■ 豆文 ■
 2009年02月14日(土) 【 中毒奇譚:11 】

【注意書き】

 初見の方はまずこちらをご覧下さい(『はじめに』のページです)

【店主の経営メモ:本日のお客様──あげる人達】

 今年もこの時期がやってきた。
 帳簿を閉じた店主はその日、強く拳を握り締めた。

 あれである。あの日である。
 店主自身には縁の無い(そして興味も無い)話だが、店としては全く別、関係大ありの日だ。

 望まれるものは恐らく多種多様、それら全てに華麗に応えきった時、店主は店主としてまた一歩前進するのである。……自分でそう決めた。
 出来うる限りの準備は済ませたつもりだ。あとは目の前の扉が開くその時を待つのみ。
 世間いわく『勝負の日』──『バレンタインデー』。それは店主にとっても、『勝負の日』(別の意味で)。


<一人目>

 さて、気合いを入れ直した店主は今、テーブルの上に幾つものチョコレートを並べていた。アンティーク小皿の上にそれぞれ三粒ずつ、ころりと丸いもの、ココアパウダーをまぶしたもの、真っ白にコーティングされたもの、クッキーと共になったもの、生チョコはお客様が来るまでの間、冷蔵庫の中へ。
 これは要するに試食用である。勝負の為のチョコレート、是非あげる側のお客様にも賞味して貰い、満足したものを選んで頂きたい。
 勿論飲み物の用意だって万全だ。珈琲はブラックが合うだろう。大人の方ならブランデーを落としても良いかもしれない。珈琲が苦手という方の為に紅茶や牛乳も外せないだろうし、抹茶味のチョコレートがあるからか、緑茶が意外に合うという話も聞いた。ならついでに抹茶も用意しておこう。そしてフレーバー系の緑茶へ蜂蜜を落とす事が店主の最近のブームであった為、とっておきの小瓶もテーブルの上に。実はミネラルウォーターも侮れないという事でそれも用意。チョコレートの味を尊重してくれるのだそうだ。
「……よし」
 店主のバレンタインの楽しみ方は概ねこのような感じである。空しさを感じるどころか非常に満足げに息を吐いたところで控えめに扉が開いた為、待っていましたとばかりに顔を上げた。
「いらっしゃいませ!」
「どうも、こんにちはー」
 立っていたのは小豆色の外套に身を包んだ少女だった。真っ白の、もこもことしたマフラーを外すと外気に冷やされ赤みを増した頬が見える。
 高校生と思わしきその少女は椅子を引いて座ると、テーブルの上に繰り広げられた店主一押しの世界に目を輝かせた。
「わ、わー! 美味しそう! チョコを買いに来たんですよ」
「それは素晴らしく良いタイミングでした」
 ちょうど準備が終わったところです。そう微笑んだ店主に少女は満面の笑顔を浮かべてみせた。
「やった! 色々欲しいんですよ、色々。お酒入り以外でー……オススメあります?」
「オススメ出来ないものは用意しておりませんが、そうですね。まずは定番のトリュフで如何でしょう」
 そして、少女の前に小皿を幾つか出す。
「こちらがベルギー生まれのトリュフです。種類はミルクとヘーゼルナッツ、オレンジ。食べた瞬間にとろりと溶ける舌触りが堪りません。オススメの飲み物は珈琲ですね。こちらは濃厚なミルクチョコにフリーズドライされた苺が丸ごと入っているものです。食感はサクサク、甘酸っぱさが広がります。……おひとつずつどうぞ」
「いいんですか! わー、頂きます」
 目を丸くした少女はそろそろとチョコを摘み、口の中へ入れた。その間に店主は小さなカップへ珈琲を用意する。挽きたての豆の香りが広がって、少し。
「──ッ!!」
 べしべしと、少女が机を叩き身を縮こまらせた。……出足は好調だ。
「溶けてサクサクで甘酸っぱい!」
「はい。珈琲をどうぞ。お砂糖は大丈夫ですか?」
「あ、はい大丈夫です。あー美味しい、珈琲飲むと更に美味しい」
 少しだけ珈琲を飲んで、深く一息。だが店主に少女の至福の時を終わらせるつもりはまだ、無い。
「生チョコも外せませんよね。ミルク、ビター、ホワイト。珍しいところだと濃厚な宇治抹茶や苺、豆乳など。本当ならば焼酎やシャンパン風味などもオススメしたいところですが、お客様がまだお若い事が悔やまれてなりません」
「あー、でも『お前は成人しても絶対にお酒を飲むな』って周囲が」
「おや。カクテル系や梅酒のボンボンなどもご用意してあったのですが……ではノンアルコールの生チョコの方で試食、どうぞ」
 再び少女へ、今度は冷蔵庫から取り出した小皿を勧める。ひとつひとつをゆっくりと味わう少女の表情変化はそれはもう、多彩だった。目をきつく閉じたり、溜息を吐いたり、頬を抑えたり、じたばたしてみたり。それを見ているだけで店主の満足度はうなぎ登りというやつである。
「こちらは、板チョコの上に複数種類のナッツが散らされているんですよ。どこから食べてもナッツの風味や食感が違うという。ナッツ系ならこちらの、一粒ずつコーティングしたものも美味しいです。マカダミアナッツやアーモンドの他に、黒豆なんてものも」
「わー、もう、わー!」
「これとか、可愛いだけでは無いのですよ」
「何これ、棒付きアイスの形してる」
「四種類ほどありまして、食べると中身が違うんです。僕の一押しはこちらのペパーミントクランチ」
「あっ、美味しい、これ美味しい!」
「それからこちらは割れチョコマシュマロアーモンド。もちもちしていて、とろりととろける六種類」
「可愛い! あと六種類揃うと綺麗!」
「あとこちら、変わり種系も抑えては如何ですか? 最近見かけるようになった塩キャラメル入りや……ポテトチップスをコーティングしたもの、それからご存じでしょうか、柿の種。それをコーティングしたものです」
「柿の種! チョコ付きは食べた事が無──うわ、何これ微妙にクセになりそうな、何とも言えない感じだ!」
「甘いものが続いた後に良いと思います。それでもまだ甘いようでしたら、こちらに塩気の程良いナッツ類だけご用意しておりますから、口休めにどうぞ。僕が緑茶のお供にしたくて用意した塩昆布も宜しければ」
「店主さん解ってる……」
「ええ、それが誇りです」
 それまで敬語を用いていた少女の口調は徐々に砕け始めた。それもまた良い傾向だと店主は緑茶を用意しながら思う。
 緑茶を貰い一息吐いて、すっかり至福状態となった少女は感慨深そうに口を開いた。
「やー、来てみて良かった。人にあげる予定は無いんですけどね、あー、お父さんにはあげるか。でもお父さんチョコ苦手で、次の日に私が食べるから、結局私が食べたいものを選ぶ訳で。というか、何でバレンタインにあげる側に立たなきゃいけないのーとか思うんですよ。こんなに美味しそうなものを目の前にして! 人にあげるなら、その分を自分にあげたっていいですよねぇ?」
「僕はそれでも全く構わないと思っていますよ。こんなに美味しそうなものが揃う時期にそれを全員が味わえないなど、理不尽かと」
「店主さんホント解ってる! とにかく、これで困らないや。おやつ。今月いっぱいは軽く!」
「それは何よりです、どうぞ他の月では味わい難い貴重な午後三時を」
 そう、店主は解っているのだ。
 バレンタインの過ごし方が人それぞれ、多種多様であるという事を。
 吟味に吟味を重ねて、それでも少し買いすぎたと笑う程のチョコレートを抱えて店を出る少女を見送った店主の心は、やり遂げたという充実感に満たされていた。


<二人目>

 楽しいひとときを過ごせたものだ。午後のお茶を味わいながら店主はゆるやかに息を吐く。これだから毎年バレンタインが楽しみで仕方ない。
 すると、再び扉が開く。今度現れたのは、木賊色の外套に身を包んだ少年だった。歳は先刻の少女と同じくらいだろうか。チョコの美味しさを損ねない程度に暖められた店内へ入った途端、かけていた眼鏡が曇り渋い顔をする。
「あ、申し訳ありません。眼鏡拭き、お出ししますのでおかけください」
「……どうも」
 眼鏡を外し眉根を寄せながら目を細め、少年は椅子に座る。差し出された眼鏡拭きで丁寧に眼鏡を拭いてから、きっちりとした礼を告げた。
「……ここにはチョコレートが沢山揃っていると聞いた」
 年齢よりだいぶ大人びた印象──やや慇懃とも思えるそれ──を与える話し方、店主は特に気にする様子も無く「お任せください」と微笑んでみせる。
 すると、少年の様子が途端に変貌した。
「ぎゃっ、逆チョコというものが流行り出したと聞いて、その流れに乗ってやってもいいと思ってな!」
「左様ですか。僕も存じてはおりますよ、全員が楽しめるようにする流れは素敵ですよね」
 そうしてチョコ購入に踏み切る人数が倍になれば店主はより楽しくなる。来年以降の事を考え朗らかに笑う店主に対し、少年はますます頬を高揚させてゆく。
「で、だ、その、別に好きとかそういうのでは無くてだな、そう、逆チョコであり友チョコだ。好きだからじゃない。人としての好感度の高さに敬意を表し、とっておきのチョコをあげてやらねばいけないと考えているだけだ。考えてみろ、人として非常に優れている人間が何も貰えないなどあって良いか? いや駄目だ。だが僕以外が与えるのも解せん、むしろ許さない。でも別に好きな訳じゃない、断じてない」
「はい、了承しました」
 ホットミルクと蜂蜜だな。そんな事を考えながら店主はカップへ手を伸ばす。少年が普段、人前ではブラック珈琲を頑なに貫いている事など店主には知る由が無い。
「雑誌をチェックしたとか、学校で皆が話している事に耳をそばだてたとかでも無いんだ、風の噂を偶然、本当に偶然聞きつけただけで」
「ニュースでも盛んにやっておりましたからね、ホットミルクですがどうぞ」
「すまない」
 少年も自身が落ち着いていない事には気付いていたのだろう。湯気の立つカップを素直に受け取り、ほんのりと甘いミルクを口に含む。少し落ち着いた気配を察し、店主は自分から切り出した。
「で、差し上げるお相手は?」
「好きな子という訳ではない!」
「はい、了承しております」
 すぐさま再興奮した少年の主張に頷けば、少年は口元を拭いながらもごもごと語り出す。
「がっ、学校の同級生で……ぜんぜ……余り話した事が無……いや、何でも無い。どんな相手かと言われれば──そうだな、はっ」
「はっ?」
「果てしなく可愛い」
「それは何よりです」
 店主は微笑みを崩さない。カップを置いた少年は頬を赤く染めながら続ける。
「その相手が……チョコを幾つも抱えて歩いているところを見て、まさか僕にと思ったなどという事は決して無いんだ。その顔が凄く嬉しそうで幸せそうで可愛くて、なら僕も貰ったその場でチョコを渡すといったような気の利いた切り返しをすべきだとか、そう考えたという事でも無い」
「そうですね」
「だが……この店に来ると願いが叶うんだろう? そんな噂話を聞いた。別に振り向いて欲しい訳じゃないんだが、断じて無いんだが、例えば惚れ薬などが入ったチョコは」
「無いです」
 朗らかな笑顔を浮かべたままで、店主はきっぱりはっきりそう告げた。途端にびくりと肩を震わせた少年は、ひとつ咳払いをして眼鏡を押し上げる。
「だっ、だよな! 冗談に決まっているだろう、バカバカしい!」
「ホント、バカバカしいですよね。毎年一人や二人はいるんですよ、そういう困った人。なのでお客様のご理解の深さに感謝せずにはいられません」
「そっ……そうだ、な……」
 目を逸らした少年の声が消え入りそうに小さくなっていったのは、きっと気のせいだ。店主は手前で組んでいた手をほどき、ひらりと振ってみせる。
「まずご自身で勝負しなくてどうしますかという話だと思う訳ですよ。その為のお手伝いなら、僕は幾らでもしますのに。で、お客様はどのようなチョコを差し上げたいとお考えですか?」
「勝負……あ、いや別に勝負などでは無いが、そうだな──定番の」
「定番の?」
 恐らく少年には、これだというものがもう決まっているのだろう。再び眼鏡を押し上げて真っ直ぐに店主の方を向き、真剣な表情でこう告げた。

「ハート型の、大きい」
「昨今ではむしろ少女漫画でしか見ない気がしますが、承りました」

 それでもきちんと用意をしておくのが、店主のジャスティスである。

 ラッピング済みのチョコレートを大切そうに抱え込み、ぎこちない歩みで店を出てゆく少年を見送りながら店主は思う。
 まぁ、それなりに、上手くゆくと良いですね──と。
 例えば、来月そのお相手とやらがお返しをこの店に買いに来てくれたなら、結果オーライだろうから。

 それはさておき、店主のバレンタインはまだ終わらない。
 試食を補充して、飲み物の残量をチェックして、自分自身もお茶を楽しみつつ扉が再び開く時を待つ事にした。
 ホワイトデーも(準備が)楽しみだなぁとか、そんな事を考えながら。

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【参考文献】
 http://www.rakuten.co.jp/frantz/533620/543351/
 http://item.rakuten.co.jp/itohkyuemon/514670-1/
 http://sa.item.rakuten.co.jp/kurotaro/a/3616-0002/
 http://www.rakuten.co.jp/kamachu/1853235/
 http://www.rakuten.co.jp/hokkaido-omiyage/457821/498415/
 http://item.rakuten.co.jp/beone/kakityoko001/


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