2007年08月21日(火)  慣れません 今日も感謝の 雨あられ


人間は物事に慣れる性質があるけど、親が子供の存在に慣れるということはないのではないかと思う。いて当たり前だとは思わない。

まなティが生まれたときの感動というか、かけがえのないものが私の人生に現れた感じは、未だに消えない。毎日が新しい始まりで、毎日毎日、まなティの一挙手一投足を見て、「よく無事に生まれてきてくれたね、ありがとう」と思う。そして、出会えただけで奇跡なのに、元気に成長してくれるなんて、本当に感謝してもし足りない思いだ。

私にとってのまなティは、ピカピカの宝物で、そこだけがいつも輝いているように見える。手も足もお腹も、蚊にくわれた背中も、トマトソースだらけの顎も、への字口の泣き顔も、寝癖のついた髪も、ウンチだって鼻くそだって、愛しくてしかたがない。このすべてのために、今日も元気に頑張ろうと思うのだ。


つづく。


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>>「匿名メールフォーム」へのレス

・若いときって、その「人生の頑張りどき」が密集している気がします。
 実はそれが個人に与えられたチャンスなんじゃないかと。
 そのチャンスをいくつ乗り越えるかが、
 その後の人生を大きく左右する気がします。

・そう、弱さを見せることって大事ですよね。
 弱さを隠している間は、自分もその弱さから逃げているというか。

2007年08月19日(日)  出かける日 お約束の 風邪をひく


家族3人でこの週末、相模湖ピクニックランドに1泊2日で行ってきた。泊まったのはログキャビンという4人用の小さな(粗末な)ログハウスのようなところ。大自然の中で、うるさすぎるほどの虫の音を聞きながら非日常を味わってきた。夜は本格的な花火まであって盛り上がった。まなティも大興奮で夜はなかなか寝ずに10時まではしゃいでいた。

まなティは昨日の出かける朝から鼻を垂らし始めて、昨日は結構寒い中プールに入ったので、今日は少し熱っぽかった。風邪ひきは何ヶ月ぶりか。今日も少し遊んで帰ってくる予定だったが、朝食を食べて早々に家路に着いた。家に着いたのは朝の10時半。早っ! というか、相模湖近っ!

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まなティの言葉にまた一段と磨きがかかってきた。「ぱぱ くつ ぬぐ」とか、「おっぱい ばっかり のんでる」とか、「すいか たね だす ペッペッ」とか、「タス(パスカリーナのこと) しっぽ ある ママ ない」とか少し複雑なことを言い出した。

さらに、「にゃんたん エーンエーン ないてる」と言ったりしたときに、「なんで泣いてるの?」と聞くと、「ママ いない」「そっかぁ、じゃあなぐさめてあげたら?」「いいこいいこ にこー(元気になった)」なんてやり取りが完全に成立するようになったのだ。なんかすごい。どんどんヒトに進化する。

今日なんて「ちびまるこ」を見ながら「まるこ でんしゃ のってる」みたいなことを言っていて耳を疑った。誰もあれが「まるこ」なんて教えてないのに、いつも見ているからなんとなくストーリーから覚えたのか。おそるべし、子供。

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関係ないが、人としてダメなのは、「嘘つき」と「怠け者」だと思っているんだが、最近思うのは、「怠け者」には「嘘つき」が多いということ。自分が怠けているのを人に知られないように嘘をつくのだ。そして、その嘘がバレないようにまた嘘をつく。

何か人生で大事な目標を決めたとして、それに向かって今すべきことを自分を律してやっていくことのできない人間のなんと多いことか。それなら目標を立てなければいいのにと思うが、それが人間の弱いトコロだよと体のいいことを言って逃げたりする。その場からも、そして自分自身からも。逃げ癖はついたら仕舞いだ。

思うに、頑張れる大人になるには、子供のときに何かに全力で打ち込んで何かを達成したという経験が大事だろう。その経験がその後の頑張りのバロメーターになるんじゃないかと。「まだまだやれるはず」と思える基準になる。


つづく。


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2007年08月09日(木)  夜明け前 悪魔の足音 忍び寄り


ご無沙汰です。なんかもう、暑いわ、眠いわ、忙しいわ、でテンテコマイな日々ですわ。

夏期講習が大変なのは毎度のことなんだけど、それに大打撃を与えているのは、まなティの起床時間なのだ。最近は5時きっかり、ヘタすりゃ4時台に起きやがるんですわ。しかも、朝からハイテンションで、「ママ! あさ! おっき! あーぼー(遊ぼう)!」とか言いながら、私の頭をグイグイ持ち上げようとする(頭が持ち上がれば起きると思っている)。

私もそして相方も、今仕事がすんごく忙しい時期で、夜もそんなに早くに寝ることができないから、ホント、崩壊寸前。強靭な相方ですら、無口になっている。それを盛り上げようと、ナチュラルハイになっている私はしゃべり続ける。もうね、なにかの修行ですか、これは。

毎朝毎朝「殺す気か!」と思うが、決してウザいなどと思わないから、我が子って不思議な存在。というか、私もどこまで寛大な人間になったんだ。とりあえず、いつもは20時就寝のまなティを、今日は21時就寝にしてみた。さて、明日は何時まで寝ていてくれるか。

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先週、まなティを連れて初めてのプールに行ってきた。私も10年ぶりくらいな気がする。オーストラリアではビーチの目の前に住んでいたのに、なんと、水着を持っていなかった私なのだ(裸で泳ぐという意味ではない)。子供ができるということは、自分の範疇外のことにも手を出さないといけないということなのである。

そして、あんなにオーストラリアで焼けないように気を遣っていたのに、何を勘違いしたか、たった1日のプールで黒こげ。特に肩が真っ赤で痛い。今日、水泡がつぶれてうすーく皮がむけ始めた。水泡って…。どんだけ焼いてるんだ。油断しすぎ。いったいいくつだと思っているのか。

世の中にはラッシュガード(水着素材のTシャツのような物。着たままプールや海に入れる)というものが存在することを知ったので、さっそく買おうと思う。家族全員分。相方も真っ赤なのだ。まなティがなぜか一番大丈夫だった。

まなティは初プールに痛く感動して、ことあるごとに、「プール、いく!」だ。この夏、あと何回プールや海に行くことになるのか……。沖縄もあるしね。


つづく。


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2007年08月02日(木)  イヤイヤは 気持ちの向きを 変えるから


梅雨明けしたのか?

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まなティの自我の発達に人間の本性のようなものを見る日々。

まなティは今もなおイヤイヤ期真っ只中なのだが、どんなときに「イヤイヤ」と言っているのかよくよく観察してみたら、自分の気持ちの向きをたとえほんの少しでも変えられそうになったとき、のようだ。うまく説明できないけど。


典型的なのが、遊びに気持ちが向いているときにご飯とかお風呂とか歯磨きとか言われると「キーーーッ」だ。まあ、これは当然のことだろうが、面白いのは、その誘いがたとえ普段嬉しいことでも、なのだ。

例えば、テーブルの上の触ってほしくないものを取ってくれと言っているときに、「ブドウ(まなティの大好物のレーズン)食べる?」と聞いたりすると、「気をそらそうとしている」と感じて「キーーーッ」と怒る。だから、こういうときは面倒でも、テーブルの上のものを見せる→大事なものだから触ってほしくないと言う→納得したか確認する→ブドウを食べるか聞く、という順を追わなければいけない。そうしないと余計にテーブルの上のものに固執してこじれる。

なにか大人の目論見があるときだけじゃない。例えば、食事中にまなティが麺をスプーンで食べようと四苦八苦しているときに、「フォーク使う?」と言うのもダメなのだ。スプーンに気持ちが向いているので、たとえフォークの方が楽でも、「気持ちの向きを変えようとしている」、ということがバツなのだ。これだって、さっさとご飯を食べて欲しいという大人の無意識の目論見なのかもしれん。それをまなティは見抜いているのだ。

しかたがないので、フォークを目の前に置いておいて自分で気づくまで放っておくか、やんわりと「フォークもあるよ」と言ってみるか(これはダメな場合が多い)、フォークがしゃべっているようにおどけて「ねぇねぇ、ボクを使ってよ!」などと言ってみる。まあ、放っておくのが一番無難なんだけど。失敗すると意地でもスプーンを使い続けたりするので注意なのだ。

逆に、イヤな誘いでも、まなティ自身もそろそろしようと思っていた場合は受け入れてくれる。そろそろお風呂の時間だなとか、次は歯磨きだな、とか気づいている場合は大丈夫だ。なので、食事しながら「ご飯食べたらお風呂だね」とか、「お風呂の後はシャカシャカ歯磨きだよ」と前もって言っておくとよい場合が多い。心の準備をさせておく感じか。

言葉が不完全だからか、大人の心を読むのに長けていて、もうごまかしは一切通用しない。いつもうちの父が遊びにくると帰らないでと泣くので、父が「お風呂に入っている間に帰るね」とか私にこっそり言っても、雰囲気で察知するのかはたまた地獄耳で言葉を理解しているのか、「イヤイヤ!イヤイヤ!じいちゃん、おうち!」と言って泣き出したりする。もう、泣いてもいいからなんでもかんでも納得させることが第一なのだ。


最近の若者がすぐにキレるのは言語力が劣っているから、という説がある。自分の気持ちを言葉できちんと説明できないので、相手に理解してもらえず、短絡的にキレるというわけだ。幼児がまさにこれである。

まなティも、心はどんどん発達して複雑になり、自我が芽生えているのに、言語の発達はいつもそれよりも遅いので、気持ちを伝えようとしても伝わらないもどかしさでイライラしているように見える。私が落ち着いて理解しようとすれば、伝わらなかったときでもさほど怒ったりしないが、忙しくてそれができないとまなティのイライラは絶頂に達する。

どうも自分ではイライラしていることに気づいてないようなので、「まなティ、キーキー言わなくても大丈夫だよ。落ち着いて何が欲しいか言ってみて」というと、初めて自分がイライラしていたことに気づくのか、我に返って照れたような笑いを浮かべたりする。気づかせてやることも大事みたいだ。


最近はこのイライライヤイヤ期に加えて、コワイコワイ病なので大変だ。「コワイコワイ」と言って私にしがみつくので、「何が怖いの?」と聞くと、「バケ(おばけ)」という。そういう目に見えないものを想像して、怖いと感じるようになったか、とちょっと嬉しく思ったりもする。が、四六時中しがみついているので、大変なのだ。お風呂では排水溝が怖くて抱っこ抱っこというので、ろくに体を洗えやしない。


それもこれも、まなティが発達している証拠であり、かわいくてしかたがないから、いいんだが。


つづく。


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