読了日記

2004年02月29日(日) 「碑銘」

「碑銘」(北方謙三著,角川書店)


内容:「ブラッディ・ドールシリーズ」(2/15の日記参照)第2弾。主人公は川中と藤木の命を狙いに来た鉄砲玉、坂井。小説。


キャラ立ちがしてきました。
しかし相変わらず容赦無く殺すのぅ。
そして女は相変わらず小道具扱い。「人」ではありませぬ。あれかのぅ、男の生き様の中に彩りとして女は欲しいが実在させてしまうと御しきれず、だからケースの中のお人形宜しく、記憶にのみ存在するよう、登場させて殺すかね。思い出の中だけの存在なら振り回させる事無く、気の向いた時に取り出して眺めれば良いもんね。
男は馬鹿な寂しがりやだから、ユニセックスな話は書けんのね。
この中では女は「そーゆーもんだ」と思わないと読めないね、まったく。



2004年02月24日(火) 「後巷説百物語」

「後巷説百物語」(京極夏彦著,角川書店)


内容:時は維新後。世に不思議はないと人の言う文明開化の時代。巷に起こる不可思議な事件を巡って、一等巡査の矢作剣之進とその友人たちは、一白翁を名乗る、怪奇譚に詳しい隠居老人を訪れた。連作短編小説。


図書館より借り物。

多分直木賞受賞作だから入れたんだと思いますが、シリーズ前作とも言える「巷説百物語」は図書館になく、とりあえずこれだけ読みました。登場人物が随所で思わせぶりだったりして、前作も読んでいた方が面白かったかなと思いつつ、読んでないから逆に人物ヌキの評価も出来たなと。評価っつーか、好悪か。

形式として、今回の話に準える怪奇譚を紹介し、巷で起こった怪事を若造4人があーだこーだと話合い、まあ、その中には怪事に肯定的というか憧憬的というか、「世に不思議有り」派と、否定的な「世に不思議無し」派がいて、色々意見を戦わせて、結論が出ず、先生にご意見を伺い一つの解決を見る。但し、その解決には裏があり、真実はその先に…と、2段落ち。どの話もそんな感じ。
良い意味で型にはまっているというかお約束。
連作短編のもう一つの味である、一話毎に完結しているが全体を通して1つ(なりいくつかなり)のテーマが消化されている。
お上手だと思います。
だから後は好みかな。
私は、最初のあーだこーだ部分がちょっとウザい。まあ、短いし毎回微妙に派閥変えたりして気になりにくくはされてますが。
あと、段々謎が明らかになるにつれ、正確には2段落ち部分になるにつれ、面白みが薄くなっていく。「なーんだ」っつーか。謎は謎めいていた方が面白いということか。…や、解明されないのが気持ち悪いな…。又市という、絶対者が全て操っていた、というオチが詰まらないのかも。最後まで騙してくれなくちゃ。つーか、「読者」は途中までは「仕掛けられる側」だったのに、二段落ちに至り「仕掛け側」に回る、その転換がつまらないのかもー。手品でタネ見せられる感じ?ハナから仕掛け側にいれば仕掛ける楽しみがあるのに、途中まで騙されていたのがいきなり仕掛け側に回るのが興ざめ?や、余録だと思って楽しめば良いんですが。種明かしされないと目覚め悪いし。

小説としては出来が良いと思う。好きか嫌いかと言われれば微妙。
してみると、この創作氾濫の世というのは作家の評価という意味では厳しい時代ですね。読者増加もか。
昔は読者もある程度選ばれた人間だったので、善し悪しの評価が好悪をヌキにした客観評価としてする人が多かったと思うのです。世に出る作品も少なかったので、判断基準も善し悪し以上を求めるのは酷という風潮がなんとなく有ったというか。少ない出物にそこまで求めるかという話もあったりして。それが、最近では選り取りみどりなものだから、読者は傲慢な自己基準で作品を断ずる、と。善し悪しより好悪が先に来る事が多く、構成や文体やもろもろが下手でも、好きな登場人物一人居れば許される…評価は高くなる。それがどうこういうわけでないですが、まあ、作家さんは大変ねぇと思った次第。

京極の話は、私にとって気持ち悪いものが多い。
不気味とかグロテスクとかでなく、座りの悪い感じ。気付かない程度に斜めってる椅子に座らされているような。確信犯だと思いますが、わざと書かない所が私にとっては知りたい所で、それが解明されなくて読後が悪いんだと思う。相性でしょうねぇ。

しかしこれ、1冊ものとして読むより、季刊雑誌の読み切り連載ものとして読むのが良いよなーと思ったら実際そういう話だったらしい。「怪」に載ってた話か。あ、でも「風の神」は書き下ろしかー…。雑誌で読んでてこの話好きで、わーい書き下ろしがあるー、と思った人はこの書き下ろし、嬉しかったかなぁ…。



2004年02月15日(日) 「さらば、荒野」

「さらば、荒野」(北方謙三著,角川書店)


内容:クラブ「ブラッディ・ドール」の経営者、川中の弟が会社の機密を盗んで姿をくらました。港町N市を舞台にした男たちの戦いを描く。小説。


いわゆる、ハードボイルド系。
あまり好きなジャンルでないのですが、ホモ系の萌えがあると言うので読んでみた。
初めはハードボイルド文体に馴染めなかったけどそのうち慣れた。体言止めというか、単語の羅列はなーんか翻訳調に似ているなーと思ったり。どこが似ているのかなーと考えたら、あっさりした所というか、あまり頭が良さそうでない所と言うか。

息も吐かせぬ展開で、悪くはないのですが、人が死にすぎです。1冊なら良いけど、10冊もあったら嫌気が差すかも〜。
取り合えず2作目は読んでみます。



2004年02月11日(水) 「ネバーランド」

「ネバーランド」(恩田陸著,集英社)


内容:某地方の男子校の学生寮が舞台。誰もが帰省する冬休みに色々の事情を抱え寮に残った3人+1人の、淡々とした物語。小説。


Iサンより借り物。

恩田陸は私にとってちょっと怖い作家でして。どう怖いかというと、読み出しは面白いんだが、「最後まで面白い」と「最後で本を床に叩き付けたくなる」の両極端で、後者は読後が非常に不愉快になるので読むのを躊躇ってしまうと言う。
ちなみに、後者の代表格は「三月は深き紅の淵を」。滅多に本を手放さない私が、とっとと棄てた一品。今思うと人に読ませるのに取っておけば良かった…。
…おいといて。今回はほぼ前者で良かったです。最後まで、最初のテンションのままで読めました。

主要人物4人が4人とも、トラウマっつーか、結構暗めの問題を抱えていて、それを吐露して、まあ、解決出来るものは解決して、出来ないものでも方向性が見えている話なんですが、これ、一人だけ平和で何も問題の無い子が混ざっていたら、いたたまれなかっただろーなー…ってそんな子は冬休みに寮に残らないか。(笑)

「思春期とか難しい年頃だからで済ますな」みたいな表現が有りましたがー。「大人は分かってくれない」描写がありましたがー。子供の傲慢だよねー。傲慢なのに分かってないよね、幸せだよね。
子供だって大人の気持ちが分からないじゃん。大人だから、子供だから分からないんでなくて、違う人間だから分からないんだわよ。親が自分の気持ちを分かってくれないを何より悲壮に取る子供がいますが、甘えてるし幻想だし、まあでもそれが子供だとは思うんですけどね。「親は分かってくれて良いはずだ」ってさ。
大人が子供の気持ちを分からないと言うなら、それ以上に子供は大人の気持ちは分かっちゃいない。大人は子供だったことはあるんだから、条件付きでだけど、子供の気持ちは分かっている。でも子供は大人だった事はないんだから、大人の気持ちなんか分かっちゃない。それを分からない。適当に想像して、汚いだの狡いだの幻滅しただの言うんだ。勝手ざんす。まあそれが子供だろうけど。
どうもこのジャンルは引っかかりが多い。私が「大人なんて…」と思った事のなかった子供だったからだと思いますが。青春小説は琴線に触れないですよ。

ま、暇つぶしにはなりました。



2004年02月07日(土) 「銀のしっぽ」「のほほんのりさん 1」「ぬさり道」

森真理3連発。


「銀のしっぽ」(森真理著,小学館)


内容:銀きつねが化けたママの経営するバーのギャグ4コマ


絵とギャグのテンポが好き。
ネット連載?カラーをモノクロにしたのが多くてちょい見にくくて残念。
1回掲載分が少ない(3p程度?)ので、所々物足りない。
大爆笑するものではないか、ほんわかと微笑みが出るお話。


「「のほほんのりさん 1」(森真理著,竹書房)


内容:パラサイトシングルでおっとりした漫画家のりさん中心のギャグ4コマ。


森さんの4コマの中では一番好き。連載当初から単行本になるの、待ってたんだー。
やはりほんわかの一品。


「ぬさり道」(森真理著,竹書房)


内容:「ぬさる」(熊本弁で「運が良い」とか言う意味らしい)為にいろいろ努力するっつー、体験エッセイ漫画。


…まあ、コレクターズアイテムってことで。
ぬさりに興味のある人は買って良いんでないでしょうか。
私は運が良くなりすぎると「どこかに落とし穴が!?」と怖くなるタイプなので、程々で良いです。



2004年02月02日(月) 「台湾茶話」

「台湾茶話」(伊藤ユキ子著,JTB)


内容:台湾茶のエッセイ本。


図書館からの借り物。

…やー、エッセイって題材も大事だけど、語りが良いか悪いか…と言うより自分に合っているかいないかが大事だったのね、しみじみ、と。
いえ別につまらないっ、わけではないです。絵とか殆ど無い文字ばっかの本でしたが最後まで読めましたし。題材もなかなか。でもこの作者の他の本を読みたいとは思わないなー。文章に個性が無い?私に合わない?まあ、そんな所。

良く思う事なんですが、食べ物類とか本とかでも「つくられたもの」の「作り手」と接するというのは良いのだろうか、悪いのだろうか、と。
接して、印象が良ければその「つくられたもの」の「味」は作り手を知らなかった時より美味しくなっている。でもそれは味蕾が感じる部分が本当に美味しくなったわけでなく、作り手との思い出が良く味に加味されると言うことで。「本当の味」より評価が甘くなる。まあ、より美味しくなると言う意味では良いんでしょうが、つくられたもの、そのもので勝負されるを望む時、作り手とは接しない方が良いよなぁ、とは思うわけです。
何かにハマればそのルーツを辿りたくなるのは自然な欲求ですが、そういうものをヌキにしてもそれはちゃんと美味しいの?と、意地悪な読者は時々思ってしまうのでありました。


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やまだ