...ねね

 

 全てフィクションです

あとがき - 2002年10月14日(月)

読んで下さった方、長い間お付き合いありがとうございます。


まず最初に謝らなければいけないことがあります。

この話を書いている間、沢山の方からメールを頂きました。
その中で、この話を私自身の体験談だと思い、
私を励まして下さった方がいらっしゃいました。
その方達には大変申し訳ないのですが、
このお話は全てフィクションです。
もちろん、モデルも居ないし事実が織り交ぜてあるという事もありません。
全て私の作り話です。

私を心配してくれた方、本当にごめんなさい。

ホームページのコンテンツの一つとしてこの連載を
エンピツサーバを利用して始めようと思い立ちましたが、
まさか「エンピツ」からのアクセスがこれほど多いとは
正直思っていませんでした。
ホームページの方からはこれがフィクションであるという事を
明記しているのですが、エンピツ日記の方にも
最初に書いておくべきだったと反省しています。



最初は毎日書いていたお話ですが
途中で仕事を変えた事もあり、毎日書くのが難しくなっています。
また、「話がつまんなくなった」との指摘を受けた事もありますが
なにぶんこのようにお話を書いたのは初めてですので
使おうと思っていたエピソードもかなり端折ってますし
話の辻褄の合わないところもあると思います。
どうか、素人の書く駄文だと思ってご了承下さい。


さて、言い訳ばかりで見苦しくなってしまいました。
これからもかなりゆっくりペースで行くと思いますが、
宜しければこれからもお付き合い下さい。
それでは。


ねね(ple@master-gundam.net


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【父との秘密】幸せの為に - 2002年10月13日(日)

あたしは、今でもセックスが出来ないままでいる。

自ら体を投げ出したのは
中学生の頃、自棄になって適当な男に身を委ねて以来、だ。
集団カウンセリングで何度も他の人の意見を聞いたり
カウンセラーの先生とも何度も話し合ったが、
それでもあたしはセックスの素晴らしさを理解する事は出来なかった。

彼とは定期的に会っているうちに真面目にお付き合いをする様になっていたが
お互いにセックスの事を持ち出すことはしなかった。
あたしはセックスに関して汚い感情しか持ち合わせていなかったし
彼も性に関してはトラウマがある。
一時はこんな傷の舐め合いの様な付き合いはいけない、と思ったこともあったが
今ではそんな事を考える事も無い。
あたし達はお互いを愛し合っている。
セックスなんか無くても、彼はあたしを大事にしてくれる。
あたしも、彼を大切に思っている。
それでいい。
自分の血をひいた子供を持つ事は出来なかったが。

彼と付き合っている間にも、色々な出来事があったが
今ではなんとかそれも消化して生きている。
それらについては、また別の機会があったら。


あたしは、自分と同じように性的虐待を受けている子供や
両親から虐待を受けている子供達の事を調べ続けている。
世の中には、苦しんでいる子供がこれほどたくさんいたのか、と思うほどだ。
本を読んだり知り合いの紹介で会った児童相談所の方に話を聞いたりしていると
この子達の力に、少しでもなりたいと強く願うようになっていた。

結婚してからは、ずっと続けていた会社を辞め
ボランティアで子供の電話相談を受けている。
子供達の「人には言えない悩み」の相談を受ける仕事だが
好きな男の子と上手に話せない、などという可愛らしい悩みもあり、
父親がアル中で大暴れをしている、
なんとかして欲しい、という切実な物もあり、
そして、
娘に対する父親からの、息子に対する母親からの性の呪縛に
悩み続けている子供の多さにも驚かされた。
大人たちへの怒りを通り越して、物凄く悲しい気持ちになる。
あたしは微力だが、本当に微力だが
こんな子供達のいつか来るはずの幸せを、切に願う。



一人でも、辛い思いをする子供がいなくなるように。

子供達の幸せな時間を、取り戻せるように。





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【父との秘密】エピローグ・父の死 - 2002年10月07日(月)

父は、4年病院のベッドにいた。

その間、時々母から電話がかかってきては父の近況を聞かされた。
父は言葉は理解できないものの、
一時は車椅子に乗って、自分の足で車椅子を漕ぐくらいまで回復したらしい。
だが、そんな回復を見せたのも一瞬だったそうだ。

一時は肺炎になり
一時は呼吸困難になり

そしてある日祖母から、父がもう危ないと連絡を受けた。

あたしが病院に着いた時には既に、父は亡くなっていた。
母は意外にしっかりした様子で看護婦とともに父の体を拭き
死に目に間に合わなかったあたしを静かに責めた。

父の死に直面しても尚、
思い出すのは父との思い出したくも無いような事ばかりだった。
目の前で人が一人亡くなったというのに
あたしは人としての感情をどこかに置き忘れたかのように
胸から湧き出してくるのは、憎悪ばかりだ。
あれから何年も経とうとしているのにも関わらず
何一つとして気持ちが変わらない。

子供の頃は、父など死んでしまえばいい、
死んでしまえば何かが変わると思っていたこともあったが
実際父が亡くなって、自分の中で何かが変わる事など一つも無かった。
ただ、あの父がこの世のどこにも居なくて
もう二度と顔を合わせる事はない。
あたしは安堵の混じった不思議な気分でいた。

母は葬儀の間中、時に静かに空を見つめ、
時に声を殺して涙を流し、
時に大声で嗚咽をあげながら父の遺体にしがみ付いていた。

それでもあたしは
悲しいという気持ちも
涙も何も、湧いては来なかった。

だけど、自分の中の葛藤が
これで終わったわけじゃない。



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【父との秘密】エピローグ・病室 - 2002年10月06日(日)

母から電話のあってから数ヶ月の後
あたしは結局父のいる病院に向かっていた。

病室で横たわる父
額には、手術の時に頭の皮を留めていたという傷が、まだ残っていた。
額の上の頭蓋骨が、奇妙に盛り上がっているのが見て取れた。
体は細くなって骨ばかりだ。
ひざなどの関節が妙に大きく感じた。
父はあたしを見て涙を流し、言葉にならない声をあげていた。

これはどういう状態なのかと母に聞くと
もう体はほとんど動かない状態で、人が来ると涙を流すだけだ、と言った。
ここにいるのが誰なのか、理解しているのかどうかも分からない、と言っていた。

父もかなり衰弱していたが
毎日病院に通って来ている母もまた、疲れきっている様子だった。

あたしは母から「何か声を掛けてあげて」と言われたが、
やはり何も言う事は出来なかった。
あたしを中学まで育てて貰った親だが
あたしの中では感謝の言葉よりも憎悪の言葉しか浮かばなかったからだ。
こんな場面でさえ父の事を可哀想とも悲しいとも思えなかった。

ただ、母の姿は哀れだった。
毎日父に付き添い、疲れが増していっそう皺の増えた顔。
何の疑問も抱かずにあたしをここに呼び出す母。
父のわずかな動きに一喜一憂する母。

あたしは、居たたまれなくなって病室を出た。



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【父との秘密】エピローグ・母からの電話 - 2002年10月05日(土)

あたしが二十歳になった頃、母から電話があった。

父が倒れたという。
倒れる何日か前から、ずっと頭が痛いと近所の病院にかかっていたらしいが
偏頭痛と言われていたらしい。
それが、会社で立ち話をしている時に急にパッタリ倒れた。
これから脳外科にて緊急手術だという。
病名はクモ膜下出血だそうで、手術が成功したところで
元の様に回復できる見込みは無い、と。

母は半泣きになりながら状況を説明していた。

が、あたしは母の真剣な訴えを聞けば聞くほど、自分の心が冷めていくのが分かった。

電話の向こうでは母が金切り声を上げている。
あたしは母のどんな言葉にも「ふうん」としか答えられなかった。
他の言葉を発するわけには行かなかったのだ。
今口を開けば、父を罵る言葉しか出てこない。


あたしは

「ざまあみろ」

という言葉を必死で飲み込んでいた。


母は、あたしに病院に来てくれ、と言った。
あたしは、いやだ、と言った。
もう父とは係わり合いになりたくないと思っていたし
父の顔なんか見たくも無かった。

母は相変わらず電話の向こうから金切り声をあげ続けていた。



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