バニラへの日々
TOPメール意見や感想おしらせ

 2003年01月31日(金)   ブルーの円盤1 


 「カラオケに行きたい.どうしても行きたい」という同僚の突然の吹き上がりにつきあって,仕事が終わった後都心のあるカラオケ屋に向かった.メジャーな配給元の通信カラオケのシステムをすべて導入し,あわせて海外からレーザーディスクカラオケも仕入れている「日本で一番曲数が多い」ことを謳い文句にしている店だ.料金が安い上に音響も店の雰囲気も良く,推薦できる店との印象.

 カラオケは元々あまり好きではないのだが,酔いが進むに連れ加速度的にハイになってゆく自分を見つける.歌いまくっていると前歯に衝撃を感じた.興奮してマイクを振り回し,自分で自分の歯にぶつけてしまったらしい.左の前歯が2ミリほど欠けたことを確認し,また歌い続ける.結局終電を逃してしまいその友人の自宅に泊めてもらうことになったんだが,彼の家に辿り着くとほろ酔いの奥さんから「3人で一緒に寝ようよ〜」との誘いを受ける.とりあえず辞退し,彼らの寝室の隣の部屋で休ませてもらうことにした.(続く→)


 2003年01月30日(木)   自己プロデュース2 


(→続き)
 当たり前な話だが,「きっとどこかにいるであろう,ありのままの自分をわかってくれる素敵な誰か」などは存在しない.自分のことを誰かに分かって欲しいなら,自分という存在やその魅力を他者に伝える手間を惜しんではいけないはずだ.後輩君,君は本当は何がしたい? 目の前の人とコミュニケートしたいんじゃないの? 垂れ流しのままでいいのかい?

 意識的にせよ無意識的にせよ,そうした人との関わりを成立させようとする意識の中で生まれてくるものがその人の「キャラ」であり,根っこが同じであってもその人の「内面」とは明確に区別される.ミュージシャンだろうがお笑い芸人だろうが政治家だろうがラーメン屋だろうが,彼らが表現するものは決して内面の垂れ流しなどではなく,ファンが求めるものによって輪郭を与えられた彼らの内面,すなわち「キャラ」なのだと思う.例えばあなたの「性格」はあなたのものかもしれないが,あなたの「キャラ」とは決してあなただけのものではなく,むしろ周囲の人のもの.だからキャラと異なる行動を取ると皆ちょっと変な顔をする.まとにかく踏み出そうぜ,後輩君.


 2003年01月29日(水)   自己プロデュース1 


 モテない男の後輩と,モテる男の友人と,そして僕との3人で会話をしていた.モテない後輩は「どうしたら恋愛ができるんですかねえ」とモテる友人に半ばひとりごとのように問いかける.彼は相当な恥ずかしがり屋だ.特に外見に問題があるということはないのだが,コミュニケーションのスキルが高くないため,例えば「恥ずかしがり屋さん」とか「照れ屋さん」とかのキャラを前面に押し出して周囲に愛されていくことも難しいのだ.

 そのため「恥ずかしがってばかりいてもダメだよ」という誰もが彼に対して抱く気分をアドバイスしても,恥ずかしがり過ぎて踏み出していくことができない.そして彼は「やっぱり理解してくれる子がイイですよね,自分のことを…」などと呟く.(続く→)


 2003年01月28日(火)   愛と心と金 


 「世の中金がすべてだ」と言い切る人がいる.「愛や人の心といったものは金では買えない」と主張する人もいる.僕はどちらの意見にも同調しないし,興味あるのはむしろ何故そうした意見を持つに至ったのか,というその人の背景や内面だったりする.だけども自分の立場はどうなんだ,と問われたら「世の中金だ」という意見に圧倒的に肩入れする,と答えるな.


 2003年01月27日(月)   数学者の言葉2 


(→続き)
 この厳しい言葉はそっくりそのままさまざまなものに適用可能であるように思えて,最近は自分の好きでなかったジャンルに近づく際の駆動力として使っている.「食わず嫌いは損だ,絶対いいものも含まれているはずだぜ」という具合にね.そうして見つけたのが1/20の日記に書いた本だったんだ.

 以下おまけ.その数学者が行った批判をこの場に書いたということは,僕自身やこのサイトもこの批判に対して開かれていなくてはならない.自分が9割のクズなのか,9%の平凡な存在なのか,それとも1%の特別さを備えているのかどうか.キツいなあ,この問いかけ.何がキツいかと言えば,考えることをやめて「自分はクズです」と宣言して済ますのは簡単だけど,その行為は謙遜という名を借りた自己保身かもしれず,それはクズのようなことだからだ.むしろこの数学者の批判を受け止めるのは「この言葉を常に自らに問い続け,考えることをやめないこと」によって可能となるのかもしれない.


 2003年01月26日(日)   数学者の言葉1 


 本屋にざーっと平積みにされている無数のビジネス書や心理学の入門書,自己啓発の本などに対して僕はいいイメージを持っていない.それは例えば学生さんたちの就職活動シーズン到来の時期に必ず見かける「面接の達人」をどうしても好きになれないのと根っこが同じもので,「そんなものに頼ったらイカンのだ」という半ば強迫観念めいた言葉と,「人の弱みにつけこんでウスい内容で商売しやがって」という半ば難癖めいた感情に,その思いは集約される.だが面接の達人もそうしたビジネス書もろくに読んだことがないので,要は「食わず嫌い」なんだ.

 そんなことを考えていたら思い出したのがある数学者の言葉だ.自宅の壁の本棚にずらりと並んだ文献を前にして彼がテレビのリポーターに放った言葉は,「この中の9割はクズだ.そして残りの1割の中の9割もとるに足りないものだ」といったものだった.(続く→)


 2003年01月25日(土)   病床ご乱心 


 インフルエンザにかかった.瞬間最大風速は38度5分.「ちっ」.これまでの記録は小学6年生時の39度9分なので,自分史に刻まれるほどの発熱ではない.ある程度まで体温が上昇すると逆に「行けいけ行け」という気分になり,記録を更新したいとの思いが膨らんでゆく.「病床でいろんなことを考えた」と書きたいところだが,実際は何にも考えず溜まったビデオを眺めていた.することがなくなると「俺は今高熱を発している.従ってうなされなければならない.よーれりーほー(裏声)」などと口に出してみる.実際に熱があったが為にそうした行為に及んだのか,高熱を発しているという自分の状態に殉じるがゆえにそうした行為に及んだのか,そんなこと熱のあるぼーっとした頭で考えたってわかるもんか.


 2003年01月24日(金)   足りない人たち 


 今日は会社の同僚数人と呑み会.グラスを重ねていくにしたがって話の内容が仕事や会社に対する不満にシフトしてゆく.僕も溜まっていたものを吐き出してちょっとスッキリし,会も大いに盛り上がった.常に不満をまき散らすのは好きじゃないが,たまにはこんな夜もあっていいんじゃないかと個人的には思うよ.だがメンバーのひとりが「不満は口にしないつもりだったのにいっぱい言っちゃったよ.建設的じゃないね」と反省モードに入る.ま確かにな.それを受けて僕が独り言のように皆に語りかけた言葉.

 「もしいろんな意味で能力のある人が俺達と同じ立場に置かれたら,苦労しながらもなんとか局面を打開して乗り切っていくはずだよな.…ってことはさ,それができずに文句ばっかり言ってる俺達には何かが足りないんだよ.何かが足りない.でもそれが何なのかわからない」

 僕がこの言葉を発すると,それまでとはがらりと雰囲気が変わってしばらく誰も口を開かなくなった.実際には30秒ほどの沈黙であったはずなんだけど,その時間はまるで永遠のものであるかのように感じられた.


 2003年01月23日(木)   引っ越しのときめき 


 3月からかそれとも4月からか,今の会社から出向することになりそうだ.勤務地はおそらく現在の勤め先から6kmほど離れた埼玉のある郊外都市.出向とは言っても現在の勤め先にも週に数回顔を出すことになりそうなので,ふたつの勤務地の間に引っ越そうかと思っている.必要に応じて両方に自転車で通おうという寸法だ.以前読んだ本に「引っ越し先で新生活を始める期待感と恋愛のときめきは根っこが同じものなんですよ」といった文章を見かけたことがあるが,引っ越すことを想像すると確かになんだかちょっとわくわくしてくる.

 僕が計画していることのひとつは10年来の願望で,それは「自分の部屋に映画館を作ること」.プロジェクタやスクリーンを設置することはこれまで住んでいた自分の部屋では狭くて難しかったのだ.そのため以前の職場では,仕事に使うプロジェクタを使って簡単なシステムを組んだりしていた.1998年のフランスワールドカップを100インチの画面で同僚たちと応援したことは今でも記憶に残っているし,以前書いたように「リング」の貞子が等身大のまま画面から這いずり出てきたときは腰が抜けそうになった.ああ,早く引っ越したいな.


 2003年01月22日(水)   ロボットの正体 


 多くの場合心を動かされるのは理屈や筋道の通った対応ではなく「何かスゴいもの」だ.例えば自殺を考えていると漏らしたあなたに向かって,自らの全存在をぶつけて「あなたに死んでほしくない」と説得する人がいたとしたら,たとえそれがまるで的はずれなものであったとしてもあなたは思いとどまるかもしれない.そんな「情念の力」に思いを馳せると,例えば顔色ひとつ変えずに「理屈」をたんたんと語る人を「ロボットみたいだ」などと感じる瞬間もある.

 だが例えば「徹底して理屈を突き詰めた上で,徹底して感情を排して理屈を語ること」がどれほど困難なことかを想像してみると,それには「情念の力」が不可欠であることに気づく.中途半端な思い入れではできっこないのだ.もちろんそうした「ロボットみたいな人」すべてが情念の力に駆り立てられているわけではなく,一握りなんだろうけどね.でもその可能性には注意を払っておきたいななんて思う.


 2003年01月21日(火)   変拍子の人2 


(→続き)
 例えば(3)の「読みやすいし内容も悪くないんだけどなんだか面白味のない文章」には,なんだかそんなNHKのアナウンサーっていなかったっけ,という気分にさせられるし,もちろんあなたの身近にも(1)〜(3)にあてはまる人は見つかるだろう.そうすると冒頭で紹介したスゲえ本とはまさに「話しやすくて面白くておまけに中身のしっかりした人」ということになり,これはモテるぜ.

 だが三拍子ばかりではなく変拍子というのもある.これも音楽で使われる用語なんだが,ごくごく大雑把には五拍子や七拍子やあるいはそれ以上の奇数拍子のことを指す言葉.音楽の時間などで目にした記憶のある人も多い,8分の5拍子(5/8)や4分の5拍子(5/4)などと書かれるのがそれだ.

 例えば「8分の5拍子」はどんな人物かというと,「話しやすくて面白くて人間的にも素晴らしくておまけに顔もスタイルもいいんだけど,いつも上半身裸でときどき奇声を発する歯を磨かない人」などのこと.8つの条件のうち5つしか満たされていないのだ.4分の5拍子では逆に「話しやすくて面白くて人間的にも素晴らしくておまけに外見も最高なんだけど,超ナルシスト」となり,4つの条件の上に1つやり過ぎな部分がついてまわる.だが音楽と同じで,変拍子の人は少数派だけれども味があって僕は大好きだ.


 2003年01月20日(月)   変拍子の人1 


 久しぶりにスゲえ本を読んだ.何が凄いのか考えてみたところ,<面白くて/読みやすくて/内容が豊か>だからだという結論に至った.これを勝手に三拍子揃った本として名付けよう.三つのうちのふたつが揃った本や文章というのは次に示すようによく見かける.

 (1) 面白くて読みやすくてついつい引き込まれちゃうんだけど中身の感じられない雑誌.
 (2) 面白いし中身も濃いんだけど文章が難しすぎて付いていけない本.
 (3) 読みやすいし内容も悪くないんだけどなんだか面白味のない文章.

これらは何かひとつが足りないとはいえどれもそれぞれ魅力あるテキストだ.(1)は気軽に楽しむにはもってこいだし,(2)は難しい文章に酔いしれることができるし,(3)にケチをつけるのはなんだか贅沢な話だ.

 で,ここまで書いてきて気づいたのだが,上で書いた(1)〜(3)の「雑誌」や「本」にあたる部分を「人間」や「友達」に置き換えると,それは身の回りで結構見かける人々を指す言葉にならないだろうか? (続く→)


 2003年01月19日(日)   五感の再現 


 視覚,聴覚,味覚,嗅覚,触覚は合わせて人間の五感と呼ばれている.この五感のうちで簡単に記録に残すことができるのは視覚と聴覚のふたつといっていいだろう.それぞれ映像や録音でもってその時間変化までを記録にとどめることができる.これに続くものとして,対象となる匂いの成分を抽出することによって記録可能な「嗅覚」を挙げることができるだろう.それはバニラエッセンスのあの強烈な香りに代表されるようなものだ.

 さて問題は味覚と触覚.味覚は,たとえばその味をろ紙などに染み込ませておくことでなんとか保存可能であるように思われるが,触覚はどうすれば可能となるのだろう? 文章でその触感を記述し読み手に連想してもらうという方法ではなく,あくまで直接触感をどう再現するか.例えば毛皮のあのふわふわとした感触や赤ちゃんの肌のすべすべ感などが簡単に記録可能となればこれは楽しい,いくらでも遊べそうな気がするね.しかし改めて考えてみると五感の記録ってエロ方面への応用が豊かそうだよなあ.

 以下おまけ.この五感の他にも何か超自然的な能力が人間に備わっているのではないか,という意味を込めてその感覚を「第六感」と呼ぶことがあるが,きっとそれは錯覚だぜ.なんてね?


 2003年01月18日(土)   日常の冒険 


 以前ある郊外の駅前で30分ほど時間を持て余していたことがある.メンバーは年下の男の友人と僕のふたり.喫茶店などに入るのもコンビニで時間をつぶすのもどちらも中途半端だなと話していたところ,100mほど先のあるモデルハウスの看板が目に留まった.

 「せっかくだから」何がせっかくなのかよくわからないが,「ふだん絶対に行かないようなところに行ってみようか」と提案してみる.連れは明らかに嫌がっていたが,「何事も経験だから」と説得し強引に連れていった.中に入ると品のいい家具や調度品がいくつか置かれた空間と,間取りなどを説明する壁掛けのパネルがいくつか,そしてにこやかな顔の説明員が立っている.しばらく内部をあちこち観察してからその場を立ち去ったのだが,他に客がいたとはいえ一度も声を掛けられなかったのは何故なのだろう?

 そういえば街中にはよく目にしながらも「その人によっては」全く足を踏み入れない場所が多く存在する.それは例えばモデルハウス,バイク屋,英会話教室,美術館,子供服売場,ペットショップなど.冷やかしで構わないのだ,こんど中途半端に時間を持て余したときにでも訪れてみませんか.


 2003年01月17日(金)   比率の問題 


 ~身の回りの人を動物にたとえることがよくある.性格がイヌ系だとかネコ系だとか,そういえば顔もネコっぽいねとかという会話でおなじみのアレだ.こうしたたとえでは多くの場合「しょうゆ顔」「ソース顔」といった2つの対立する概念が用意され,どちらに分類されるかを皆で楽しむというスタイルをとることが多い.だが実際は,どちらにもすっきり分類されないグレーゾーンに住む人たちがかなりの数を占めるのではないだろうか? ちなみに僕の性格はどちらかというとイヌだが,実際はイヌ60/ネコ40といった比率の表現が自分で一番すっきりすると感じる.

 ところで最近僕がハマってるのが女性の顔の分類だ.ごく最近友人との会話の中で気づくに至ったのだが,僕は「タヌキ顔」と表現される女性の顔がとても好きだったのだ.その友人が好きなのは逆に「キツネ顔」.最近街中や電車の中などで見かけた女性を片っ端から「キツネかタヌキか」に分類している.だが明らかにどこから見てもタヌキである「タヌキ120」という顔の持ち主は自分の好みではないことにも気づき,現在自分に最も心地いいキツネ/タヌキの顔の比率を模索中.あなたの好みの顔はどう記述されるのだろうか.


 2003年01月16日(木)   感情の便秘 


 ~そういえばここしばらく涙をこぼしていない.涙ぐむことはあっても瞳から流れ落ちたのは何年前だったっけ,という感じだ.「泣く」とは悲しいときばかりではなく,うれし泣き,笑い泣きなどさまざまな状況で起こり得る.つまり「泣く」とは,なんらかの感情が非常に高ぶった結果起こるということなのだろうか? しかしこうした発想を軸にして考えると「男泣き」とは何なのか非常に曖昧だ.とにかくどの泣きっぷりとも僕は15年以上ご無沙汰なんだが,これはきっと非常に不健康なことなんだろうと思う.それは例えばバカ笑い,激高,恋愛感情などと15年以上ご無沙汰であるようなものかもしれない.ね,「感情の便秘」的なもので,不健康そうでしょ? こういった「感情の大がかりな表出」は大抵気持ちのいいものだから,たっぷりと泣いてその後すっきりした様子をしている人を見るとちょっと嫉妬しちゃうなあ.


 2003年01月15日(水)   透明な風景 


 出張で,富士山の見えるある地方都市の駅前に来ている.比較的名の知られた土地だが,駅周辺には建築物も少なくひっそりとした空気が流れている.平日の昼下がり,空気は冷たく空はどこまでも青い.駅を離れて2分も歩くと途端に商店などが少なくなってゆく.人通りも数えるほどだ.

 駅周辺にはビジネスホテルがいくつかと,カットハウス,消費者金融,居酒屋,そば屋,シャッターの降りたカメラ屋などがある.少し遠くの国道沿いにはパチンコ屋とボーリング場の看板,有名な大手スーパーが見える.

 地方の小都市を訪れると,そこにはある共通のたたずまいを感じることが多い.それはさびれた商店街に象徴される地域性の残滓と,マクドナルドやユニクロ,大手スーパーやコンビニチェーンなどに代表されるタフな資本の進出だ.この両者の混在が,少なくとも通りすがりの者にとっては,その街を「どこかで見たような風景」とでも言うべき取り換え可能な特徴のない街並みにしている.

 そんなことを考えながら駅前でたたずんでいると,もう何年も聴いていなかった曲の歌詞がふと頭をよぎっていった.

  行くあてはないけど  ここには居たくない
  イライラしてくるぜ  あの街ときたら
  幸せになるのさ  誰も知らない 知らないやりかたで


 2003年01月14日(火)   青を待つ間 


 駅まで歩いていく途中の交差点で僕は信号待ちをしていた.すぐ横には30代前半らしき女性が小さい男の子の手を引いて立っている.車の流れが途絶えたらすぐさま横断しようと思いながら待っていたんだが,そのちょっとした時間に考えることといえば.

 …今ここで俺が赤信号のまま横断したならこの母親はまあ小さい子供の目の前でこの人はなんてことするのこの子がもし真似をして信号無視してトラックにでもはねられたらどうするつもりなのあなた責任取れるのあああどうしてくれるのなんて怒りの目を俺にぶつけてくるだろうだが聞け母親よ横断していいかどうかは手前で判断し手前で決定しその結果に手前で責任持つものだろうがそうだろうがそうしたことを今俺様はこの小僧に身を持って教えてやろうというのにふふふふざけるなこの馬鹿女お前はこの餓鬼が将来周囲の顔色を窺い場に流されるがままに行動しひいては悪事を悪事とも思わずに手を染めゆく「赤信号みんなで渡れば恐くない」人間になるそれでもよいのかあああ聞け…

 おい早く渡れよ,そこの俺.もう青信号になったからさ.


 2003年01月13日(月)   田村さんたちの手法3 


(→続き)
 彼らの番組に対して「えげつない」「許せない」「くだらない」「下世話」などの意見を聞くことも多い.例えば「許せない」とは,わざと浮気を誘発させるような彼らの手続きが「許せない」という意味なのだろうか? だが彼らの介入によって浮気が引き起こされるならば,何か他の外的要因によっていずれそのパートナーは浮気をする可能性が高く,番組は単に引き金を引いただけ.

 僕は,単に「許せない!!」と感情的に叫ぶ連中よりも,人間の本性としっかり対峙し,見たくないものをそれでもあえて白日の下に晒け出そうとする彼らのアプローチに強く共感する.その結果が徹底した絶望をもたらすものだとしてもね.そして付け加えるならば,淳の毒舌から依頼者を守ろうとしてフォローしまくる亮の優しさよりも,その毒舌の合間に淳がごくまれに見せる優しさが僕は大好きだ.


 2003年01月12日(日)   田村さんたちの手法2 


(→続き)
 彼らの恋愛ネタの企画にはどれも共通するたたずまいがあって,それは「人間の汚い部分をさらけ出そうとする試み」と「徹底した男性側からの視点」だ.そしてこの両者に注目することで,これらの企画には淳本人の体験や人間観・恋愛観といったものが色濃く反映されているであろうことが想像できる.

 <…彼女の携帯がある時間帯だけ繋がらないだろ? 知らない番号が登録されていて,しかも着信音を使い分けているんだろ? おまえの彼女はおまえの知らない男と連絡を取り合っているかもしれないぜ.その相手は以前の彼氏かもしれないし,ひょっとしておまえの親友かもしれないんだぜ.おまえの彼女は以前の男にどんな姿を見せていたんだろうね.おまえとのつき合いよりも濃密な時間を過ごして,おまえには見せない笑顔を見せていたのかもしれないよ? ほら,しっかり目を開けてろよ,これからおまえのパートナーがおまえを裏切ろうとするところを見られるかもしれないぜ…>

 僕には淳がこんな風に問いかけているように思える.(続く→)


 2003年01月11日(土)   田村さんたちの手法1 


 ロンドンブーツの番組が好きだ.中でも「ガサ入れ」に代表されるような恋愛の裏表を扱った番組が大好きだ.そういった企画の立案や番組の進行に彼ら本人たちがどの程度関わっているのかはわからないけれど,多くの人に直感されているように「たぶん淳(出っ歯のほう)が主体となって進めてるんだろうな」と僕は感じる.

 彼らの企画した番組をすべてフォローしているわけではないが,僕が見たことのあるものを挙げると,依頼者♂の彼女の浮気調査のためにその彼女の部屋に押し掛ける「ガサ入れ」,依頼者♀の彼氏に女性からの間違いのフリをしたメールを送ってその彼氏の誘惑を試みる「BL@CK MAIL」,彼氏が自分の彼女の元彼たちを訪れる中で自分の知らない彼女の過去を突きつけられていく「OH! BROTHER」などだ.(続く→)


 2003年01月10日(金)   疲れていたんだって 


 今日の帰宅時混雑した電車に揺られていて,僕はとても疲れていて,目の前には見知らぬ男性のうなじがあって,思わず口をすぼめて「ひゅっ」と息を吹きかけてしまって,何でそんなことをしたのか全くわからなくて,それでもその行為を続けて,四度目に息を吹きかけようとして口をすぼめるとその男が急にこちらを振り向いて,彼はカミソリで切り開いたかのような目の奥からこちらをじっと凝視していて,明らかに無理な体勢にもかかわらず首をねじったままじっとこちらを凝視していて,僕は耐えきれず視線を逸らして,次の駅で降りて別の車両に乗り換えても彼は僕の後を付いてきて,あああこれ以上はとても書けないって.


 2003年01月09日(木)   味覚の手触り2 


(→続き)
 「これってナシを食べているときの歯触りに似てない? 切るときに手に伝わる感触がさあ」
 「(しゃくしゃくしゃくしゃく) えー…? (しゃくしゃく) 言いたいことはわからないでもないけど,ちょっと違う気がするよお」

 その後7,8人に同じ行為をしてもらったものの「ナシの歯触りに似ている」という意見に同意してくれる人は一人もおらず,僕は随分と寂しい思いをした.ただ「この独特の切れ味を何かの食感にたとえたいんだ」という僕の意図をすくいとってくれた人がおり,その人は身の回りのものを手当たり次第に切りまくったあげく「段ボールを繊維に対して直角方向に切り進めるとそれはシケったせんべいの食感となる」ことを発見した.この意見に対してはその場で試してみたメンバーが残らず賛同する結果となって,ああ,なんか複雑な気分なんだが,とにかく試してみてくださいなそこのアナタ.


 2003年01月08日(水)   味覚の手触り1 


 刃の部分がセラミックでできているはさみをご存知だろうか? ステンレスなどの金属ではなく,白くて一見プラスチック状の刃を持つはさみのことだ.ちょっと大きめの文房具屋でなら扱っているはずで,たぶん\1000以内で手に入る.このはさみの切れ味はちょっと変わっていて,初めて手にした人の多くが

 「切りやすい…,これ」と呟く.
 「そう.独特でしょ,これ」
 「なんか気持ちいいよね」

効果音を付けるならば<しゃくしゃくしゃく>と切っていく感じなのだ.

 「これも切ってみてよ」

と,僕はコピー用紙を四つ折りにしたものを彼女に渡す.四つ折りにすることで増した厚みが適度な抵抗となって手に伝わる感触が変化するのだが,僕はそれをある果物にたとえた.(続く→)


 2003年01月07日(火)   美容整形いいか悪いか3 


(→続き)
 この社会にはまだまだ「個人の自由を認めること」に不快感を示す連中があちこちに巣くっていて,それは永久になくならないだろう.彼らがそう感じる理由は「個人が自由に振る舞うこと」が自分たちの安全や立場,そして社会や組織の秩序を脅かすと,意識的にせよ無意識的にせよ考えているためだと感じる.だが個人の自由を制限することで得られる秩序など非常に脆く信頼できないもので,それは究極の例である北朝鮮体制を見ても明らかだ.社会にせよ組織にせよ家族にせよ「個人の自由を他人に実害を与えない範囲で認める」ことで結果的に得られる秩序こそが,そこに属するメンバーが信頼するに足る秩序として成立するはずだ.

 以下おまけ.さっき,例えば美容整形について「他人が異論を挟む余地はこれっぽっちもない」と書いたが,もちろんその人に「それをして欲しくない」ことを伝えるのがダメだなんて思ってない.「あなたの意見を尊重するけど,どうしてもそれがしたいということはわかったけれど,それでも自分はあなたにそれをして欲しくないと思ってる」というコミュニケーションはもちろんアリだし,それはこれまで書いてきたことと決して矛盾しない.本人はそうしたコミュニケーションを踏まえて自己決定すればいいのだ.それにそうしたコミュニケーションのあり得ない世界は,ちょっと生きる気にならないよね.


 2003年01月06日(月)   美容整形いいか悪いか2 


(→続き)
 また「コンプレックスを気軽に整形という手段で解決する姿勢がダメなんだ」という反対意見もよく聞く.だが整形に踏み切った際に自分に何が起こるか,手術それ自体のリスクと自分の外見がどう変わるかを充分知り,身近な人々の対応や自分の内面がどう変化するかを充分予期し,それでも整形をすると判断するなら実行すればいい.そしてその結果に自分で責任を持てばいい.そういう話だろう.

 もちろんこの問いかけは「美容整形」の部分を置き換えることで無数のバリエーションを生む.茶髪だろうがピアスだろうが,ヅラだろうがスキンヘッドだろうが,売春,少々の麻薬,性転換や安楽死などなんでもいい.まともな判断力と自己責任能力を持った人間が「他人に迷惑をかけずに」起こす行動になぜ文句をつけるのか? いや,本当のところ僕はヅラは認めたくなくて,やるならやっぱりスキンヘッドだぜと思っているのだがそれはまあいい.(続く→)


 2003年01月05日(日)   美容整形いいか悪いか1 


 「美容整形はいいことか悪いことか」という問いかけはときどき耳にするもの.僕がこれまで何度か目にしたところだと,この質問に対して年長者ほど「悪い」と回答し,年齢が若くなるほど「いい」という意見が多くなるように感じる.そして「いい」と答えた人の意見をよく聞くと「(本人が必要とするならば)いい」というニュアンスのものがとても多いことに気づく.つまり「美容整形はいいことか悪いことか」という質問は「美容整形は個人の自由かそうでないか」と置き換えたほうが論点が明確となるようだ.

 僕の意見は「それは個人の自由」というもの.つまり本人がやるかやらぬかを決めればいいだけの話だと思っていて,そこに他人が異論を挟む余地は少なくとも現代社会ではこれっぽっちもあってはならないはずだ.だが「それでもいけないことだ」と主張する人たちはいて,その代表的な意見は「親からもらった体になんてことをするんだ」だったりする.だがその体は間違いなくその人本人のものであって,髪の毛一本たりとも親や社会のものなどではない.(続く→)


 2003年01月04日(土)   感性の法則 


 8日間の年末年始休暇を終え,明後日から会社が始まる.僕がスキンヘッドにしたのは11月末だったので,おそらく普段接する人たちにはこの頭のイメージは定着したはずだ.だが頭を丸めたのが12月末で,例えば会社デビューが去年の仕事納めの日だったらどうなのだろう? スキンヘッドにしたという事実とそのビジュアルは印象に残るだろうが,8日間の休みがそれを風化させそうだ.皆は以前の髪型の記憶はもちろん残しているはずなので,そっくりのヅラを被って出社したらひょっとしてしばらく誰も気づかないなんてこともあり得たかもしれない.引っ越してしばらくは帰宅時に以前住んでいた家の方に自然と足が向かってしまうかのように,人間の意識における慣性の法則,いや感性の法則なのかもしれないが,それが観測できたかもしれないね.あああ,せっかくの楽しめるチャンスを逃したなあ.


 2003年01月03日(金)   表裏一体 


 最近なにか大切なことを掴みかけてるような気がするんだが,同時にうすうすと自分には何か肝心なものが欠けてるようにも思えていて,どちらもよくわからない.だがこの両者は表裏一体のものであるような気はしている.


 2003年01月02日(木)   続・年賀状プロジェクト 


 今年の年賀状は去年の大晦日に書いた.11/14の日記でも書いたんだが,僕はここ数年その年の干支にちなんだデザインのものを採用している.ところがひつじ年である今年の年賀状に関してはどうにもいいアイデアが浮かばない.なんとか候補に残ったのが,自分でモーニングコートに蝶ネクタイを締めた写真を撮り,それを載っけて「執事(ひつじ)年」にするという最低のアイデア.結局それはボツにして先々月末にデジカメで撮影しておいたスキンヘッド実行中の画像にしたよ.でも今思うと,前回のうさぎ年から4年間続いていた干支シリーズをやめてしまったのは少し残念だ.

 そういえば学生の頃「4コマ漫画を1コマづつ4年間かけて年賀状に連載する」という企画をたてたことがあるが,オチに辿り着く前の確か3年目に挫折した.僕の今年の目標は「何事も最後までやり遂げる」なんてものにしたほうがよさそうだ.


 2003年01月01日(水)   春の海の気分 


 新年の朝は他とちょっと違っていて,窓を開けたときに明らかに昨日までとは異なる空気をそこに感じる.僕の場合,ゆったりとしてはいるがぴんと一本張り詰めた雰囲気というかそんなものを感じる.だがもちろん今日元旦の空気がたとえば一週間前のクリスマスの空気と質的に大きく変わるとは考えにくく,こうした感覚は「気のせい」によるところが大きいようだ.クリスマスの空気感も,ひとりぼっち,パートナーと一緒,パートナーはいるが今はひとり,などの場合に応じてさまざまに異なるだろう.そう,同じ空の下,同じ天気同じ気温同じ朝であっても,フラれた次の日,受験の日,新生活が始まる日などでは頬に感じる空気も世界の見え方もまるで変わってしまうのだ.


目次(TOP)<過去未来>

■過去日記サンプル
東京タワー/ 写真嫌い/ 史上最高の尿意/ 中身と外見/ ほっぺにチュー/ 河原の魅力/ パチもん教授/ 16通りの告白/ アナウンサー賞賛/ 次回W杯必勝戦術/ チャンネル1995/ 緊張のアノミー/ 学歴社会という現実/ フジロック'02レポート/ 新しいかもしれない口説き文句/ 現役モラトリアム生/ ばったりしあう関係/ 黒髪という選択/ ゲイ雑誌購入/ ごきげんドライバー/ 結婚式に思う/ 味覚の手触り/ 変拍子の人/ 自己プロデュース
管理人: vanilla