バニラへの日々
(→続き)去年のフジロック・フェスティバル回想録.「ロック」フェスティバルと名が付いているが,いわゆるロックなイメージのミュージシャンのほうが少ないかもしれない.ダンス,テクノ,レゲエ,ダブ,ヒップホップ系と呼ばれるような人たちが半分以上だろう.分類不能も多数.いわゆるロックな人たちばかりだと,懐古趣味というか,かえって古くさいイベントに感じると思う.あの場の効果もあるのだろうが,ダンスに興味がなかった人が踊り狂い,ヒップホップに顔をしかめていた人がHO! と叫び,レゲエを毛嫌いしていた人が笑顔で身体を揺らす.そんな空間だ.適当書いてますなあ.でも本当だよ.ところで「毛嫌い」の「毛」ってなんだ? (続く→)
今年も日本最大級の音楽イベント,フジロック・フェスティバルが7月末に新潟で開催される.苗場スキー場に大小さまざまな規模のステージを作り,国内海外有名無名問わずさまざまなミュージシャンのライブを3日間にわたって楽しむイベントだ.今年で6回目.初開催の97年はチケットを予約したものの,別の旅行の日程を優先させてしまった.98,99,00も用事が入り断念.去年初めて念願の初参加を果たしたのだが,思いっきり後悔した.「何でもっと前から参加しなかったんだろう」ってね.最前列でもみくちゃになりながら聴くのもよし,後ろで芝生に寝そべって聴くのもよし.疲れたら小川のほとりで休憩し,無数にある屋台から好きな食べ物を選ぶ.値段も適正だ.お目当てのミュージシャンだろうが,名前も知らないバンドだろうが,あの空間,山あいの夏の空気の下で聴くライブは最高なんだよ.本当だ.けけけ.信じてくれますか? (続く→)
近所に24H営業のドンキホーテができた.他にもいくつかの施設が敷地内に併設されている.スーパー/本+ビデオ屋/ラーメン屋などだ.さすがドンキホーテがからんでるだけあって,各店舗は妖しい魅力を放っている.スーパーは業務用の食材が中心で,肉類やアイスクリームなどがキロ単位で売られている.牛カルビ1kg\1000だったか? 本+ビデオ屋はソフトオンデマンドというアダルトビデオメーカーの直営店で,入口にはテリー伊藤からの花輪が飾られていた.この施設の男子トイレが何とこの本+ビデオ屋の店内にあるため,必然的に客は店内へと吸いこまれていく.しかし店内はごく普通の印象.AVコーナーは店のごく一角でカップルも多かった.メジャーな新作映画のDVDが\980.他には生ジュース/たこ焼き/石焼きビビンバの専門店などがあったんだが,極めつけは通販商品の専門店だ.スチームクリーナー/車用のワックス/トレーニングマシン/ダイエット用品などが所狭しと並べられ,それぞれの商品のそばには宣伝用のビデオがかなりのボリュームでエンドレスで流されている.くらくらしてきたので早々に店を後にした.でも楽しかったのでまた来るさ.
いきなりオヤジっぽい書き出しになるが,最近の10代から20代の女性は以前とくらべてずいぶんキレイになったように思う.先日渋谷を歩いていてあらためてそのことを実感した.持って生まれた顔やスタイルが良くなったからなのだろうか? あるいは身につけるものや化粧のセンスが上がったからなのだろうか? それとも僕が最近キレイな女性をあまり目にしていなかったからなのだろうか? 最後の理由は悲しいし,身近な女性に読まれると怖い.おそらく2番目の理由,魅力的に見える女性になるためのさまざまな情報が充実し,誰でも簡単にアクセスできるようになったことが1番大きいのだろう.これはスキルと才能の問題だ.100mの世界記録は昔から格段に進歩している.食生活などの変化による体格の向上はあれど,速く走るためのノウハウが蓄積されたことが一番大きいはずだ.才能自体にさほど変化はないと思う.結論.女性の美しさのスキルアップ大歓迎.
女性の生理用品はどこまで進化するのだろう.新製品のCMはよく目にするのだけど,そのたびに画期的でありこんどこそは安心だというコピーがついている.一定のペースで進歩し続けたらすごいことになっているはず.「吸水力2倍」を10回くり返すと1000倍以上の能力アップだ.ひょっとしてあれは煽り文句ですか? 女性はみんなそのことをわかっていて,あまり当てにしていないとか.
話半分で聞いておくべきものリスト.試写を終えた客がコメントしている新作映画のCM/「このあと信じられない展開が!」というテロップ/街頭ひげそりCM/自信なさそうな人が話すまめ知識/自信たっぷりの人が話すまめ知識/エロ関係の宣伝文句/インターネットの掲示板情報.
というか,世の中のすべての情報は話半分に聞いておかなければならない気がしてきた.自分で判断しないとだめだね.
馬やキリンがそうであるように,動物には赤ん坊が生まれてすぐ立ち上がることのできる種類が多いようだ.ところが人間の赤ん坊は立ち上がるのに1年がかり.お母さんのおなかの中にもう1年居れば生まれてすぐ立ち上がることができるのになと思う.とにかく動物に比べると人間の赤ん坊はまだまだ未完成な状態で生まれてくるので親は大変だ,と思っていた.でも人間のほうがいいんじゃないか? 例えとしてはあまりよくないかもしれないが,動物の赤ん坊はほとんど組上がってるレゴブロックで,人間の赤ん坊はレゴのパーツだ.いろんな方向に伸びる要素が大きいのだ.なお表題は本文とは何の関係もない.僕の知人女性で幼い頃の夢が忍者になることだった人のことだ.残念ながら先日一般企業に就職が決まってしまったらしい.でもおめでとう.
トラック・トランプ・トランポリン トラベル・トラブル・トライバル トランキライザー・トランクス トライ・トラウマ・とらばーゆ トライアングル・虎屋のようかん
トラップ・虎キチ・トラクター トラブルメーカー・トラキーヨ 宇多田ヒカルはトラベリン
トライアスロン・トランザム 取らぬ狸の皮算用
トラス・トランス・トラトラトラ 色が黄色いトラえもん
トラリラリララルラルララ 病院行くなら虎ノ門
トラットリア・トラパットーニ 旅のおみやげトラピスト 男はつらいよ寅次郎
~2002/4/5の日記にも書いたように,僕は1年半くらい前から床屋にも美容院にも行かず自分で髪を整えるようになった.散髪代2回分くらいで家庭用のバリカンが買えてしまうのだ.バリカンといっても短髪専用というわけではなく,最近のものはある程度髪の長い人まで十分対応できる.ともかくこれで好きなときに好きなように髪を切ることができ,散髪代も浮く.そう思った.しかし購入当時はそうもいかなかったね.好きなように髪を整えるには結構時間がかかったし,よく失敗もした.ただ本人は大失敗と思っていても他の人は全然気付いていないことが多いようだ....実は気づいているのだろうか? まあいい.実は家庭用バリカンのシーンもそれなりに熱い.携帯電話ほどではないが各メーカーも定期的にモデルチェンジしてくるので,新しいものについ手が伸びる.そんなこんなで,机の上のファービーのぬいぐるみはいまや丸坊主なのだ.
あるテレビの討論番組で「中身と外見どちらが大事か?」というお題で論じ合っていた.テーマの名前はうろ覚えで正確じゃないかも知れないが,そんなニュアンスのものだった.中身派は「外見イマイチでも中身を磨く努力をするのでそれがいい結果に結びつく」などの意見,外見派は「中身が良くても外見悪くて損をすることが多いので外見は大事」などの意見があった.というか出演者たちは,中身派と外見派というよりは,これまでの人生で「認められてきた人」「認められてこなかった人」に分かれているように感じた.外見のみを認められてきた人,両方認められなかった人,努力して内面を認められるようになった人などがいた.認められたり認められなかったりしたことを自分の中でどう消化してきたかによって,人は外見派か内面派に分かれていくのだろう.まだまだ書きたいことはあるが最後に僕の意見.「中身が大事.でも足切りされない程度の外見は絶対あったほうがいい」
バカップルとは,おバカな笑える振る舞いをする「愛すべき」カップルのことかと思っていたんだが,実は人目もはばからずにイチャつくカップルのことを指すということを知った.電車内などでべったりくっついている彼らのことか.彼らについての評判は非常に悪いものが多いと思うんだが,僕はあまり嫌いではない.というか見ていてほんわかといい気分になることもある.特に,男は普通にしているが,女が男のことを大好きでたまらない,という気持ちが伝わってくるバカップルは大好きだ.通行の邪魔になったりしていてもあまり腹も立たない.この僕の感情について,今までは女性側の「この人を好きでたまらないキモチ」に感情移入していい気分になっているのかと思っていた.しかし今日この逆の,男が女にまとわりつくカップルを見てあまりいい気分にならない自分に気づいた.実は僕がこれまでいい気分になっていたのは,男性に感情移入してモテている気分をバーチャルに味わっていたためだったのだろうか? どうやら一番バカなのは自分だったようだ.
1年ほど前に小泉さんが首相になってから,明らかに政治関連のニュースが増えた.よく登場する言葉に「永田町の論理」があり,今の政治に対する否定的なニュアンスを伴って使われることが多い.僕はこの言葉が好きでなく,ニュースなどに出てくるとイライラすることが多い.例えば野球やサッカーなどのスポーツだったら解説者や評論家は選手のプレーや監督の采配といった部分に対してコメントしているのに,なぜ政治評論家や政治ニュースの視点は疑惑の追求や政治家間の力関係といった「永田町の論理」関連のものがほとんどなのだろう.スポーツ選手間の力関係のニュースはそれはそれで面白いだろうし,自分自身興味もある.しかしそればかりになったらファンは怒り出すはずだし,スポーツに限らずどんな業界でもそうだろう.政治報道は,政治家(選手)個人個人がどのような考えのもとにどのように政治活動を行ったか,そして国民(ファン)はそれをどう受け止めたか,という視点がメインであるべきだ.永田町の論理ではなく国民の論理を! などと報道しているメディアは,実は誰よりも永田町の論理にどっぷり浸かっているのではないか.
人生のパートナーを選ぶとき「恋愛対象としてはいいが結婚相手には向いていない人」と「その逆の人」とどちらを選ぶ? 両方とも備えてる人ってのは無しだぜ.一方で友人の話だ.長く付き合っていきたい友人の性格には「一緒に仕事をしたいと思わせるタイプ」か「一緒に遊びたいと思わせるタイプ」か,どちらを選ぶ? こちらの場合は,友人には信頼感と楽しさのどちらを求めるか,と言い換えることもできるかもしれない.パートナーにせよ,友人にせよ,どんなタイプの人を選ぶかはもちろん人それぞれなんだが,ここで書きたいのはアナタはどちらのタイプでありたいか? という話だ.自問自答してみると,僕はこれまで(恋愛対象/信頼感)のタイプでありたいと考えてきたようだ.しかし改めて考え直してみると,特に老後なんかはこれと正反対の(結婚相手/楽しさ)タイプの人と付き合ったほうが数段人生楽しそうだし,そう考えている人も多い気がする.方向転換するか.
実際には体験していないし,体験したという人の話も聞いたことはないんだが,既視感のある話というのが存在する.古典的なものはバナナの皮ですべって転ぶ人だ.最近この手の話を集めていたのだが,その中のいくつかを以下に挙げよう.
●登校中に見知らぬ男女が出会いがしらにぶつかる.その後片方が転校生としてやってきて二人は再会する. ●父親がプロ野球選手と言い張る小学生が,友達に「おまえの父ちゃんテレビに出てねえじゃねえか」といじめられる.しかしそのあと父親は代打で1軍の試合に出てホームランを打つ. ●夫の不倫相手と妻が遭遇する.手を繋いでいた子供が不安そうに呟く「ママ,手痛いよ」
こういったストーリーは,年代によって,また男女差によっても既視感の度合いは変わってくるのだろう.実際に体験した人いますか? いたらぜひメールください.
野いちご,野ばら,野菊など,「野」という言葉があたまに付くと語感に変化が生じる.他には,野ざらし,野はら,野獣などもある.「野」には,そのものが持っているイメージを増強させて多少荒々しさを添加する効果があるようだ.逆に言うと,野性味を加えつつその言葉をアピールしたいときは「野」を加えればいい.自分に自信が無く1人称がどうしても「ボク」になってしまう人は多いと思うが,そんな自分が嫌なら「野ボクは…」と名乗ればいい.
......だめですね,今日は.最後に,いつ登場するのかと待っていた人のために「野ぐそ」と書いて寝よう.
~世の中に,自分とうりふたつな人が3人はいるという.これは外見のことを指しているんだろうけど,考え方や感性がうりふたつな人というのもいるんじゃないだろうか? 心のヒダの細かい部分まで一緒の人.異性の好みとかも一緒の人.この人たちにはどうすれば会えるんだろう? 会ったとしても,何か,会うなりお互い笑いだしそうだ.そのあと我に返り,真顔に戻るタイミングまで同じなんだろうな.なんかイヤだ.「明日ハチ公前に10時に行くと決めた.考え方が同じならその人も探しに来るはずだ.そうに決まってる」これでは実現の可能性は薄いだろう.第一僕は面倒くさいから行かない.
横浜ロードレース大会.今日は鶴見川沿いの平坦な道を20km走るマラソン大会に出走した.こういったレースでは,知り合いでなくてもかなり長い距離を連れ添って走ることになる人が必ず何人か存在する.走るペースがほぼ同じだからだ.おそらく20代前半の男性であるその人は,走りながらしょっちゅうブツブツと何か呟いていた.近寄ると何とか内容を聞き取ることができる.「今日は朝とはうって変わって...日差しも強く気温も相当...」「さあ残すところ...となりました,ここからが本当の...」どうやらレースの模様を実況中継しているらしい.だがときどき音声が途切れがちになる.受信状態が悪いからなのだろうか? なんとかレースも終了し,芝生でしばらくぐったり.レースの度に考えるのだが,マラソンとかトライアスロンの大会に出場する人はマゾで,主催者はサドだ.レース後は友人と銭湯に向かう.そのあとは居酒屋だ.レース中はしんどいけど,これがあるからまた走ろうという気になるんだよな.
形ばかりのものとは違って,受かるか落ちるか全く見当のつかない面接は実に久しぶりだった.高校受験の時以来かもしれない.今日は現在第1志望の会社の面接だったのだ.受験者3人の合同面接で,面接官はひとり.採用情報誌に載せる広告の原案が「まじめで責任感のある奇人変人集まれ」だったらしい.実際に掲載されたものはもっと落ち着いた表現だったが,ちょっと変わった会社だ.他の受験者の経歴を話から察すると,大学卒業後牧場にしばらく勤めていた20代男性と,同じく卒業後雪印に勤めていた20代女性のようだ.みんないろいろあるんだなと勝手に納得する.面接は2時間を超えたが,質問される機会も質問する機会も数えるほど.面接官のトークが炸裂した2時間だった.それは面接なのだろうか? 僕の膀胱は2時間持たず,途中2回もトイレに立ったのだった.
寝過ぎて頭がぼーっとする.今日は合計14時間くらい寝た.昨日の夜は,じゃなくて,今日は,だ.昼間いっぱい寝たのだ.ちゃんと働いている人は頭にくるだろうな.いいじゃん,無職なんだし.どんどんだめ人間に向かってまっしぐらなんだが,この堕ちていく感覚はわりと心地よいものだ.女性にはわかりにくいかもしれないが,漂泊と放浪の限りをつくし朽ち果てていく人生にあこがれるのと共通の気分だ.明日は会社の面接があるのでそろそろ寝よう.「いつから働けますか?」と聞かれたら,7月から,と答えようかと思ってる.ワールドカップをたっぷり堪能するチャンスだからだ.
僕は現在職探し中で,希望の会社を絞ったり履歴書を書いたりしている.履歴書には自己PRや会社に対する希望などを書き込む欄もあるが,事実のみを書きつづっていく部分がほとんどだ.しかしこれが意外と面白い.とはいっても,華やかな経歴を持っていてそれを書くことによって再確認しキモチ良さに浸るのがたまらない,というわけじゃない.自分の経歴なんてありふれたものだ.例えるならば,本の最後の「著者紹介」お菓子の「原材料名等の表記」スポーツ選手の「年次成績」などを読むときの面白さに近い.「著者紹介」で,わずか数行に記号的なものを並べたからといってその人を語ったことにはならないし,肝心のことは何も伝わらないのかもしれない.でも行間からにじみ出るものは絶対存在するし,それがその人の本質にとても近いものだったりする.自分で自分の経歴をごく簡単にまとめると「ああ,自分はこれ以上でも以下でもないんだな」という気分になってくる.徹底的に贅肉を削ぎ落とすことによって,知らず知らずのうちに絶対視しがちな自己を客観的に見つめることができるんじゃないかと思うのだ.何するにせよ,出発点はそこだろう.
これは最近車のCMに使われている"Can't Take My Eyes Off of You"という曲の日本語タイトルだ.CMではトミー・フェブラリーとクレジットされているが,よく知られているようにこれはカバー.最近ではローリン・ヒルや椎名林檎などもカバーしていたが,最も有名なのはおそらく1982年のボーイズ・タウン・ギャングによるカバーバージョンだろう.英米でもそこそこヒットしたが,なんといっても日本では記録的な大ヒット.僕は当時10代前半だったのでよくわからないがディスコでもかかりまくっていたらしい.軽快なダンスチューン,キャッチーでちょっとせつないメロディ,ポップソングの魅力がたっぷり詰まった曲だと思う.この曲は1967年フランキー・ヴァリによって初めて世に出ており,このオリジナルを僕は今から10年くらい前に大学の先輩の家で初めて聴いた.意外なことにこれが壮大なバラード.ボーイズ・タウン・ギャングのダンス風のアレンジに耳が馴染んでいたのだが,この歌は本来こう歌われるべきだったんじゃないか,と深く納得.心が揺さぶられた.この曲が好きだがオリジナルはまだという人,是非聴いてくれ.
(→続き) 相変わらず激しい尿意と戦いながら運転を続けていく.そんなとき頭のすみで,たった今,地球上で何人ぐらいがトイレを我慢しているかを考えてみた.限界近くまで我慢している人を1万人に1人とする.地球上の全人口を50億人とすると,50万人が必死に耐えていることになる.ここまではいいだろう.次が重要だ.自分は今この50万人の中に入っていることをはっきりと意識している人はどのくらいいるだろうか? 全くいないってことはないはずで,10人くらいはいると考えていいだろう.トイレを我慢することは辛く苦しい作業だけど,この星のどこかで共に戦っている仲間が確実に存在する.「そう考えると少しは苦しみもやわらぐよな」そんなことを友達に話しかけながら,なんとかトイレのあるところまで辿り着くことができたのだ.トイレに駆け込み,誰もが知っている本当に幸せなあの気分を味わいながら考える.「願わくば」戦いに敗れた仲間がいなかったことを望もう.
~僕はトイレが近い.特に酒を飲んだときは自分でも驚くほどで,同年代で僕よりトイレが近い人はまずいないと断言できる.ひょっとすると病気なのかもしれないが.トイレを我慢しているときによく思い出すのが10年ほど前に車で首都高速を走っていたときのことだ.ご存じのように首都高にはほとんど休憩所がなく,おまけによく渋滞する.そのときもひどい渋滞で,僕はもうどうにもならない膀胱を抱えたまま必死にハンドルを握りしめていた.自分史の中でも確実にTOP10に入る,史上最高レベルのキツさだった.「ちっ」心の中で舌打ちする.「コイツらさえいなければ,コンビニ袋の中に出せるのに」そのときは男友達とその彼女が同乗していたのだった.彼らはそんな僕の状況をちっとも同情してくれなかったんだが.(続く→)
この「バニラへの日々」は昨日で50日め.毎日更新してきたので50回分の日記・エッセイを書いてきたことになる.読んでくれている人,本当にありがとう.別のサイトで書いていた日記は1年間で50日分程度だけだったし,ひどいときは1ヶ月に1回しか更新しないこともあった.それを考えるとよく続いている.ここを読んでくれている人にとっては前のサイトの日記なんてどうでもいいことだろうが,僕にはそれなりに愛着がある.そこで明日からすこしづつこのサイトに復活させることにした.そのまま転載するだけではおもしろくないので,当時のアイデアを今の自分がアレンジして書き直すことにする.ミュージシャンが古い自作の曲をあらためて取り上げることをセルフカバーというが,それだ.リミックスと言ってもいいかもしれない.目印として,その日の日記の表題には*印をつけておく.でもセルフカバーって「昔のオリジナルの曲のほうがよかったよ」って結果になることも多いんだよな.
2002/6/29追記: 表題ではなく本文の先頭に~印を付けることにする.
久しぶりに熱を出した.風邪が流行っているわけでもないのに体調が悪くなると,自分が流行とは縁が無いような気分になり少し悲しくなる.今後風邪が大流行すれば自分が流行の発信源ということになるのでそれに期待しよう.僕は小さい頃から熱を出すと訳の分からない夢を見てうなされることが多かった.そんな人多いんじゃないかな.夢の状況は毎回違うのだが,共通しているのは「これを何とかしないと目茶目茶ヤバいことになる!」という切迫感だ.例えば,夢の中で小さな事実をひとつづつ手でひっくり返していくのだが,その作業が多すぎてとても間に合わないといった状況.あるいは,川を横断する小舟の数が多すぎて何とかしないとヤバい! といった状況の時もある.訳わからないな.この夢の嫌なところは目覚めてもしばらくうなされ続ける気分のままだということ.速く現実に帰ろうと思って手近な雑誌を開いてみたりするのだが,10分以上は動悸が止まらず,夢を見ていたときと同じ気分が続く.ただ落ち着いたときのホッとした気分,それはたまらなく好きなんだけどね.
写真に写るのを嫌う人がいる.誰かがカメラを構えると逃げ出したり,手で「撮らないでください」のポーズを取る人たちだ.極端な場合は一緒に旅行に行ったのにアルバムに全く写っていないこともある.本当の話だ.そこまでではないが,僕も写真を撮られるのがあまり好きではない.ところが2002/3/10の日記にも書いたように,デジカメをプレゼントされてしまった.いいきっかけだからと練習することを決意.これまでに自分の写真ばかり何百枚も撮影した.カメラを意識する練習,カメラを意識しない練習,カメラを意識しないふりをして実は意識している練習などを行った.また微笑,爆笑,驚,悲などの表情の練習も.先日写真を撮られる機会があったんだが,練習の効果あったね.自分の写真写りを演出する楽しさというのだろうか? 「好きではない」から「嫌いではない」への変化.写真に写る楽しさとは,服を選ぶ楽しさと,友人との会話の中で自らのキャラを引き受ける楽しさを合わせたものにとても近い.
(→続き) 「今まで根拠無く信頼していたものが崩れていく感覚」を他人に与えてしまった話.それは男4人で車に乗っていたときのことだ.話題が髪のことにおよぶ.髪をどれくらいの頻度で整えるか? という話.実は僕は1年以上前から床屋にも美容院にも行かず,2週間に1度自分で髪を切っている.短髪なので市販のバリカンを使うとそれなりに見映えよくカットすることが可能なのだ.もちろん失敗もあるけどね.そのことを話すとメンバー1人がへえ,とちょっと驚いた様子.「バリカン代はいくらなんですか」と聞いてきて話が続いていく.だがこの車内で彼だけが知らない事実がある.実は僕を含めたその彼以外の3人は皆自分で髪を切っているのだ.長髪の人間もいる.そのことを伝えたときの彼の反応を僕は忘れないだろう.まるで自分以外の人間は皆人間の皮を被ったエイリアンだったのだ,という事実に気づいたときのような反応.そんなに驚かなくてもいいと思うんだけどね.
追記.前日のシリアスな内容から今日の冗談モードへの転換,これもいわば「根拠無き信頼」の崩壊だ.
今まで根拠無く信頼していたものが崩れていく感覚というのがある.それを最も大がかりに世界中に突きつけて見せたのは半年前の米同時中枢テロだろう.地下鉄サリン事件もそうだ.被害者にしてみれば,たまたま一緒に電車に乗り合わせた人が自分のそばでサリンを撒いた.「何でそんなことが自分に起こるんだよ」と言いたくもなるだろう.だが現代の社会ではどんな突拍子もないことでも起こりうる可能性がある.見ず知らずの「おそらく悪さをしないはずの」他人への信頼なしにはコンビニで買った弁当も食えない.旅客機がビルに突っ込んだ夜,際限なく繰り返されるあの映像を見て僕が感じたのは「ああ,本当に何でもありなんだな」という感覚だった.冒頭の文を繰り返すが「今まで根拠無く信頼していたものが崩れていく感覚」だ.実は僕は以前この感覚を他人に与えてしまったことがある.(続く→)
最近本で読んだのだが,表題の「平安の祈り」というものを知った.これは第1次世界大戦終了後の1934年,アメリカのマサチューセッツのある田舎の教会において,神学者のラインホルト・ニーバーが捧げた祈りのことだ.「神様お与え下さい/変えられないものを受け入れる冷静さを/変えられるものを変えてゆく勇気を/そしてその二つを見分ける賢明さを」という内容.僕は非常に気に入った.ファンには怒られそうだが,みつをやミツルが束になっても敵わない普遍性を備えていると思う.気づいた方もいると思うが,これは宇多田ヒカルの一昨年のヒット曲"Wait&See〜リスク〜"の「変えられないものを受け入れる力 そして受け入れられないものを変える力をちょうだいよ」という一節を連想させる.平安の祈りについてネットで調べていると,オリジナルを誰かがアレンジしたものを発見.「神様お許し下さい/変えられないものを変えようとする傲慢さを/変えられるものを変えようとしない臆病さを/そしてその二つを見分けようとする愚かさを」オリジナルもいいが,僕はこちらに強く共感する.
近々20kmの距離を走るロードレースに出走する.そのため数ヶ月前から近所のスポーツクラブに通いだし,エアロバイクを漕いでみたり,腹筋をよじってみたり,ランニングマシンの上を走ってみたり,血圧を測ってみたりしていた.クラブ内にはあちこちにテレビが備え付けられており運動中の鑑賞も可能だ.どうでもいいがトレーニングと一番相性がいいテレビ番組は「ガチンコ」だと思う.自宅では一歩引いて客観的に観ている意識があるのだが,トレーニング中に観ると非常に興奮する.ファイトクラブのコーナーなんか最高のアドレナリン分泌装置だ.いや待てよ.ひょっとして「トレーニングを引き立てるガチンコ」ではなく,「ガチンコを引き立てるトレーニング」なのだろうか?
新年度なのでモードチェンジ.
僕は酔っぱらって知人女性の胸を触ったことがある.正確に言うと触ってしまったらしい.飲み会で自分の席から立ち上がりトイレに向かおうとしたとき,だいぶ酒が入っていた僕はバランスを崩し,近くに座っていた人の肩に,その背中ごしから手をついたのだ.それがその女性.そこですぐ身体を立て直せばいいものを,手は「ずるっ」と肩をすべり落ち,胸に達してしまった.「あー○○さん今アタシの胸さわった!」と女性が叫ぶ.相当酔っていたためか,僕は反射的に「触ってねーよっ!」と叫んだらしい.実際触った記憶も感触も残ってないんだな.その女性には翌日平謝り.冬だったので,コンビニの肉まん・あんまんなどを全種類買ってお詫びの品とした.なぜ肉まんかというと,関連商品だからだ.こんなこと書くと怒られるだろうか?
目次(TOP)|<過去|未来>
■過去日記サンプル
東京タワー/
写真嫌い/
史上最高の尿意/
中身と外見/
ほっぺにチュー/
河原の魅力/
パチもん教授/
16通りの告白/
アナウンサー賞賛/
次回W杯必勝戦術/
チャンネル1995/
緊張のアノミー/
学歴社会という現実/
フジロック'02レポート/
新しいかもしれない口説き文句/
現役モラトリアム生/
ばったりしあう関係/
黒髪という選択/
ゲイ雑誌購入/
ごきげんドライバー/
結婚式に思う/
味覚の手触り/
変拍子の人/
自己プロデュース
管理人: vanilla
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