途半端すぎ。学生時代、図書館の現場を卒論に書く時に「近いから」「地元だから」で安直に選んだ人間が「その館を選んだ根拠が希薄」「理由を述べよ」と糾弾されていたのを思い出す。いしいひさいちの「バイトくん」だったかで、「市場調査をしろ」というのに近くの飯場や学食で済ませて偏ったデータしか取れずに「やり直して来い!」と怒鳴られた、あのネタを思い出す。

前書きで言い訳めいた事を書いてあったけど、あ・ま・え・ん・な。引率が地図を頭に入れずに行き当たりばったりで案内して旅が楽しめるわけがなかろう。よっぽどアドリブの才能があるならともかく。

半端に取り上げるなら書くなよ。コミケにせよ外国人に聞くにせよ。
トーシローの無知を売りにしているのかもしれないけど、招いてもいない人間に土足で家に上がられ冷蔵庫の中のおかずを食べられ「ちょっと味が薄いですね」と文句垂れられたような不快を感じた。
外国人に関しては片手落ちかな。片手落ちというか、外国人の疑問や思い込みに反論出来るほど知識やポリシーがないせいで言われっぱなしというところが腹立たしい。
漫画文化蔓延がもたらす弊害については日本人も悩み,分析する所なのに、一つの角度からしか見ない外人にしたり顔で言われるのは…まあ、きゃつらが悪いのではなく、それに正しく意見を述べられない作者が悪い。反論するどころか、何か「その通り」みたいな感じになっているし。

「日本語が難しいから絵で読む漫画が発達したのではないか」という意見には疑問視。日本で生まれ育った者は日本語を難しいとは考えないものだ。むしろ50数文字憶えてしまえば全ての日本語が読める(ふりがなを付ければだが)事から、アルファベットの並び方が変わるだけで発音が変わる外国の言語に比べると簡単だと、子供の頃は思っていた。よく、「日本語は憶える文字が少なくて良いよね」と同級生たちと話していたものだ。
「日本語が難しい」と思うのは脳内の言語体系が他の言語によって確立してしまい、新たに日本語を憶えなければならなくなった「外人」の大人だからで、「日本語が難しい」が「生粋の日本人の間では」誤りであるからそれを前提にした結論も誤りであると思う。

や、漫画が好きで好きでたまらない人が情熱に任せて偏った取材をして書いたって言うなら大目に見ますよ。容れなくともそういう見方もあるのかと納得しますよ。でもこの人は、「ある作品」は好きかもしれないが「漫画」を愛してはいない。少なくともそう感じた。
ハナから漫画を低俗とみなし、「何故こんな低俗なものが好きで、日本中に広まっているんだろう」と、自虐も含めて思っている風に感じた。

参考になる文章が無かったとは言わない。けど、それらは別の文献を紐解く事でも得られた事柄に思えるし、他で腹が立ったので帳消しと言うか。
パラパラ読んで必要な所だけ心に止めておいて、他は無視するが吉かな。
…うん、体験レポでなく、資料を読み解く分には悪くなかったとは思いますよ。本のコンセプトに合っているかどうかはともかく。

まあ、出版社も悪い。校正が云々というわけでなく、「天下の」岩波が出した本なんだからそり相応の内容だと思うじゃない。名前も聞いたことのないようなマイナー出版社だというならまだしも。岩波が出したんでなければここまで腹を立てなかったぞい。
…ああ、岩波は硬派すぎてこういう軟派なマニアなものは上手くサバけなかったのかもしれないわね。



2004年10月28日(木) 「最後のラブレター : ばらっちからカモメール続」


「最後のラブレター : ばらっちからカモメール続」
(鴨志田穣文 ; 西原理恵子まんが,スターツ出版)



内容:鴨志田穣のエッセイ+りえちゃんの1コマ漫画。後半はエッセイのみ。


…鴨志田版「ダディ」?(違)
りえちゃんとの離婚についても触れられていましたが、飾るわけでなく言い訳するわけでなく、ただ淡々と。
離婚は人生の大事だと思っていたのですが、鴨ちゃんの場合、あるテーマの長編の中の一つの通過点というか、エピソードの一つと言うか。
長編の名は「緩やかな自死に向かって」か。
終末に向かう一つの区切りとしての離婚というか緩やかだが確実に下り落ちる坂道の途中に、りえちゃんとの離婚…結婚すらも在ったのかなぁ、という感じを受けました。

緩やかな自死を選ぶ人、結構いる気がします。危ないと言われる戦地に出かけたり、誰彼構わず喧嘩をふっかけたり。肝臓が弱っていても酒を浴びるように飲み続けたり、体調が悪いのに3日徹夜して遊びまくったり等。
アホやと思うし身内には居て欲しくないタイプだが、気持ちは分かる。憐憫を含んだ情を感じてしまう。

「危ない」と言われたイラクに行ってテロに捕まり明日をも知れぬ命の人がいる。その人が映るニュースを見て「同情出来ない,馬鹿だ,何でそんなところに行くんだ,国の迷惑を考えろ」と茶の間で煎餅かじりつつ眉を潜めるおばちゃんがいる。
私が生活水準的に近いのは後者だけど、心情を想像し共感出来るのは前者。

政府が、「危ないから行くな」という、その場所は未開の地でも何でもない。普通の人が住む場所である。
戦場かもしれない。けれど、そこで生活している一般の人々が、老人が、青年が、子供がいる。
反発をおぼえるだろう。安穏と暮らし、ブラウン管越しにその様を憂うだけで良いのかと。行かなくてはいけない。かの地が私を呼んでいる。
…や、その、テロに捕まった人が本当はどう思ったかは知りませんが、イラクに向かう「何故」は何通りも想像も共感も出来るのに、茶の間で即席批評家になるおばちゃんの気持ちには共感出来ない。

緩やかな自死に向かう人は、試している気もする。「これで生き延びればまだ天は生きろと言っているのだ」みたいな。
生まれ(環境)の貴賤はともかく、余裕というか裕福に慣れず、身食いするような生き方でなければ安心できない人がいる。
鴨ちゃんもそんな人なのかなーとか思いつつ。
もし今死んだら、悲しまれつつも「やっぱりなー」とか言われそう。

あと40年生きて、「昔は無茶をやった老人」のエッセイを書いて下さいまし。



2004年10月27日(水) 「ねこのばば」


「ねこのばば」
(畠中恵著,新潮社)



内容:2004年7月4日の日記参照。第三弾。連作短編小説。


図書館より借り物。

面白さは前回と同じくらい。萌えは前回より少なし。
若旦那が何となく成長してます。

木偶の話、最後まで騙されていてちょっとびびったわよ。(笑)や、「仁吉は何処だ?」とか、「番頭が叱るか?」とか、「長崎屋がそう簡単に傾くのか?」とは疑問に思いつつ読んではいたのですが。

例の坊さんが今後レギュラーになると良いな。



2004年10月23日(土) 「御書物同心日記:続」


「御書物同心日記:続」
(出久根達郎著,講談社)



内容:2002年12月21日の日記参照。小説。


前回気になった一人称「おいら」が無かったよーな…。気にならなくなっただけ?

えーと、無難に面白いです。
文庫の仕事の話は題材としても興味深いです。
しかし良い感じにキャラは増えているのに萌え域に入って来ないなぁ。…や、感心しているんですよ、これでも。



2004年10月20日(水) 「ぬしさまへ」


「ぬしさまへ」
(畠中恵著,新潮社)



内容:2004年7月4日の日記参照。第二弾。小説。


図書館より借り物。
文庫になるまで待てなくて借りちゃった。

前回と違い今回は連作短編。
色々なエピソードが描かれている分、登場人物に厚みが出ていて良い感じ。やっぱりこの手は長編より連作短編の方が良いな。や、長編も良いんですが、連作短編でキャラを太らせてから長編にすると面白がり易いと言うか。
キャラの個性が立ってきたので、前回感じた「百鬼夜行抄」との類似は感じませんでした。

妖怪に情報を集めさせ、それを基に主人公が軟禁部屋(笑)で推理する。江戸版アームチェア・ディテクティプというわけですね。
二人の兄やの甘やかしっぷりは前回からでしたが、妖怪たちまですっかり一太郎ラブになっていたのには笑った。

お兄さんのお話には思わずじんときたし、お祖母さんのお話にはほうっと来た。全体的に心地よいエピソードが多かったので読んでいて楽しかったです。
早速、続編の予約をかけました。(本棚のキャパに限界があるんじゃー!そうそう単行本を買っとられっかー!!)



2004年10月19日(火) 「No.6 3」


「No.6 3」
(あさのあつこ著,講談社)



内容:2004年3月22日の日記参照。小説。


…紫苑…。魔性め…。
紫苑の回りに人が集まってくる。心酔する人が増えてきた。それは、身も蓋もなく言えば「主人公だから」「そういう役だから」かもしれないけれど、彼の場合は、自分が動くからに他ならない。木の葉が舞うのは風があるからと同じ意味で、何もしないでない、紫苑自身が動くから、回りの人間は巻き込まれて動いていくのだと。「人を動かしたくばまず自分から動け」。それを自然に伝えている気がする。
言葉でなく行動でそれを伝えるということは、(現実問題としても創作をする身としても)色々な意味で理想だなぁと。

その力もないのにネズミが危険にさらされていると知って助けに走る紫苑。「足手まといだ」と言われて「理屈じゃない」と突っぱねる。「きみとは対等でいたい」。
[fate](10/13の日記のエロゲ)の主人公と同じような事を言っているし行動しているのに何故か腹が立たない。何でかなーと考えるに、[fate]の士郎は、相手のセイバーを力があるにも関わらず己より弱者とみなしている。そしてそのみなす理由がセイバーが女だから、という、性差による。自分は男でセイバーは女だから、自分が守護者でセイバーが庇護者という、絶対的な力差を無視した慣習に基づく不当な優越感から来るものだからだ。誤った理屈が基にあるからだ。
一方、紫苑は決してネズミを弱者だとは思っていない。自分よりはるかに力がある相手と認めていて、理屈を越えた情で突き動かされている。
そこが違うんだろうなと。

ストーリィは遅々として進んでいない。丁寧に書き込んであって、それがこれからの土台になるんだろうなと思うのでいらつかずに読んでいられるが、年に2〜3冊は出して進めて欲しいですね。つーかあさの先生もとっとと書いてしまいたくない?



2004年10月18日(月) 「花丸ハムスター 5」


「花丸ハムスター 5」
(めで鯛著,あおば出版)



内容:ハムスターの日常を描いた4コマ漫画。


スタンスとしては「ハム研」っぽいかな。
ハムスターはあくまでハムスターで、擬人化される事なく、「何を考えているのかわからない小動物」。エッセイではなく、どこにでも居そうな飼い主さんの目を通してハムスターの愛らしさ(とか憎たらしさ)が描かれている。

この手のものの中ではレベルが高いんだけど、5巻目ともなると飽きてくるというか、モデルとなった(らしい)著者のハムたちは既に亡い(はず)なのに、増えも減りもせず、ビューティフルドリーマー形式で延々と続くのも興ざめというか、エンドーのおかーさん時代の顛末とか見てみたいなーとか思うわけです。



2004年10月13日(水) [Fate : Stay night]

[Fate : Stay night](Type MOON)


内容:出来損ないの魔術師衛宮士郎は、意図せず聖杯を賭けた魔術師の戦いに参加することになった。この戦いは魔術師本人でなく、召還したサーバントと呼ばれる過去の英霊同士を戦わせるというものだった。士郎の元に現れたサーバントは美しい女性の剣士だった。彼女が剣を持ち殺し合う事に士郎は反発をおぼえる。エロゲ。


Hセンパイからの借り物。…何でこれ貸してくれたんでしょうねぇ…。

実はクリアしてません。途中で投げました。終わらせてないものの感想を書くのは本意ではありませんが、「投げた」事自体が評価の1つでありますし、少し文句でも言わないと10時間以上かかりきった割が合わないと言うか。
一応、ラストはどうなるのかは全部プレイした友人に聞きました。(そして今後苦行しか待っていない事を再認識して投げだしを決断。)

…長ぇ!!1シナリオ20時間ってどうよ、それ!エロゲ,ギャルゲ,ボブゲが紙芝居だってのは良いとして、こんなもん長くて精々2時間っしょー、ねー!!オープニングが2時間有ったよ!最初のHシーンまで10時間はかかったよ!良いのか!?それで良いのか!?
ストーリィが良いなら良いのもしれませんが、着眼点は良いけどキャラも設定もいびつ。言葉一つ一つに、説明一つ一つに「ちょっと待てや」と突っ込みが入る。洗練されていない。
学校では良い子にしている非の打ち所のない美人優等生が、実は気の強い、癖のある子だって設定なのに、学校でも蓮っ葉な言葉遣いを平気でする。それで周りが騙されていたとはとても思えない。
戦い慣れしていくつもの修羅場をくぐり抜け、人の心を持たぬとまで言われた剣士が、ただ人の一言二言で動揺するのが納得行かない等。
「エロゲだから」で見ぬ振りするにはHシーンが少なく、時間も長すぎる。
そしてストーリィ性を持たせ過ぎてHシーンが唐突で浮いている。や、意味は持たせてですよ。ヤる理由はしっかりと。でもエロゲにヤる理由は要らないと思うんですよ。つーか「ヤりたいから」で良いと。「生きる為に仕方なく、本意でないけどここはヤらなきゃ」って萌えないにも程がある。しかも始まってしまえばどっちも気持ちよくて淫らでってアンタ!そして終わって「あれは仕方がなかったんだから意識しちゃいけない」と行為の情欲性を否定するって、すっげー白ける。

主人公の偽善臭っていうか、男的バカ系頑固さも鼻につく。「女の子は戦っちゃだめだ」ってせめてその女の子を守るだれの力を持ってから言え!盾にもならん弱者の後ろで大人しく座していよと言うのは余程女の子の人格を否定したものだと思うけど。つーかブスとか筋肉女相手でもそれ言ったか、君!

「頑張ったヤツが報われないのは嫌」というのはそれはセイバー対してというより、自分が頑張っているんだから絶対報われたいっていう事でしょうねえ。信念でなく思い込み。そりゃ、結果を諦めて努力もしない人間よりは、儚い望みと思っても希望を捨てず頑張る人間の方が人として上等という気はする。でも、セイバーが報われなかった事を厭い、それを悪とし否定するのは、つまり、報われなかったセイバーのそれまでの生き方全てを否定する気がする。「その生き方」をしたから得られた結果でしょう。それが報われなかったものであったとして。セイバーが頑張ったのに報われなかった事に対する憤慨は見当違いだと思う。

…なんてな文句は2時間で終わってヤりたくてヤったエロゲなら「そんなもんだ」と思って出なかったでしょうね。

友人(女)は「萌え所満載でした」と言ってましたが、一体何処ざんしょ?キャラの顔?
着眼点や基本設定は面白いけど、作りがいびつすぎ。ファンタジーとしても3流の部類。
小説なら要らん描写は飛ばすことが出来ますが、紙芝居ゲームはそれが出来ないのが辛かったです。

まぁ、2時間で終わっていれば文句は無かったんですけどねぇ…。

まだセイバーが実は男だった、って言うなら少しは萌えたんですが。ああ、疲れた。



2004年10月12日(火) 「一古書肆の思い出 1」


「一古書肆の思い出 1」
(反町茂雄著,平凡社)



内容:古書肆で出版も手がける弘文荘の開業者である反町茂雄の自伝。


図書館より借り物。

何か古書肆のエッセイを…と思って手にとってみました。
「1」は著者の修業時代で、主に昭和初期、一誠堂で修行し、独立するまでの話。

読みやすくて面白いです。
一つ一つのエピソードが簡潔に書かれていて、余計な枝葉がない。私事にあまり触れず、古書や人との関わりを中心に描かれているので、当時の事情や仕組みが良く分かって興味深い。長澤規矩也とか今沢慈海とか、聞いたことのある名前が出てくるのも楽し。

苦労しただろうに、きつかった事とか殆ど書いていない。や、エピソードとしては残っています。「あの時は辛かった」とか。でもあっさり流されている。逆に良かったこと、嬉しかった事は伝わって来る。
これは、作者が苦労も楽しみに変えて来たからで、苦しみを乗り越えて得たものが大きかったからで、今となっては全て良い思い出になったからなのかなと。
とにかく懸命に、それでいて楽しく生きてきたというのが伝わって来て、ああ、いいなぁ、こういう人生、60とか70になって振り返って楽しいだろうなーと思いました。それ考えると私の人生はあまりに温い…。良いんだろうか、これで。

少し古いですが、初心者が読み解くに、古書肆の歴史というか資料良質だと思います。



2004年10月11日(月) 「海を失った男」


「海を失った男」
(シオドア・スタージョン著,晶文社)



内容:SF・幻想作家スタージョンの短編集。小説。


Iサンより借り物。

多分作品の3分の1は理解していない。努力して出来なかったというより、あえてする必要を見いださなかったという感じ。
年とるとこーゆーとこやーねーとちょっと思う。作者が打ち広げようとする世界を、ある程度予想して「こういうのなら要らない」「これなら少し頑張って感じ取ってみようか」「この部分は要るけどこっちは不要」と決めて、必要な部分だけ読む,要らないと思った部分は読み飛ばす癖が出来てしまった。
たとえば、拳銃の描写なんかあったとしよう。トリガーがどうのこうの、射程がどうのこうの、由来がどうのこうの。知っていれば今後ストーリィを読み進めるうちに面白みが増すのかもしれないけど必要不可欠ではない。私は興味ない。そうすると、半ページほどもあるその描写をサクッと飛ばしてしまう。
作者が必要と思って描いたものでもばっさり捨てて、自分の良いように読んでしまう。
読書は力になると言うけど、こういう読み方は遊園地で好きな乗り物に乗るのと同じくらいしか力にならないんじゃないかな。

そんなわけで、スタージョンの世界は、3分の1は「理解しなくていいや」と思ってうっちゃってしまいました。

「面白いっ」とは思わなかったけど、妙に読後に残る話が多かった。体の、どこかの細胞が浸食されたような感じ?

「シジシイじゃない」は、えーと、ブラッドベリだっけ?の小説だっかなー、思い出した。萩尾望都が漫画化していた気がするからブラッドベリかなと思ったんですが。結婚式の当日に奥さんを事故で亡くした男が、タイムマシンみたいなのを作ってその時に戻って事故を防ごうとするけど結局無理だったという。
どちらも過去は不可逆的存在という、「常識」を描いたストーリィだからかもしれませんが、持って行き方というか、読後感が似ていた気が。



2004年10月04日(月) 「アンドリューNDR114」


「アンドリューNDR114」
(アイザック・アシモフ, ロバート・シルバーバーグ著,東京創元社)



内容:家庭用汎用ロボットとして作られたNDR144−アンドリュー−は、何の偶然かロボットには組み込まれていない芸術的才能を持っていた。マーティン一家の友情に包まれ、アンドリューは人とロボットについて考えはじめる。小説。


Iサンより借り物。
借りていたことを1年ほど忘れてました。すいません。

ロボットものとしては傑作だと思います。この場合の「ロボットもの」というのは戦隊ものとかでなく、陽電子頭脳だっけ?を持って自由意志(と言って良いのか…。人間の命令に因らなくとも基本的には行動出来るという意味)を持つロボット。もう一つ言うなら、アシモフの掲げる「ロボット三原則」に因るロボット。

200年生き、人間になりたがったロボットの思考というか行動は、一人だけ長く生きすぎた(バンパイアのような)不老不死の人間のそれに−それは想像するしか出来ないのだけれど−似ているものだなと思いました。
そのものが似ているというより、彼らに与える末路の、ただ人の想像力が似ているというべきか。
つまり、死の願望。アンドリューも不老不死の人間も死を望んだわけではないが、命有るものが彼らの未来を想像するに限界があるのか、それとも命有るものは不死への願望はあっても死が有ってこその不死であるから不死を願うことの究極として死があるからか、死の願望のない不老不死ものは寡聞にして知らない。(神話系は次元が別なので除外。)
バンパイアには杭,狼男には銀の玉等、不死なるものには死という救済の為の道が用意されているのは、不死に対する憧れの一方、本当は人は不死を恐怖しているからではないかと常々思う。永遠を憧憬するようでいて、人は決してそれを望んでいない。

ロボットが人間になりたがっていると知って、私の中では抵抗の方が大きかったよーな。
「ロボットごときが」という気持ちでなく、まあ、人間という生物の欠点も愛した上での優越感も有るが、「そんなもんになってどうすんのよ」と。
東南アジアの人が日本に憧れて来たがっているのに「ろくな国じゃないよ?来ても夢が壊れるだけだよ?」と真剣に心配し、「でも、私はこんな日本が好きだけどね。」と、自嘲は混じっても胸を張る、そとれ同じ感じ。
で、こっちがそう思っているのに勝手にやってきて「失望した、こんな国だとは思わなかった」と言われて凄く悔しい、だから言ったじゃん、日本人でないのに分かんないってば!と憤慨したくなる、それと同じような未来が見えたから。
幸いにしてアンドリューは人間に失望する時間もなかったわけだけど、人間になって長く生きたなら、憧れは色あせ、何故あそこまで真剣に人間になりたがったのだろうと訝しがり、人間批判をするようになったのでないかと懸念してましう。そしてそれは生まれながらに人間で、欠点含めて人である事を誇りに思い、どう望もうが他のものにはなれない−なりたいとも思わないけど−私にとっては凄く…何つーの?悔しいっつーか辛いっつーか。
人間になっても大して良い事はないよ、アンドリュー。と言ってやりたかった。
一方、人間になったアンドリューがどういう感情を持つのか知りたかったなと、少し自虐的に思ってみたりもした。

内容には全然関係ないんですが、「フレンド」という単語には「人」という意味が含まれているのかと疑問を持ってみたり。
や、「友人」だったら「人」だし、ペットやバイクなんかを「友人」と書く事はあっても、友“人”と人を強調することによりそれが「人間であること」を強調することが出来るけど、「フレンド」はどうなのかなー。
いや、文章の中にアンドリューを「人間」と言いそうになって何だったかに言い換えたという表現があったのですが、あそこは「人間」より「友人」の方がしっくり行った気がしたので。「人」の意味がないなら「フレンド」は使ってなかったんだろーなーと思っただけ。

アシモフばっかり読んでいたので、ロボット三原則が世界の原則に思えたんですが、「膚の下」ではロボット三原則に因らないロボットが出てきてびっくり。「三原則違反じゃん!」と思った辺りアシモフに毒されているというか。でも三原則に因らない、アミシャダイの方が私としてはしっくり行った。…という事を「膚の下」で語ろうと思っていたのに忘れてました。
他にも「三原則」に真っ向から反対したロボットものってあるのかな?



2004年10月02日(土) 「古書肆「したよし」の記」


「古書肆「したよし」の記」
(松山荘二著,平凡社)



内容:東京の下谷御徒町に、明治中期から戦後にかけて和装本を扱っていた古書肆「吉田書店」(本当は「吉」は下が長い方)の名物店主吉五郎について、孫である筆者が綴った記録。


図書館より借り物。

古書肆のエッセイをちょっと資料として読んでみたくて、タイトル見てそんな感じかなと思って借りたんですけど…。

前半、吉五郎の父・重吉の描写が長くてウザいったら。や、「人を書くにはその人の親の事も書かなければならない」と言うのはある程度までは正当だと思うし賛成なんですが、243p中90pくらいまでそれってどうよ。
しかも資料が少ないもんだから推測部分が多くてイライラするったら。や、「おそらくこうであろう」っていうのはまあ良いんですが、それが筆者の願望やら優越感?やらが下敷きになって書かれているっぽい箇所が目に付いたのが疲れた。血の繋がりがあるものだから「私の先祖たる人」という思いが強く、ファミリービデオを見せられている気に時々なりました。

資料を基に小説仕立てにしたら面白かったと思うんですけどね。記録ものだからそれが出来ない。資料のない部分は書くわけにはいかない。書くにしても推測でなくては。ということで、資料の少ない重吉時代は、興味のない部分でもあったので(重吉は宮大工)読むのが苦痛でした。
筆者には家のルーツを辿る意味があったのかもしれませんが。そしてそのつもりで読んだなら良かったかもしれませんが。古書肆の資料として読んだ私は「いつになったら古書肆が出て来るんだ!」と。

吉五郎時代になってからはすらすら読めました。
ただやはり「人」の記で、「古書肆」の記でなかったので参考になった箇所は少なかったかと。筆者も古書肆ではないし。
古書肆に関してより人情の部分で面白い所があったなー。

まあ、古書肆に関してはもう1冊自伝を借りてあるのでこっちに期待。



2004年10月01日(金) 「乙女なげやり」


「乙女なげやり」
(三浦しをん著,広済堂出版)



内容:日常エッセイ。


「あの人はこっちの世界の人だから一辺読んでみ」と言われて1冊手に取ってみた。
まあ、確かに「こっち側の人」だったけど…、…年代が違う。私がもう7歳くらい若かったら同じノリで「そうそう!そーよねー!」と頷けたのかもしれないけど、何つーの?コミケの帰り、お台場かどっかで茶ぁしばいてたら、隣が同類だけどちょっと若い子たちで、すげーテンションで話しているのを「元気ねー」と少し冷ややかな目で見てしまう、あの感じ。

隣の席から勝手に耳に入ってくるダベくりとしてなら良いけど、金と時間かけて読むのってどーよ、と思いつつ、「温泉番組はイケメンで」には、凄く頷いてしまった。うん、その方が絶対面白いって。
「今日誕生日なんだけど」に「あ、オレ欲しいものがあるんだ」と返す弟さんの応対に拍手。私もやってみたいわ。そしてその弟にプレゼントする作者もキャラ立ってます。

小説とエッセイで印象が違うという人が多いらしいが、単にコアから違う方向に同じ長さだけベクトルが行ったというだけでないかな。「小説書くときはこっち方面」「エッセイはこっち」みたく?まあ、どうでも良いけど。

この人の他のエッセイ、定価で買ってまでは読みたくないけど、古書や図書館で見かけたら読んでも良いな。


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