2005年01月30日(日) 締め切りの 前夜はいつも こんなです
今日も今日とてミスタードーナツ。3回目。まだ飽きない。
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着替えてる最中に,父親が私に用事があって部屋のドアを開けた。うろたえる父。動じず着替え続ける私。もう少女ではないのを確信した瞬間(当たり前か)。
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明日は原稿の締め切り日。今回はうまくペース配分できていると思ったのに,やっぱり前日に異様な負荷がかかっている。只今夜の12時。これから10時間くらいでどうにかする予定。さて,これから朝まで気晴らしがてら,ここに実況中継します。
午前0時0分 仕事スタート。
午前3時5分 変なエラーメッセージが出て強制終了。
ちきしょー。このパソコン最悪。
こまめにセーブしておいてよかった。
午前3時35分 集中力が途切れた。10分くらいボーっとしよう。
午前3時55分 げっ,本を読んでたらこんなに時間が経ってた。
仕事再開。
午前4時15分 ひと段落。只今4合目あたり。
午前6時35分 只今6合目あたり。
そろそろ睡魔が…。頭が働かねー。
ちょっと休憩しよう。うーん,10分くらいかな。
午前6時45分 復活(たぶん)。外が明るくなってきた。
午前7時30分 うっかり寝てた。
午前9時0分 またもやうっかり寝てた。もう完全に目が覚めたぞ。
ちょっと眠れてスッキリ。
午前11時50分 タイムアップ。
とりあえず提出して,残り(あとちょっと)は明日にしてもらおう。
相変わらずツメの甘い私。
ということで,塾に行くまで少し寝ます。2時間くらいは眠れるかな。
つづく。
2005年01月29日(土) そこのきみ 得してるじゃない いいじゃない
今日も今日とて黙々と仕事。
仕事の合間にミスドに行って小一時間ほど本を読んだ。最近の私のお気に入り,ミスド(まだ2回目だけど)。初めてポン・デ・リングなるものを食べた。なんとも言えない触感でウマイ。デンプンっぽい触感。しかし,ミスドは無認可の酸化防止剤を使い続けていたという信用できない過去があるので,ハマルのはよそう。
スタバに通っていた私だが,飽きてきた。モスも然り。好きだと思っていたものも意外にあっけなく飽きるときがくる。大好きだったけど最近飽きたもの。インスタント玄米スープ,ウニ,レモンティー。毎日狂ったように飲み食いしていたのに,今は見向きもしなくなった。そのうち再燃するでしょう。
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昨日の日記に,「美とする生き方」ということを書いたのだけど,そのことを今日も少し。
自分が美とする生き方(ポリシー?)を明確にもって,さらにそれを貫いている人,または貫こうと苦闘している人が好きだ。それがどんなものであれ,美とする生き方がはっきりしている人というのは,言動や行動が常に首尾一貫していて,潔いと思う。見ていてすがすがしい。
そういう人は,確立した芯のようなものが一本通っているので,世間一般の意見に左右されず,独自の色を醸し出していて,一見変わり者に見えるが,内実,考えていることと行動に齟齬がないので,付き合いやすかったりする。
そういう人を見ていて潔いなぁと思うのは,自分の生き方を貫くことによって生じる摩擦や問題を受け入れる覚悟ができているところ。例えば,自然の中で暮らすと決めたら,仕事がなくて貧乏を強いられることになるけど,そんなことを物ともしないとか。世間から非難を受けることを承知の上で何か発表するとか。
そういう人の口からは,主張は出てきても,不平は決して出てこないのがとてもステキだ。
不平というのは,考えていることと自分の行動にズレが生じたときに出てくると思う。本当は,人は自分の得となるような行動しかしないはずなのに,そんなことは棚に上げて不平を言う。
例えば,上司のやり方が気に入らないけど言えないという状況で,「言わない」ということで得をしているはずなのに,そのことは忘れて,自分の思い通りじゃないということに焦点を当てて不平を言ってしまう。
この場合,「言わない」ことが納得いかないのならリスクを承知で上司に言えばいいし,「言わない」と決めたのならその得を享受すればいいだけだ。「言わない」ことで自分を守ったのだから,文句だけ言うのは違うだろう。それはものすごくカッコ悪い。
仕事も同じだ。好きな仕事しかしたくないならその道を貫けばいいし,好きな仕事をしないなら,やってる仕事を黙々とこなせばいい。
「自分がやってるすべての行動は自分にとって何らかの得になっている」ということを頭に叩き込んでおけば,自分の行動に責任がもてるので,不平も減る。
それでもやっぱり澱のようなものが溜まってくることがある。そういうときは,ドバッと吐き出してスッキリするのがいい。肝心なのは,絶対に最後にスッキリすること。スッキリしない愚痴はただのネガティブオーラで,聞く側を疲弊させるので,いけない。相手がドバッと吐き出してスッキリすれば,聞く側にストレスを与えないと思う。
さてさて,仕事に戻らねば。もうすぐ2月だ。
つづく。
2005年01月28日(金) 恋をしない 女の相手の 選び方
私が気落ちしていると家で言いふらしていたら,いつの間にか伝染したらしくいつも気丈な母が「気持ちが下降気味だ」と言い出した。ネガティブオーラというのは,やっぱり外に出してはいけない。自分のところだけでせき止めておかないと,周りに悪影響を及ぼす。今後気をつけよう。
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私は異性に恋心を抱きにくいタイプだと思う。恋少なき女だ。よって,色気もないし,色目も使わないし,上目遣いもできないし,猫なで声も出せないし,とりあえずつないでおくこともできないし,気の利いたお世辞も言えない。
よく女が言う「恋したーい」という気持ちが私にはない。人に合わせるのが苦手なので,無理してまでちょっと理想とズレている相手と付き合うくらいなら,ひとりでいた方がいいと思う。
そんな滅多に恋をしない私が恋をするときというのは,よっぽどの相手を見つけたときなのだが,これまた絶世の美男子でもなければ,高収入でもなければ,スポーツマンでもない。よくぞ見つけた!というかなりかなーりマニアックな発掘品なのである。
私が好きになってしまう相手というのは,断然尊敬できる人間性の人だ。尊敬できるというのは,つまり,私が美とする生き方を私よりも貫いていて,さらに私よりも一歩先を行ってる人である。私はだいぶ辛口なので,これがなかなかいないのだ。
さらに,上手く説明できないが,私自身の正のエネルギーと相手の正のエネルギーが同調して,ぐわっと倍増してしまうような相手であることも重要。人は誰でも負と正のエネルギーを合わせ持っていると思うのだが,これは相手によって作用のしかたが変わると思う。反りが合わない人と一緒にいると,人生は悪い方へ悪い方へ流れてしまう。
そして,お互いにとってお互いが空気のような存在であること。そのためには,常に素の自分でいることが大事だと思う。そうすれば,意地の悪さとか,行儀の悪さをどれだけさらけ出しても,ピクリとも動じないで愛してくれる人が見つかる。これがまさに家族というものではないかと思うのだ。
そんなこんなな私が出会った相方は,私にとって天下一品である。日記にもよく書くが,私は相方を尊敬してやまない。ここにこんなことを恥ずかしげもなく書いちゃうほど尊敬している。もちろん欠点もいくらかあるが,そんな欠点なんてどうでもよくなるほど尊敬できる人間性の持ち主だ(と言いつつも,喧嘩はするが)。私の相方への思いは「恋」ではなく,「あこがれ」に近いと思う。
私はずっと結婚しないだろうと家族中に言われ続けていたくらいで,相方と出会っていなければ結婚とは無縁の生活をしていただろうと思う。
そんな相方と偶然出会えた己の人生に感謝。
と,今日は相方のことをこんなに書いたのは,日付変わって29日が相方の誕生日だから。相方よ,いつもありがと。
つづく。
2005年01月26日(水) 不安感 拭い去れずに ドーナツを
靴下を履いて寝ると暖かいということに,29歳にして初めて気づきました。
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近くにミスドができたので,行ってみることにする。考えたら8年ぶりくらいだった(たぶん)。閉店1時間前だったので,ドーナツの種類が5種類くらいしかなくてがっかり。とりあえず,エンゼルフレンチととうふドーナツ金ごまを食べた。それなりに旨かった。コーヒーのお代わりをして,本と雑誌を読みながら閉店までいた。リラックス。
昨日は相変わらず落ち込み気味だったので,夜仕事から帰ってから相方に電話した。前にもここに書いたけど,相方は女の扱いに長けている。寝ていたところを起こしてしまったのに,私の愚痴や悩みをウマイこと引き出してくれて,30分ほどで私をスッキリさせてしまった。
相方が私の不安の原因を「どうしてそう思うの?」と根掘り葉掘り聞いてくるので,私も「だってね〜」「だってね〜」と答えながら自分を探っていくうちに,己の不安がとんでもないところから発していることにはたと気がついたりする。(相方は私の自然治癒力(?)を引き出す天才だ)
私の不安は常に仕事のことである。私の場合,仕事が私のアイデンティティの深いレベルにまで食い込んできているので,大げさに聞こえるかもしれないが,仕事が衰退していくことは私自身のアイデンティティが崩れていくことを意味するのである。私から今の仕事を取り去ってしまったら,私にはもう何も残らない。
その仕事が将来どうなっていくのか,このままではいけないのではないかという漠然とした不安が,周期的に私を襲う。そして,自分の描く夢は私の能力では到底実現不可能なのではないかという暗澹たる思いにさいなまれる。私は高望みしすぎているのではないか,と。
不安の原因というものは,口に出すと意外にチッポケでクダラナイものだ。そのチッポケなきっかけを核として,自ら大きな不安を作り上げているだけなのだ。幻の雪だるまみたいに。なんでそんな無意味なことを自らしてしまうのだろう。
自分の夢に向かってまい進している人を雑誌やテレビで見るたびに,自分と彼らとの違いはなんだろうと考える。どうも,私が一番懸念している「能力」というところではないように思う。
夢に向かってまい進できる人は,まず自分というものをよく知っている。過大評価や過小評価することなく,ありのままの自分を受けとめることができていると思う。その結果,自分を信じることができるのではないかと。この自分を信じられるか否かが運命を分けると思うのだ。自分を信じられなくなったら,どうしても他人の無責任な意見に左右されてしまうから。
自分を信じるためにはどうしたらいいのか,とさらに突き詰めて考えてみる。これは前回書いた,基礎体力の有無じゃないかと思う。信じられるほどの体力(体と精神の)をつければ,おのずと「私はできる」という自分への信頼も高まっていくのではないかと。
やっぱり基礎体力をコツコツとつけるしかないみたいだ。
私が周期的に不安になるのは,私が思う自分の基礎体力と,実際に私が持っている基礎体力の差を感じたときだ。つまり自分をいつの間にか見失っているとき。そういうとき,途端に自分はダメだという思いが襲ってきて前に進めなくなる。そして,しばらく立ち止まって,自分に足りないものは何かと考える。
こうやって落ち込むことで,理想の私と現実の私が足並みをそろえているのかもしれない。暴走する自分をスピードダウンさせているのだ。不安感だって存在する意味があるはずで,しかもそれは肯定的なものなのだ,きっと。
つづく。
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>>「匿名メールフォーム」へのレス
・昨日はレスするのすっかり忘れていました,すみません!
結局風邪でした。
また,風邪引かない歴,最初からやり直しです(涙)。
でも,おかげでなんだかスッキリしました。
気持ちの方の毒も出たみたいだし。
2005年01月24日(月) 揺ぎ無い 人生夢見て 体力を
やっぱり風邪を引いてしまった。金・土・日と寝込んで今日から仕事に復活。熱は思ったほど出なかったみたいだけど,久しぶりの苦しさに,気分まで鬱々としてしまったよ。
そう,やっぱセントジョーンズワート再開しようかなと思ってしまうほど,気が滅入っていた。今もすこぉーし滅入り気味。なんというか,これから先の未来が心なしかドンヨリ暗く見える。
前向きな考え方をあれこれ模索するのが私の趣味みたいなもんだけど,脳に気が晴れる分泌物(ドーパミン?)が出ないときは,もう何をどう考えてもダメ,ホントに。
あー,鬱っつーのは,考え方次第でもなんでもなくて,単なる身体の不具合なんだわと確信。胃液が多めに出ちゃう人もいれば,消化酵素が出にくい人もいるし,脳の分泌物が足りない人もいるというわけ。花粉症の人に「そんなの気のせいだよ!」なんて言わないように,沈んでる人に「そんなの気持ちの持ち方次第だよ!」なーんて言っても意味ナイわな。
でも,セントジョーンズワートに頼らずもう少し様子を見ようと思う。確か,かのサプリメントは,妊婦と子供は飲んじゃダメなやつで,私も妊娠希望ならそろそろやめておくべきかもしれないし。
身体が健康なら,あちこちの不具合もなくなるだろう。やっぱり健全な精神は健全な身体に宿る,は正しいと思う。
滅入りついでに,日ごろは全く興味のない占いサイトなどを巡ってみた。星占い,手相占い,タロット占い,姓名判断など興味深く眺める。どれもこれも当たっているようで当たっていないようで,かなりビミョーだ。
中でも笑ったのが姓名判断。旧姓での運勢はバツグン。だけど,これは親が姓名判断も考慮に入れて名づけているので当たり前だ。問題は,結婚後の名前。「大凶。孤独によりノイローゼになります」と。なんじゃこりゃ。もうこれはやっぱり,私は旧姓で生きていくしかないのだと,確信しやした。
そんなこんなで,己の人生について,またもやじっくり考え込んでおったわけだが,私に明らかに足りないものは,基礎体力だろう,と。そのまんま身体の体力もそうだし,比喩的な意味での人生の体力も然り。
私はどうも,浮き沈みが激しすぎる。前進するときは自分でも制御が利かないほどに突き進んでいくが,ダメなときはテコでも動かない。というか疲弊しすぎて動けない。相方のように,日々淡々と一歩ずつ駒を進めていくということができない。
それはやっぱり基礎体力が不足しているからだろう。身体もすぐに疲れてしまうし,能力もすぐに枯渇する。それを潜在的に知っていて,体力があるときは行き急いでしまうのかもしれん。
うーん,このままでいいのか自分。
今年の抱負は「勉強の年にする」なのだが,本当にここらで地盤を固めていかないと,押しも押されもせぬ人生には,いつまでたってもなれやしない。私のありとあらゆる不安は,やはり自分自身が揺るぎ有る者だからだろう。ユルユルだ。
だからこそ,相方という揺ぎ無いタイプの人間を自然と人生のパートナーに選んだのだろうが,でもやっぱり他力本願ではなく,自分自身が揺ぎ無い人間にならない限り,一生不安の種は尽きないだろうと思う。(さりとて,自分の足だけで立つ気はサラサラないが。私は生涯相方を心の拠り所とするだろう)
勉強しよう。とりあえず今の分野で何か形になるまで勉強しよう。コツコツと。淡々と。また別の大学院に行くことも考慮に入れつつ。
まだ29歳ではないか。揺るぎ有って当たり前だ。
つづく。
2005年01月21日(金) 風邪かもよ 引かない歴は ストップか
どうやら,本格的に風邪を引き始めているようだ。ノドが痛かっただけなのに,この夜からとうとう熱っぽさまで出てきた。2年4ヶ月の風邪引かない歴更新の夢がついに潰えるときがきたか。無念。
ただ,私は扁桃腺がよくなくて「風邪=40℃」なので,高熱さえ出なければ風邪菌が身体の中に侵入していないと思っている。よって,まだ今のところはセーフだ。(負けず嫌いなもんで)
休んでいる場合ではないのに……。とりあえず,今日はもう寝ます。
つづく。
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>>「匿名メールフォーム」へのレス
・彼女の本は『つれづれノート」しか読んだことなかったのですが,
あれこれ読んでみようかと思っています。
2005年01月20日(木) 選択肢 天下分け目の 作り方
今日は夜,私の担当の編集者さんを統括しているリーダーのKさんと2人で飲みに行った。今の仕事の話やら,受験英語の話やら,ビジネスの話なんかをして,かなり有意義な時間を過ごさせてもらった。やっぱり,社会に出て長く生きている人の話というのは,私の見えない視点をたくさん持っていて,話に奥行きがあって面白い。私がこれからどっちの方に向かって行けばいいのかも提案してもらったので,少し私なりに動いてみようと思う。
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生徒を見ていて常々感じていることなんだが,人生を謳歌する人とそうでない人の根本的な差は,選択肢の作り方にあると思う。
例えば,いつもより多めの宿題を出したとき,Aくんの選択肢は,
1.夜更かししてやる
2.学校の授業中にやる
3.電車の中でやる
だとしよう。一方Bちゃんは,
1.夜更かししてやる
2.半分だけやる
3.3分の1だけやる
なのである。つまり,Aくんが「すべてやる」ということを前提に選択肢を作っているのに対して,Bちゃんの選択肢には「やらない」ことが前提となったものも存在するのだ。(Bちゃんの特徴として顕著なのは,やってこなかったことを注意すると,ヘラヘラ頭をかくようなしぐさをすることである。この笑いは明らかなる「逃げ」である)
そんなこんなで数ヶ月経ち,半年経ち,AくんとBちゃんのスタート地点は同じだったにもかかわらず,今では2人の学力には大きな大きな差がついてしまっている。これは人生でも同じではないかと。
人間は楽な選択肢に流れやすい。例えば,「明日は7時に家を出よう。でも,本当は7時半に出れば間に合うんだが。まぁ,最悪8時には出よう」と思っていたら,結局家を出るのは8時,というように。
そして,楽な選択肢は,作りだしたらいつでも作らずにはいられなくなるということ。そう,癖になるのである。そのうち,楽な選択肢一色になっていたりして。
大きな人生設計の中の日々の小さな小さな選択肢たちを甘く設定していけば,塵も積もればで,10年後20年後に「こんなはずでは」と落胆する日がくるのは目に見えている。
たった数ヶ月やそこいらで,あれだけ差のついたAくんの天国とBちゃんの地獄を目の当たりにして,私自身,日々引き締めていかないと,と思う今日この頃なのである。
つづく。
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>>「匿名メールフォーム」へのレス
・あれは,全体を通してあのような人生論を書いた本ではなく,
作家の日記に登場したほんの一部なんです。
それでもよければ読んでみてください。
銀色夏生の『つれづれノート��』だったと思います。
2005年01月19日(水) ヤク卒業 気分の起伏 オサラバか
相方,新しい会社に初出社。好感触だったらしい。さてさて,これからどうなるのでしょう。
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昨日,一昨日と久しぶりに理由もなく気が滅入ると思ったら,今朝起きたらノドが痛くて,そういうことだったのかと納得。身体は正直。本格的な風邪にならないように,プロポリスとキウイ(ビタミンC)を幾度となく摂取中。
ところで,私はもう2年近く,セントジョーンズワートというサプリメントを飲んでいたのだが,これは鬱に効くと言われている草の粉なのである。
私はちょうど4年前の今頃,「うつ病」と診断されて会社を辞めていて,その後半年くらい誰とも口を利かず実家に篭っていた。俗に言う引き篭もりである。退職後1年で復活し半ば日本から逃げるような形でオーストラリアに渡ったのだが,心の傷はそう簡単には癒えるわけもなく,理由もなく気が滅入ってどうしようもない,という状態を繰り返していた。
そこで出合ったのが,セントジョーンズワート。「草」の粉で,サプリメントというのが,薬嫌いの私の心をくすぐり,飛びつくようにして飲み始めたのだが,これが効いているのかどうなのかよくわからない。薬品じゃないのでしかたない,と思いながらも2年間気長に飲み続けていたのだが,今思えば気がつかないほどのスローテンポで効いていたのだろうと思う。
相方の存在,さらには自己流イメージトレーニングも手伝って,今はご存知の通りかなりの前向きちゃんである。気が滅入るということもほとんどなくなった。というか,バイオリズムが恐ろしく安定したと思う。気分のムラがほとんどない。
ということで,2004年いっぱいでセントジョーンズワートをやめてみている。昨日・一昨日とちょっと滅入っていたので,「やはり,ヤクなしではダメか」と思い始めていたところに,ノドの痛みがきたので,少し安心した。今は気分も元に戻った。
思えば,あのどん底の真っ暗闇で何の希望もなかった4年前から考えると,驚くほどの転身ぶりだ。家族もまさか今みたいに明るくなる日が戻ってくるとは思わなかったと言う。だって,雨戸さえも開けるのが怖かったのだ。そりゃ,家族なら心配するだろう。
人生捨てたもんじゃないなぁと思う。生きててよかった,と。
つづく。
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>>「匿名メールフォーム」へのレス
・「ジュンク堂書店」は,名前は聞いたことあるけど,
うちの近くにはないなぁ。
オーストラリアの大きめの本屋は,
まさにそんな感じで,カフェが隣接していて,
買ってない本でもなんでもそこに持ち込んで
読んでいいというシステムになってる。
うち(日本)の近くにもそんな本屋があったらサイコーなんだが。
2005年01月16日(日) 悪人は バチがあたると 言うけれど
昨日の日記の最後に,
『人は自分に負になるものをあえてしてしまうことがあるけど,これを自覚してコントロールできれば,生きて行くのがうんと楽になると思う』
と書いたけど,これは要するに『煩悩』というのだと後で気づいた。
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最近ニセ1万円札の被害が多い。特に神社などで。先日ニュースを見ていると,神社の神主のような人が出てきて,「神様の前でニセ札を使うなんてきっとバチがあたります」と言っていた。
この「バチ」,そんなものはないと常々思う。なのに,人は悪いことをした人に「バチ」があたると信じているというか,信じようとしていると思う。
『悪』なんて主観でしかない。私にとっての『悪』は,他人にとっては『悪』じゃないかもしれない。今日の『悪』が明日は『善』ということもある。「アイツはいつかバチがあたる」と思うこと自体は『悪』にはならないのか,とも思う。
要は,「バチがあたる」と思えば,気持ちに整理がついて楽になれるからそう思うのだろう。自分がやってる苦労を誰かが怠っているとき,「いつかバチがあたる」と思えば,己の日ごろの苦労に説明がつく。
そういう人間の感情が,勧善懲悪のディズニー映画のようなものを生むのだろう。『善』が『悪』を痛快に倒すザマを見て,英雄に自らの『善』を重ね合わせてスッキリ,みたいな。
だけど,こんな気持ちの整理の仕方はカッコ悪いなーと思うのだ。そんな,人の不幸の上に成り立っているようなモロイ幸せを追い求めていていいのか,と。そんなユルユルの地盤に幸せを築くよりも,さっさとそのクダラナイ呪縛から逃れてもっと堅固な土地に引っ越す方がいい。
そのためには,日ごろしている苦労を苦しいと感じるならやめて,やめられないなら苦しいと思わないようにする,それが大事だと思う。すべては自分で選んだ,または引き寄せた道だと思えば,苦しいことなんてなくなる。
人は自らが勝手に創造した幻の「しがらみ」に絡み付いて,人生を複雑なものに仕立て上げているだけで,本当はもっともっとシンプルに暮らせると思う。
つづく。
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今日もお休みにした。母が相方のために洋服を買いたいと言うので,一緒に買い物に行った。日曜の夜でも開いている郵便局に行って,さっそくEMSで送った。母は相方がどうしようもないほど大好きだ。
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>>「匿名メールフォーム」へのレス
・なんで人は冷静に考えればわかることを,
わからない瞬間があるのでしょうねぇ。
私も昔からそんな感情に悩まされてきました。
幸せになろうキャンペーン参加,大歓迎っ。
2005年01月15日(土) 予定とは 幸せのために 立てるんです
ちょっとご無沙汰。仕事がちっとばかり立て込んでいました。今日センター(英語)が終わり,怒涛のセンター対策をもうしなくていいので,私の肩の荷が少し下りました。あとは大学へ向けてまい進するのみ。ということで今日はお休みで,ネットでセンター速報を見ながらのんびり過ごしました。
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本を読んでいると,いつの間にか上の空で字面だけを追い,まったく別のことを考えていることがよくある。考えの方に集中しようと本を閉じると,途端に思考も停止するので,しばらく字面を目で追い続ける。そうするとめちゃくちゃ考えの方に集中できる。単純作業時が考え事に向いているというのは納得だ。
んで,昨日本を読みながら上の空で考えたこと。それは,『機嫌を損ねるほど大事な予定なんてない』ということ。
例えば,先日,仕事の帰りにある本を買おうと思って本屋に行ったんだけど,売り切れていた。もう一件行ってみたけど,そこにも見当たらない。でも,前の日からその本を買おうと意気込んでいたので,どうしても欲しくて,駅向こうのちょっと遠い大きな本屋まで行こうと思った。だけど,その日は疲れていて,身体は早く家に帰りたがっていたのだ。
それでも,「その本がどうしても今日欲しい」という欲求が勝って,のろのろとその本屋に向かった。やっとのことでたどり着いたにもかかわらず,その本屋にも私の求める本はなかったのである。
ガックリだ。なんだか一気に疲れが増したような気がした。予定していたことがうまく運ばず,イラッとした。
でも,後で冷静によく考えてみると,まだ読む本はたくさんあるし,何よりもその夜は帰ってからも仕事が立て込んでいたので,本なんぞ読む暇がなかったのである。なんであんなに「今日」あの本が欲しかったのか,謎だ。身体にムチ打ってまで,機嫌を悪くしてまで,あの本を何が何でも「今日」欲しいと,なぜ思ったのだろう。
日常の「こうしたい」という軽い気持ち(例えば「今日はラーメンが食べたい」とか「7時の回の映画を見よう」とか)は,人として普通の感情だけど,いざそれが実現しないかもしれない状況になった時に,それでも「したい!したい!」と言い張ったり,機嫌が悪くなってしまったり,実行の障害になる相手を責めたりするようなことがあったら,それはもう,単なる一時の思い込みではないかと。「執着」と言ってもいい。
冷静になってよくよく考えてみれば,「ラーメンじゃなくて,パスタでもいいじゃん」「映画は明日でいいや」と思えるものである。なのに,その場で腹が立ったりイライラしてしまうのは,逃げていくものをつい追いかけてしまう犬のようなもので,その獲物を本当に得たいかという冷静な判断はすでにできない状態なのである。
私は予定がうまくいかないとイライラするたちだ。週末に相方とどっか行く予定を立てていたのに,突然仕事が入って中止になったりすると,イラッとくる。だけどこれは,10の幸せな気分を味わうために予定を立てて,中止になったらその10が得られなかっただけの0地点にいればいいものを,マイナス10地点まで自分で下りていっているようなものだ。
うーむ,うまく説明できているかわからないが,人は誰しも幸せになるために予定を立てるわけで,それが不機嫌の原因になったら意味がないということ。
予定なんて案外どうにでもなる,ということに遅蒔きながら最近気づいた。どうにでもなるのだから,イチイチ不機嫌になるのはやめにしようと。それよりも,さっさと気持ちを切り替えて,流れに身をまかせ,機嫌よく代案を考えた方が100倍マシである。
人は自分に負になるものをあえてしてしまうことがあるけど,これを自覚してコントロールできれば,生きて行くのがうんと楽になると思う。
つづく。
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前回風邪の話を日記に書いたら,タイムリーにもそのころ相方が風邪を引いていたらしい。ここ10年で一番苦しかったと。そばにいて上げられなくて,スマヌ。
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>>「匿名メールフォーム」へのレス
・明けましておめでとうございます。
今年もよろしくどうぞ。
沖縄日記,いーなーと指をくわえて毎日読んでおります。
暖かかったですか。もう寒いのにはウンザリ。
お互いがんばるんばでいきましょー。
2005年01月10日(月) 風邪菌の 中で仕事を していても
あー,なんかゾクゾクするっす。塾で誰かしら必ず目の前でゴホゴホ,ズルズルやっていて,菌を毎日浴びているので,いつ移されてもおかしくない。風邪を引いている暇はないので,とりあえずプロポリスしよう。
実は,かれこれ2年4ヶ月も風邪を引いていない。腹痛とか不眠はあるけど,風邪とか口内炎にさっぱり悩まされなくなった。免疫力が上がっているのだろう。食べ物って本当に大事だ。母の風邪引いてない歴15年には足元にも及ばないけど,このままどこまでも更新し続けよう。
つづく。
2005年01月09日(日) 頼られて かわいいマジメな 高校生
今日はすごくいい夢を見た。夢を終わりにしたくなくて,目が覚めかけているのに何度も夢に戻ろうとしていて,本当は早く起きて仕事をしなくちゃいけないのに,いつまでも布団から出られなかった。
思うに,この世に悪い夢とかどうでもいい夢なんてなくて,眠るたびに素晴らしい夢が見られたら,みんな眠ってばかりいそうだ。仕事から大急ぎで帰って夕飯も食べずにベッドに入ったりして。そのうち現実に戻るのが面倒になってきて,何日も眠り続けたり。ある意味,狂気の世界だな。だけど,面白そう。
その世界では,映画とか本とか,売れなそう。娯楽が,成り立たなそう。
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センター試験まであと1週間になった。英語が得意な子も苦手な子もみんな必死。
今時の高校生…云々と言うけれど,そう言っている人は高校生とどれくらい触れ合っているのか。少なくともうちにきている高校生は,確かに見かけはいかにも今時の子って感じの生徒もいるけど,もれなくまじめでひたむきだ。悪ぶってる男の子も,実は照れ屋で不器用だったりして,笑うとかわいい。怒られるとシュンとしょげたりもする。
この歳になって思えば,大学入試なんて人生の一大事でもなんでもなかったけど,高校生にとっては死ぬか生きるの人生の分岐点らしい。私の仕事はこの子たちの心配を少しでも和らげてあげることなのだろうと思う。
そのために,私は常に強くゆるぎない心を持とう。
……と言いつつも,明後日締め切りの原稿が,またもや終わりそうになくてテンパっていることは,生徒にはナイショの方向で。
つづく。
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>>「匿名メールフォーム」へのレス
・明けましておめでとうございます。
本当に1年が経つのは早いですねぇ〜。
私も去年はいろんなことを学習しました。
今年もいろんなことを一緒に学習していきましょう。
今年もよろしくお願いします☆
2005年01月08日(土) 満足は 心の泉に 大嵐
マコ大時代の大嫌いだった先生に,面と向かって「あんた本当にムカツク」と言われる夢を見た。私は向かいの席でヘラヘラ笑いながらふんぞり返って,「あっそ」と暴言を吐いていた。私はどこまで行っても(夢の中まで)私なのだなぁと思うとおかしくて,起きてもしばらくニンマリしてしまった。
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火曜締め切りの原稿に追われながらも,途中上の空で「私の心を満たすもの」について考えてみた。
私は,だいたい25歳くらいまではものすごく好奇心旺盛で,あそこにもここにも行きたいし,あれもこれも食べたいし,考えうる限りの体験をしたかった。今の私を知る人には想像もつかないほどアクティブで,家にいることがもったいないと感じて家には寝に帰るだけだった(今はソフトひっきーだ)。
そのころは,何をやっても驚きや感動の連続で,自分が満たされているような錯覚に陥っていたけど,実のところ心を満たされていたかと言うと疑問である。「心が満たされる」というよりも,ただ「飽きない」と言った方がピッタリくるように思う。あれもこれも刺激があって,みんながイイと言うことは私にもイイんだと信じてやまなかった。
今はどうかと言うと,冷めている。何を見ても,何を聞いても,何をやっても,何を食べても,心の奥が冷めている。心の奥深くに何事にも波を立てない静かな泉のようなものがあって,昔は大波が立っていたようなことに,波紋さえも広がらなかったりする。外がどんなに大嵐でも,この心の奥の泉にはソヨリとも風が吹かない。
25歳あたりを境に,突然心の泉に波が立たなくなったので,どうしていいかわからず,力のやり場に困って毎日イライラしていた。毎日が面白くなかった。毎日100回くらいため息をついていた。つい最近まで。今思うと,あれが子供から大人への過渡期だったのかもしれないと思う。
今はと言うと,ある特定のものにだけ大波が立つようになった。何もかもに反応して大波を立てていたころとは違い,自分の心に波が立つことと,そうでないことの差がはっきりしてきた。自分がいったいどんなことで心の泉を騒がせることができるのかがわかっているので,無駄なく行動できる。世間がイイと言おうがなんだろうが,自分の食指が動かないものには一切反応しないで済む。流されずに済む。
今のところ,私の心に波を立てるのは,仕事,家族,金,健康しかない。正直,それ以外は立っても波紋止まりである。逆に,この4つのことにかかわっているときは,泉の底の水と表面の水が,瞬時にぐわーっと入れ替わるくらいの大波が立つ。それはそれはものすごいんである。心の中でぎゃーーーーーっと悲鳴をあげるくらい興奮するんである。これは25歳までに感じていた刺激以上の刺激である。
無闇やたらと中途半端な波を立て続けることではなく,静寂の中にくる大嵐,これこそ心を満たすものではないかと思う。だから,中途半端なことで自分をごまかさず,面白くない日常に自分を浸して心の泉に静寂を取り戻し,それから,自分はいったいどんなことで心の泉に大嵐がくるのかを,冷静に見守ることが大事なのだと思う。
つづく。
2005年01月07日(金) アドバイス 求めて放置 愚痴る人
家族が,とあるゴタゴタに巻き込まれている。年が明けて,このゴタゴタが加速度的に悪化しているようだ。正確には私は部外者なのでいい気なもんなのだが,このゴタゴタを傍から見ていて思ったことがある。それは,
あれこれ愚痴や不満をもらす人には,アドバイスはいらない
ということ。
自分の好きなことをやっていない人は愚痴が多い。そういう人は,自分の好きなことをやるための努力や犠牲を払うことを怠っているくせに,思い通りにならない人生を他人のせいにする傾向にあると思う。今目の前にある自分の生活は,ほかでもない自分がしてきた行いの結果なのに。
愚痴や不満が多い人は,結局は怠け者なのかもしれない。努力が面倒くさいみたいだ。だから,『私は不幸です』と書いてあるような悲壮感漂う顔をして「ちょっと聞いてよ」と始まり,「どうしたらいいと思う?」とアドバイスを求めるくせに,その肝心のアドバイスの中身を実行することは決してしない。面倒だし,リスクが多いから。
そして,手っ取り早い占いやまじないの類に走る傾向にあるように思う。自分からは何もせずに,魔法がかかったようにパッと人生がバラ色になると信じてやまない。
悩むことで神経を疲労させてる暇があったら,前向きな解決策を模索した方がましだと思うんだが,何かそうもいかない理由があるのだろう。あるなら論理的に説明してほしいが。
「どうしたらいい?」と聞かれ親身になってアドバイスをひねり出しても意味がないので,「私にはわかんないや」とかなんとか答えてその話を打ち切りにするに限る。
こういう人との会話は堂々巡りで不毛。しかも,自分の足で立たない依存的な人が多いので疲れる。私は自分のことだけでいっぱいいっぱいなので,正直かかわり合いたくない。このゴタゴタが私に関係のあることじゃなくて,本当によかったと思う(家族のことなので不謹慎だけど)。
あー,早く終息してくれないかな。家族が疲弊していくのは見るに耐えない。
つづく。
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>>「匿名メールフォーム」へのレス
・明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
上昇気流に乗れるかもと直感で感じるときって,
必ず上昇気流が吹いてきますよね。
やっぱりポジティブなことはイメージしたり口に出してなんぼです。
もちろん,たくさん匿名メール送ってください!
2005年01月06日(木) 明けました 今年はいったい どんな年?
明けましておめでとうございます。
ご無沙汰しておりました。12月31日から1月4日までなぜか我が家のネットが落ちてしまい,更新することができませんでした。そして,昨日,今日と1泊2日で友達のRちゃんと京都に行ってきました。たくさん歩いて疲れたけど,楽しかった。おいしいものをいっぱい食べて,あちこち見て周わり,北野天満宮で生徒の合格祈願をしてきました。大変満足。ありがとう,Rちゃん!
今年の正月特訓は,去年までは1日8時間だったところを6時間に短縮したので,いつもよりは苦もなくこなせ,さらに7日締め切りの仕事も着々と進めることができた。お正月も終わっちゃったし,京都に行って2日も休憩したので,明日からまた仕事に本腰入れていかないと,来週あたり地獄を見そうだ。
去年は充実したよい1年だった(悪いこともあったような気がするが,思い出せないのでよしとする)。何事にも自分のもてる力を出し切れたように思う。仕事も軌道に乗ってきた。2004年の抱負は『シドニーで自分の専門でお金をもらう』だったんだけど,どうやら達成することができたみたいだ。やっぱり抱負は公言してなんぼなのかもしれん。
今年もいろんな意味で仕事をさらに1歩も2歩も前に進めていきたい。そして,それと平行して勉強の年にもしたい。仕事のための勉強。今までやろうと思って後回しにしていた勉強や研究を少しでも形に残していって基盤を固め,さらなる仕事につなげていきたいと思う。そう,今年の抱負は『勉強をたくさんする!』にしよう。
それと,これは抱負ではないんだけど,そろそろ子供を作ってもいいなと思う。あれこれあって後回しになっているので,そのあれこれを整理して,そろそろ子供がほしいかも。こればっかりは,縁(?運?)なので,できるときはできるだろうし,できないときはできないのだろうから,自分の力ではどうにもならないのだが,少しずつ受け入れ態勢を整えて,「きてもいいよ」という信号を送ろうかと。
そんなこんなで,今年もみなさまにとってよい年でありますように。これからもボチボチ更新していきますので,気が向いたときにこっそり覗いてくださいませ。今年もよろしくお願いします。
つづく。
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